日々の音色とことば

usual tones and words

サニーデイ・サービスの新作が常軌を逸している

DANCE TO YOU

 

 

サニーデイ・サービスのニューアルバム『DANCE TO YOU』を、リリースされてから繰り返し聴いてる。すごくよい。最初はピンと来なかったんだけど、何度か聴くうちにどんどんハマってきた。その「よさ」の輪郭がクリアになってきた。

 

これ、相当ヤバいアルバムだ。ドラッギーだとも言える。ちょっと聴いただけじゃ気付かない。基本的にはゆるいテンポのダンサブルなリズムの楽曲が並ぶ、軽やかでポップなアルバムだ。スロウなディスコビート。ファンキーなベースライン。お洒落なエレキギターのカッティング。メロウな旋律に乗せて、曽我部恵一が持ち前の柔らかい歌声を響かせる。

 

だから「いいアルバムだよね」「ですよね」みたいな感じで消費されてしかるべきだと思う。そんな風に聴かれても何もおかしくない。

 

が、よくよく耳を凝らして聴くと、ヒリヒリした感触、精神の暗がりみたいなものが透けて見えてくる。

 

今回のアルバムについてナタリーの大山卓也さんがインタビューで「サウンドはポップでメロウなのに、どこか鬼気迫る印象を受けた」「メロディやサウンドは軽やかなのに、全体から受ける“圧”がすごい」と語っている。僕も同感。

 

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この記事に「悪魔に憑かれた渾身ポップアルバム」というキャッチをつけているのだけれど「まさに」と思う。

 

常軌を逸していると思う。

 

■異常な制作過程

 

何が常軌を逸しているか。

 

上記のインタビューでも語られているんだけれど、この『DANCE TO YOU』というアルバムが完成するまでには異様な時間がかかっている。作り始めたのが2015年の春。そこから数ヶ月かけて2015年の初夏にアルバムが一度完成したものの、そこにあった10曲は全てボツになってしまう。

上記のインタビューではこんな風に語られている。

 

普通は核になる曲が何曲かできて、それを中心に10曲とかまとめてアルバム完成ってことになる。6月ぐらいに一度そういう状態になったんだけどね。

──6月って1年前ですよね?

そう(笑)。そのときに一度完成したはずなんだけど、もっと新しいものを出したくなったというか。いわゆるサニーデイっぽさを残さずに、完全に脱皮した状態を見せたくなって。

──でもその新しいものがどういうものかは見えないまま?

だから途中からこれはヤバいな、このままずっと完成しないんじゃないかって思い始めて。「これでいいんじゃないか」と「もうちょっといかないとダメだろう」っていうののせめぎ合いでしたね。

──最終的に何曲ぐらい作ったんですか?

50曲は作ってる。そのうち40曲以上はちゃんと録ってミックスダウンまでしてるし。

──めちゃくちゃですね。

めちゃくちゃだと思う。そもそもレコーディングには予算ってものがあるからさ。スタジオ代やエンジニアのギャランティを確保して、だいたいの予算を決めた上でスタジオに1週間とか入るんだけど、結局そこでは何もできなかった。

──でもレコーディング初体験の新人じゃあるまいし、普通はもう少しうまくやれそうなものですが。

もちろん予算とか期間のことを考えたら、落としどころはあったと思うんだけど、でも今回は自分のアーティスト性のほうが勝っちゃったんだよね。よくわかんないところから無理やりひねり出すみたいな感じで、とにかく作り続けてた。

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制作の途中でドラマーの丸山晴茂は体調不良により離脱。結局、曽我部恵一自身がドラムを叩き、夜通し編集作業を経て、最終的にはほぼソロのような体制になりながらアルバムは完成する。

 

もちろん、ロックやポップスの歴史をたどれば、もっとめちゃくちゃなレコーディングは沢山ある。たとえばケヴィン・シールズはマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの名盤『ラブレス』の制作費用がかさんで、レーベルを倒産寸前にまで追い込んでいる。日本でも、巨大なスタジオを何ヶ月もロックアウトして結局一曲も完成しなかったとか、作った曲を全部ボツにするとか、そういう例は枚挙に暇がない。

 

ただ、曽我部恵一の場合は、彼自身がインディーズレーベルの経営者であるというのが大きなポイントだ。しかも稼ぎ頭である。スタッフもいるし家族もいるし抱えているアーティストもいる。巨大な資本に支えられたメジャーレコード会社に所属するアーティストとは金銭感覚が全く違う。

 

40代も半ばを超えたそういう人が

 

「めちゃくちゃになっちゃいましたね、すべてが」

「やっぱり“業”なのかな」

「理性の部分を超えて、全部を破壊しようとする何かが自分の中に生まれてきたんだよね」 

 

とか言っているの、率直にかなりヤバいと思うのだ。

 

