日々の音色とことば

usual tones and words

三点リーダについて

文末に。。。を使う方へ質問 (発言小町)http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0419/235576.htm?o=0&p=0

最近、文末に …… 、ではなくて 。。。 と表記している文章をよく見かけます。
なぜそのような表現を使うのでしょうか?何をねらってそう書いているのでしょうか?

私はそういう文章を見ると、昔の表現でいうぶりっこなのかしら?と感じてしまいます。

どうでもいい疑問ですが、ちょっと聞いてみたいので回答お待ちしております。

いろんな回答が集まっていて興味深い。「変換が面倒だから」とか「入力方法がわからないから」とか「三点リーダって初めて知りました」みたいな話は予想の範囲内。「英文だと...(ピリオド3つ)だから、それにつられて」という話も、キーボードの位置とかIMEの仕様がどうのこうのという話も、まあわかる。文字のバランス感がっていうのも、まあわからんでもない。でも、いろんな自分ルールで使い分けて独自のニュアンスをこめている人が結構いるのには驚いた。面白い。

……
↑より繊細な余韻

。。。
↑より大ざっぱな感覚の時に使う余韻

とか。

……
より
・・・
より
。。。
は重い感じがあります。

とか。

表現したいものは「…」と変わらないのですが、「。。。」のほうがよりガッカリ感、とほほ感を表している

とか。

「…」は汎用で、「。。」は少し強調する時ですね。
しみじみと思いを残しつつ、というようなニュアンスで使います。

とか。へえ、そうなんだ。初めて知ったなあ。

僕自身は、紙媒体での編集者として「……(三点リーダ×2)」という表記を叩き込まれた人間だったりする。なので、もし雑誌に掲載するべき原稿だったら、書き手がそこにどんなニュアンスを込めてようと文末に「。。。」となってたら問答無用で校正する。「・・・」(ナカグロ3つ)と「…」(三点リーダ)の違いもきっちり直す。理由は約物の誤用だから。雑誌じゃなくても、公文書とかの正式な書類だったらそうするよね。公文書で三点リーダは使わないか。まあ“公”の場面の文章、ってことで。

“私”の場所でのメールやチャットとか、ブログやmixiの書き込みだとどうだろう。自分が使うのは、なんかムズムズするんで無理だろうな。とはいっても、人が使っているのをみて「間違っとる!」とか「日本語の乱れ!」なんていう風に憤ったりはしない。顔文字を使ったり、ネットのジャーゴンを使ったり、文末に☆とかwをつけたりするのと一緒だろう。日本語ってフレキシブルな言語だよねえって思う。

でも、それぞれが込めているという「ニュアンス」は、少なくともいくつかのサンプルを見る限りではわりと揺らいでいるみたいだ。

勝手だよなあ。