■ガラパゴス化した環境で「浮世絵的な進化」を遂げたJ-POP
今のJ-POPはすごく面白い。僕はここ最近、そのことをつくづく感じている。その理由はシンプルで、日本の音楽シーンが「ガラパゴス化」してるから。それも、いい意味で。
ビルボードのTOP10がオーストラリアでもシンガポールでも同じようにヘビロテされるような「グローバル化したポップシーン」が世界中を覆う一方、日本だけは違う状況が生まれている。その境目は00年代の中盤にある。そのことについては、以下のコラムでも書いた。
第47回:いつの間にロック少年は「洋楽」を聴かなくなったのか? | DrillSpin Column(ドリルスピン・コラム)http://www.drillspin.com/articles/view/526
考えてみれば、はっぴぃえんどが「日本語ロック論争」を巻き起こした70年代初頭から、80〜90年代まで、ロックやポップミュージックの時代性というのは「海の向こうで何が流行っているか」という視点とは切っても切れないものだった。アメリカやイギリスで生まれた新しい音楽のスタイルが少し遅れて日本でも花開く。そういうムーブメントのあり方が当たり前だった。でも、00年代以降、そこが切り離された。ロックだけでなく、ボカロ、アニソン、アイドルポップの市場が拡大し、日本の音楽がユニークな進化を遂げる土壌が生まれた。
そのことで、日本のポップミュージックはどんな進化を遂げたのか。一言でいうなら、情報量が多くなった。つまり、メロディーや曲展開がすごく細密化・複雑化した。どんどんそういうモノが受けるようになった。僕はそう思う。たとえばその象徴がマキシマムザホルモンと「もってけ!セーラーふく」。そういう話を以前した。
マキシマムザホルモンというロックバンドのやっている音楽は、音の情報量の多さという意味で、アニソンで言うならば『らき☆すた』の「もってけ!セーラーふく」と比較対照して語れると思う。「もってけ!セーラーふく」って原曲はブリティッシュ・ポップみたいな全然別物の曲だったんだけど、山本寛監督から「日本語ラップにしてくれ」という注文があって、その衝突からあの情報量が生まれてるんです。同じことがホルモンにも言えて、ラウドロックと小室からつながる歌謡のメロディと圧縮されたラップが同居している。
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実はそのことを言ってるのは僕だけじゃない。世界中にファンを持つWEEZERのフロントマンであるリバース・クオモも、同じことを言っている。彼が様々なインタビューでお気に入りに挙げているのが、Perfumeや木村カエラやマキシマムザホルモンなどだ。これは、スコット・マーフィーとのユニット「スコットとリバース」の初アルバムをリリースした時のインタビュー。
日本の音楽はアメリカの音楽より、もっとすごくコンプレックス(複雑)です。インプレッシブ(印象的)なメロディーと、コードチェンジ、キーチェンジ、たくさんアイデアがある。アメリカの音楽は少しシンプル、繰り返す、ちょっとつまらない。日本の音楽が、私に自由をくれます。
日本の音楽が、自由をくれた スコット&リバースインタビュー -インタビュー:CINRA.NEThttp://www.cinra.net/interview/2013/03/19/000001.php
スコットとリバース (2013/03/20) Scott & Rivers 商品詳細を見る |
いまや「J-POP評論家」としても知られる元メガデスのマーティ・フリードマンも、こう言っている。
昔、日本の音楽業界がもっていた洋楽コンプレックスが、いまはまったくなく、作り手も誇りを持って曲作りをしています。それは生み出された音楽のなかに入っていると思うんです。誇るべきですよ! こんなすばらしい音楽業界はないですよ! あえて、ハッピーで。あえて、派手で。あえて、カラフルで。日本の音楽って輝いているんですよ!
マーティ・フリードマンが語るJ-POPの魅力 « GQ JAPANhttp://gqjapan.jp/2012/04/03/j-pop/
世界的なミュージシャン二人がこう語るのを聞いて、ふと思いついた。精巧で、細密で、手数が多くて、カラフルで、日本独自の進化を遂げたもの。これって浮世絵みたいなものなんじゃない?
