日々の音色とことば

usual tones and words

長瀬弘樹くんのこと

本当は「2012年の音楽シーンは――」みたいな未来の展望の話を今年の一発目の更新に書こうと思って心のなかで準備していたのだけれど、あまりに悲しすぎるニュースが飛び込んできたので、書かざるを得ない。すいません。

 作曲家の長瀬弘樹さん(36)が今月4日、東京都調布市の自宅マンションで死亡していたことが警視庁調布署への取材でわかった。

 同署は現場の状況などから、自殺を図ったとみて詳しく調べている。

 同署幹部によると、長瀬さん宅を訪れた知人が発見し、同署に届け出た。室内からは遺書が見つかったという。長瀬さんは、人気歌手の中島美嘉さんなどの歌を作曲していた。

(2012年1月7日01時18分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20120107-OYT1T00103.htm

本当に悲しいし、残念な思いで一杯になっている。一報を聞いて、胸を抉られたような衝撃があった。これを書いている今も、まだ冷静にはなれていない。僕にとっての彼は「中島美嘉さんなどの歌を手がけた作曲家」というよりも以前に「大学時代の友人」だった。互いの家に遊びにいくほどの深い関係ではなかったけれど、あの頃に聴かせてもらった曲は段違いの才能を感じさせるもので、僕は素直にすごいなと思っていた。もう15年も前のことだ。

ソロシンガーとしてデビューした時にはもっと飛躍するだろうと思っていたから、その後方向性を変え、職業作曲家として目に見える形で成功を果たしたのは、素直に嬉しかった。

最後に会ったのは何年か前。会うのは大抵ライヴハウスのような場所だったから、面と向かってじっくり話すような機会はあんまりなくて、「すごいね」とか「あれ、聴いたよ」とか「お互い頑張ろうね」みたいな話しかしてなかったと思う。

久しぶりに彼とやり取りしたのは、去年の春、ツイッター上でのこと。震災よりは後だったと思う。彼はツイッターのアカウントも消して亡くなったから、本当はこんなことを書くのは故人に対して失礼にあたるのかもしれない。(だからひょっとしたらこの記事も後で消すかもしれない)。ただ、僕は彼との話を忘れたくないから、書いておきたい。

それはツイッター上での再会だった。「音楽がなければ死ぬなんてことは戯言だ、音楽がないと生きていけないなんて言う人を信じない」と揶揄するようにツイートした誰かと、論争めいた言い合いをしている人がいた。それが久々にオンラインで見かけた彼だった。もちろん、彼はそれに反対する立場だった。

僕は、彼に「音楽に生き延びさせてもらった人を沢山見てきた立場として同意と共感するよ」、ということをツイッターのメンションで伝えた。たぶん震災後の情緒も多分に含まれていたとは思うけれど、それは本心。彼は、久しぶり、ありがとう、と応えた。そして、きっと高校生の自分は音楽に出会わなかったら自殺していただろう、生き延びれなかっただろうと、「w」をつけて冗談めかしながらツイートした。

その時の記憶が強く残っているから、ニュースを観て、とても心が乱れている。正直な気持ちを言うと、とても辛いし、悔しい。僕は高校生の頃の彼を知らない。でも、その時と同じように、生き延びてほしかった。

そして、彼と同じように「生き延びた」思春期の記憶を持っている他のすべての人も、生を選び続けてほしい。そう強く思う。

去年末につぶやいた他愛のない僕のツイートを彼がリツイートしていた。その前後の彼のタイムラインから伝わってきたのは、紅白を観て、お餅をつまらせる老人について呟いて、つまりはごく普通の年末年始の日常風景。突然の断絶にはきっと何かがあったのだろうけれど、僕はそれについて考察したりもっともらしい理由を当てはめるようなことはしたくない。

ただ、彼の心が安らかであることを願う。

冥福を祈ります。