日々の音色とことば

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『おおかみこどもの雨と雪』が描いた母性について

『おおかみこどもの雨と雪』を観た。




(以下、ネタバレ要素は含んでいませんが、作品に関して全く情報を持たずに鑑賞したいという方は気をつけてご覧ください)


なんだか、とても温かいものを受け取ったような感覚。それが第一印象。そして、感服したのは王道のエンタテインメントとしての堂々とした完成度だった。細田守監督がどこまで意識したかはわからないけれど、『となりのトトロ』や『もののけ姫』に匹敵するような、後々まできっと日本人の文化的DNAに刻み込まれるような傑作だと思う。

こないだの『サマーウォーズ』がそうだったように、映画はきっといずれテレビで繰り返し、繰り返し放送されるだろう。その時その時の親子が、“おおかみこども”に出会うだろう。でも、この映画を映画館で観るべき理由が、一つだけある。

それは、このお話がどこか遠い国のファンタジーではなく、2012年の「今、ここ」を舞台にしている、ということ。

「人間であり、オオカミでもある“おおかみこども”の成長や自立、子育てに奮闘する母の13年間を丁寧に描いた作品」

それが、『おおかみこどもの雨と雪』のストーリーだ。気になるのは、その「13年」が一体いつからいつまでの「13年」なのか、ということ。その答えは作中には明示されてはいない。けれど、あるアイテムに着目して注意深く見ると、それが大体いつのことであるのか推測できる。詳しくは映画を観た人が発見してほしいけれど、少なくとも、この映画はどこか遠い国のお伽話ではない。『コクリコ坂から』や『三丁目の夕日』のような「かつての(幻想の)日本」でもない。

細田守監督は、『サマーウォーズ』でも、劇中に登場する「上田わっしょい」という祭りの開催年月日を「平成22年7月31日」と、わざわざ記していた。おそらく、監督は意識的に映画に時代性を焼き付けている。


そして、主人公の花は“おおかみこども”をどう育てたか。大事な台詞が、予告編に取り上げられている。

「みんながオオカミを嫌っても、おかあさんだけは、オオカミの味方だから」


この言葉が、映画をつらぬく「母性」を象徴している。世界中を敵に回しても、最後まで子供の側に立つのが母だ、という。子供にとっての「戻ってこれる場所」が母親なのだ、という。

そして、花の母親としてのスタンスは、一時代前にあったような「いい学校に進んで、いい会社に入って〜」というようなものとは対極だ。子供の進むべき道や、子供にとっての幸せを、母親である自分が決めたり、押し付けたりするようなことはない。それが母としてあるべき姿なんだと、花は物語を通して気づいていく。

“おおかみこども”はあくまで架空のキャラクターだけれど、それを一つのメタファとして捉えると、いろんな人が「これは自分の物語だ」と思いながら映画を観ることができると思う。そのことが、この作品をとても感動的なものにしている。


そして何より素晴らしいのが高木正勝さんの音楽と、アン・サリーさんが歌う主題歌「おかあさんの唄」。劇中に流れる音楽の包み込むような柔らかさと優しさが、そしてアン・サリーの温かい歌声が、「花=宮崎あおい」の物語であった映画を、あまねく「おかあさん」の物語にしていると思う。



劇場公開映画「おおかみこどもの雨と雪」オリジナル・サウンドトラック劇場公開映画「おおかみこどもの雨と雪」オリジナル・サウンドトラック
(2012/07/18)
高木正勝

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映画「おおかみこどもの雨と雪」主題歌 「おかあさんの唄」映画「おおかみこどもの雨と雪」主題歌 「おかあさんの唄」
(2012/07/11)
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