日々の音色とことば

usual tones and words

どうして、そこでシャッターをきってしまうんだろう

新木場STUDIO COASTで行われた「GAN BAN NIGHT SPECIAL」に行く。メインアクトはJUSTICE。さすが、今一番勢いあるアクトだけあって、強烈なライヴだった。詳しいレポは他で書く予定なのでここでは書かないでおくけれど、フジで観たときとは全然違う、よりフリーな感じ。やっぱインパクトあるなあ。

ただ、書こうと思っているのは、「ライヴがすごかった」ということじゃない。もっと、悲しいこと。今回のJUSTICEのライヴは、僕が観た中でも最も「容赦なくカメラのフラッシュがたかれた」ライヴだった。僕はレポートということもあり上の客席で見ていたのだが、まるでフロアは記者会見の場のようだった。もちろん、ほとんどの人は笑顔で踊ってるし、そこかしこで熱狂が生まれていた。でも、ライヴの最初から最後まで、デジカメや携帯カメラを構えてステージを撮っている一部の人が、各所にいた。そのせいで、個人的にはどうにも熱狂の空気に身を任せられないような、どうにも歯がゆい思いを感じていた。

どうして、そこでシャッターをきってしまうんだろう。フラッシュをたいてしまうんだろう。

もちろん、どんなアーティストのライヴの場でも「デジカメや携帯電話による撮影」は、ルールとして禁止である。いろんな場所で、そのことは問題になっている。ただ、今回はそれだけじゃなかった。JUSTICEのステージの演出はフラッシュの光で台無しになってしまうのだ。

ステージには沢山のマーシャルアンプが積まれ、その中央に十字架型のライトをかたどった巨大な卓が設置してある。卓の前面では数々の機材が放つLEDライトが明滅している。そして、彼らのステージには通常のバンドのようなスポットや照明装置は、ほとんどない。基本、ステージは暗いのだ。闇の中でぼぅっと巨大な光る卓が浮かび上がるような感じになっている。で、ここぞという盛り上がり所で、さぁーっと客席を照らすライトが光り輝く。

つまり、JUSTICEのステージにおいては、光は重要な演出要素となっているわけである。そこを写真に撮ろうというのは、少し大袈裟だが、演劇の舞台や映画のスクリーンに向けて、暗転時にフラッシュをたくというようなイメージ。僕の感じた「台無し感」は少しは伝わるだろうか。

それに、僕はクラブやライヴハウスでの撮影の経験もあるから、そうやって撮った写真が「まるで臨場感のない写真」になることを、よく知っている。暗いフロアでフラッシュをたいて撮った写真は、必ず動きのない、味気ないものになる。カメラをしまって踊っていたらそこで感じることができただろう興奮とはとても引き換えられない、単なる記録の一枚になる。

確かに、自分の行ったライヴを写真に残したいという“思い”はわかる。ブログにアップしたい人もいるだろう。でも、それは、やっちゃだめなんだ。

アナウンスとか係員の制止とか入場口での荷物チェックとか、撮影禁止を徹底するためのルールと対策の話は、ここではおいておく。もうすこしだけ、想像力を働かせられる人が増えればいいなあ。せめて。――という話。