日々の音色とことば

usual tones and words

「SHARE FUKUSHIMA」について(2)








Video streaming by Ustream

「SHARE FUKUSHIMA」のライヴを、家に帰ってからUSTREAMのアーカイブで再び観た。非常にハイクオリティな映像と音。新しいシステムを試したんだということを、どこかで耳に挟んだ。

でも、やっぱり、あの場でしか感じられなかった感覚が沢山あった。ステージと客席の間を、何度も車が通り過ぎた。風船を持った子供たちが、店の周りを走り回っていた。海から風が吹いて、ときおりかすかな腐臭が漂った。瓦礫の風景には既視感があったけれど、あの匂いは、あの場所でしか感じ取れないものだった。

黙祷を挟んで披露された、七尾旅人と渋谷慶一郎の即興演奏(動画25分頃〜)は、今聴いても胸が一杯になる。〈ここで暮らそう〉〈空 海 土 木々 花 子供たち〉〈好きなものだらけ〉。渋谷慶一郎の情熱的なピアノ。お互いの表現が呼応する。〈何もないけど全部あるよ〉〈どこでもいける。だけど私の街〉。〈海〉。激しいノイズ。

黙祷。

空白の後、再び音楽が鳴り響く。〈棄民の歌 捨てられしものたちの歌〉と、七尾旅人がささやく。緊迫感あふれるピアノ。〈7000km、6000km……、100km、90km……30km圏内、20km圏内……〉。ゼロへのカウントダウンが始まる。

〈降り注ぐ涙〉〈いつかまた種をうえたい〉〈やがて芽吹くときまで、種を〉。そして〈1km、2km……、20km圏内、30km圏内……1万km、2万km……地球全域〉。〈つぼみ、広がり〉という歌が繰り返される。

七尾旅人と渋谷慶一郎の即興演奏は、「悲しいことを楽しいことで上書きしたい」というセブンイレブンいわき豊間店金成オーナーの思い、願いを、真正面から音楽として抽出して形にしたような表現だったと思う。

即興演奏は、通常、相手の音に反応し合う音楽的会話の元に行われる。それがジャムやインプロヴィゼーションとして形になる。しかし七尾旅人と渋谷慶一郎による即興は、それだけにとどまらず、起こってしまった現実を反射し、その場所にあるものと相互作用するような表現になっていた。

二人が前日に作ったという名前のない新曲も、本当に素晴らしかった(動画では2時間10分過ぎから)とても情緒的なピアノの音が鳴っていた。二人の音楽にあるピュアネスの部分が重なりあうような音楽だった。

そして、とても印象的だったのは、七尾旅人が「これはすごく大事な歌だから」と歌った“圏内の歌”。(動画では1時間50分過ぎから)。彼はこの曲を歌う前に、こう言った。「僕はここにいることに対して、葛藤もあります。遊びにきたわけじゃないので」。

離れられない愛する町  生きてゆくことを決めたこの町

子供たちだけでも どこか遠くへ 逃がしたい

一日経った今も、僕の頭の中で、この曲がずっと鳴り続けている。

何が正しいのか、何をするべきなのか、何が求められているのか、そんなことを考え始めると何の答えも出ない。でも、彼がこの歌をあの場所で歌った強い思いは、是非、多くの人に届いてほしいと思う。