■幻になったアルバム

 

ちなみに僕は去年の夏に『AERA』の「現代の肖像」という企画で曽我部恵一さんに密着取材していた。

 

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その中ではこのアルバムのレコーディングスタジオにもお邪魔していて、なので、スタッフやメンバー以外では数少ない「ボツになった曲」を聴いている人間ということになる。

 

その時に書いた文章を引用します。

 

 世田谷の閑静な住宅街の一角にある小さなレコーディングスタジオに、ピンと張り詰めた空気が漂う。エンジニアの合図と共に流れてきた音楽に載せて、ブースの中でマイクに向かった曽我部恵一(44)が、丁寧に歌声を響かせる。ゆったりとした、しかしとても繊細な雰囲気を持った曲だ。

「うん、いいんじゃないかな」

 声の調子やニュアンスを変え、何度かの録り直しを経て、曽我部は小さく頷く。

 彼は今、自らのバンド「サニーデイ・サービス」の新作のレコーディングを行っている。デビューは94年。情緒的なメロディと日本語の柔らかい響きを活かした歌詞でロックファンに確かな支持を集めてきた。新作は通算10枚目、2008年の再結成からは3枚目となるアルバムだ。ただし、発売の予定はまだ決まっていない。

 スタジオにいるのは、曽我部とバンドメンバーの田中貴、丸山晴茂、そしてマネージャーとエンジニアの5名のみ。昼過ぎに集まり、ときに他愛のない話をかわしながら、作業はたいてい深夜か早朝まで続く。三児の父でもある彼は、翌日起きて子供たちを学校に送り出すと、眠そうな目をこすりながら、またスタジオに向かう。そんな毎日が、数ヶ月続いている。

「ものによっては数日でパッと録ってしまうアルバムもあるし、サニーデイの前のアルバムも一週間くらいで仕上げたんで、ここ数年では一番長い時間がかかってると思います」

 

 この取材を開始したのがまさに去年の6月くらいの頃。たしかフジロック前だったはず。その時点で「ここ数年では一番長い時間がかかってると思います」と言っていた。で、その時に聴いた曲も、正直、めちゃいい曲なんですよ。少なくともボツにするようなレベルでは全くない。

 

で、その夏にフェス出演の裏側を追ったり、メンバーの田中貴さんやROSE RECORDSの岩崎朗太さんやMIDI時代のディレクター渡邉文武さんにインタビューしたり、香川県坂出市にまで行って母親の曽我部輝子さんに話を聞いたり、いろんな周辺取材を経て9月に再び曽我部さんにインタビューしたら状況が変わってた。

 

上記の記事から再び引用。

 

 しかしアルバム完成の目処はまだ見えていない。

「再結成してから2枚のアルバムは、今の3人が出せる音を自然体で出そうと作ったんです。でも今はそうじゃなくて、自分の意識下を探るような旅になっている。暗闇の中で自分に対峙するような感じがある。20代半ばの頃の感覚に戻っている気がします」

 制作の過程は二転三転している。ツアー前にシングルをリリースする当初の計画もなくなった。冒頭に書いたレコーディングの時点で筆者が聴かせてもらったものも含めて、最初に録音した10曲は全て白紙になった。レコーディング費用の数百万円が水の泡になったと言いつつ、「陶芸家が窯から取り出した作品を気に入らなくて割るようなときって、困るんだけど、ものづくりの醍醐味と思ったりもする」と言う。振り回される形となった田中も「僕らは曽我部がそういう人間だってわかってますから」と笑う。

 どうなるか全くわからないと言いつつ、曽我部は今探っているものをこう語る。

「子供が夢で見るような、漠然とした、説明がつかないような風景を音楽にしたいという気持ちがある。僕らがバンドを始めたころの日本のロックはみんなでマスゲームのように同じタイミングで拳を振り上げるものが主流で、それは今も同じ。そういうものに対する反発心で、全く違うものをやろうとしていたのがサニーデイ・サービスというバンドだったんです」

 静かな、しかし芯の強いパンクの意志が曽我部恵一というミュージシャンを導いている。

 

この記事が出たのが去年の秋だったので、さらにそこから半年は制作が続いたことになる。相当ヤバい。

 

■自分の意識下を探るような旅

 

もちろん制作過程が大変だったというのは、いろんなアーティスト、いろんな作品でもよくある話だと思う。なんだかんだ言って、本当に「ヤバい」のは肝心の中身のほうだ。

 

なんでこれでMV作らないのか謎なんだけど、アルバムを象徴するのは冒頭の2曲「Im a boy」と「冒険」だと思う。

 

「Im a boy」の歌詞がいい。

 

きみのことが忘れられない
なにをしても手につかない
ぼくの中に暗い夜が続く
きみと手をとりさまよい続けたい

祈ることしかできないのか?
祈ることすらできないのか?
神様は踊っているのかな?
ああこのままさまよい続けたい

 

