日々の音色とことば

usual tones and words

まぶしい光の中でゴールテープをきるということ――BOOM BOOM SATELLITESの最後の作品に寄せて

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今日の記事はBOOM BOOM SATELLITESの新作『LAY YOUR HANDS ON ME』について。そして、「何かをやり遂げる」ということについての話です。彼らのことを知らない人にも届けばいいな。

 

■闘い続けてきたバンドの最後の凱歌

 

BOOM BOOM SATELLITESは、6月22日にリリースされる新作『LAY YOUR HANDS ON ME』をもって活動を終了することを発表した。

 

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ニュースでも報じられた通り、その理由は、川島道行(Vo/G)が脳腫瘍による麻痺などの後遺症で音楽活動を続けることが困難になったため。中野雅之(B/Programing)はブログにこう記している。

 

これがBOOM BOOM SATELLITESの最後の作品になります。理由は川島道行の脳腫瘍による麻痺などの後遺症です。現在、川島道行はミュージシャンとしての役割を終えて家族と共に穏やかな毎日を過ごしています。言葉はゆっくりですが話せます。手足は不自由になってきて車椅子を使う機会も増えました。正確な意思の疎通が難しいので、今彼が何を考えて何を思って毎日を過ごしているのか、僕でも少し理解しきれない時があります。しかし、この作品を作りきった充実感や達成感は感じていると思います。僕には本当に燃え尽きてしまった抜け殻のようにも見えます。「お疲れ様!」と声をかけてあげて欲しい。

 

あともう一息でデビュー20周年というところでしたが音楽家、川島道行との旅もあともう少しで終わろうしています。川島くんと一緒に数え切れないほどの景色を見てきました。何を思い返しても簡単な事は無かった。思いのままジタバタして、もがいて、駆け抜けてきました。振り返るとどれも素晴らしく、誇らしく、思い出達はキラキラと輝いています。

 

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というわけで、この『LAY YOUR HANDS ON ME』は、デビューから19年を迎えた彼らの最終作となる。4曲入りで23分弱。枠組みとしてはEPということになるのかもしれないけれど、まぎれもなく「アルバム」としての聴き応えと重みを持った作品だ。

 

LAY YOUR HANDS ON ME

 

最高傑作だと思う。最初に音源が届いてから何度も聴いているけれど、聴くたびに胸がいっぱいになる。心が揺さぶられる。でも、それは僕が彼らのことをよく知っているからだけではないと思う。この4曲の中に込められたもの、音楽に宿る力そのものは、時代や状況を超えてちゃんと伝わっていくと思う。

 

表題曲「LAY YOUR HANDS ON ME」は、強靭な四つ打ちのビートに乗せて力強い歌声が響くダンス・ナンバー。

 

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歌詞にはこんな言葉がある。 

 

Lay your hands on me while I'm bleeding dry

Break on through blue skies, I'll take you higher

ずっとその手で触れていてくれ、生気が抜けてゆく僕のからだに

青空を突き抜けて、君をもっと高いところまで連れて行こう

 

YouTubeに公開されたミュージックビデオには、可愛らしい女の子が満面の笑みを浮かべて砂浜を走ったり、おもちゃで遊んだり、ギターを抱えてジャンプしたりする、無邪気で愛らしい姿が映し出されている。

 

この女の子が川島道行の実の娘だということも明かされている。ファンや彼らを知る人にとっては、この映像には、胸を締め付けられるようなものを感じると思う。でも、この曲がアニメ『キズナイーバー』OPテーマになったことで、YouTubeのコメント欄には、それを全く知らない海外からのいろんな感想が英語やスペイン語やロシア語で書き込まれている。国境を超えて届いている。そのことを、なんだか嬉しく思う。

 

2曲目「STARS AND CLOUDS」は、キラキラとした光に歌声が包まれるような、静かな、とても美しいバラード。

 

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その2曲で感じた賛美歌のような感覚、高揚感と抱擁感をリプライズしていくかのようなアンビエントナンバーの「FLARE」と、先鋭的なビートと声を重ねあわせるインストゥルメンタルの「NARCOSIS」が続く。

 

