日々の音色とことば

usual tones and words

cinema staffと、巨大で無慈悲で美しい「海」について


cinema staffcinema staff
(2011/06/01)
cinema staff

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渋谷クラブクアトロでcinema staffを観た。これまで残響レコードから3枚のミニアルバムをリリースし、1枚目のフルアルバム『cinema staff』を6月にリリースした彼ら。今回のライブはそのツアーファイナルにあたる。

 ライブは、ファーストアルバムを作ったこと、とりわけそのラストに収録された“海について”という楽曲を完成させたことで、バンドが大きく化けたことを証明するようなものだった。正直、昨年のミニアルバムがリリースされた頃くらいまでは「かっこいい歌モノのバンドだなあ」くらいの印象しかなかったんだけれど、今は全く違う。相変わらずMCはグダグダだったり、キャラは人懐っこい感じだったりするんだけれど、曲の世界観に“凄み”のようなものが生まれてきた感じがする。

 バンドは今年の初めに代表曲“daybreak syndrome”と“GATE”を収録したシングル『水平線は夜動く』をリリースしている。どちらもライブでは定番の人気曲で、特に“daybreak syndrome”は10代の頃に作った、彼らにとっての初期衝動の塊のような曲だ。それを何故アルバムに収録しなかったというと、アルバムが“過去の楽曲をコンパイルした”ものではなく、明確なコンセプトに基づく一枚だったから。そのコンセプトの中心になったのが、「海」に対するアディクションだった。

三島「海に関しては、自分の中ではこのアルバムで完結させようと思ってました。それは制作の中盤あたりで思うようになりましたね」
――そう思うきっかけになった曲は?
三島「それが”海について”ですね。その断片ができてきた時に、海のスケールに負けない曲がほしいと思ってたときにそれができてきたのがあって」
久野「この曲は、最初から『これはもう最後の曲だ』って言いながら作ってましたね。アルバムの最初の曲と最後の曲は決まってたんです」
――”白い砂漠のマーチ”で始まり、”海について”で終わるという構成が決まると、アルバムは必然的にロードムービーになるんじゃないですか。出発点に砂漠をおいて、ゴール地点に海を置いたわけだから。
三島「なりますね。それは思ってました。砂漠から海に至るまでのドラマというか。物語性は持ってると思いますね」


上記は『MARQUEE』85号に掲載された彼らのインタヴューからの抜粋。cinema staffの音楽の世界観において「海」は重要なキーワードになっている。そのイメージが象徴するのは、人の営みや感情や、そういう一切のものを覆い尽くしてしまうほどの巨大さ。時に無慈悲で、時に残酷で、だからこそこに美しさと憧れを感じるという心性。J-POPによくある“夏”=“海”=“リゾート”というような消費社会のイメージ連想とは全く逆のものだ。

だからこそ、震災と津波で多くの命が失われた今に、こういうアルバムを一切内容を変えることなく発表したことは、とても勇気のいることだったと思う。このアルバムが完成したのは3・11の直前だったという。日本中をくだらない“不謹慎”の波が覆っていた頃、そして「一つになろう」という共同幻想が繰り返し繰り返しTVに踊っていた頃に、僕はこのアルバムの音源を初めて聴いた。それは、その時に世の中で自粛を要請されていた(ただ陽気なだけの)表現とはレベルの違うクリティカルなものだった。言ってしまえば、悪い意味でとてもタイムリーだった。

――ひょっとしたら「これ、今回はちょっとヤバいかもしれませんね」とか「時期も時期なんで、やめときましょうか」って、誰かに言われたりしてもおかしくない曲だと思うんですよ。でも、この曲を出したということは、自分の表現を背負ってるということ。たとえそういうことを言われても「これは自分の音楽で、自分の表現で、最終的にポジティヴなものなんです」と言い切る芯があったんじゃないかな、と。
三島「“海について”に関しては、僕はそう思ってますね。自分でも相当タイムリーだと思ったんですけれど」
――“海について”という曲から僕が感じ取ったのは、海というものの巨大さ、人の営みとか感情とかとは関係ない圧倒的な巨大さ、というイメージなんですけれども。
三島「そうですね。海というものは、そういうレベルじゃないところにあるわけで」
――そこに美しさと、ある意味の救いを感じている、というのが“海について”にあるんじゃないかと思っていて。
三島「救いは求めてました。そうですね、本当にその通りなんですけど……。海の“負”の部分みたいなことを、震災で目の当たりにさせられたこともあって。でも、それでも、海の存在そのもの、象徴的な意味で僕が救いを求めていることは変わらないんです。だから、あれで、僕が海に関して言及を辞めるのはちょっと違うなと思うので。もちろん、いろいろ思うことはありましたけれど……」
――レコーディングの真っ最中だったわけでしょう?
三島「完成した3日後だったんです。3月8日に作業が終わって。本当に直後ですね」
――愕然としましたよね。自分が作った音楽が目の前の情景にリンクするものだったわけで。
三島「愕然としたというか、こんなことってあるんだろうか?ってのはすごく思いました。不思議な気持ちでしたね」
――でも、自分の表現を曲げなかった。それは、作った作品に自分が救われたからだったと思うんです。
三島「僕はもう、完全にそうでした。すごく救われたし、今でも一人で聴き返すんです。それくらい、自分の中ではものすごく意味は大きいです」


きっと、彼らは“海について”という曲をきちんと世に放ったことで、自分たちににとっての「音楽を鳴らすことの意味」を形にすることができたんだと思う。

僕がライヴを観て感じとったのはそういうことだった。