「冒険」もネジが外れている。最近のバンドにたとえるならD.A.N.みたいな感じの曲。ひんやりしたミニマルビートとカッティング・ギターに乗せて「♪ぼくは ぼくは ぼくは…」(♪パー、パパパ、パー~)「♪こんな場所で こんな場所で」と歌う。酩酊感しかない。

 

「血を流そう」も、ちょっと普通の曲じゃない。けだるい感じのビートに乗せてギターとユニゾンするメロディで「今夜血を流そう」と繰り返す。不穏な転調が訪れる。

 

シングルカットされた「苺畑でつかまえて」も、よくよく改めて聴くととかなりドラッギーな曲だ。

 


サニーデイ・サービス「苺畑でつかまえて」【Official Music Video】

 

見たこともないこんな街で 知らないだれかを探してる
苺畑で逢えるのかな

 

(……たぶん会えないよ!)

 

「パンチドランク・ラブソング」も。

 


サニーデイ・サービス「パンチドランク・ラブソング」【Official Music Video】

 

「ねえ、ここは何て名前の街だっけ?」
メロンソーダ アイスクリーム 溶けていく

「ねえ、ここは何て名前の街だっけ?」
メランコリア 愛す 狂う ほどけていく

 

「セツナ」も。

 


サニーデイ・サービス「セツナ」【Official Music Video】

 

子供の頃に作ったしゃぼん玉に乗ってふたりでこの空を飛ぼう

 

曽我部恵一BANDでも、ソロでも、基本的にはここ10年くらいの曽我部恵一は日常や生活と地続きのことを歌詞に書いてきた。下北沢という街で暮らしていることとか、子供がいることとか、そこで考えた日記みたいなことを歌にしてきた。

 

再結成後のサニーデイ・サービスの2枚のアルバムもそう。40代になった3人の自然体が、そのまま音になっていた。

 

でも、このアルバムの歌詞で描かれているのは完全に脳内風景。「日常」とか「自然体」とかと一番対極にある世界だ。しかもキマりまくってる。クスリとかそういうんじゃなくて、想像力だけで飛んでいる感じ。自分の精神の内奥の暗がりの奥の方まで降りていく感じ。そういうアルバムの風景が繰り広げられる。

 

で、混沌の中進んでいくアルバムのストーリーは、「桜 super love」で、

 

きみがいないことは きみがいることだなぁ
桜 花びら舞い散れ あのひとつれてこい
夏に見つけたら 冬にひもといて
いつも踊ってる 僕も踊ってる

 

と、ふわーっとしたダンス・ミュージックの高揚感に達する。結局のところ何にも解決してないんだけど、なんだかOKになってしまう感じ。

 

そこがとても素敵だ。時を止めるような透明なロマンティシズムが音楽になっている。

 

サニーデイ・サービスというバンドは、解散と再結成を経て、ようやく『LOVE ALBUM』と「魔法」の次に来るべきアルバムを作り上げたんだと思う。

 

 

DANCE TO YOU

DANCE TO YOU

 

 

 

 

 

虚構と現実は逆転する――『シン・ゴジラ』感想

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『シン・ゴジラ』を観た。ゾクゾクした。おもしろかった。というか「すげえ……」という感想だった。終わったときに自然と拍手してしまった。

 

 

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そしてこれは、ただ単におもしろいだけでなく、観た人の胸に「刺してくる」作品だということも痛感した。少なくとも僕はそういう余韻が残った。

 

『シン・ゴジラ』は、エンタテインメントに徹しているのは大前提で、でも、東日本大震災を経た2010年代の日本を、時代というものをちゃんと照射している。1954年に公開された初代『ゴジラ』がそうであったように。きっといろんな人が、いろんなことを言うだろう。言いたくなるだろう。なぜならこれは踏みこんでくる作品だから。

 

僕は特撮映画のマニアではないし、これまでのシリーズもハリウッド版のゴジラもろくに観てない人間なので、そっち方面の深い考察とかオマージュの指摘みたいなものは他の人にまかせようと思う。

 

『シン・ゴジラ』はとても社会性を持った作品でもあるので、そちら側の視点からの考察も沢山出まわると思う。いろんな批評や感想が出揃って、評価が確定していく前に、公開から数日経った今の段階で僕が感じたことを書き留めておこうと思う。

 

というわけで以下からはネタバレです。未見の方は注意。というか、これは余計な情報いれずにまず観ることをおすすめします。

 


『シン・ゴジラ』予告

 

■なぜ『シン・ゴジラ』のゴジラは怖いのか

 