この「NARCOSIS」の終盤、フィールドレコーディングによる街の雑踏の中に、音楽が溶けていく。過去の作品でも彼らはアルバムの最後の曲をこういう環境音を用いた曲で終えていた。どこか浮世離れした場所じゃなくて、あくまで日常の中、普段の生活の中に音楽がある、ということを表現していた。

 

そして、ヘッドホンで聴いていると気付くのだが、この「NARCOSIS」にも仕掛けが凝らされている。最後の最後、静寂の中で川島が「すぅっ」っと息を吸い込む音が聴こえる。そこに、すごくハッとする。

 

noteにも書いたけれど、僕は「LAY YOUR HANDS ON ME」という曲は「凱歌」だと思っている。BOOM BOOM SATELLITESは、ずっとレベル・ミュージック、つまり何かに抵抗する音楽を鳴らしてきたバンドだった。パンク・ロックとダンス・ミュージックを、スタイルとかじゃなくて「反抗」と「祝祭」という、それぞれの精神性の最も深い部分で融合させてきた2人だった。

 

20年近くのキャリアの中でその「抵抗」の相手はいろんなものだったけれど、たぶん、ここ数年の彼らが対峙してきたのは、運命そのものだったのだと思う。とても大きな相手だ。ちっぽけな人間に勝ち目なんてない。それは過酷で、ときに残酷なものでもあったと思う。

 

けれど、でもこの曲を聴くと、真っ向から闘い続けてきたからこそ、最後に彼らは「凱歌」を作ることができたんだと思う。そしてこのアルバムに収められた4曲で、生命が持っているエネルギーのようなもの、光のようなものを、音楽に結実させることができたんだと思う。

 

BOOM BOOM SATELLITESは、こうして自らの音楽活動に幕を下ろした。到達点まで上り詰めて、そこで高らかに鳴り響くような希望を鳴らしきった。音楽の歴史を紐解いても、こんな風にゴールテープをきることのできたバンドなんて、きっとほとんどいなかったと思う。書いてるうちにどんどん大袈裟な表現になってるのは自分でもわかるんだけど、思い浮かぶのは感傷的な言葉より、「おめでとう」と「おつかれさまでした」という言葉だ。

 

■華々しい海外デビューと「ロックンロール」への道

 

というわけで。ここからは、すこしくらい思い出話をしてもいいよね。

 

BOOM BOOM SATELLITESは97年に『JOYRIDE』でベルギーのレーベルからデビューし、日本よりも先に海外のメディアで華々しく取り上げられる。時代はちょうどケミカル・ブラザーズやファットボーイ・スリムが登場して脚光を浴びていたころ。「ビッグ・ビート」なんて言葉が持て囃されていたころだ。

 

僕が1stアルバム『OUT LOUD』を初めて聴いたのは大学生のころ。こんな風にロックとダンス・ミュージックを融合して世界の舞台で戦ってる人がいるんだと知って、夢中になった。

 

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初めてインタビューしたのは2002年、3rdアルバム『PHOTON』をリリースしたときのこと。二人はロンドンに拠点を置いていた。2ndアルバム『UMBRA』と『PHOTON』は、最初の作品が持っていた突き抜けるような爽快感とは一転した、ディープに内奥を掘り進んでいくような聴き応えを持ったものだった。

 

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当時は9・11の後の殺伐とした世相と絡めてあの作品を受け取っていた。でも、後になって、この時期に、川島道行に一回目の脳腫瘍が発覚したことが明かされている。

 

当時のインタビューで彼はこんな風に語っていた。

 

「ある日命に終わりが突然やってくるものだっていうことが僕の中で実感できた時期があって」

「人がどこから来てどこへ行くのかっていうこと――自分が考えてることを歌詞の題材にしてたんだけど。ただ、今までは自分から離れた手の届きそうもないようなところのことばっかり考えてたんだけど、今回は普段の生活の中でそういうことが起こってるということを、細かくシチュエーションとして10曲挙げたかった」

(『BUZZ』2002年7月号より)

 

当時のイギリスの音楽シーンはビッグ・ビートのブームが一段落し、90年代に接近していたロックとダンス・ミュージックのシーンが再び分化していったころ。ダンスの快楽性を離れた彼らはマーケットにおいては苦戦していたけれど、その見据えるものは当時から変わっていなかった。