浮世絵については、チームラボの猪子寿之さんが、こんなことを言っていた。
欧米はコンセプト、アジアは手数に感動するから、今回は世界一手数の多い手描きの絵を目指したんです。
――“アジア人は手数”っていう性質にはいつ気づいたんですか。
たとえば若冲の絵だったり、室町時代の『洛中洛外図』の巨大で精密なジオラマだったり、こういう細かい手業の量が多い作品が好きですよね。絵や彫刻、版画にしたって、技術の行く先は工芸品とかの精緻さ。そこに感動する。「ニコニコ動画」とかみていると、努力値の高いもの、“神作画”って呼ばれるアニメーションの原画のクオリティに対してリアクションがいくし、リスペクトされる。コンセプトに関してはほとんどの人が興味持たない。
東京スカイツリー 巨大壁画『隅田川デジタル絵巻』猪子寿之(チームラボ代表)インタヴュー | STUDIOVOICEhttp://studiovoice.jp/?p=27672
洋楽コンプレックスから解き放たれた00年代のJ-POPは、いわば「浮世絵的な進化」を遂げた。それが、音楽の持つ手数の多さ、細密さ、カラフルさに表れている。それが僕の見ている今のJ-POPを巡る状況だ。
■でんぱ組.inc、じん(自然の敵P)、sasakure.UK、トーマと「メロディーの半径」
じゃあ、たとえばどんな曲がそういう「浮世絵的な進化を遂げたJ-POP」なのか。今のシーンでいうと、そういう感性を一番感じさせてくれるのが、でんぱ組.inc。新曲「でんでんぱっしょん」は、まさにマーティ・フリードマンが言う「あえてハッピー、あえて派手、あえてカラフル」という言葉をそのまま形にしたような一曲。
でんでんぱっしょん(初回限定 CD+DVD盤)(DVD付) (2013/05/29) でんぱ組.inc 商品詳細を見る |
でんぱ組.incとこの曲を書いたWiennersの玉屋2060%については以下の記事でも書いたんだけど、そこについたコメントで「おっ」と思うものがあった。
「音楽メディア」を巡るあれこれ(3) 〜「NAVERまとめ」と、瓦解するプロとアマの境界線http://shiba710.blog34.fc2.com/blog-entry-546.html
http://b.hatena.ne.jp/ja_bra_af_cu/20130512#bookmark-145268974紹介されてる音楽やPVがボカロのランキング上位曲と似た特徴もってて興味深い
確かにその通りなんですよ。僕も、ボーカロイドのシーンにおいて、カラフルで、手数が多くて、複雑で細密なポップミュージックが次々と生まれている実感がある。
たとえば、じん(自然の敵P)。2枚目のアルバム『メカクシティレコーズ』がリリースされたばかり。たぶん今のボカロPの中では最も人気を持つ人の一人だと思う。こういう曲が10代の心にグサグサと突き刺さっている。
じん(自然の敵P)「ロスタイムメモリー」
メカクシティレコーズ (2013/05/29) じん 商品詳細を見る |
同じくロックをルーツにしながら、じん(自然の敵P)に比べてもさらに複雑化した曲展開とメロディーの「手数の多さ」を武器にするのが、トーマ。アルバム『アザレアの心臓』はオリコンデイリーチャート3位を記録している。
トーマ「ヤンキーボーイ・ヤンキーガール」
アザレアの心臓 (2013/04/03) トーマ 商品詳細を見る |
そして、アルバム『トンデモ未来空奏図』をリリースしたばかりのsasakure.UK。彼の作る曲はチップチューンやフューチャーポップの雰囲気。生演奏では表現不可能と言われる人気ボカロ曲を演奏する凄腕バンド「有形ランペイジ」をプロデュースしてるだけあって、彼の作る曲も、情報量の多さ、手数の多さが大きな特徴になっている。
sasakure.UK「トゥイー・ボックスの人形劇場 feat. 初音ミク」
トンデモ未来空奏図 (2013/05/29) sasakure.UK 商品詳細を見る |
それぞれインタビューでは、じん(自然の敵P)は邦ロックとアニソン、sasakure.UKはゲームミュージックと男声合唱、トーマはポスト・ハードコアがルーツにあると語っている。影響を受けた音楽は違っていても、作ってくる曲に「手数の多さ」「メロディの細密さ」という同じ特徴が見受けられる。おそらくボーカロイドというソフトやニコニコ動画という視聴環境のアーキテクチャが大きな影響を与えているんだと思う。だとするならば、これ、間違いなく日本独自の状況だ。
これらの曲を聴いてからアメリカでヒットしているロックバンドの曲を聴くと、リバース・クオモが「日本の音楽は複雑でアメリカの音楽はシンプル」と言う感覚が、すとんとわかるんじゃないかと思う。僕自身はどっちも好きだし、どっちが上だとか優れてるとか言うつもりは全然ないけど、とにかくメロディーの描く弧の半径が全然違う。チョロQとアメ車くらい違う。
Fun.「We Are Young ft. Janelle Monáe」
Imagine Dragons 「 It's Time」
今のアメリカと日本においては、求められている音楽の「メロディーの半径」「手数の多さ」が全然違っている。そのことが、すごく興味深い。
実は、このことに関して鋭い分析をしていたのが渋谷慶一郎さんだった。そのことについても書きたいんだけど、「THE END」の感想とあわせて、これはまた次で。