日々の音色とことば

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「ポップの予感」 第一回 グラミー賞から見えてくるアメリカの未来

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「壁ではなく橋を作ろう」

 

鮮やかな黄色のドレスを身にまといカミラ・カベロが妖艶に舞いながら「ハヴァナ」を歌った第61回グラミー賞のオープニング。ゲストに参加したリッキー・マーティンが隣で腰を振って場を盛り上げ、さらにその横でベンチに腰掛け新聞を広げて読みながら登場したJ・バルヴィンの、その新聞の一面に書かれていたのが、この言葉だった。

 

ビルド・ブリッジズ・ノット・ウォールズ。

 

 もちろん、これは、トランプ政権が国家非常事態宣言を出してまでメキシコとの国境に「壁」を建設する計画を進めていることを踏まえた言葉だろう。カミラ・カベロ、リッキー・マーティン、J.バルヴィンというラテン系のシンガー3人が集ったパフォーマンスだからこそ、隠されたメッセージとしてこれを忍ばせておいたということもあるんじゃないかな。

 

 東ハヴァナ生まれでキューバとメキシコにルーツを持つ21歳のカミラは、昨年のグラミーでも移民に関してのスピーチをしていた。「夢だけをポケットに詰め込んでこの国へ渡ってきた」という両親への感謝を告げ、「この国は夢見る人々によって築かれてきた」と語っていた。もちろん、そのことも伏線になってるはず。

 

 アメリカのポップ・ミュージックの動向を見ていて本当に面白いのは、グラミー賞というメインストリームのど真ん中の舞台で、こういうことがたびたび行われるということ。それは社会的なメッセージを持った楽曲やパフォーマンスが繰り広げられる、というだけの意味じゃない。

 

 そこには「アメリカという国を定義する」ことが強いメッセージ性を持って響き、その強度がポップ性につながる、という回路がある。「年間最優秀レコード」「年間最優秀楽曲」の主要部門2冠を達成したチャイルディッシュ・ガンビーノの「ディス・イズ・アメリカ」も、まさにそういう楽曲の代表だ。

 

今年のグラミー賞は、ダイバーシティとインクルージョン、すなわち「多様性」と「包摂」が大きなテーマだった。特に、アリシア・キーズが司会だったり、冒頭でミシェル・オバマがスピーチしたり、ジャネール・モネイやカーディ・BやH.E.R.が鳥肌モノのパフォーマンスを見せたりと、女性の活躍が目立つ授賞式だった。

 

 もちろんこれは昨年の反省だろう。グラミー賞を主宰するレコーディング・アカデミーのニール・ポートナウ会長は、昨年のグラミー賞で女性のノミネートが少ないことを指摘され「女性は音楽業界でもっとステップアップする必要がある」とコメント。大きな批判を巻き起こした。その批判を踏まえてノミネートや投票や授賞式の構成をどうアップデートするかがグラミー賞のテーマになっていた。

 

 今年、最優秀新人賞を受賞したデュア・リパが「今年、私たちはとてもステップアップしたと思います」とスピーチしたのは、これを踏まえてチクリと言ってやった、ということでもあると思う。ちなみに、ニール・ポートナウ会長は今年で辞任することが決まっている。

 

 また、その一方で、グラミー賞の授賞式に「いなかった」側から見えてくるものもある。特に今年は「主役不在」の印象も強かった。

 

 何よりチャイルディッシュ・ガンビーノの不在が大きかった。事前にパフォーマンスを打診されていたドレイクとケンドリック・ラマーも出演を辞退し、直前まで交渉が続いていたアリアナ・グランデも授賞式のプロデューサー、ケン・エールリッヒに「クリエイティビティと自己表現を踏みにじられた」と出演をキャンセル。特にリリースされたばかりのアルバム『サンキュー・ネクスト』が記録的なチャートアクションを巻き起こしている最中、アリアナ・グランデがどんなパフォーマンスを見せてくれるかは本当に楽しみだったので、とても残念だし、ケン・エールリッヒは何らかの責任を負うべきなんじゃないかなって思ってしまう。