 

次にインタビューをしたのは、4thアルバム『FULL OF ELEVATING PLEASURES』の頃。「MOMENT I COUNT」や「DIVE FOR YOU」などを収録した、彼らにとっても代表作となる一枚だ。

 

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当時のインタビューでは、作品が「ロックンロール・アルバム」であることを語っていた。

 

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そしてその音楽性にゴスペルの要素が加わってきたことについて、二人はこんなふうに言っていた。

 

「簡単には見出せない生きる光のような、希望の光は絶対音楽が提示していくっていうものだと思っていた」

(『BUZZ』 2005年10月号)

 

「ゴスペルってね、なんて言うんだろう……すごく日々の思いをメロディにのせて、自分も参加して、その気持ちを昇華させているという、宗教的な部分の音楽だけど、歌の持つ力でできることですよね。歌じゃないとできないことだし。(略)手を差し伸べるときの手段なのかって言われれば、それは手段だし、おいでよって感じだから」(川島)

(『BUZZ』2005年4月号)

 

翌年、そして翌々年、彼らは『ON』と『EXPOSED』という2枚のアルバムをリリースする。よりロックンロールとしての強度と即効性を高めた作品だ。『FULL OF ELEVATING PLEASURES』とあわせて「三部作」と位置づけていたこの3作で、彼らはライブバンドとしての支持を高め、日本のロックシーンに確固たる地位を築き上げていく。

特に『ON』の一曲目「KICK IT OUT」は、いろんな場面で耳にしたことのある人は多いはず。

 

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■苦闘の日々と「再生」の光

 

ただ、2010年代に入ってからのBOOM BOOM SATELLITESは、それまでとは違ったフェーズに入っていた。

 

『TO THE LOVELESS』をリリースした2010年の頃は「悩んでいる時期」だったと言う。当時はこんな風に語っている。

 

「音楽は細分化されすぎている。だから、ただトレンドだけを追いかけても自分たちを見失うだけだと思いますね。そういう時代になったと思う」(中野)

インタヴュー | BOOM BOOM SATELLITES(NEXUS)

 

そして2012年末。アルバム『EMBRACE』を完成させた直後、川島に脳腫瘍の再発が発覚し、2013年1月からの全国ツアーは中止となる。

 

そしてその年の5月に、初の日本武道館で復活ライブが実現。それは、長らく僕が観てきた彼らのライブの中でも最高のものだった。ライブ・アルバム『EXPERIENCEDII』にその模様が収められている。

 

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EXPERIENCEDII-EMBRACE TOUR 2013 武道館-(完全生産限定盤)(Blu-ray Disc付)

EXPERIENCEDII-EMBRACE TOUR 2013 武道館-(完全生産限定盤)(Blu-ray Disc付)

 

 

しかし、その裏側は壮絶な状況だったという。

 

「あの時期は非常事態に近かったですね。精神的な追い込まれ方もすごかったし。数ヶ月でもう一度ステージに立つこと自体に無理があった。でも半年後や一年後だったら、逆にモチベーションを失っていたかもしれない。やっぱり脳の手術だし、何かしらの変化は起きるだろうと思っていたから。武道館をやり切れたのはよかったけれど、とにかく、半端無く大変なことだった。で、その時点でもうアルバムの制作に片足を突っ込んでいたんです」(中野)

「意識が混濁している時もあったし、辛いだけの時間を過ごしていたこともあった。それでも、僕はこのバンドで生まれる新曲を聴きたいので、音楽をやろうと思いを改めた時期でもあったと思います」(川島)

 

NEXUS | <インタヴュー> BOOM BOOM SATELLITES 「無駄なことなんて一つもなかった」――不屈の年月と、辿り着いた今を語る

 

武道館公演を行った時には、すでに次作『SHINE LIKE A BILLION SUNS』の制作も始まっていた。『EMBRACE』から『SHINE LIKE A BILLION SUNS』にかけては、彼らの音楽に、抱擁力とか、「光」をイメージするようなものがどんどん増えていった。

 

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「“NINE”だと<I wake up lying on the dance floor>(ふと目覚めたらダンスフロアで横たわってた)という一節が、最後の曲の一行目にきている。それは偶然だけれども再生感を得られてすごく勇気づける一行になっているんじゃないかって自分でも思っています」(川島)

