日々の音色とことば

usual tones and words

the HIATUS ―カゲロウの生まれる場所について 

ニューヨーク、ウォール街にて

12月上旬、寒空の下のズコッティ公園を訪れた。日曜日の昼。ブルックリンのホテルから地下鉄に乗って「Wall St.」駅を降りると、まずアメリカ金融博物館の建物が目に入る。エントランスには「THE MONEY, THE POWER, THE HISTORY.」と露骨なほどストレートに自己言及的なキャッチ・コピーが書かれている。へえ、と思う。なるほど、こういうところなんだ、と。

ニューヨークという街を訪れるのは初めてだ。
9月に報じられた「Occupy Wall Street」のニュースを観てから、なんだか無性に惹きつけられるような思いがしていた。そこに何があるのか。どんな熱気が10代や20代の若者たちを駆り立てたのか。それを確かめたくなった。「We are the 99%」というキャッチフレーズはSNSを通じて網の目のように広がった。数々のミュージシャンが支援を表明した(※その一覧はhttp://www.occupymusicians.comで見ることができる)。

11月に行われたナオミ・クラインのスピーチを見たときに、その場所を訪れてみたいという思いはさらに高まった。広場では拡声器の使用が禁じられていたが、集まった人たちが次々にそれをリフレインする「人間マイクロフォン」が行われ、ナオミ・クラインの声は群衆の隅々にまで届いていた(YouTubeにアップされたその様子が以下に紹介されている http://quasimoto.exblog.jp/16562628/)。

まるで、ツイッターの「リツイート」やフェイスブックの「シェア」のように、一人の身体から発せられた生身の声が広がっていく様子は、この運動の本質を表現しているように僕には感じられた。一方で日本のマスメディアや一部のジャーナリストたちが、そこに起こっている状況を「反格差デモ」という言葉の狭い枠組みの中に押し込めようとするのには、なんだか背中がむず痒い感覚を覚えていた。「グローバルな基準で見たらあそこに集まってるいのは裕福な人たちだ。」、「i-Phoneや最新デジタル機器に囲まれ“先進国生まれという既得権益”を振りかざす幸せな若者たちだ。」と分断の刃を振りかざすような物言いには、寒気を覚えた。

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渡航のチケットをとった後に、デモ隊が排除され数十人が逮捕された、というニュースを目にした。12月のニューヨークは寒い。もう誰もいないかもしれないな、でも“跡地”くらいは見ておきたいな、そういう気持ちで公園に足を運んだ。周囲には、警察の黄色いテープが張られていた。ぽつんぽつんと、数人が残っていた。「OCCUPIED WALL STREET JOURNAL」を配っている20〜30代らしき若者が一人、観光客をつかまえて熱心に語る黒人の婦人が一人。奥のほうでは、チェスを打っている壮年の二人組に、ぶらぶらと歩きながらアコースティック・ギターを抱えて歌っている中年男性。ウサギを撫でている女の子。みんな思い思いに勝手なことをやっていた。ああ、こんなもんなんだ、と思った。You Tubeの動画を通じて見た広場の一体感と高揚感はそこになく、“祭りのあと”のようなムードが漂っていた。正直時期を逸したなと思いつつ、でも僕は、その「寒空の下でみんなが思い思いに適当なことをやっている様子」を見て、なんだかいいな、と思った。

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猟犬とベテルギウス

the HIATUSが2011年11月23日にアルバム『A World Of Pandemonium』をリリースした。そこで奏でられていたのは、それまで2枚のアルバムで追求してきた音楽性とは大きく違う、アコースティック・ギターなど生楽器を中心にしたサウンドだった。激しさよりも透明感を、爆発力よりも奥深さを感じさせる曲調。これまで彼らを追ってきたリスナーの中には戸惑った人もいたと思う。でも、僕自身は、極めてまっとうな進歩だと感じた。表面的なサウンドは確かに大きく違う。しかし掲げられている価値観、音や言葉を生み出す根源にあるものは何一つ変わっていない。ヴォーカリストの細美武士は、雑誌『PAPYRUS』のインタヴューにて、それを明確に語っている。

奔放な精神の獲得とか解放とかが、テーマとして常にあります。

もともとの根源的なモチベーションというのは、今この瞬間に生きているというだけで何らかの炎が燃えているように在るはず。それをいかに剥き出しにしていくか、というところだと思うんです。(中略)たとえば自分の場合は、自分の精神を自由にするための生き方やものごとの捉え方を見つけて、今もせまり来る束縛や抑圧をどう乗り越えていくのかっていう、そこに自分の生命の戦いみたいなものがあるということ。この戦いが激化すればするほど、作品が突進力のあるものになっていく。