 

 チャイルディッシュ・ガンビーノやアリアナ・グランデが授賞式自体を欠席した一方で、ドレイクは授賞式には参加していた。ただ、スピーチで「君が作った曲を口ずさんでくれるファンや、仕事で一生懸命稼いだ大事な金でチケットを買って、雨の中でも雪の中でもライブに駆けつけてくれるファンがいるなら、こんなトロフィーなんて必要ない」と、グラミー賞自体を批判するコメントをして、しかもそれが途中で切られてCMに入ってしまうなど、波紋を呼ぶ場面もいくつかあった。これまで受賞確実と見られていたビヨンセ『レモネード』やケンドリック・ラマー『DAMN.』が主要部門で受賞していなかったこともあって、ヒップホップ・コミュニティとグラミーの溝は深かったのだけれど、それが改めて示された場面でもあった。

 

 こうやってグラミー賞の授賞式を見ていると、いろんなことがわかってくる。賞レースの行方はニュースを見ればわかるけれど、パフォーマンスとか、スピーチとか、いろんなディティールに込められたものから、アメリカ社会の今と、その向かおうとしている先が浮かび上がってくる。

 

 音楽は予言だと思う。

 

 最近になって、特にそう考えることが増えてきた。

 

 自分が子どもの頃は、ポップソングは政治や社会と関係ないものだと思っていた。わかりやすく、毒がない、誰もが安全に共感できる甘いラブソングのような音楽が、ポップ、すなわち大衆性の象徴だと思っていた。で、その一方に反抗の象徴としてのカウンターカルチャーがあると思っていた。

 

 だけど、今のアメリカを見てると、その印象はかなり違ってきている。メインストリームのポップソングこそ、むしろ、ジャーナリスティックに時代の姿を反映している。そこに説得力や迫力が宿ることで、エンターテイメント性と大衆性が生まれる。そういうメカニズムが駆動するようになってきている。

 

そして、カウンターカルチャーというものの形も変わってきているように思う。単に反抗や風刺を示すだけでなく、未来のあるべき姿を提示して社会をリードする役割を担うような表現が増えてきたように思う。政治への「カウンター」と言うより、ポップカルチャーの側に社会を変える力が宿っていることを自覚しているような表現、というか。

 

 チャイルディッシュ・ガンビーノにしても、グラミーを受賞した「ディス・イズ・アメリカ」よりもさらに示唆的だったのは、昨夏の「フィール・ライク・サマー」だった。けだるくメロウな曲調の、よくあるサマーソングかと思いきや、テーマは気候変動。つまり、夏でもないのに「まるで夏みたいに感じる」と繰り返す曲。サビでは「世界が変わってくれることを祈っている」と歌う。

 

 2016年からの3年間で、アメリカという国は、ずいぶん変わった。今年に入ってからも状況は刻々と動いている。

 

 たとえば、1月に「史上最年少の女性下院議員」となったアレクサンドリア・オカシオ=コルテスの躍進と、彼女が巻き起こしている現象は、その象徴と言っていいと思う。ヒスパニック系で、女性で、現在29歳。選挙区は地元のニューヨーク州ブロンクス。前回の大統領選ではバーニー・サンダースの選挙運動に携わっていたキャリアの持ち主。ただ、ほんの少し前まではウェイトレスやバーテンダーの仕事をしていた経歴を考えれば、現職の重鎮を破っての当選は大番狂わせだった。

 

 プエルトリコにルーツがありスペイン語圏にアクセスすることで支持を拡大した彼女の存在感はカミラ・カベロを思い起こさせるし、掲げている政策の「グリーン・ニューディール」は、チャイルディッシュ・ガンビーノの「フィール・ライク・サマー」と通じ合うものがある。

 

 2020年には次の大統領選が行なわれる。そこで再び大きな変化が起こりそうな気がする。

 

 この連載では、こんな風に、僕がポップ・ミュージックや、それを巡る状況から感じた「予感」について、書いていこうと思ってます。

 

(初出:タワーレコード40周年サイト「音は世につれ」2019年2月27日 公開)

tr40.jp

 