インタヴュー |BOOM BOOM SATELLITES (NEXUS)

 

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「引き受けるとか、肯定的であるとか、そういう表現になってきていると思います。でも、それがレベル・ミュージックじゃないかといえば、そんなことはないと思う。それが聴き手にとっての力になる音楽であれば、やっぱりそれはそう言えるんじゃないかと思う」(中野)

NEXUS | <インタヴュー> BOOM BOOM SATELLITES 「無駄なことなんて一つもなかった」――不屈の年月と、辿り着いた今を語る

 

そして2015年7月。フジ・ロック・フェスティバルで本当に素晴らしいライブを見せた後に、5度目の再発が発覚する。11月に予定されていた最後のワンマンライブは体調の悪化のためキャンセルとなり、結果的にはその年の夏のフェス出演が彼らにとっての最後のライブになった。

 

それでも、彼らはそこで諦めなかった。二人はBOOM BOOM SATELLITESの最後の作品として『LAY YOUR HANDS ON ME』を作ることを決意し、残された時間の中でそれを完成させる。

 

「LAY YOUR HANDS ON ME」を聴いていると、とても不思議に感じることがあって。こうして振り返っても、相当な苦闘の中で作り上げてきた作品であるのは間違いないと思う。でも、鳴らされている音からはそういう匂いは一切感じない。もっと純度が高いというか、浄化されているというような感じがする。

 

「音楽が生き方に作用する、心に働きかけるものであってほしい。そういう思いは表現に託してきたものだと思っています」(川島)

NEXUS | <インタヴュー> BOOM BOOM SATELLITES 「無駄なことなんて一つもなかった」――不屈の年月と、辿り着いた今を語る

 

彼らはこんな風に言っていた。川島道行、中野雅之という二人は、お互いに手を取り合い、影響を与えあいながら、20年近くの歩みを経てきた。そういう年月があったからこそ、まぶしい光の中でゴールテープをきるような曲が完成したのかもしれないな、と思う。

 

LAY YOUR HANDS ON ME(初回生産限定盤)(Blu-ray Disc付)

LAY YOUR HANDS ON ME(初回生産限定盤)(Blu-ray Disc付)

 

 

日常を歌うことがプロテスト・ソングになる、ということ

以前noteに書いていたことなんだけど、MVが公開されたタイミングでもあるし、こちらにも残しておこう。

 

アナログフィッシュのアルバム『Almost A Rainbow』がすばらしい。

 

Almost A Rainbow


特にすごいのが下岡晃が書いた「No Rain(No Rainbow)」という曲の歌詞。

 


Analogfish 〝No Rain (No Rainbow)"(Official Music Video)

 

ほんとは聴いてから読んでほしいんだけど、まず歌詞を引用する。

 

「僕はバカだから傷つけなきゃわからないんだ」
「そんなあなたを選んだ私に見る目がないのね」
なんて笑いながら暮れる街を歩いていた
不意に隣をいく君の髪が風に揺れる

 

"No Rain No Rainbow"

 

「この幸せの代償に僕は何を支払うんだろう」
「何も何一つも支払う必要なんてないの」
「何故?」と問いかける僕に君は困ったように
「雨が降った後にかかる虹のようなものよ」

 

and she said
"No Rain No Rainbow"

 

寄った居酒屋は値段の割に酷いもんで
それを愚痴る僕に君は思い出したように
「ただ好きなだけでこれはサービスではないの
ただ美しいだけで虹は雨の対価ではないでしょ」

 

「でも…」 she says
"No Rain No Rainbow"

 

君に何かしてあげたいっておもうよ

 

雨のあとには虹がかかる。それは当たり前のこと。それを「悲しみのあとには喜びが待っている」みたいなことのメタファとして表現するような歌も沢山ある。


でも、この曲の「No Rain No Rainbow」はそういうことじゃない。もっと先のほうに踏み込んでる。


恋人か夫婦か、心を許しあえる相手と笑いながら夕暮れの街を歩く、日常のささいな風景から曲は始まる。ふと「この幸せの代償に僕は何を支払うんだろう」と「僕」が怯える。それに対して「君」が言う。「何も何一つ支払う必要なんてないの」。だって「ただ美しいだけで虹は雨の対価ではないでしょ」。


