日々の音色とことば

新刊『ヒットの崩壊』が出ました。

アジカンと「バックビート問題」(その1)〜武道館公演から見えた「黄金律」


BEST HIT AKGBEST HIT AKG
(2012/01/18)
ASIAN KUNG-FU GENERATION

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先日アジカンの武道館公演を観てからずっと考えているのが、「表拍=ダウンビート」と「裏拍=バックビート」に関しての話。今の段階での僕の考えをまとめておこうと思う。

彼らの楽曲の最大の魅力は「歌メロのリズムと抑揚」にある、と僕は思っている。それが、彼らの持つポップさの由来になっている。

もちろん、10年以上の長きにわたって活動しているバンドであるから、一つの要素で語りきれるような音楽性であるわけはないのは承知の上だ。しかし、僕の観測している範囲内では、彼らの音楽性はざっくりと「パワーポップ〜ギターロック〜エモ」というジャンル名で括られて、そこから先については、あまり踏み込まれていない印象がある。音楽雑誌のインタヴューでは、新作のモードとか、歌詞についてとか、フロントマン後藤正文のシーンに対しての意識とか、そういう切り口で語られることが非常に多い。ただ、00年代のドメスティックなロック・シーンに大きな影響を与えていた存在の割には、その楽曲構造の分析が、あんまり成されていないなあという気がする。

で、そのことに改めて気付いたのが、こないだの『BEST HIT AKG』を踏まえた武道館公演だった。アルバムのリリースを受けたツアーとは違って、各時期の楽曲を並べた選曲のライブ。だからこそ見えてきたことがあった。

ライブ終了後に、僕は以下のようなことをツイッターで書いた。



ちなみに、この日のライヴレポートはこちら。
http://natalie.mu/music/news/65436(ナタリー)
http://ro69.jp/live/detail/64484(RO69)
http://www.excite.co.jp/music/report/1203_akg/(エキサイトミュージック)

この日、僕はステージよりも客席を重点的に観ていた。おそらくお客さんや関係者を含めてそんな見方をしていた人は他に殆どいなかった。我ながらどうかと思う。何故そんなことをしたかというと、オーディエンスがどこのタイミングで「拳を上げる」のか、「1,2、3,4」のどの拍にあわせて手拍子を打つのかを見定めることで、アジカンの楽曲が持つ特異性を見定めることができるんじゃないか?ということを思っていたから。

そして、なかなかに興味深い発見があった。


「バックビート問題」

で、ここからちょっと話題が変わる。日本のロックシーンは、ながらく「バックビート問題」に向き合っている。

……なんて書いたら、言い過ぎか。「バックビート問題」というのは今作った言葉だし。ただ、昔からよく言われることに「演歌や歌謡曲のノリで育った日本人は、アメリカ人やイギリス人に比べて、どうしてもファンクやロックで重要な裏拍のアクセントを取りづらい」というものがある。

ここで言う裏拍というのは一体何か。アフタービート、アップビート、バックビート、いろいろな言い方があって定義が曖昧になってしまうんだけれど、まずはwikipediaの定義から。

バックビート(back beat)とは、ポピュラー音楽の大半の曲で使われる四分の四拍子の曲で使われるスタイル・テクニックで、二拍目、四拍目にアクセントを置くスタイルのこと。
(wikipediaより)

要は、本来4拍子の「2,4」にアクセントを置くような音楽にも「1,3」もしくは「1,2,3,4」でノッてしまうのが日本人には多い、ということ。これを理解できないから、日本人には“ホンモノのロック”がわからない、という論調が、多くある。


確かに僕自身も同じようなことを実感することは多い。たとえば、数年前にローリング・ストーンズの武道館公演を観た時に、まるで宴会やカラオケでのお囃子のように手拍子を叩く年配のお客さんたちを観て、そういうことを思ったこともある。しかし、そこから乱暴に、「1,2,3,4」の表拍でしかノレないのが演歌や歌謡曲のファン、「2,4」のバックビートでノれるのがロックファンみたいなことを言うのは、ちょっと早計に過ぎるんじゃないだろうか。

それが、アジカンのオーディエンスを見ていて思ったことだった。


武道館で「拳が上げられた」のはどの拍か


以下は、僕がライヴを見ながらとったメモに基づく、「お客さんがどこの拍で拳をあげていたか」の記録。もちろん目視によるものを急いでメモったので、正確性には欠ける。照明が暗いときは見えなかったし、そもそもあの場にいた人で「俺は違う!」という人もいると思う。ただ、一つ言えるのは、武道館のオーディエンスは決して「バラバラにノッていた」わけではなかったということ。ほとんどの曲で、大多数のお客さんが揃って拳を振り上げていた。それが以下の記録だ。

