日々の音色とことば

usual tones and words

正直であるということ(いしわたり淳治)

MARQUEE 68号の「新感覚派ロック・バンド特集」に載っていた、いしわたり淳治のインタヴューがとても興味深かった。

今の時代、街でアーティストの名前を耳にしてインターネットで検索かけたら、誰が書いたかもわからないたくさんの下世話な情報と、オフィシャルで発表してる事務所の情報とがごっちゃに出てきますよね。もうアーティストの見え方を管理できるような時代じゃないんですよ。見え方はある事もない事も勝手にどんどん膨れ上がっていく。
そんな状況で、どこまで情報を掘り下げられても、その人の音楽が同じように響くっていうのは、今の時代ですごく大事な事だと思うんです。そのためには、正直である事が、当たり前の事だけど、すごく大事だと思うんです。例えば『いい曲ができたので聴いて下さい』って言う時に、『いい曲ができた』って言わされてるのか。本当に心から言ってるのか。そこで僕は、ちゃんと自分の心から『カッコいい曲ができたので聴いて下さい』って言える人が、今、一番カッコイイと思う。

筋の通っていることだけをやらないと自分を苦しめますよね。だから正直にやるうちは、なにをやっても大丈夫かなと。

僕がやりたいのは『正直に生きる』っていうことだけなんですよ。その中に入ってれば『何でもやってみたい』と思ってるんですよね。

いしわたり淳治はミュージシャンだし、今は9mmやチャットモンチーを手掛けるプロデューサーであるから、話の焦点は当然音楽にあたっている。でも、この「正直であること」に関しては、音楽がどうこうにかかわらず、今の時代を生きるのに必要な考え方を鋭く指し示しているように思う。

たとえば、今ネットを賑わせている毎日新聞の「waiwai問題」。もともとの批判はどうあれ、問題がここまで広がったのは、もはや「見え方を管理できるような時代じゃない」ということを新聞社の内部の人間が気付かなかった、もしくは見誤ったからじゃないか、と思う。

都合の悪いことを隠蔽したり、無かったことにできるような時代は、ネットのソーシャルジャーナリズムの発展によって、少しずつ終わりを告げているんだと思う。

その矛先は新聞社や大企業だけに留まらず、きっと一人一人の個人に向かってくる。というか、すでに何人も”炎上”の火祭りにあげられている。そのこと自体の良し悪しは置いておくとして、この流れが反転することは、もう無いだろうと思う。

僕自身、「誠実であること」が、これからの“生きやすさ”のキーになっていくんじゃないか、と思っている。思ってもいないことを書き散らしたり、裏で舌を出すようなことは、先々において自分を苦しめるのではないか、と思っている。