『シン・ゴジラ』を観て最初の印象。それは「ゴジラ、怖い……」だったのよね。制作陣の意図として「最初のゴジラに立ち返る」というものがあったらしいと後で聞いて、とても納得。圧倒的な理不尽さをもって、普段の生活が、日常が破壊される恐怖。それがあった。

 

ゴジラの登場は「災害」として描写される。まず、東京アクアラインで大規模な陥落事故がある。その時にリアルだなーと思ったのが、逃げ惑う群衆に「余裕がある」のをちゃんと描いていること。スマートフォンで惨状を撮影したり、避難路を歩く人が「へー、こんなところあるんだ」と言い合ったり。

 

そして東京湾に姿を表したゴジラは「巨大不明生物」としてニュース報道される。人々が海ほたるからスマートフォンでそれを群がって撮影する様子がカットインで描かれる。

 

「巨大不明生物」は第一形態から第二形態に進化し、我々がよく知るゴジラのビジュアルではなく、爬虫類に近い身体となる。そして上陸する。あの時の「眼」が怖い。意思疎通できない生物の眼。何を考えてるかもわからないし、意志なんてないんだ、ということが眼の描写だけで伝わってくる。その「巨大不明生物」が時速10数kmでただ歩くだけで蒲田から品川が蹂躙される。

 

そして、街をなぎ倒してる瞬間は「うわー!」「すげー!」なんだけど、ハッとするのは、その被害の「跡地」の描き方なんだよね。第二形態の「巨大不明生物」はなぜか海に帰る。なぎ倒された区域では、瓦礫や、木造住宅の破片や、ひっくり返った車両が、道路に積み重なっている。でも、それ以外の人々は、翌日も会社に行ったり学校に通ったり、日常を取り戻す。ニュースはL字型の画面で緊急報道となり、被害の模様や政府の対策を映し出す。何億円、何兆円の損害という話も聞こえる。

 

僕らはこの光景を観たことがある。震災だ。

 

過去数十年を経てキャラクター化されて、街を破壊する様子もすっかりエンタメ化された「ゴジラ」はここにはいない。この時点では、まだ劇中には「ゴジラ」という単語も現れていない。

 

そしてゴジラの「怖さ」のクライマックスは、再び上陸したゴジラが東京の中心で第四形態に進化して熱戦を吐くシーンだ。硬い皮膚にマグマのように滾っていた赤い光が紫色になり、それまでとは比べ物にならない圧倒的な破壊を見せる。基本的には「緩慢に移動する」だけだった巨大不明生物としてのゴジラが、ここで初めて自らの獰猛な意志を見せる。

 

すべてを焼き尽くせ。

 

東京が絶望に包まれる。ここで鷲巣詩郎の音楽がゾクゾクするような美しさと高らかな神聖さを奏でる。

 


『シン・ゴジラ』予告2

 

やはり僕らはこの光景を観たことがある。使徒だ。

 

僕らの知っている街と、暮らしが、壊される。単なるディザスター・ムービーの快楽としてではなく、リアルにそれが実感される。

 

それが『シン・ゴジラ』のゴジラが「本気で怖かった」理由だと思う。途中で「もうやめてくれ。これ以上街を焼かないでくれ」と感じた理由だと思う。

 

■「現実 対 虚構」の構造

 

ここまできて、いろいろなるほどと思うことがあった。

 

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今回の『シン・ゴジラ』のキャッチコピーは「ニッポン 対 ゴジラ」。公式サイトでは「現実 対 虚構」として、「現実」に「ニッポン」、「虚構」に「ゴジラ」というルビが振ってある。

 

本編を観終わったあとで振り返ると、このキャッチコピーがとても秀逸であることがわかる。

 

映画のストーリーは、かなりのウェイトをさいて政府の対応を追っている。政治的、軍事的な駆け引きや情報交換を忠実に描写している。官僚にメモ出しされる大臣とか、会議室に立ち上げられる対策本部とか、コピー機や段ボール箱にかき集められる各種資料とか。「今の日本にゴジラがあらわれたらどうなるか」というシミュレーションが綿密に行われている。

 

そして、最初に「巨大不明生物」が上陸した時の日本政府は、はっきり言って上手く対応をとれていない。「そんなことがあるわけない」と想定外の予測を棄却して事実確認に遅れる。記者会見で発表したこともリアルタイムに進展する新たな事象によってあっという間に覆される。会議ばかりで話がまとまらない。招集された学者の意見は参考にならず時間のムダ(ここ笑いどころだったなー)。

 

結局、政府は何をすることもなく、ただ海に帰るのを眺めるだけになる。そして東京が放射能汚染されていることが民間の計測で明らかになり、メディア発表よりも先にネットでそれが広がり、やはり対策は後手後手になる。

 

