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日々の音色とことば

新刊『ヒットの崩壊』が出ました。

ももクロとでんぱ組.incと大谷ノブ彦ANNと「熱量」についての話

カルチャー

ダイノジ大谷ノブ彦ANN


■「熱量の生まれる場所」とはどこか

先週4月10日、ダイノジ大谷ノブ彦さんのオールナイトニッポンで、このブログのことを紹介していただきました。

なにそれ超嬉しい。光栄です。

ここのところ書きたいことばかりたまって更新が追いつかずにいたんだけど、どんどんアウトプットしていかなきゃな、と改めて思った。なんか背中を押されるような気持ち。

というわけで、今日書こうと思うのは、まさにその番組「ダイノジ 大谷ノブ彦オールナイトニッポン」でのキーワードの一つになっている「熱」について。「熱量」って一体なんだろう?ということについて。

番組のコンセプトは「洋楽で世界を変えるラジオ番組」。その語り口の特徴は、とにかく“熱い”ということ。以下の記事でも、裏番組の「JUNK 山里亮太の不毛な議論」と比較して、そのことが語られている。

裏番組を担当する南海キャンディーズ山里亮太は、時に好きなアイドルについて熱く語ることがあるが、その中には必ず自分自身をも冷笑する冷めた視点が所々登場し、その熱は自虐的な笑いへと昇華される。つまり、芸人ラジオの中で珍しく熱さを感じさせる山里のラジオであっても、結果として熱さ一辺倒ではなく、主観的な熱さと客観的な冷静さの間から笑いが生まれる構造になっている。

「笑いなき芸人ラジオ」という前代未聞の問題作『ダイノジ 大谷ノブ彦のオールナイトニッポン』 - 日刊サイゾーhttp://www.cyzo.com/2013/04/post_13058.html

ここでは、「熱量」は主観性から生まれる、と書かれている。俯瞰した視点からではなく、好きなものを好きなように語るということ。心奪われたものに夢中になるということ。スノビズムではなく、自虐や嘲笑でもなく、その対象に思い入れ、「あえて」ではなく「マジ」で熱中するということ。

マキタスポーツさんの著書『一億総ツッコミ時代』の言葉を借りるなら、ブログやツイッターなどの普及で日本人のほとんどが「ツッコミ体質」を持つようになった現代、「何かに夢中になること」こそが「熱」を生む、ということなのだろう。ハミ出した何かに指をさして笑うのではなく、むしろ自らが積極的にハミ出していこうという気概である。


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そこはすごく共感する。ただ、上記の記事では、こうも指摘されている。

「熱さ」と「面白さ」は、必ずしも直結するものではない。すべてはその熱がどう生まれ、どう使われるかによる。

実は、僕の中でも「熱量」というのは、要注意ワードの一つだったりする。端的に言えば、熱さがあれば、夢中なら何でもいい、って思ってるわけじゃないってこと。

「熱量」イコール「本気で取り組むこと」「夢中になること」なんていう風に単純に結びつけたら、ブラック企業の研修だって熱のカタマリになってしまう。僕が惹かれてるのはそういうものじゃない。あくまで僕が面白いと思うのは、常識や既存の価値観の枠組みをハミ出してしまうもの。普通に考えたら「ありえない」ものを、何故か「アリ」にしてしまうもの。

