日々の音色とことば

usual tones and words

「ポップの予感」第五回 リル・ナズ・Xと、ミーガン・ラピノーと、開いた扉の向こう側

f:id:shiba-710:20200202151334p:plain

 

「ここまで来て、自分がやりたいことをしない人生を送ることは嫌だったんだ。それに、これがもっと多くの人にとって、扉を開くことになると思った」

 7月5日。リル・ナズ・Xは、BBCのニュース番組『BBC Breakfast』に出演し、「自分はゲイだ」と告げた。そして、カミングアウトの真意をそう語った。

 

 2019年上半期、ヒットチャートの頂点に君臨し続けたのは彼だった。デビュー曲「Old Town Road」が全米13週連続1位(7月5日時点)と空前の大ヒットを記録し、まさにスターダムを駆け上がったさなかの発言だ。世界中でセンセーションを巻き起こし、子供たちにまで熱狂的な支持を広めつつある一方で、「一発屋」と揶揄するような声も増えてきたタイミングでもある。慣れないはずのテレビ出演の場で、しかし、そんな風に語る彼の表情は、どこか落ち着いて理知的に見えた。

 

 リル・ナズ・Xとは何者か? そして、どのようにして彼はブレイクを果たしたのか。

 彼は現在20歳、アトランタ出身の新鋭ラッパーだ。とは言っても昨年まではまったくの無名な存在だった。現地のライブハウスやクラブで叩き上げのキャリアを積んできたわけでも、大物プロデューサーやラッパーの後ろ盾があってデビューしたわけでもない。自作の曲をネットに発表している、大学をドロップアウトした一人の若者に過ぎなかった。

 

 昨年12月、彼はナイン・インチ・ネイルズの「34 Ghosts IV」をサンプリングした「Old Town Road」を自主レーベルから発表する。

www.youtube.com

 火がついたきっかけはTikTokだった。

 

 最初は彼の周囲から、そして徐々にアメリカの若者たちのあいだでこの曲をBGMにテンガロンハットを被ったカントリー・スタイルに変身する「Yeehaw Challenge」という動画が流行りはじめた。そのバイラルヒットがストリーミングサービスでの再生回数に結びつき、今年3月にヒットチャートに初登場した。

 

 トラップのスタイルを踏襲しつつ、バンジョーのフレーズや、カウボーイをモチーフにしたリリックは、あきらかにカントリーの音楽性をイメージさせるものだった。西部劇の世界を描いたゲーム『Red Dead Redemption2』の映像を用いたミュージックビデオの世界観もそうだろう。そうした背景もあり、この曲は「R&B/ヒップホップ」と「カントリー」の両チャートに登場する。その後、米ビルボードが「カントリー要素が十分ではない」とカントリーチャートから一時除外したことも物議をかもした。

 

 風向きを変えたのが、マイリー・サイラスの父親でもあるベテランカントリー歌手のビリー・レイ・サイラスだった。4月には彼がフィーチャリングに参加した同曲のリミックス・バージョンを発表し、一連の経緯が話題を呼んだこともあって本格的なブレイクに至る。4月9日にはついに全米1位となり「カントリー・ラップ」という新たなジャンルが大々的に喧伝されることとなった。

 

 その後も「Old Town Road」は異例のヒットを続けている。テイラー・スウィフトや、ポスト・マローンや、エド・シーラン&ジャスティン・ビーバーなど、数々の大物アーティストの新曲を押しのけ、連続で全米チャート1位を記録している。その勢いはとどまることなく、おそらく2019年最大のヒット曲となることは確実だろう。

 

 発端はインターネットミームだが、思わず口ずさんでしまうメロディや親しみやすい歌声、ジャンルを越境するセンスといった、彼の音楽家としての才能も間違いなくヒットの背景になっているはずだ。

 

 それを証明したのが6月21日にリリースされた初のEP『7』だ。

 

 

そもそも、今年3月になってからソニー傘下のコロムビア・レコードと契約した彼にとって、まともな環境でレコーディングされた初めての作品でもある。そこにはニルヴァーナの「In Bloom」のメロディを引用した「Panini」や、フィーチャリングにカーディ・Bを迎え印象的なギターリフと共に西部劇のモチーフをふんだんに用いた「Rodeo」など、一曲だけでは伺い知ることのできない彼の作風が刻み込まれていた。

