日々の音色とことば

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かくして日本のハロウィンは「現代の百鬼夜行」となった

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■ハロウィンが「キャズムを超えた」のは2012年

 

今年のハロウィンもすごかった。特に都内では、渋谷も六本木も新宿も大混雑で、とんでもない騒ぎになっていたみたい。

 

 

 

 

 

kabumatome.doorblog.jp

ハロウィンは、いつのまにか沢山の人を巻き込んだ狂騒になっていた。大人が仮装して夜の街を練り歩くパーティーになっていた。 30代以上の世代にしてみれば、子供の頃はなかったお祭りが、海外から取り入れられて、少しずつ広まって、定着していく過程を、知らず知らずのうちに目の当たりにしていたことになる。

 

では、その境目はいつにあったのか。いつハロウィンがキャズムを超えたのか。

 

今年はいろいろあって行けなかったけれど、ここ数年、渋谷を定点観測してきた自分としては「ハロウィンがキャズムを超えたのは2012年だった」という説を改めて提唱したい。ソースは当時の自分の実感。

 

あの時、何かが塗り替わった感じがあった。それ以降、2013年、2014年に渋谷で見たのは、その延長線上で人々の欲求の挙動がどんどん拡大していく風景だった。マスメディアがそれを報じるようになり、マジョリティが雪崩れ込んだ。そして今に至る。

 

■都市の「土着の祭」化したハロウィン

 

その萌芽がいつにあったのかは、ライター・リサーチャーの松谷創一郎さんが記事にまとめている。

bylines.news.yahoo.co.jp

 

日本でより本格的に広がるのは、90年代後半からです。具体的にはふたつのきっかけがありました。ひとつは、90年代中期頃から東京中心部を走る山手線の一車両を専有したパーティーです。参加者のほとんどは欧米の外国人で、97年には2人が逮捕されるほどの騒動になりました。もうひとつは、より積極的な地域イベントです。その代表的な成功例は、カワサキハロウィンです。今年で19回目となるこのイベントが始まったのも97年のこと。パレードだけで10万人以上を動員する、大きなイベントに成長しました(※1)。2000年代以降は、地域のハロウィンイベントが東京都港区(六本木)や豊島区(池袋)など、さらに拡大していきます。また東京ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパンなど、ハリウッド発のテーマパークも10月はハロウィン仕様に変化します。

一方、渋谷が大騒ぎになるのは、ここ5年ほどのこと。(中略) 渋谷ハロウィンは、川崎や池袋のような仕掛けはなく、あくまでも自然発生的な現象です。ここ数年のマスコミの注目や、アイドルなどのハロウィンソングのリリースは、あくまでもこの社会現象を後追いしたものなのです。

そうした渋谷ハロウィンという現象は、フラッシュモブと呼ばれるものに区分できます。これは、互いに面識のない多くのひとびとが、ネットで示し合わせて都市の公共空間で起こすイベントのこと。(中略)コギャル、マトリックスオフ、サッカー代表戦――渋谷ハロウィンはこうした文脈を引き、現在は人数的に世界最大のフラッシュモブとなったのです。

 

上記の記事から引用した松谷創一郎さんの分析には、僕も同意。フラッシュモブの発明と、ソーシャルメディアとスマートフォンの普及、渋谷のスクランブル交差点が持つ構造、ウェーイ系・ドンキ文化の拡大、いろんなものが寄与して今に至っている。

 

 一方、加野瀬未友さんは「商業化」という観点から、以下のようにまとめている。

 

d.hatena.ne.jp

 

 

もちろん「商業化」の側面もあるとは思う。秋になると商業施設のディスプレイがオレンジ色ばっかりになるし、カボチャも飾られるし。だから、ハロウィンも「巨大広告代理店の仕掛け」みたいな風に勘ぐる人も多いと思う。

 