つまり、ここで描かれている「ニッポン」、「虚構=ゴジラ」に立ち向かう日本は、東日本大震災と福島第一原発の事故に対峙した現実の日本政府そのものだ。かなりのリアリティをもってそこを突き詰めている。どうやら取材協力には枝野幸男がクレジットされているらしい。脚本を書くにあたって、巨大災害、そして原発事故にあたっての危機管理について綿密に取材したのだと思う。

 

しかし、作中で、虚構と現実は逆転する。

 

第四形態で街を壊滅させたゴジラは、エネルギーを使いきり、再び活動を停止する。国連によって核攻撃が決議される。再び目覚めるまでの猶予は2週間。

 

前述の日本政府は壊滅し、対策チーム「巨大不明生物特設災害対策本部」で主人公としての活躍を見せてきた内閣官房副長官・政務担当の矢口蘭堂が強いリーダーシップをとりはじめる。研究者たちによって、ゴジラを凍結させることのできる希望が示される。「ヤシオリ作戦」と、それが名付けられる。

 

ゴジラの体内に溜まっているエネルギーを使い果たさせ、ゴジラを転倒させ、倒れたゴジラの口からポンプ車で凍結剤を流し込むという作戦だ。地味である。核攻撃に比べてはるかに地味ではあるが、重機と鉄道を駆使した(この夏最高のパワーワード「無人在来線爆弾」!)とても日本的な攻撃手段だ。

 

そして、これを遂行する日本政府は、前半に登場する日本政府とはまるで別物のような敏腕さを見せる。情報収集の巧みさ、意思決定の速さ、国際的な協力をとりつけるしたたかさ。すべてのピースがあっという間にバチバチとハマっていく。解決に向かっていく物語のカタルシス、エンタテインメント要素を重視した演出のせいだと思うけれど、前半に描かれたような「ぐだぐだ」は一切排除される。ほんのわずかな手掛かりから導かれた「希望」に全員があっという間にベットする。前半にあれだけ念入りに用いられたマスメディアの報道や避難する一般市民の視点はぐーっと後景に追いやられる。

 

「ヤシオリ作戦」という言葉は、日本の古代の神話に由来している。古事記や日本書紀に書かれる、スサノオノミコトがヤマタノオロチという大蛇を倒すときに用いた「八塩折之酒」の名前からとられている(と思う)。

 

が、観た人の多く「ヤシオリ作戦」という名前から別のものを想起するだろう。エヴァの「ヤシマ作戦」だ。それぞれの持ち場の人が力を発揮し、誰も足を引っ張ることなく、すべての人が犠牲を厭わず協力して一つの巨大な敵を倒す。そのプロットはヤシマ作戦にそっくりだ。

 

『シン・ゴジラ』の後半においての「ニッポン」は、「現実」ではなく「虚構」をなぞらえている。そう僕は考える。

 

つまり『シン・ゴジラ』の「現実 対 虚構」は二重の構造を持っている。前半では、現実(=日本)が虚構(=ゴジラ)に蹂躙されるさまを。そして後半では、圧倒的な現実(=ゴジラ)に立ち向かう虚構の希望(=日本)を描いている。

 

そして見事ゴジラは凍結する。

 

観終わった時に、絶望ではなく、元気とか勇気のようなものを感じた人が多かったのは、思わせぶりのエンディングで「留保つきの解決」だったとしても、ちゃんとエンタテインメントをまっとうして「希望の勝利」を描いたからだと思う。

 

 ■虚構の力を信じるということ

 

庵野秀明という人、そして樋口真嗣という人は、本気で「虚構の力」を信じているんだと思う。渾身の力を込めた虚構は、決して絵空事ではなく、現実に作用しうるということを、『シン・ゴジラ』で示したんだと思う。

 

そのことが伝わってきたのも、僕が『シン・ゴジラ』に大きく感動した理由だった。

 

『ポケモンGO』が世界中で社会現象を巻き起こしていることが象徴的なように、今の時代のテクノロジーやアーキテクチャの向かう先は、映像メディアに立脚した「虚構の力」の次を探すタームに入っていると僕は思っている。二十世紀的な二次元のイメージが作り出す「虚構の力」よりも、現実世界の座標軸の中に浮かび上がる「架空の力」が強まっている気がする。

 

このあたりのことは、AR三兄弟として活躍する川田十夢さんと話したり、現代の魔法使いとして知られる落合陽一さんの本を読んだり、それをプロデュースしている宇野常寛さんが語っている内容から僕なりにインスパイアされていることではあるのだけど。

 

そんな時代に「虚構の勝利」を真っ向から描いた庵野秀明監督の力量は、やはりとんでもないものだと思った。

 

おもしろかった!