(『PAPYRUS』vol.33 特集・細美武士が歌う「意味」より)

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上の言葉を踏まえてアルバムを聴くと、そのことが変わらずにテーマとして掲げられていることに、すぐに気付く。たとえば一曲目の「Deerhounds」。「猟犬」というメタファーに託した野生のイメージは、まさに彼が言う“奔放な精神”を指し示している。

My empty soul is screaming out
I’m starting out in the world of pandemonium
("空っぽの僕の魂は叫び声をあげて
大混乱の世界に旅立った")
I saw deerhounds running wild again
("猟犬たちが 再び自由に駆けていく")


ここで描かれているイメージは、アルバム全体を貫く世界観にも繋がっている。
そして、それが2011年の社会への明確なカウンターとしての表現になっていることも、一聴して気付く人は多いだろう。3.11以降に明らかになった日本の数々の綻びと、中東からヨーロッパに至るまで世界各地で現前化したシステムの歪みと軋み。細美武士は2010年の時点で、それを「今もせまり来る束縛や抑圧」としてきっちりと射程に収めていたのだと、僕は思っている。

その証拠となるのが、前作アルバム『ANOMALLY』の中に収録された“ベテルギウスの灯”という曲だ。この曲の歌詞について彼はこのように語っている。

超新星爆発を間近に控えたベテルギウスは、実は天体自体はすでに爆発してなくなっていて、いまこの地球にはその過去の光だけが届いているのではないかとも言われていて、もう存在しないかも知れないこの星を、古びた権威とか、過去の封建的なもの、少し前の時代に正気だったものを今でもあたかも正気であるかのように運んでくるものの象徴として登場させました。そういう目に見えない抑圧のようなものに対する抵抗が、自分の基本的な行動原理の根底にあるんじゃないかと思います。

(同『PAPYRUS』より)


アルバム『A World Of Pandemonium』も、基本的にはこの「ベテルギウス」VS「猟犬」のストーリーが描かれている。サウンドが有機的になったのと引き換えに、言葉はより直接的になり、歌はパンク的なシャウトから生々しい体温の伝わる“息吹”のようなものへと近づいた。表現方法とアプローチは変わったが、音楽を通して辿り着こうとしている核心は何一つ変わっていない。

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カゲロウと優しい嘘

アルバム『A World Of Pandemonium』の中核をなす一曲に、5月にEPとしてリリースされた「Bittersweet / Hatching Mayflies」という曲がある。実は、この曲を最初に聴いたとき、僕はとても不思議に思った。これまでに書いてきた細美武士のアプローチを踏まえて考えると、「Bittersweet」という言葉は、いかにも不自然に思えたのだ。「ビタースウィート」=「ほろ苦い甘さ」は、大人の味だ。

大人というのは、時に抑圧や束縛として機能する社会のルールを「まあそういうもんだよね」と受け止め、次の世代にそれを受け渡す役目を持った人間のことを指す。そういう意味では、極めて社会的に真っ当な存在であるのも事実。しかし、それによって損なわれてしまう人間の自由や本能を一貫して歌い上げてきたのが細美武士というミュージシャンである。もし、細美武士が「ビタースウィートな気持ち」「大人になるということ」を称揚するためにこの曲を書いたとすると、それは彼がこれまで歌ってきたことと真っ向から矛盾する。その一貫性は損なわてしまう。

では、細美武士は「Bittersweet」という言葉にどんな意味を込めたのか――。それを考えるためには、タイトルに掲げられたもう一つの言葉である「Hatching Mayflies」(=孵化するカゲロウ)の意味するところがヒントになる。

「Bittersweet / Hatching Mayflies」は、希望についての歌だ。この曲の歌詞はこう始まる。

Hope to me was a big red balloon
Deflating slowly and still stuck to the celling
("僕にとって希望って ゆっくりとしぼみながら
それでも天井にくっついたままの 大きな赤い風船だった")


そして、歌詞の中では「僕にとっての希望」の比喩が積み重ねられていく。

「うたた寝したときに見た ぼやけた人影みたいなものなんだ」。
「ある日差しの強い日に捨てられちゃった 古びた熊のぬいぐるみだった」。
「水たまりに浮かんだ ガソリンの虹みたいなものなんだ」。


このすべての比喩に共通するのは、どれもあっという間に消えてしまうものということ。ゆっくりとしぼんでいく赤い風船も、捨てられた熊のぬいぐるみの記憶も、ぼやけた人影も、ガソリンの虹も。形を保っていられるのは、一瞬のことでしかない。とても儚い。