 

 EP『7』を聴いて印象的だったのは、ロックのテイストが予想以上に強いこと。ブリンク 182のトラヴィス・バーカーが制作に参加した「F9mily (You & Me)」も、グランジなギターとエイトビートのドラムに乗せて歌う「Bring U Down」も、かなりストレートなロック・ナンバーだ。

 

 そして、中でも重要な一曲が、「C7osure (You Like)」だった。

 

 彼はLGBTプライドマンスでもある6月の終わりに、「じっくり耳を傾けてほしい」とレインボーマークの絵文字と共にこの曲のミュージックビデオをツイートしている。歌詞では「もう嘘を演じてはいられない」とある。

 

 そのツイートの意図を問われたときに、彼が答えたのが、冒頭の言葉だった。

 

「カントリーやヒップホップのコミュニティは、ゲイを受け入れていない」と彼は続けている。その後沢山の誹謗中傷を受けたことも、それに対してジョークで返していることも語っていた。

 

 繰り返すが、彼は、まだ20歳だ。

 

 リル・ナズ・Xのアーティストのキャリアがこの先どうなるかはわからない。ひょっとしたらワン・ヒット・ワンダーで終わるかもしれない。

 

 それでも、僕は、20歳の彼のことを「幼い」とはまったく思わない。もっと幼い同世代や年上の大人たちは沢山いる。

 

「私たちは、もっとできる。憎しみよりも愛を。しゃべることよりも、耳を傾けることを」

「世界をより良い場所にするのは私たち全員の責任だ」 

 

 7月10日。女子サッカー史上最多となる4度目のワールドカップ優勝を成し遂げたアメリカチームの主将をつとめたミーガン・ラピノー選手は、凱旋パレードと表彰セレモニーの場でそう語った。場所はニューヨーク市庁舎前。場は祝福のムードに包まれていた。

 

「私たちのチームには、いろんな人たちがいる」と彼女は言った。

「ピンクの髪や紫の髪の人も、タトゥーをしている人も、ドレッドヘアも、白人も、黒人も、そのほかの人種の人も。ストレートも、ゲイも」と。ピンクのショートヘアがトレードマークの彼女も、同性愛者であることを公言している。

 

 歓声にわく人たちを見て、僕は、初めてニューヨークを訪れた8年前のことを思い出していた。

shiba710.hateblo.jp

 

 2011年12月。ニューヨーク市庁舎から遠くない場所にあるズコッティ公園は、閑散としていた。

 

 そこは「オキュパイ・ウォールストリート」の舞台だった。その年の9月頃から、金融機関や大企業、富裕層に対する抗議の意志を込めたデモは自然発生的に広まっていった。「我々は99%だ」という声がソーシャルメディアを介して一つのミームとなっていた。

 

しかし、11月には警察によって参加者が排除され数十人が逮捕された。寒空の広がる12月には、もう熱気は終息していた。公園の周囲には黄色いテープが張られ、一体感と高揚感はそこになく、祭りのあとのようなムードが漂っていた。

 

 当時、とある原稿に、僕はこんなことを書いた。

 

「大人というのは、時に抑圧や束縛として機能する社会のルールを『まあそういうもんだよね』と受け止め、次の世代にそれを受け渡す役目を持った人間のことを指す」

 

 ある種の諦念と共に、でも、それが世の真実なのだと思っていた。

 

 しかし、時代は変わった。

 

 もちろん変わってないこともたくさんある。

 

 それでも、今だったら「時に抑圧や束縛として機能する社会のルールを『まあそういうもんだよね』と受け止め、次の世代にそれを受け渡す人間」のことを、僕は「大人」だとは思わない。あえて言葉にするなら、それは「無能」か「無責任」だと思う。

 

「馬を走らせよう、行けるところまで行こう」と、リル・ナズ・Xは歌っている。

 

