日々の音色とことば

新刊『ヒットの崩壊』が出ました。

「カゲロウプロジェクト」と中二病と「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」

■楽曲と物語が愛されていたライヴ空間

ライブインメカクシティ
8月15日。じんのワンマンライブ「ライブ・イン・メカクシティ SUMMER'13」に行ってきた。彼のライブが行われたのは2度目のことだけれど、僕が足を運ぶのは初めて。ちょっと衝撃的だった。なんだか、その場に起こっていることに、胸を震わされる感じがあった。

何がそんなに鮮烈だったかと言うと、曲に対してのストレートな思い入れ、物語に対しての愛情が、あの場所に渦巻いていたことだった。フロアを埋め尽くしたファンの多くは10代だったと思う。ひょっとしたらライヴハウスに足を運ぶこと自体が初めてという人もいたかもしれない。僕自身、あそこにあった熱気は、初めて体験する類のものだった。

「あなたがここにいるってことは、知りたいんですよね。あの夏の話――」というナレーションから、ライブは始まる。一曲目は“カゲロウデイズ”。悲鳴のような声援が上がる。ステージは、バンド編成の演奏に歌い手たちが代わる代わる登場するスタイル。セットには「止まれ」の道路標識、信号機など、物語の世界観を象徴する舞台装置が並ぶ。バックには映像が映し出され、曲によっては透明のボードの上で登場キャラクター「エネ」が歌って踊ってみせたりもする。

で、この日のライブを通してすごく印象的だったのが、お客さんたちが挙げる楽曲への歓声だった。もちろん声援はステージ上のじん、バンド、歌い手にも向けられているんだけど、それよりもMCやナレーションで「次に演奏する曲名」が告げられたときに、本当に大きな歓声が上がる。そこに集まっていた人たちは、楽曲とそれが描く多層的な物語に心から思い入れを持っていて、自分でその解釈を深めたりもして、その作り手としてのじんを愛していて、だからこそ、生演奏を通じて物語を共有できたことへの「感激」の感情が放出されていた。


■孤独を通じてバトンを渡す、ということ

で、やっぱり僕がすごく大きいと思っているのが、「カゲロウプロジェクト」は「疎外された子供たち」の物語である、ということ。以下は『MUSICA』の6月号に書いた『メカクシティレコーズ』のレヴュー。あの原稿で書いたことが、そのままライヴの場に展開されているように、僕には思えた。


 最近、誰かに訊かれた。「柴さんはここんとこボカロ関係の原稿とかよく書いてるじゃないですか。あれってどこまで本気なんですか?」。「100%本気だよ? 何で?」。「やっぱ僕とかの世代からすると、どうしてもニセモノっぽい感じがするんですよ」。「まあ、そう感じる人がいるのはわかるけどね。でも、僕は全然そんな風に思ってないよ」。「なんでですか?」「だって、実際に10代の女の子とか男の子が、それを聴いて夢中になってるんだよ? 10代の子が心を揺さぶられて、泣きそうなほどの思い入れを持って肯定してる音楽は、僕は、絶対正しいと思う」。そんな話をした。
 その時に話したのが、じん(自然の敵P)の「カゲロウプロジェクト」のことだった。数いるボカロPの中でも特異な才能と立ち位置を持ったマルチクリエーターの彼。昨年の1stアルバム『メカクシティデイズ』と本作『メカクシティレコーズ』に収録された楽曲は、全てが共通の世界観を持った、一つの物語を構成するための音楽だ。原稿用紙何十枚分の背景を持ったキャラクター設定とストーリーを数分の曲に詰め込んで、その曲を動画にしてニコニコ動画に投稿している。その一つ一つの楽曲が連作した物語になっている。実際、音源のリリースと小説の執筆が同時並行で進み、このアルバムと同時に3冊目の小説が刊行される。いわば、映画の原作と監督と劇伴音楽を一人でやっているような途方もない作家が彼だ。しかもそれを2011年から2年やそこらで実現しているというスピード感。これだけの才能を持った作り手が本気で情報量を詰め込んだ音楽が大きな支持を集めているという状況は、とても象徴的だと思う。
 そして、何より印象的なのが、これが「疎外された子供たち」の物語だということ。ファンタジックな設定はあれど、それぞれの曲の主人公たちに、学校や親、つまり大人たちの社会で上手くやってるようなキャラクターは誰もいない。巻き込まれ、突き放され、うずくまり、傷つき、奔走する。そのキャラクター達の自意識の煩悶をストレートに伝えるスタイルとして、疾走感と音圧と展開の妙をブーストしたギターロックのサウンドが鳴らされている。実際に彼の音楽のルーツの一つにTHE BACK HORNがあるらしいけれど、彼自身は、やりたい音楽性を追求した結果ではなく、あくまで「物語を伝える音楽」としての純度を高めるためにそのスタイルを選んだと公言している。
 そんな「カゲロウプロジェクト」の完結編としてリリースされるのが本作。そのテーマソングとも言える“チルドレンレコード”で、彼は〈少年少女 前を向け〉という歌詞を書いている。本人のツイッターなどの発言はあくまで飄々としてるから、これは僕の推測にすぎないんだけれど、じんという作家には、画面の向こうで半泣きになりながら「神!」と打ち込んでる沢山の10代の表情が見えているんじゃないか、と思う。そういう作り手のことは、何より信頼できる。