「エモい」とは何か

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Spotifyで田中宗一郎さんと三原勇希さんが新しく始めたポッドキャスト「POP LIFE The Podcast」にゲスト出演しました。

 

 

open.spotify.com

 

そこで喋ったことなんだけれど、これも自分にとってはわりと大事なことなんで、ちゃんと文字にしてブログに残しておこう。

 

僕の好きな音楽の中に、根底に「居場所のなさ」とか「寄る辺のなさ」みたいなものを抱えたものがある。それは単なる孤独とか、仲間外れの疎外感とか、会えなかったり心を通じ合えなかったりすることの切なさとか、そういうものとはちょっと違っていて。

 

どっちかと言うと、虚無感と高揚感が背中合わせに同居している感覚、というのが一番近いのかな。そして、その背景には「無常観からくる、理由のない、そこはかとない物悲しさ」のようなものがある。

 

そういう情感についての話。

 

■「エモい」は音楽ジャンル由来の言葉

 

「エモい」ってなんだろう?

 

そのことを最近ずっと考えていた。

 

まず大前提としてはっきりと言えるのは、「エモい」は、音楽の分野から広まった言葉だということ。「emotional」が由来と言われることが多いけれど、実のところ、そのルーツは英語圏で言われる音楽ジャンルの「Emo」 (発音は”イーモゥ”)から来ている。

 

www.weblio.jp

 

上記の辞書サイトやWikipediaでもそのことは触れられている。

 

ja.wikipedia.org

 

 

dictionary.sanseido-publ.co.jp

 

「Emo」という音楽ジャンルが英語圏でポピュラリティを得たのは、だいたい90年代半ばくらいのこと。日本語圏の人のあいだではここ数年になって突然こういう言い回しに出会ったような感覚の人も多いかもしれないけれど、少なくとも、ロキノン育ちである僕は、「エモ」という言葉を20年くらい使ってる実感がある。

 

じゃあ「エモ」ってなんだろう?

 

ジャンルとしてではなく、感情の動きとしての「Emo」ってなんだろう? 改めて、最近、そういうことを考えるようになった。

 

きっかけは、エモ・ラップにハマったこと。より正確に言うなら、自分の好きになった音楽が英語圏でそうカテゴライズされるようになっていったこと。

 

最初は何の前情報もない段階で、Lil PeepとLil Pumpを見分けるところから始まった。どっちもXXXTentacionの周辺を調べたり探ったりしていくうちに知った。Lil Peepが「Benz Truck」を発表したときだから、2017年の6月頃のこと。その時にLil Pumpは「Boss」を出してた。

 

www.youtube.com

 

www.youtube.com

まだその界隈が「SoundCloud rap」とざっくり括られてるころで、二人とも世に出てきたばっかりで、名前も似てるし、最初はごっちゃになってた。でもやってることは全然違っていて。個人的にはLil Peepのほうにがっつりハマっていった。

 

当時はまだ「エモ・ラップ」という言葉は出てきてなかったんで、「グランジ・ラップ」というタームを作ってリアルサウンドに紹介原稿を書いた。

(国内と海外の音源を両方紹介しようと思ってたんでセレクトしたんだけど、今思うとtofubeatsをそこに混ぜたのは筋悪だったなー)

 

realsound.jp

 

で、Lil Peepのデビューアルバムの『Come Over When You're Sober,』がリリースされたときには『MUSICA』編集部にかけあってレビューを書かせてもらった記憶がある。

 

open.spotify.com

 

(ちなみにPodcastではタナソーさんと宇野さんはLil Pumpのほうが全然好きだったそうな。収録のときは自分のことをしゃべるので一杯一杯だったけど、それも興味ある話だな)

 

Soundcloud Rapを「自分好み」と「自分好みじゃないもの」にわける作業から始まって、「自分好み」のラベルを貼ったものは、その後、ほとんど英語圏で「Emo Rap」にカテゴライズされるようになって。そこで「あ、自分が好きなのはEmo Rapなんだ」って再発見したようなところがある。