(初出:タワーレコード40周年サイト「音は世につれ」2019年7月19日 公開)

tr40.jp

「ポップの予感」第四回 ドレスコーズとヴァンパイア・ウィークエンドの新作から夢想する「美しき調和と安らかな滅び」について

 

f:id:shiba-710:20200202145701p:plain

 

終末は近い。

 

そんな気分は、いつの世でも、どこかしらかにはある。べつのいい方をすれば、人類の歴史は、破滅や悲劇的な結末の話で満ちあふれてきた。

 

 イギリスの科学ジャーナリスト、アローク・ジャーの著した『人類滅亡ハンドブック』には、こんな一説がある。

 

 宗教家や預言者や賢者たちは、繰り返し、さまざまな災厄を予言してきた。空から降り注ぐ炎。すべてを押し流す巨大な波。超越的な力をもって生命を消滅させる邪悪な存在。数々の滅亡の物語が紡がれてきた。

 

 

DOOMSDAY HANDBOOK 人類滅亡ハンドブック

DOOMSDAY HANDBOOK 人類滅亡ハンドブック

  • 作者:Alok Jha
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2015/01/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

そのモチーフは決して古代や中世だけの話だけじゃなく、現在のポップカルチャーにも引き継がれている。たとえば今年4月に公開され世界中で記録的な興行収益を実現している映画『アベンジャーズ/エンドゲーム』には、指をパチンと鳴らすだけで全宇宙の生命の半分を消滅させてしまう最凶の敵、サノスが登場する。

 

 しかし、アローク・ジャーは、こんな風に続ける。

 

 こうした宗教による「炎と灰の物語」は、お話としては上出来だし、適度に危機感をあおる役にも立っている。しかし、現実にくらべると、つくられた破滅の物語は独創性という点ですっかり色あせてしまう。科学のレンズを通して見たほうが、終末は、はるかにミステリアスで興味深くなるのだ。

 

 というわけで、今回は、ポップ・ミュージックと滅亡や終末論にまつわる〈予感〉の話。というのも、志磨遼平率いるドレスコーズが今年5月、2年ぶりにリリースした新作アルバム『ジャズ』が、まさにそういったテーマを描いた傑作なのである。

 

 

 アルバムは、ロマ(ジプシー)ミュージックの要素を大きく取り入れ、それを現代的にアップデートした音楽性を軸にした一枚。どことなく哀愁漂う曲調には、「世界最速のジプシー・ブラス・バンド」と呼ばれるファンファーレ・チョカリーアやザック・コンドン率いるベイルートと相通じるテイストもある。

 

 ただ、その中で僕が惹かれてやまないのは、アルバムの中では若干異色なヒップホップ・ナンバー「もろびとほろびて」。XXXテンタシオンやポスト・マローンを思わせるダークでチルなトラックに乗せて、志磨遼平はこんな風に歌う。

 

500年続いた人間至上主義を いっかい おひらきにしよう
核兵器じゃなくて 天変地異じゃなくて
倫理観と道徳が ほろびる理由なんてさ

 

 ここで志磨遼平が歌っていることは、まさにアローク・ジャーが『人類滅亡ハンドブック』で書いたことと通じ合っている。

 

 それだけじゃなくて、たとえばジェームズ・ブライドルが『ニュー・ダーク・エイジ テクノロジーと未来についての10の考察』で書いていること、ユヴァル・ノア・ハラリが『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』で書いていること、ティモシー・モートンが『自然なきエコロジー 来たるべき環境哲学に向けて』で書いていること、ケヴィン・ケリーが『テクニウム』で書いていることとも、リンクしている。

 

 

ニュー・ダーク・エイジ テクノロジーと未来についての10の考察

ニュー・ダーク・エイジ テクノロジーと未来についての10の考察

 

 

 

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

 

 

 

自然なきエコロジー 来たるべき環境哲学に向けて

自然なきエコロジー 来たるべき環境哲学に向けて

 

 

 

テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか?

テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか?

