日々の音色とことば

usual tones and words

音楽シーンの「ナナロク世代」(2)

昨日書いたことの続き。

いわゆる「ナナロク世代」を考えるうえで、もう一つのキーになりそうなのが以下の数字。

有効求人倍率&新規求人倍率 (asahi.com)
http://www.asahi.com/business/data/koyou102.html

四年制の大学の場合、“就職氷河期”のピークとなった99年に就職活動をしているのが、76年生まれの世代だ(もちろん、それぞれにズレはあるだろうけど)。その影響が、今になってこんな形で表れてきたりしている。

<引きこもり>最多は30〜34歳 就職・就労きっかけで(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080222-00000122-mai-soci

30歳から34歳が受けた心の傷
http://anond.hatelabo.jp/20080223093706

実際に自分が大学生だった頃のことを振り返って考えてみる。確かに、就職はかなり厳しかった。少し前のバブル時代の話なんて嘘のような感じだった。会社説明会後に接待とか、内定拘束で海外旅行や旅館で宴会三昧とか。信じられないという感じ。代わりに渡されたのがその頃から普及し始めた「エントリーシート」で、講習会なんかに出かけると自己分析の必要性をとうとうと説かれたりする。「自分が何をやりたいか」「自分にどんな強みがあるのか」を客観的に認識するのが、就職の第一歩、みたいな。

上のエントリーに絡めて言うと、ここで必要以上に“自分探し”と向き合って、挙句就職に失敗したりしたら、そこで受けた「否定」は自意識にかなりの傷跡を残すはずだろう。その無力感は、トラウマになってもおかしくない。僕は、本当に運良く、あの時代を切り抜けることができたんだと思う。今はこうして仕事をしているが、ニートや引きこもりになっていたかもしれない自分の姿も明確にイメージできる。他人事ではない、という感覚がある。

もう一つ。だからと言って「バブル世代」を羨ましいと思ったことも、当時から無かったように思う。むしろ、そういう空虚な盛り上がりとホイチョイ・プロダクション的な消費文化を“軽蔑していた”というニュアンスが近い。昨年に公開された映画『バブルへGO!!』は観なかったし、同じ歳の友人や知人と話題になることすらほとんどなかった。そこには、ああいうメンタリティへの根本的な“興味のなさ”があったんじゃないかと思う。

そういうところをルーツにして、くるりやアジカンやサンボマスターや銀杏BOYZの表現が生まれてきたと考えると、同世代としては非常にしっくりくる。彼らはそれぞれに違うことを追求しているけれど、自らが鳴らすロックに「意味と必然」を宿らせようとしてきた――という点では皆共通している。その背景にあるメンタリティと、“30歳から34歳が受けた心の傷”“優越感ゲームへの軽蔑”は、まるでコインの裏表のように繋がってるんじゃないかと思う。