日々の音色とことば

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土屋仁応「私的な神話」

彫刻家・土屋仁応さんの個展「私的な神話」の最終日に行ってきた。

個展「私的な神話」
2011年1月18日〜2月12日
メグミオギタギャラリー


場所は銀座の「メグミオギタギャラリー」。アート分野にそれほど詳しいわけでないので、彼のことは、以前から知っていたわけじゃない。tumblrnのダッシュボードに流れてきた下の写真を見たのがきっかけだ。見た瞬間、思わず手をとめた。

パッと見た第一印象は、「可愛い動物」。でもどこか引き込まれるものがある。単なるキュートさじゃなくて、ピンと張り詰めた気配のようなものを感じさせる。ピュアな無垢さというか、穢しちゃいけないような凛とした“聖性”のようなものを感じさせる。

それからWebを調べて、「私的な神話」という展示のタイトルを知った。その通り、神話をテーマにしているという。

“「神話」とは、集団の起源や文化の創造の過程を、神聖なエピソードでいろどった物語です。歴史的事実とは別に神話が語り継がれるのは、集団が誇りや絆をもつために必要だからなのだと思います。このことは民族や国のような大きな集団だけでなく、個々人やプライベートな人間関係のなかでも同じように作用するのではないかと思うのです。”

そういうものを意図して表現しているということを知って、俄然興味の熱度が増した。

で、実際に観て確信した。この人は、彫刻の作品に、まさに僕が感じた“聖性”や“霊性”のようなものを宿らせようとしている。だからこそ生命力のある表現になっている。


ちなみに、そこには高木正勝が『タイ・レイ・タイ・リオ』のプロジェクトで追求してきたことと通じ合うものも感じた。

以前にも書いたけれど、高木正勝のインタビューの引用を再掲。

「今は神様をテーマにして映像を作っています。とは言っても、必ずしも映像に神様が出てくる必要はない。仏像の前に立ったときのように、それを観て背筋が伸びるような、見透かされているような気分になりさえすればいい。仏像の代わりになるような映像を作りたいんです。それを、あれこれ学びながらやっています」

「まだ制作の途中ですけれども、作ってるうちに、神話や仏像や、絵の禍々しさや、そういうものの接点が見えてくる。繋がりがわかってくる。今は『そこから先に何があるのかを見たい』という気持ちで作っているところです」

(2008年2月28日発売、『papyrus』vol.17掲載インタヴューより)


ギャラリーの一角に置いてあった美術雑誌での彼のインタビューを読むと「表現はエゴイズムではなく、何かスケールの大きなものに捧げるようなつもりでやっている」という旨の発言もあった。


彼が丁寧に掘り出した動物や幻獣の端正な木像は、確かに「それを見て背筋が伸びるような、見透かされているような気分」になるものだった。ギャラリーの白い無機質な壁に囲まれた空間に置かれていることで、しんと染み渡る静謐さが漂っていた。


こちらにも充実した紹介記事があった。写真も素敵。
review:土屋仁応「私的な神話」《1/18、1/22》