 

まぶしい光の中でゴールテープをきるということ――BOOM BOOM SATELLITESの最後の作品に寄せて

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今日の記事はBOOM BOOM SATELLITESの新作『LAY YOUR HANDS ON ME』について。そして、「何かをやり遂げる」ということについての話です。彼らのことを知らない人にも届けばいいな。

 

■闘い続けてきたバンドの最後の凱歌

 

BOOM BOOM SATELLITESは、6月22日にリリースされる新作『LAY YOUR HANDS ON ME』をもって活動を終了することを発表した。

 

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ニュースでも報じられた通り、その理由は、川島道行(Vo/G)が脳腫瘍による麻痺などの後遺症で音楽活動を続けることが困難になったため。中野雅之(B/Programing)はブログにこう記している。

 

これがBOOM BOOM SATELLITESの最後の作品になります。理由は川島道行の脳腫瘍による麻痺などの後遺症です。現在、川島道行はミュージシャンとしての役割を終えて家族と共に穏やかな毎日を過ごしています。言葉はゆっくりですが話せます。手足は不自由になってきて車椅子を使う機会も増えました。正確な意思の疎通が難しいので、今彼が何を考えて何を思って毎日を過ごしているのか、僕でも少し理解しきれない時があります。しかし、この作品を作りきった充実感や達成感は感じていると思います。僕には本当に燃え尽きてしまった抜け殻のようにも見えます。「お疲れ様!」と声をかけてあげて欲しい。

 

あともう一息でデビュー20周年というところでしたが音楽家、川島道行との旅もあともう少しで終わろうしています。川島くんと一緒に数え切れないほどの景色を見てきました。何を思い返しても簡単な事は無かった。思いのままジタバタして、もがいて、駆け抜けてきました。振り返るとどれも素晴らしく、誇らしく、思い出達はキラキラと輝いています。

 

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というわけで、この『LAY YOUR HANDS ON ME』は、デビューから19年を迎えた彼らの最終作となる。4曲入りで23分弱。枠組みとしてはEPということになるのかもしれないけれど、まぎれもなく「アルバム」としての聴き応えと重みを持った作品だ。

 

LAY YOUR HANDS ON ME

 

最高傑作だと思う。最初に音源が届いてから何度も聴いているけれど、聴くたびに胸がいっぱいになる。心が揺さぶられる。でも、それは僕が彼らのことをよく知っているからだけではないと思う。この4曲の中に込められたもの、音楽に宿る力そのものは、時代や状況を超えてちゃんと伝わっていくと思う。

 

表題曲「LAY YOUR HANDS ON ME」は、強靭な四つ打ちのビートに乗せて力強い歌声が響くダンス・ナンバー。

 

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歌詞にはこんな言葉がある。 

 

Lay your hands on me while I'm bleeding dry

Break on through blue skies, I'll take you higher

ずっとその手で触れていてくれ、生気が抜けてゆく僕のからだに

青空を突き抜けて、君をもっと高いところまで連れて行こう

 

YouTubeに公開されたミュージックビデオには、可愛らしい女の子が満面の笑みを浮かべて砂浜を走ったり、おもちゃで遊んだり、ギターを抱えてジャンプしたりする、無邪気で愛らしい姿が映し出されている。

 

この女の子が川島道行の実の娘だということも明かされている。ファンや彼らを知る人にとっては、この映像には、胸を締め付けられるようなものを感じると思う。でも、この曲がアニメ『キズナイーバー』OPテーマになったことで、YouTubeのコメント欄には、それを全く知らない海外からのいろんな感想が英語やスペイン語やロシア語で書き込まれている。国境を超えて届いている。そのことを、なんだか嬉しく思う。

 

2曲目「STARS AND CLOUDS」は、キラキラとした光に歌声が包まれるような、静かな、とても美しいバラード。

 

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その2曲で感じた賛美歌のような感覚、高揚感と抱擁感をリプライズしていくかのようなアンビエントナンバーの「FLARE」と、先鋭的なビートと声を重ねあわせるインストゥルメンタルの「NARCOSIS」が続く。

 

この「NARCOSIS」の終盤、フィールドレコーディングによる街の雑踏の中に、音楽が溶けていく。過去の作品でも彼らはアルバムの最後の曲をこういう環境音を用いた曲で終えていた。どこか浮世離れした場所じゃなくて、あくまで日常の中、普段の生活の中に音楽がある、ということを表現していた。

 

そして、ヘッドホンで聴いていると気付くのだが、この「NARCOSIS」にも仕掛けが凝らされている。最後の最後、静寂の中で川島が「すぅっ」っと息を吸い込む音が聴こえる。そこに、すごくハッとする。

 

noteにも書いたけれど、僕は「LAY YOUR HANDS ON ME」という曲は「凱歌」だと思っている。BOOM BOOM SATELLITESは、ずっとレベル・ミュージック、つまり何かに抵抗する音楽を鳴らしてきたバンドだった。パンク・ロックとダンス・ミュージックを、スタイルとかじゃなくて「反抗」と「祝祭」という、それぞれの精神性の最も深い部分で融合させてきた2人だった。