しかし、歌詞の中には、もう一つ「儚い」ということを象徴する言葉が出てくる。それが曲タイトルにもあるMayflies(=カゲロウ)。一日だけの命しかもたない、か弱い昆虫だ。ちなみに、日本語名は揺らめいた空気がぼんやりと見える「陽炎(かぎろひ)」に由来するという。そこから思い浮かぶイメージをつなげると、この曲で歌われている「カゲロウ」こそが「希望」を象徴するメタファーの役割を担っていることがわかる。

そして、曲後半に決定的な一節がある。

I know It’s fine
Some of these mayflies
As they hatch in brackish streams
(”大丈夫だってわかってる
かげろうたちの中には
汽水の流れに孵化するものがいるように”)


カゲロウの幼虫はすべて水中で生活し、河川のきれいな流域に生息するとされている。
しかし、その中には、汽水域で孵化する種もある。濁りのない淡水の中だけでなく、河口近くで川の水と海の水とが入り交じる場所でも、カゲロウは育つ。だから、大丈夫。それがこの曲のステートメントだ。

振り返る形で曲の前半部の歌詞を見ると、そこではこう歌われている。

I know it’s fine
And all these good lies
As if woken from my sleep
(“大丈夫だってわかってる
たくさんの優しい嘘に囲まれながら
まるで眠りから起こされるように“)


ここで歌われている「good」と「lies」を象徴するものが、すなわち、それぞれ上の比喩の汽水域における「淡水」と「海水」なのだと思う。

細美武士は、この曲についてラジオなどで「矛盾語法がいろいろ登場する曲なので、矛盾語法のタイトルをつけた」、「でも、本脈のタイトルはまた別なので二つの言葉がついている。」と語っていた。「矛盾語法」というのは、撞着語法とも言われる修辞法。常識的には両立しない二つの矛盾する表現をぶつけることによって新たな意味を作り出すレトリックだ。たとえば「公然の秘密」とか「黒い光」とか、そういう表現のことを言う。「good lies」もそのうちの一つ。つまり「Bittersweet」は、そういう矛盾語法を駆使した曲であるということを示すためのタイトルになっている。

それを踏まえると、この曲が何について歌っているのかが、ようやくハッキリする。
ソーシャル・メディア以降の誰もが発信者となった今、何が正しいか、何が間違っているのか、何が善いことで何が悪なのかを一つ一つ腑分けすることは、本当に難しい。ほとんど不可能と言っていいと思う。一人のリーダーに導かれるのではなく、一つの大きな物語やシステムもとうの昔に後退し、それぞれが思い思いに自分自身の意思と感覚に従って行動し、それがネットワーク化されて一つの巨大な力として立ち上がるようになった2011年。誰もが自分自身の「good」=「正義」を掲げ、それとそぐわないものを「lies」=「嘘」として退ける。そういう個人の価値観がカオスのように入り混じり、混濁する社会。すなわち『A World Of Pandemonium』(=大混乱の世界)。でも、大丈夫。だってそこでもカゲロウは孵化することができるから。それが、この曲で歌われていることだ。


***


ズコッティ公園を離れ、再び地下鉄に乗ってタイムズスクエアに向かった。

街は、ホリデイシーズンを前にした喧騒に沸き返っていた。辺りを囲むビルには巨大な電光掲示板がとLEDスクリーンが何面も設置され、賑やかな広告が夜を照らしていた。目がくらむような眩しさ。僕にとっては、もちろん初めて訪れる場所だったけれど、ふと、何故か見知った場所のような気がした。そこは渋谷・ハチ公前のスクランブル交差点だったし、新宿・歌舞伎町のコマ劇場前広場だった。

通りには人があふれ、クラクションが鳴り響いていた。いつの間にか背負っていたカバンの重みを強く感じ、自分がひどく疲れていることに気付いた。ヘッドフォンを装着して、この曲を聴いた。

ひょっとしたら、この先、混沌を前に砂を噛むような気持ちに包まれることもあるかもしれない。嘲笑と悲観と無関心のノイズに心が削られるような思いをすることもあるかもしれない。でも、きっと大丈夫。そういう時のために、the HIATUSの音楽から受け取った「Hatching Mayflies (in brackish streams)」という言葉を、おまじないのように持っておこうと思う。



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(2011/11/23)
the HIATUS

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ジャーナル「Knowledge Chair 」
http://www.facebook.com/pages/Knowledge-Chair/241006122608324?sk=info
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に寄稿した文章です。