 

でも、最初は「Emo」と「Emo Rap」って、つながってないじゃん?とも思ってたんです。というのもJimmy Eat Worldとかthe Get Up Kidsとか、ああいうEmoの代表格と言われるバンドは、当時のパンクシーン、いわゆる90年代のメロコアシーンの派生のようなものとして自分の中で位置づけていたから。もちろん掘っていくとWeezerがいるし、あとはワシントンDCのポスト・ハードコアとかいろいろ源流があるんだけど、その話はちょっと置いておいて。

 

■源流としての The Postal Service

 

自分の中で「Emo」と「Emo Rap」がリンクした、「これだ!」となったきっかけが、The Postal Serviceの『GIVE UP』という2003年のアルバムを聴き直したことだった。

 

つまり、Emo Rapの「Emo」側のルーツがThe Postal Serviceなんじゃないか、と思ったわけです。Death Cab for Cutieのベン・ギバート(Ben Gibbard) と、Dntel=ジミー・タンボレロ (Jimmy Tamborello)が結成したユニット。残したアルバムはこれ1枚。

 

open.spotify.com

 

 

でも、ポッドキャストでもタナソーさんが解説してるとおり、日本ではそんなに騒がれなかったけど、その後のアメリカのシーンに与えた影響は計り知れないものがある。

 

特に好きなのが「District Sleeps Alone Tonight」という曲。この曲をじっくり歌詞を読みながら聴くとと、「ああ、この感覚がいわゆる”Emo”なんだなあ」と、思うようなところがある。

 

www.youtube.com

 

I'll wear my badge
A vinyl sticker with big block letters adhering to my chest
That tells your new friends
I am a visitor here
I am not permanent
And the only thing keeping me dry is
Where I am

 

(ぼくの胸には、貼りついて剥がれないビニールのステッカーみたいにバッチがついてる。そこには大きく太字で「部外者」って書いてある。ここの人じゃないってことを、新しい友だちに教えるバッチ。ぼくの心がずっと渇いているたった一つの理由は、じゃあ、ぼくはどこにいるんだろう、ということ)

 

 

ポッドキャストの中では『13の理由』の話もして、10代のスクール・カルチャーの中での疎外感みたいなところにつなげちゃったんだけど、もうちょっと根源的なものがあるような気もするんだよなあ。

 

というのも、日本にはずっと昔から「エモい」に相当する言葉があるから。これは僕じゃなくて、 日本語学者の飯間浩明さんが言っていたこと。

 

 

nlab.itmedia.co.jp

 

すごく腑に落ちる。

 

で、さらに解釈を重ねて、僕が「Emo」に感じる情感のようなものを踏まえて「エモい」を読み解くなら、やっぱりそれは「無常観からくる、理由のない、そこはかとない物悲しさ」みたいな感慨をあらわす言葉なんじゃないか、と思ってる。

 

で、これも大事なことなんだけど、「エモい」というのを、物悲しいとか寂しいとか切ないとか、それだけの感情と言い切ってしまうのも違う感じがする。

 

どっちかと言うと、喜びというか、祝福というか、救いというか、そういうものも「エモい」に含まれている感じがする。それが躍動感とか高揚感に結びついているというか。たとえばThe Flaming Lipsのライブも「超エモい」、すなわち「いとあはれ」と思うから。

 

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無常観の裏側には「それが一回限りの刹那であることがあらかじめわかっているがゆえの”生の肯定”」みたいなものもあって。

 

そういうのも「エモい」よね、と思う。

 

フジファブリック「銀河」の転調について/音楽は知識があれば偉いものじゃないけど、それがあると心の深いところで握手できる機会が増える

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ツイッターでふとつぶやいたことだけど、大事なことなのでこっちにも記述しておこう。

 

 
音楽は知識があれば偉いものじゃないけど、それがあると心の深いところで握手できる機会が増えるのよ。

 