この一行は本当にすごいと思う。下岡晃の詩人としての冴え渡る才覚を示してる。

というわけで、ちょっとそれを検証するためにアナログフィッシュのここ数作を振り返ろうと思う。

 

2011年以降、彼の言葉は「覚醒」と言っていいほどの切れ味を増していた。きっかけはアルバム『荒野 / On the Wild Side』。というか、その1曲目に収録された「PHASE」だった。

 


アナログフィッシュ 「PHASE」

夢を買う彼はリアリスト
夢を乞う僕はテロリスト
夢を売る彼はリアリスト
夢を見る君はテロリス
失う用意はある? それとも放っておく勇気はあるのかい


2011年5月にリリースされたEP『失う用意はある?それともほうっておく勇気はあるのかい』にも収録されたこの曲。震災前に書かれたというこの歌詞の一節は、偶然なのか必然なのか、3・11以降の社会にシャープに照準を合わせたものになっていた。

『荒野 / On the Wild Side』には「戦争がおきた」という曲も収録されている。日常の情景を淡々と描写する中に「戦争」という言葉がインサートされる曲。これも、つまりはプロテスト・ソングを引き受けた曲だった。

 

2013年の『NEWCLEAR』に収録された「抱きしめて」も、実は震災の一年前に作った曲だったらしい。

 


アナログフィッシュ(Analogfish) "抱きしめて" (Official Music Video)

危険があるから引っ越そう

遠いところへ引っ越そう
畑と少しの家畜をかって
危険が去るまでそこにいよう

いつまでなんて聞かないで
嫌だわなんて言わないで

ねぇどこにあるのそんな場所がこの世界に
もうここでいいから思いっきり抱きしめて

 

そのことを踏まえて考えると、震災後の、原発事故後の現実に鋭く符合する歌詞は、あきらかに「啓示」に属するものだった。


2014年の『最近のぼくら』は、『荒野』『NEWCLEAR』とあわせた「社会派三部作」と位置付けたアルバムだった。

 


アナログフィッシュ(Analogfish) "最近のぼくら" (Official Music Video)

 

全般にループを元にした曲構成になっていて、表題曲はドラムとベースのみのシンプルなサウンド。ヒップホップにも接近したスタイルになっている。ただ、「社会派三部作」と言うわりには、メッセージを背負おうとはしていない。熱を込めず、目の前にあるものの描写に徹している。

 

このアルバムのインタビューでは「日常の風景を歌いたかった」と言っている。「そのほうがメッセージを歌うよりも自分にとって大事」だという。ただ、その一方で、別のインタビューでは「いつもレベルミュージックを作ろうと思っている」と語っている。
というわけで。


なんで遡っていろいろ書いてきたというと、下岡晃というリリシストの「覚醒」が、この「No Rain(No Rainbow)」にちゃんと結実しているから。

 

つまり、この曲では「日常の風景を歌う」ということに徹していながら、ちゃんとプロテスト・ソングになっていると捉えることができるわけだ。

 

何に対してのプロテストかというと、それはおそらく「市場化」の圧力。何かを手に入れるためには、何かを支払わなければいけない。幸福や、愛や、自由や、そういった大切なものを含めたすべての価値に、値札がつけられる。「世界は等価交換で成り立っている」と勘違いしてしまう。わかりやすく言うと「コスパ」で全てを判断してしまう価値観、ということだ。

 

この曲に出てくる主人公の「僕」は、その価値観を知らず知らずのうちに内面化している。だから、自分がお金(代償)を払って手に入れたわけではない幸せが怖くなる。コストとパフォーマンスの関係にとらわれているから、「値段のわりにひどい」居酒屋をグチる。

 

それに対して気高い「君」が諭すように「ただ好きなだけでこれはサービスではないの」と言う。私があなたのことを好きな気持ちは、市場やお金やコストや報酬には関係ないでしょう?ということだ。「ただ美しいだけで虹は雨の対価ではないでしょ」と。

 

それをうけた「僕」は「でも…」と口ごもる。

 