 

 

 どういうことか。

 

 ある世代以上の人ならきっと思い当たると思うのだけれど、みんなが「ノストラダムスの大予言」を心のどこかで信じていた時代が、かつてあった。少なくとも僕はそうだった。1999年に恐怖の大王が空から訪れる。最終戦争か、それとも天変地異か、とにかく巨大で圧倒的なカタストロフがいつか僕らの世界を終わらせる。どこかでそんな風に思っていた。

 

 でも、そうはならなかった。原発が爆発しても日常は続き、戦争はテロリズムとして各地に拡散した。そして、ハンス・ロスリングが『ファクトフルネス』で喝破したように、21世紀になって、世界は確実に、少しずつ良くなっていった。飢饉、疫病、戦争といった人類が数千年にわたって向き合ってきた問題は、徐々に解決に向かいつつある。

 

 ただし、その一方で、かつての終末論のような壮大なカタストロフではなく、もっと目に見えない、しかし確実に我々の生活の中に浸透しているテクノロジーがもたらす「幸福な滅び」についての夢想が勃興しつつある。それが『人類滅亡ハンドブック』や『ニュー・ダーク・エイジ』、『ホモ・デウス』や『テクニウム』に通底する一つの世界観となっている。

 

 テクノロジーは確実に人類に快適で便利な生活をもたらしている。21世紀になって訪れた爆発的な情報流通の増大と、ソーシャルメディアの浸透は、人々に新しい倫理観と道徳をもたらしている。「社会的動物」としての人間は否応なしにハイパー・ネットワークの端末となりつつある。

 

 だとしたら、その先には何があるだろうか?

 

 『サピエンス全史』の最終章「超ホモ・サピエンスの時代へ」には、こんな一説がある。

 

 未来のテクノロジーの持つ真の可能性は、乗り物や武器だけではなく、感情や欲望も含めて、ホモ・サピエンスそのものを変えることなのだ。

 

 ユヴァル・ノア・ハラリは、続いて著した『ホモ・デウス』でも、人類が不死と至福と神性を目指すようになるであろうと予測している。

 

 一方で、ジェームズ・ブライドルは『ニュー・ダーク・エイジ』の中で、こう書いている。

 

 今日、ふと気付くと私たちは、巨大な知の倉庫とつながってはいるが、考えることを学べてはいない。それどころか、その反対になっているというのが正しい。世界の蒙を啓こうと意図したことが、実際には世界を暗黒へと導いている。インターネットで入手できる、あり余るほどの情報と多数の世界観は、首尾一貫したリアリティを生み出せず、原理主義者の簡素な語り(ナラティブ)の主張と、陰謀論と、ポスト事実の政治とに引き裂かれている。この矛盾こそが、新たなる暗黒時代という着想の根源だ。

 

 ここで書かれている「新たなる暗黒時代」というモチーフは、ヴァンパイア・ウィークエンドの新作アルバム『ファーザー・オブ・ザ・ブライド』に描かれた視点へのリンクも感じる。

 

 

 『ファーザー・オブ・ザ・ブライド』は、今のアメリカのインディ・シーンを代表するバンドである彼らによる、5年ぶりの新作。そのオーガニックなサウンドと包容力あるメロディに、優しく穏やかなポジティビティを感じる人は多いと思う。

 

 でも、歌っていることは、とても辛辣だ。社会に対しての痛烈な問題意識がその根底にある。

 

 たとえば「ハーモニー・ホール」では、こんな風に歌われる。

 

怒りは声を欲する 声は歌を求める

歌い手たちはハーモニーを奏でる

他に何も聴こえなくなるまで

こんな風に生きたくはない でも死ぬのも嫌だ

 

 この曲を聴いたときに僕が思い出したのが、伊藤計劃の傑作SF『ハーモニー』だった。 

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

  • 作者:伊藤計劃
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2014/08/08
  • メディア: 文庫
 

 

 『ハーモニー』で描かれるのは、人類が病気を克服した世界だ。そこでは従来の政府に替わるグローバルな統治機構「生府」(ヴァイガメント)のもとで高度な医療福祉社会が築かれている。それを支えるのが「WatchMe」と呼ばれるナノマシンによる体内監視システムと、ネットワークを介してその健康情報が共有される医療システム。そこにおいては、人々の身体は公共のリソースとみなされる。誰もが他人を思いやり、健全で、平和で、摩擦のない、「優しさで息の詰まる」世界がそこにある。