 

20年近くのキャリアの中でその「抵抗」の相手はいろんなものだったけれど、たぶん、ここ数年の彼らが対峙してきたのは、運命そのものだったのだと思う。とても大きな相手だ。ちっぽけな人間に勝ち目なんてない。それは過酷で、ときに残酷なものでもあったと思う。

 

けれど、でもこの曲を聴くと、真っ向から闘い続けてきたからこそ、最後に彼らは「凱歌」を作ることができたんだと思う。そしてこのアルバムに収められた4曲で、生命が持っているエネルギーのようなもの、光のようなものを、音楽に結実させることができたんだと思う。

 

BOOM BOOM SATELLITESは、こうして自らの音楽活動に幕を下ろした。到達点まで上り詰めて、そこで高らかに鳴り響くような希望を鳴らしきった。音楽の歴史を紐解いても、こんな風にゴールテープをきることのできたバンドなんて、きっとほとんどいなかったと思う。書いてるうちにどんどん大袈裟な表現になってるのは自分でもわかるんだけど、思い浮かぶのは感傷的な言葉より、「おめでとう」と「おつかれさまでした」という言葉だ。

 

■華々しい海外デビューと「ロックンロール」への道

 

というわけで。ここからは、すこしくらい思い出話をしてもいいよね。

 

BOOM BOOM SATELLITESは97年に『JOYRIDE』でベルギーのレーベルからデビューし、日本よりも先に海外のメディアで華々しく取り上げられる。時代はちょうどケミカル・ブラザーズやファットボーイ・スリムが登場して脚光を浴びていたころ。「ビッグ・ビート」なんて言葉が持て囃されていたころだ。

 

僕が1stアルバム『OUT LOUD』を初めて聴いたのは大学生のころ。こんな風にロックとダンス・ミュージックを融合して世界の舞台で戦ってる人がいるんだと知って、夢中になった。

 

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初めてインタビューしたのは2002年、3rdアルバム『PHOTON』をリリースしたときのこと。二人はロンドンに拠点を置いていた。2ndアルバム『UMBRA』と『PHOTON』は、最初の作品が持っていた突き抜けるような爽快感とは一転した、ディープに内奥を掘り進んでいくような聴き応えを持ったものだった。

 

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当時は9・11の後の殺伐とした世相と絡めてあの作品を受け取っていた。でも、後になって、この時期に、川島道行に一回目の脳腫瘍が発覚したことが明かされている。

 

当時のインタビューで彼はこんな風に語っていた。

 

「ある日命に終わりが突然やってくるものだっていうことが僕の中で実感できた時期があって」

「人がどこから来てどこへ行くのかっていうこと――自分が考えてることを歌詞の題材にしてたんだけど。ただ、今までは自分から離れた手の届きそうもないようなところのことばっかり考えてたんだけど、今回は普段の生活の中でそういうことが起こってるということを、細かくシチュエーションとして10曲挙げたかった」

(『BUZZ』2002年7月号より)

 

当時のイギリスの音楽シーンはビッグ・ビートのブームが一段落し、90年代に接近していたロックとダンス・ミュージックのシーンが再び分化していったころ。ダンスの快楽性を離れた彼らはマーケットにおいては苦戦していたけれど、その見据えるものは当時から変わっていなかった。

 

次にインタビューをしたのは、4thアルバム『FULL OF ELEVATING PLEASURES』の頃。「MOMENT I COUNT」や「DIVE FOR YOU」などを収録した、彼らにとっても代表作となる一枚だ。

 

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当時のインタビューでは、作品が「ロックンロール・アルバム」であることを語っていた。

 

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そしてその音楽性にゴスペルの要素が加わってきたことについて、二人はこんなふうに言っていた。

 

「簡単には見出せない生きる光のような、希望の光は絶対音楽が提示していくっていうものだと思っていた」

(『BUZZ』 2005年10月号)

 

「ゴスペルってね、なんて言うんだろう……すごく日々の思いをメロディにのせて、自分も参加して、その気持ちを昇華させているという、宗教的な部分の音楽だけど、歌の持つ力でできることですよね。歌じゃないとできないことだし。(略)手を差し伸べるときの手段なのかって言われれば、それは手段だし、おいでよって感じだから」(川島)

(『BUZZ』2005年4月号)

 

翌年、そして翌々年、彼らは『ON』と『EXPOSED』という2枚のアルバムをリリースする。よりロックンロールとしての強度と即効性を高めた作品だ。『FULL OF ELEVATING PLEASURES』とあわせて「三部作」と位置づけていたこの3作で、彼らはライブバンドとしての支持を高め、日本のロックシーンに確固たる地位を築き上げていく。

