日々の音色とことば

usual tones and words

「SHARE FUKUSHIMA」について(1)

6月11日、「セブンイレブンいわき豊間店」で行われたイベント「SHARE FUKUSHIMA」に行ってきた。あの場でしか感じられなかった感覚が沢山あった。行ってよかった、と思っている。


午前6時30分集合のバスツアー。午前中にはボランティア作業。とは言っても、1〜2時間ほどのゴミ拾い。周囲には瓦礫となった解体待ちの家が並ぶ。何がゴミで何がゴミじゃないのか、わからない。食器の欠片を拾う。街を歩くなかで「わからない」という感情は次第に膨れ上がる。果たして今自分がやっていることが、何かの役に立っているのか。どうするのが正しいのか。言葉に詰まる。

半壊した家屋の壁にスプレーで殴り書きされた「がんばっぺ」という言葉が目に入った。思わず、渋谷の電灯の一つ一つに吊るされた旗の、タクシーのリアウィンドウに貼られたステッカーの「がんばろう日本」という言葉を思い出した。その彼此には圧倒的な違いがあった。その言葉を引き受ける生身の身体がそこにあるかどうか。言葉の主体性について、考えざるを得ない体験だった。

壁時計が落ちていた。15時少し前を指していた。触れることはできなかった。


昼飯を食べたあと、写真を撮りたいと思って周囲を歩いた。セブンイレブン豊間店の向かいに、小さな神社があった。鳥居は倒れ、狛犬は向きを変えていた。でも本殿はほぼ損傷を受けることなく、木々の中に静かに佇んでいた。僕は吸い寄せられるように、そこに歩みを進めた。

壊れた家や車を見た時は予想していたよりも感情は動かなかった。でも、ふと訪れたあの神社の静けさの中で、ひとり、何故か泣きそうになった。静かに手をあわせた。

もちろんあのセブンイレブンの向かいに神社があったのは偶然だろう。でも僕は、今から行われようとしていることが「祭祀」なんだということを、すとんと心に落ちてくるように感じた。海とこの街と、ここで暮らしてきた人々を長く見守ってきたものに、音楽が奉じられようとしてるんだな、と僕は思った。主催者や演奏者も含めて、きっとそんな風に考えていた人は他にいなかっただろうと思う。でも、手をあわせながら、そういう気持ちが自然に湧き上がってきた。

14時30分。ライブは始まろうとしていた。