そして最後の一行にたどり着く。この曲の歌詞は二人の会話の描写で綴られているのだけれど、最後の一行だけそこから飛躍する。カメラが俯瞰から主観に切り替わって、歌はこう繰り返して終わる。

 

君に何かしてあげたいっておもうよ

 

前述した後藤正文の対談の中で「ラジオとか聴いてるとさ、サビの中で“愛してる”って言葉を言いまくる歌もあって。サビで“愛してる”を16回も言うのか、みたいな(笑)。でも愛ってそういうことじゃないじゃん?」という風に下岡晃は語っている。

 

そのことを踏まえて考えると、二人のダイアローグを通して「対価」とか「代償」とか、そういう価値観を丁寧に取り除いて辿り着いた「君に何かしてあげたいっておもうよ」というのは、そのまま「愛してる」という言葉と同義になっている。


ものすごく批評性を持った愛の表現だと思う。

 

 

(ちなみに。アナログフィッシュというバンドは下岡晃と佐々木健太郎という全くタイプの異なる二人のソングライターがいて、なので『Almost A Rainbow』というアルバムの素晴らしさを語るには「No Rain(No Rainbow)」だけじゃ片手落ちなのだけど、これ以上は長くなるのでやめときます。でも、山下達郎とチルウェイヴが溶け合ったような「Baby Soda Pop」や「Will」のキラキラしたきらめきも、すごくよいです)

 


Analogfish "Baby Soda Pop" (Official Music Video)

 

追記。

 

ライターの先輩、兵庫慎司さんが「知人のライター柴那典が、この曲に関して、腹が立つくらい(なんでよ)的を射たことを書いていたので〜」とブログに書いてくれてました。ありがとうございます。腹立てないで!

shinjihyogo.hateblo.jp

 

太陽光の感じや、影の落ち方や、アングルの切り取り方や、そのアングルの中を人やクルマや電車が通るタイミングなど、もう何もかもが絶妙。って、何がどう絶妙なのかとても説明しづらいが、いちいち「そうか!」とか言いたくなる、観ていると。

そして、それらの積み重ねによって「街の風景を描くことがそのままプロテスト・ソングになる」という、アナログフィッシュ下岡晃楽曲がやりたいことと完璧にシンクロした映像作品に仕上がっているのだ。

 

そこに書かれているMVについてのこの文章も、「まさに」と思います。

 

 

 

宇多田ヒカルは死をどう描いているのか

花束を君に

真夏の通り雨

 

今月号の『MUSICA』に、宇多田ヒカル『花束を君に』『真夏の通り雨』のレビュー原稿を書きました。

 

MUSICA(ムジカ) 2016年 06 月号 [雑誌]

MUSICA(ムジカ) 2016年 06 月号 [雑誌]

 

 

そこにも書いたことだけれど、改めてここにも書いておこう。

 

発売からしばらく経つから、もう沢山の人が耳にしただろうこの曲。聴いた人は、この二つの曲が何について歌っているのか、すぐにわかるんじゃないかと思う。

 

「花束を君に」と「真夏の通り雨」の二つの曲は、いわば裏表の関係にある。どちらも死がモチーフにある。アーティストの私生活と作品とを安易に結びつけるのには慎重になるべきだけれど、おそらく、母・藤圭子の自死がその背後にあるのは間違いないのではないだろうか。そして再びの結婚を経て自身が母親になった、ということも。

 


宇多田ヒカル「花束を君に」(30s Version)

 

普段からメイクしない君が薄化粧した朝
始まりと終わりの狭間で
忘れぬ約束した 

 

「花束を君に」はこういう歌い出しで始まる。ピアノの丁寧な温かみのある声で優しいメロディを歌う。最初のサビの前で挟まれる、ため息のような吐息が胸に刺さる。

 

そして、中間部を経て、2番が始まるかと思いきやメロディも歌い方も変調する。

両手でも抱えきれない
眩い風景の数々をありがとう 

 
と歌う。情感はクライマックスに向けて上昇し、

どんな言葉並べても
君を讃えるには足りないから
花束を君に贈ろう 涙色の花束を君に 

 と終わる。

 

悲しみを堪えながらも、別れと弔いをゆっくりと受け入れていく歌だ。

 