特に『ON』の一曲目「KICK IT OUT」は、いろんな場面で耳にしたことのある人は多いはず。

 

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■苦闘の日々と「再生」の光

 

ただ、2010年代に入ってからのBOOM BOOM SATELLITESは、それまでとは違ったフェーズに入っていた。

 

『TO THE LOVELESS』をリリースした2010年の頃は「悩んでいる時期」だったと言う。当時はこんな風に語っている。

 

「音楽は細分化されすぎている。だから、ただトレンドだけを追いかけても自分たちを見失うだけだと思いますね。そういう時代になったと思う」(中野)

インタヴュー | BOOM BOOM SATELLITES(NEXUS)

 

そして2012年末。アルバム『EMBRACE』を完成させた直後、川島に脳腫瘍の再発が発覚し、2013年1月からの全国ツアーは中止となる。

 

そしてその年の5月に、初の日本武道館で復活ライブが実現。それは、長らく僕が観てきた彼らのライブの中でも最高のものだった。ライブ・アルバム『EXPERIENCEDII』にその模様が収められている。

 

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EXPERIENCEDII-EMBRACE TOUR 2013 武道館-(完全生産限定盤)(Blu-ray Disc付)

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しかし、その裏側は壮絶な状況だったという。

 

「あの時期は非常事態に近かったですね。精神的な追い込まれ方もすごかったし。数ヶ月でもう一度ステージに立つこと自体に無理があった。でも半年後や一年後だったら、逆にモチベーションを失っていたかもしれない。やっぱり脳の手術だし、何かしらの変化は起きるだろうと思っていたから。武道館をやり切れたのはよかったけれど、とにかく、半端無く大変なことだった。で、その時点でもうアルバムの制作に片足を突っ込んでいたんです」(中野)

「意識が混濁している時もあったし、辛いだけの時間を過ごしていたこともあった。それでも、僕はこのバンドで生まれる新曲を聴きたいので、音楽をやろうと思いを改めた時期でもあったと思います」(川島)

 

NEXUS | <インタヴュー> BOOM BOOM SATELLITES 「無駄なことなんて一つもなかった」――不屈の年月と、辿り着いた今を語る

 

武道館公演を行った時には、すでに次作『SHINE LIKE A BILLION SUNS』の制作も始まっていた。『EMBRACE』から『SHINE LIKE A BILLION SUNS』にかけては、彼らの音楽に、抱擁力とか、「光」をイメージするようなものがどんどん増えていった。

 

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「“NINE”だと<I wake up lying on the dance floor>(ふと目覚めたらダンスフロアで横たわってた)という一節が、最後の曲の一行目にきている。それは偶然だけれども再生感を得られてすごく勇気づける一行になっているんじゃないかって自分でも思っています」(川島)

インタヴュー |BOOM BOOM SATELLITES (NEXUS)

 

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「引き受けるとか、肯定的であるとか、そういう表現になってきていると思います。でも、それがレベル・ミュージックじゃないかといえば、そんなことはないと思う。それが聴き手にとっての力になる音楽であれば、やっぱりそれはそう言えるんじゃないかと思う」(中野)

NEXUS | <インタヴュー> BOOM BOOM SATELLITES 「無駄なことなんて一つもなかった」――不屈の年月と、辿り着いた今を語る

 

そして2015年7月。フジ・ロック・フェスティバルで本当に素晴らしいライブを見せた後に、5度目の再発が発覚する。11月に予定されていた最後のワンマンライブは体調の悪化のためキャンセルとなり、結果的にはその年の夏のフェス出演が彼らにとっての最後のライブになった。

 

それでも、彼らはそこで諦めなかった。二人はBOOM BOOM SATELLITESの最後の作品として『LAY YOUR HANDS ON ME』を作ることを決意し、残された時間の中でそれを完成させる。

 

「LAY YOUR HANDS ON ME」を聴いていると、とても不思議に感じることがあって。こうして振り返っても、相当な苦闘の中で作り上げてきた作品であるのは間違いないと思う。でも、鳴らされている音からはそういう匂いは一切感じない。もっと純度が高いというか、浄化されているというような感じがする。

 

「音楽が生き方に作用する、心に働きかけるものであってほしい。そういう思いは表現に託してきたものだと思っています」(川島)

NEXUS | <インタヴュー> BOOM BOOM SATELLITES 「無駄なことなんて一つもなかった」――不屈の年月と、辿り着いた今を語る

 

彼らはこんな風に言っていた。川島道行、中野雅之という二人は、お互いに手を取り合い、影響を与えあいながら、20年近くの歩みを経てきた。そういう年月があったからこそ、まぶしい光の中でゴールテープをきるような曲が完成したのかもしれないな、と思う。

 

LAY YOUR HANDS ON ME(初回生産限定盤)(Blu-ray Disc付)

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