で、じん自身も、そういう沢山の声を向き合うことで、変わってきたようだった。最後に彼が歌った“サマータイムレコード”の前には、こんな風にMCで語っていた。

「今日のライヴは忘れてもらってもいいけど、このエネルギーだけは忘れないでほしい。明日を生きるエネルギーになってほしい。そんな希望の歌を最後に演奏したいと思います」

理不尽なんて当然で
独りぼっち 強いられて

迷った僕は
憂鬱になりそうになってさ

背高草を分けて
滲む太陽睨んで
君はさ、こう言ったんだ
「孤独だったら、おいでよ」
(“サマータイムレコード”)

彼の描く楽曲は心のうちに孤独を抱えてる子供たちが主人公で、沢山の人たちがその物語に自分を重ね合わせている。で、彼自身がそのことをよく知っている。インタヴューでは、彼自身が病弱で学校を一年近く休んでいた頃にTHE BACK HORNの『ヘッドフォンチルドレン』に「救われた」「助けられた」と語っている。だからこそ、かつての少年だった自分が音楽から受け取ったものを、バトンを渡すように今の少年少女に届けようと考えているのだと思う。

■14歳の出会い

僕はもう30代も後半のおっさんで、フロアにいた沢山の人たちとは確実に世代が違っていて、だから、冷静な目で観てしまうところは正直あった。バンドの一体感とか、演出とか、まだまだ良くなるポイントは沢山あるなあって、そんな風に分析する目でステージを観ているところもあった。

でも、やっぱり、彼の音楽を聴いてると、何故か自分が10代の頃のことを思い出してしまう。だから、あの曲を聴いて半分泣きそうになってる今の少年少女の気持ちに重ね合わせるつもりはないけど、今の自分の中にもちゃんとかつての子供が膝を抱えていることを感じる。

76年に生まれた自分が14歳のころに出会ったのはニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」と「ロードス島戦記」だった。ブラック・サバスも、クトゥルフ神話も大好きだった。退屈だった授業中には、ノートに自作のファンタジー小説を書いてた。深夜に一人ヘッドフォンで爆音で音楽を聴きながらヘッドバンギングしてたりもした。まだ「中二病」なんて言葉がなかった時代のこと。でも、こうやって改めて書いてみると「中二病」そのものだな。

あの頃の自分は、音楽に救われていたのかな。わからない。でも、僕が今になって一つ言えるのは「中二病」というのは、すなわち「ティーン・スピリット」だったんだろうな、ということ。もちろん、誰かを揶揄するために、蔑むためにそういう言葉を使っている人もいる。でも、その頃に自分を揺さぶったものは、その後も数十年にわたって、自分を牽引し続ける。

「カゲロウプロジェクト」の楽曲を聴いていると、そういうことを考えてしまう。


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