そういうエネルギーが発生する場所が、「熱量の生まれる場所」なんだと思う。

でんぱ組.incが体現する「現代のカオス」


MARQUEE96.png


で。実は、ちょうど僕自身、そういうテーマについて、ここ最近ずっと考えていたのです。

きっかけは、でんぱ組.incのライヴを観たこと。先日に出た雑誌『MARQUEE』の表紙巻頭特集に、そのことについて書いた文章を寄稿しました。引用します。

 でんぱ組.incZEPP TOKYOでのライヴを観て、めちゃめちゃ胸を揺さぶられた。思わず呼吸が締め付けられるようだったし、すごく痛快だった。間違いなく、とんでもない熱があった。あれは何だったんだろう。しばらく考えた。最近ではアイドルの現場に足を運ぶことも多少は増えて、全てを捧げて応援するようなお客さんたちの熱気を体感することも多くなってきた。いつも「すごいなあ!」と思うし、あそこのフロアにもそういうムードは当然あったけど、それだけじゃない何かがあった。目を丸くするくらいの驚きがあった。で、しばらく考えて、そこにあった熱量の核心は、僕がロックという音楽に求めている本質に近いモノなんだと気付いた。簡単にいえば、それは既成概念を覆すエネルギー。マイナスをプラスに、裏を表にする無理矢理の力技。アップサイド・ダウン、インサイド・アウト。これまでのナシを何故かアリにする「今までに見たことないモノ」。それが音になり、人そのものと分かちがたい形でパワーとなって放たれている状態。もしそういう音楽に10代で出会ったらビリビリと感電するくらいの衝撃を感じると思う。
(中略)
要は一言でいえば「カオス」なのがでんぱ組の魅力だと思うわけです。ワチャワチャしてる。見せ方にしても、キャラクターにしても、音楽にしても、今までにないミクスチャーになっている。そもそも、プロデューサーのもふくちゃん(福嶋麻衣子さん)自身が、そういう人生を歩んできている。音楽エリート教育を受けそこからドロップアウトしたかと思えば芸大でノイズにハマったという極めてハイカルチャーな経歴。「萌え」をポップアートとして読み替え、秋葉原という街を日本のカルチャー発信拠点として捉えライブハウス&カフェやクラブを経営する実業家でもある。そうやって考えると、たとえば60年代のニューヨークにあったアンディ・ウォーホルとヴェルベット・アンダーグラウンドに類似した関係性をもふくちゃんとでんぱ組に見出すなんてことも、できる。
 「ロックは死んだ」。
 セックス・ピストルズ絶頂期に、ジョン・ライドンはこう言った。この有名なセリフはつまり、生物学的な「死」じゃなくて、熱力学的な「死」のことを意味しているんだと思う。ジャンルとしてロックが死んだってことじゃなくて、ロックにおいては一つのスタイルが完成すると熱が拡散してしまう、ということ。型にハマると、中身をかき回していないと冷めてしまう。「こういうことやったら◯◯らしくなくなっちゃう」なんていう守りの姿勢が形骸化を呼び、熱を失わせる。そういう意味で、ロックは何度でも死ぬ。そして新しい熱が何度でもロックを生まれ変わらせる。
 でんぱ組を見てるとその意味がよくわかる。今の彼女たちを中心に、様々なフィールドを巻き込んで「なんだかよくわからない化学反応」が生まれまくっている。考えてみたら、モッズだって、パンクだって、マッドチェスターだって、いつもそうだった。音楽とファッションとアートと、普段は交わらないカルチャーが縦横無尽に混じりあい、そこに熱が生じていたのだった。「これとこれを足せばこうなるよね」っていう正解の見えた方程式じゃ熱力学にならない。「何でもアリ」だからこそ、熱が発生する。

今年の4月7日に日比谷野外音楽堂にて行われた<カオスフェス2013>なんかも、まさに「なんだかよくわからない化学反応」そのものだった。


でんぱ組.incのプロデューサーの「もふくちゃん」こと福嶋麻衣子さんが旗を振り企画したこのイベント。出演陣は、でんぱ組.inc、BiS、cinema staffgroup_inou、台湾のモッズバンド旺福(Wonfu)、そして灰野敬二率いる「孤高のノイズバンド」不失者。DJをつとめたD-YAMA(MOGRA).は、セットチェンジ中にもハイテンションなアニソンをかけまくる。

アイドルとロックバンドとヒップホップとアニソンと、何もかもがごちゃ混ぜになって進行していく祭りのステージ。しかし灰野敬二さんが鳴らした暴風雨のようなノイズが最後に全部を吹き飛ばしたような。

すっごい面白かった。

ももクロとオズフェスと多様性

そういえば、最近にもこんなニュースがあった。ももいろクローバーZの「Ozzfest Japan 2013」への出演が波紋を呼んでいる、というニュース。

ももクロが出るなら行かない」「チケット代を返してほしい」「アイドルがオズフェスに出るのはどうかと思う」といった内容の厳しい書き込みが、ツイッターやオズフェスのFacebookページなどSNSに寄せられている。

ももクロのオズフェス出演に異議あり アイドルが出演するってどうなの? (IBTimes) - エンタメ - livedoor ニュースhttp://news.livedoor.com/article/detail/7598950/
いやいや、全然アリでしょう、と僕なんかは思うわけ。

もちろん、何かに夢中になるほど好きなものがある人が、それ以外のものに排他的になる気持ちはわかる。そういう心の動きが生じるのは必然的だと思う。サブカル的な面白みを拡大していったらメインストリームを飲み込むくらい巨大なものとして膨れ上がった今のももクロは、そういう風に叩きたくなる好対象だと思う。

でも、今年のはじめにも書いたけど、僕はもう、何かを揶揄したり叩いたりするような物言いには与したくないなあ、という思いがあるのですよ。だって日本の音楽シーン、面白いから。あそこまで奇妙でコアで様々な元ネタが詰め込まれまくったアルバムの『5TH DIMENSION』がダントツでチャートの1位になる国というのは、やっぱり面白い国なんじゃないかと思うし。で、そこを掘っていけば、いろんなカルチャーへの扉が開かれているし。

で、ももクロが名実ともにサブカルではなくメインストリームのど真ん中に躍り出た以上、それに対してのカウンターも徐々に現れてきていると思う。僕としては、ceroやスカートや昆虫キッズやシャムキャッツや、東京のインディーシーンを賑わすバンドたちに、そういうムードを感じたりもしている。

とにかく。

「熱さ」と「面白さ」が結びついたときに生じる、「なんだかよくわからない化学反応」に、僕は惹かれ続けているのです。