日々の音色とことば

usual tones and words

アドトラックとポップアップ広告

半月ぶりくらいに、渋谷に行く。バス待ちをしていると、目の前を巨大な広告トラックが2〜3台続けて走っていった。渋滞した道を、ゆっくりと移動していく。けたたましく音楽を鳴らしていくトラックもある。

数年前から、渋谷ではもう見慣れた光景になっている。CDのリリース告知、パチンコやマンガ喫茶の広告、なかには巨大な乾電池やカップヌードルを荷台に乗せたような変り種もある。確かに目を引くけれど、僕はあれを見ると、すこしいやな気持ちになる。今ではだいぶ少なくなってきたが、ウェブブラウザでポップアップ広告を見たときと同じような感覚だ。

きっと、そういう風に思ってしまうのは、僕自身ここ数年車で渋谷に行くことが多く、渋滞に悩まされていたということも大きいだろう。あの手の車の目的は道行く人に宣伝することだから、人通りの多い街頭をできるだけゆっくりと移動する。詳しいルートは知らないが、おそらく渋谷のハチ公前交差点を中心にぐるぐると回っているんだろう。排気ガスと大音量の音楽を撒き散らしながら、人を乗せるでもなく、何かを運ぶでもなく、ただ走り続ける。必然的に、街の中心部は常に渋滞することになる。

きっと、アドトラックの料金は看板やサインボードの広告料金よりはリーズナブルなのだろう。でも、広告を手掛ける会社は、たとえば100台のアドトラックが一斉に街に出たらどうなるか、想像したことはあるのだろうか。交通が完全に麻痺するなか、道玄坂を、公園通りを、埋め尽くすように並びゆっくりと進むアドトラックの隊列。大袈裟な話かもしれないけれど、僕が感じるのは、そのイメージの1/100の「げんなりする気分」なのだと思う。