 

 志磨遼平が『ジャズ』で描いた終末論も、伊藤計劃『ハーモニー』の世界観と通じ合っている。《幸せな このままで おだやかな ほろびかた》と歌った「ニューエラ」のように、どこか安らかな調和を感じさせるものだ。

 

 ちなみに、このアルバムは、5月1日、日本における新たな年号「令和」の幕開けとなった日にリリースされている。

 

 日本政府は、外務省を通じて「令和」の意味は英語で「Beautiful Harmony」だと説明している。そのことを知ったときに、僕がまず思い浮かべたのが、ヴァンパイア・ウィークエンドの「ハーモニー・ホール」と伊藤計劃の『ハーモニー』だった。

 

 美しき調和がもたらす、安らかな滅びの世界。そんな〈予感〉を奏でるポップ・ミュージックに、なんだか、惹かれてしまう自分がいる。

 

(初出:タワーレコード40周年サイト「音は世につれ」2019年6月8日 公開)

tr40.jp

VIVA LA ROCKと、今や「失われつつある文化」かもしれないフェスの速報レポート職人としての挟持のこと

f:id:shiba-710:20190509111104j:plain


ゴールデンウィークは5月3日から6日にかけて「VIVA LA ROCK」の4日間、フェスのオフィシャルの速報ライブレポート「FLASH REPORT」を担当していました。

 

フェスはこれで6年目。初年度からずっと書き続けています。正直、これ、体力的なところも含めてすごく大変な仕事ではあるのです。会場を駆けずり回るし、だいたいライヴが終わった15分後~20分後くらいに書き終えないと次のアクトが始まってしまうし。ただ、やり甲斐も、意義もあることだと思ってやってます。

 

とはいえ、「フェスのクイックレポートなんていらない」って声があるのもわかるのよね。というのはなぜかというと、薄っぺらいライブレポートなら、ツイッターの感想を集めてまとめたものを読んだほうが、よっぽど率直で嘘のないものなわけだし。一方で、ナタリーのように、その場にあった事実をきっちり客観的に伝えるウェブメディアもあるわけだし。

 

実際、ROCK IN JAPAN FESTIVALやCOUNTDOWN JAPANやJAPAN JAMといったロッキング・オン主催のフェスでは、初期からずっとやってきたクイックレポートに文章を載せるのをやめちゃったわけだし。「全てのアクトのフォト&セットリストを会場からお届けします」と銘打ってるし。いまやフェスのステージを観て15分後にそのライブレポートを書き上げる職人技なんて「失われつつある文化」なのかもしれない。

 

でもね。僕自身はロッキング・オンで社員だった時代からもう15年以上この仕事をしてるし、今ではなかなか忙しくなったし、おかげさまでいろんな分野の仕事も増えたけど、それなりに愛着も、職人としての誇りもあるつもり。そして「VIVA LA ROCK」の主催側、鹿野さんと『MUSICA』の有泉さんに対しても、この「FLASH REPORT」が、フェスがメディアとして機能するための一翼を担うと考えて、自分にオファーしてくれるんだろうという勝手な気持ちもある。

 

だからこそ、できるだけ表面だけをなぞるようなレポートじゃなく、オフィシャルサイトに掲載される文章であるがゆえに果たさねばならない「そのフェスの物語の中での位置づけ」としての役割と、署名付きの原稿として書くものであるがゆえの「自分が何を感じて何を受け取ったか」という主観を、限られた時間の中で可能な限り形にするようにしています。

 

そして、ビバラのフェスのレポートは、とりあえずフェスが続くかぎりアーカイブされるという信頼を運営サイドに抱いてるし、実は書いてるライター陣もずっと同じ面々なので、「速報」が積み重なることで「歴史」になると思ってやってます。

 

ベンジャミン・ブラッドリーの言う「ニュースは歴史の最初の草稿である」というジャーナリズム精神を、そこまで大それたことじゃないかもしれないけれど、でも心のどこかに挟持としてちゃんと持って、ステージに立つアーティストたちと向き合ってるつもりです。

 

というわけで、4日間で書いた原稿のいくつかの抜粋を。