そういうことを考えるきっかけになったのが、ジャズ評論家・柳樂光隆さんが「音楽の聴き方」を語るインタビュー。

 

www.tv-tokyo.co.jp

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正直、柳樂光隆さんの言ってることに100%頷けるか、と言えばそうじゃない。けれど、以下のポイントはすごく同意。

 

音楽って意識的に聴かないと分からない面白さが埋まっていることも多いんだけど、意識的になるためには、一度スイッチが入らないといけない。

 

 


で、そこから思い出したのが、「銀河」のエピソードだった。

 

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この曲はCメロから最後のサビにかけて「え?」となる転調が仕込まれている。3分46秒と52秒で、半音ずつ上がっている。

これ、当時もリアルタイムで「ええ?」となった記憶がある。蔦谷好位置さんみたいに車を路肩に止めた覚えがある。

で、何度かインタビューする機会があって、「あそこがすごい」という事も伝えた覚えはあるんだけれど、結局、何がルーツになってああいう発想が出てきたのか、わからなかった。

結局、それを知ったのはプロデューサーをつとめた片寄明人さんのブログ(現在はFacebookに移行)を読んでから。

 

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フジファブリックを聴いた人の多くは「不思議な曲を書く人だなぁ」と志村くんのことを思ったようだが、おそらくその画期的なソングライティングについて、あまり具体的に研究されたり言及されたことはなかったような気がする。

一般的には「奥田民生チルドレン」というイメージで彼の音楽を捉えていた人が多かったのではないだろうか。たしかに志村くんの音楽ルーツの根幹にあったのは、ユニコーンであり、奥田民生さんの音楽をはじめとする90年代の日本のロックだった。声や歌い方が似ていたのも大きな要因だと思う。

しかしそれだけでは彼の創る曲から伺われる音楽的豊潤さは説明つかない。

あの、曲をグニャッと歪めるような転調やプログレシッブな展開、時折現れては胸を締め付けるテンションコード、これら彼独特の音楽性はどこから来ていたのだろうか?

僕はそのほとんどが、彼が富士吉田にいたときから愛聴していたブラジル音楽からの影響だったのではないかと考える。

例えばEdu Lobo (エデュ・ロボ)というブラジルのソングライターがいるのだが、彼の1973年に出されたアルバムに「Vento bravo」という曲があって、志村くんはこの曲を本当に愛していた。

これを聴けば、フジファブリックのファンには、志村くんの音楽とEdu Loboの共通項がわかってもらえるだろうか。

僕には楽曲に対する声の音域の設定具合にまで志村くんとの共通項を感じ、彼がこの曲を歌っている姿が浮かんでしまうほどだ。

彼がもっとも好きだったEdu Loboのアルバムは、この「Vento bravo」が収録されているもので、志村くんはここから奇天烈ながらも音楽的で美しい転調のマナーを学んだのではないかと僕は想像する。

また彼はMarcos Valle(マルコス・ヴァーリ)というボサノヴァ第二世代として出てきたミュージシャンの熱烈なファンでもあった。志村くんのメールアドレスの一部はマルコスの曲「Mentira」から取られていたほどだ。

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そのうえで、「銀河」に関して言えば、楽曲がとてもダンサブルなものになっているのもポイント。それはジャミロクワイを意識したものだったらしい。

 

「銀河」を知る人には驚かれるかもしれないが、初めて「銀河」を僕に聴かせてくれたとき、志村くんは「この曲、ジャミロクワイみたいにしたいんです」と言ってきたものだった。

僕には彼の言わんとしていることがよく理解できた。ファンキーさが肝だということだ。

しかしフジファブリックが演奏する限り、もろジャミロクワイみたいなサウンドにしても意味はない。それを要素として取り入れつつ、例によって独自なバンドサウンドで無理矢理表現してみればいい。そんな僕とのミーティングを受けて、バンドとアレンジを重ね、志村くんはプリプロの段階でほとんど「銀河」の原型と言えるものを創り上げていた。

 

 


あの曲に入っているエッセンスの話を、あの時点でインタビューでぶつけられたら、それは盛り上がっただろうなあ、と思ってしまう。でも、当時の自分には知識が足りなかった。

後悔先に立たず。