宇多田ヒカル「真夏の通り雨」(Short Version)

 

一方「真夏の通り雨」が射抜くのは喪失と葛藤だ。

 

深く沈むような沈痛な旋律で、こう歌う。

いつになったら悲しくなくなる
教えてほしい

今日私は一人じゃないし
それなりに幸せで
これでいいんだと言い聞かせてるけど 

 

心の深い部分から感情の奔流が湧き上がってくる。曲後半になるにつれて、そのままならない切迫感はどんどん増していく。

 

最後は

ずっと止まない止まない雨に
ずっと癒えない癒えない乾き 

 

と繰り返し、絶望の余韻を残してフェードアウトする。

 

とてつもない2曲だと思う。そして、振り返れば、2012年には「桜流し」があった。

 

 


宇多田ヒカル - 桜流し(Short Ver.)

 

もし今の私を見れたなら どう思うでしょう
あなた無しで生きてる私を

もう二度と会えないなんて 信じられない
まだ何も伝えてない まだ何も伝えてない

 

この曲も、やはり死別のモチーフを持った曲だ。「真夏の通り雨」と同じく、その渦中にあることを強烈に感じさせる。

 

今、宇多田ヒカルは次作のアルバムを制作中だという。おそらく、これらの曲が収録されるだろう。たぶん、とてつもなく素晴らしいものになるのは間違いないと思う。ただ、この新作が、今の日本でどう受け止められるのか? そこに関しては正直、まだ未知数という気もしている。

 

宇野維正さんは著書『1998年の宇多田ヒカル』の中でこう書いている。

 

1998年の宇多田ヒカル (新潮新書)

1998年の宇多田ヒカル (新潮新書)

 

 

 このような本の最後には、音楽シーンの未来に向けて明るい提言の一つでもしておくべきなのかもしれないが、日本のメインストリームの音楽に関して言うなら、自分はもうほとんど何も期待していない。宇多田ヒカルの曲で「BLUE」と並んで最も好きな曲「テイク5」の歌詞を引用させてもらうなら、今は「絶望も希望もない、空のように透き通っていたい」といった心境だ。

 実を言うと、ほんの少し前まで希望はあった。知人や同業者と現在の日本のポップ・ミュージックについて語り合う際にも、その希望をよく口にしていた。

「宇多田ヒカルが戻ってきたら、きっと日本の音楽シーンはまたガラッと変わるよ」

 しかし、宇多田ヒカルの復活が現実のものとして近づいてきた今、もう無邪気にそんなことを言っている場合ではなくなってきた。

 

最愛の母の死、再婚、初の出産を経て世に送り出す新たな音楽。きっと、それはこれまでの宇多田ヒカルの名曲の数々をすべて塗り替えてしまうような、まったく別次元のものになっているに違いない。

 しかし、現在の日本の貧しい音楽シーンと、その貧しさにすっかり慣れきっているリスナーが、それを受け止めることができるだろうか?

 

引用させてもらった中にある「知人や同業者」に僕は入るだろうし、どこかで宇野さんとも実際にそんな会話をした覚えもある。

 

ただし、僕は上記の文には、はっきりと同意することはできない。日本の音楽シーンやリスナーの感性が「貧しくなっている」とは僕は思わないし、もし仮にそうだとするならば、それはうねりのように様々な様相を示しながら流れていく時代、テクノロジーの進歩や情報の流路や、人々の価値観が少しずつ変わっていく必然の中で「その場所に立ったらそう見える」だけにすぎないのではないだろうか。

 

それでも、こう思う。

 

振り返れば、2010年代の前半のJ-POPを巡るムードは「拡散の時代」「グループの時代」だった。SNSの普及で情報の流れ方が「マス」から「多対多」に変容し、ポップの担い手は「個」から「集団」に移り変わった。

 

そして、ここ数年、ポップ・ミュージックは「死」を描いてこなかった。誰もが向き合うものでありながら、それはヒットチャートからは追いやられてきた。その理由は簡単で、孤独の中で噛みしめる思いは「みんなで声を合わせて歌う」アイドルグループや、ダンス&ヴォーカルグループのアートフォームにはそぐわないから。

 

しかし、宇多田ヒカルはずっと、そして今はなお一層、孤独だ。