01. 迷子犬と雨のビート
(照明の加減でよく見えず)
02. Re:Re:
(上に同じ)
03. アンダースタンド
Aメロは「…ッ・タタ、…ッ・タ」の拍手。Bメロは「1,3」。サビは「1,2,3,4」)
04. 君の街まで
Aメロは拳なし。Bメロ〜サビは「1,3」)
05. 夜のコール
(照明暗く見えず)
06. アフターダーク
(イントロ「2,4」、Aメロ拳なし、Bメロ「1,3」、サビ「1,2,3,4」)
07. 或る街の群青
(イントロ〜Aメロ拳なし、Bメロ〜サビ「1,3」)
08. ブラックアウト
(イントロ〜Aメロ拳なし、Bメロ〜サビ「1,3」)
09. サイレン
Aメロ拳なし、サビ「1,3」)
10. ソラニン
Aメロ「2,4」で拍手、Bメロ拳なし、サビ「1,3」)
11. 月光
(照明暗く見えず)
12. マーチングバンド
(照明暗く見えず)
13. 惑星
Aメロ「2,4」、Bメロ〜サビ「1,3」)
14. 融雪
(イントロ〜Aメロ「2,4」、サビ「1,3」)
15. 藤沢ルーザー
Aメロ「2,4」、サビ「1,3」)
16. リライト
(イントロ「2,4」、Aメロなし、Bメロ「1,3」、サビ「1,2,3,4」)
17. ループ&ループ
(イントロ「2,4」、Aメロ「1,3」、サビ「1,2,3,4」)
18. 君という花
(イントロ「2,4」、Aメロなし、Bメロ「1,3」、サビ「1,2,3,4」、大サビ「1,3」、アウトロ「2,4」)
19. さよならロストジェネレイション
(イントロ「2,4」、Aメロ拳なし、サビ「1,3」)
20. 転がる岩、君に朝が降る
Aメロ拳なし、サビ「1,3」)
21. 海岸通り
(照明暗く見えず)

EN1-01. 踵で愛を打ち鳴らせ 以下は省略

こうしてみると、明らかに一つの傾向が浮かび上がる。箇条書きで書くと以下のようになる。

・イントロでは、ほぼ「2,4」のタイミングで拳があげられる
Aメロは、曲によって様々。お客さんが拳を上げず、ゆらゆらと身体を揺らして聴いているタイプの曲もある。
Bメロでは、ほぼ「1,3」のタイミングで拳があげられる。
・サビでは、「1,3」もしくは「1,2,3,4」のタイミングで拳があげられる。


つまり、ほとんどの曲で、お客さんは曲のパートによって「どこで拳を上げるか」を変えているということになる。

その一例が“君という花”だ。この曲ではフロアの拳の上がるタイミングはめまぐるしく変わる。イントロでは「2,4」で「オイ! オイ!」コールが起こるほど大きく拳が上がる。普通だったらそのまま「2,4」で拳が上がり続けるはずなのだが、Aメロで一度拳は上がらなくなる。そしてBメロではタイミングが「1,3」となり、さらにサビで「1,2,3,4」に変わる。

ちょっと文字だけではわかりづらいと思うので、それを踏まえてこの動画を。


通常、アーティストがステージ上で手拍子を打ったり客を煽ったりするとオーディエンスがそれに合わせるという傾向もあるのだけれど、アジカンの場合はそれも少ない。ということは、オーディエンスは「自分の上げたいタイミングで拳を上げている」ということになる。つまりそれが、一曲の中でクルクルと変わるというわけだ。オーディエンスの「拳の上げ方」でこういう光景が見られることは、あまりない。さらに言うなら、彼らのようにライヴのほぼ全ての曲でそういう現象が見られることは、かなり珍しい。

そしてこれは場の雰囲気として体感したのだが、メンバーの演奏が伝える拍のアクセント=「グルーヴの重心」も、「お客さんがどこで拳を上げるか」と、かなり合っている。同じ4つ打ちのビートでも、イントロでは「2,4」に、サビでは「1,2,3,4」全部に重心があるようなプレイをしている。



リズムが象徴するアジカンのポップ性

実は、アジカンの持っている「歌謡性」と「ロックバンド性」のバランスも、このリズムのあり方が象徴しているのではないかと思う。彼らのメロディは決して“甘いメロディ”ではない。むしろエモーショナルな、センチメンタルなものが多い。けれど、彼らの楽曲のポップ性は、リズムによってもたらされている。

そのキーとなるのが「バックビートに重心のあるギタープレイ」と「ダウンビートに重心のある歌メロ」の組み合わせだ。これが『イントロでは「2,4」、サビでは「1,2,3,4」で拳を上げさせるような楽曲のリズムのあり方』を生み出している。

これが、僕が武道館公演から感じ取ったアジカンの「黄金律」だった。

で、何故「ダウンビートに重心のある歌メロ」が歌謡性=ポップなのか。これは“リライト”とAKB48の“ヘビーローテーション”とを比較することで見えてくるものがあると思っているんだけど、この話はまた今度。