ただ、僕の実感としては、ハロウィンは、クリスマスやバレンタインのような「消費を煽るべく仕掛けられたイベント」とは、ちょっと違う気がしてる。前出の松谷創一郎さんが出演していた「WOWOWぷらすと」の番組でも語られていた通り、ハロウィンの盛り上がりって、マーケティングによってトップダウン型で広まった消費の構造とは、ちょっと違う気がしてるのだ。

 

st.wowow.co.jp

  

むしろ、以下のツイートで小田嶋隆さんが指摘する通り「土着の祭」に近い感じがする。それも、ボトムアップで自然発生的なもの。

 

ハロウィンの仮装は、別に誰が何をコスプレしようが自由で、そこに画一性はない。狂熱はあるけれど、同調圧力はない。たぶん、そこは大きなポイントになっている。

 

というか、そもそも海外のハロウィンは「大人が仮装して騒ぐ祭り」じゃない。アメリカでもヨーロッパでも、あくまで仮装する主体はあくまで子供たちだ。 西川貴教さんが指摘する通り「ハロウィンの本来性」みたいなものは、日本においてはとっくに失われている。

 

 

すでに日本のハロウィンは、海外のものとは全く違う祭りに変貌している。〈新しい都市型の土着文化〉になっていると思うのだ。

 

■百鬼夜行と〈都市〉の構造

 

こういう状況を踏まえて、ようやくここから本題。僕としては〈新しい都市型の土着文化〉として定着した日本のハロウィンというのは、いわば「現代の百鬼夜行」になっているのではないか?と思うのだ。

 

そもそもハロウィンというのはケルト人のお祭り。10月31日の夜に亡くなった人の魂がこの世に戻って来ると信じられていたため、悪霊や魔女に憑りつかれないように、仮面を被ったり、魔除けに火を焚いていたという。これって、日本古来の文化に置き換えると「お盆」というよりも「百鬼夜行日」ということになるんじゃないかと思うのです。

 

この世に妖怪や怪異が出現する「特定の日」がある。それに取り憑かれることを避けるために、自ら“あやかし”や“鬼”に化ける。そう考えると、ハロウィンの仮装が「ゾンビだらけ」であることも、すごく腑に落ちる。

 

もうひとつのポイントは、「コスプレをした大人が夜の街を練り歩く狂宴」としてハロウィンが過熱化しているのは、あくまで東京の一部だけだ、ということ。もちろん行事自体は全国に広まっているけれど、ここまでの狂騒になっているのは、渋谷や新宿や六本木など、都市の中心部だけだ。

 

国文学者の田中貴子さんは著書『百鬼夜行の見える都市』で、「百鬼夜行は〈都市〉と切り離すことができない存在である」ということを主張している。

 

百鬼夜行の見える都市 (ちくま学芸文庫)

百鬼夜行の見える都市 (ちくま学芸文庫)

 

 

「百鬼夜行」というのは、古代末から中世にかけて、王都・平安京に頻発した怪異現象。実は、その出現する場所は当時の一条・二条大路に集中していたらしい。つまり、都市の中心部に出現し、徘徊するものが「百鬼夜行」と位置付けられていたということだ。田中貴子さんはこんな風にも書いている。

 

説話は、実際に起こったことを記録したというような素朴なものではない。ある出来事を何ものの仕業と認識し、それを口承ではなく書かれたテクスト化するという行為は、明らかに文化的営為である。〈王権〉が自らの意思を形象化したものが〈都市〉であるならば、たとえ平安末期には理念上の〈王権〉に過ぎないとしても、その中枢である内裏に起こる怪異を記述することがなぜ行われたのか。それは来たるべき崩壊の予感として、〈王権〉と密着した〈都市〉=平安京のひずみを記述することでもあったのである。(『百鬼夜行の見える都市』より引用)

 

ちなみに、この本では「百鬼夜行」を生み出す想像力の源泉となった「夜の都を徘徊するもの」を三つに分類している。一つは疫鬼・疫神。一つは田楽など芸能を行うもの。一つは夜警。この三つがモデルとなって「百鬼夜行」のイメージが形成されたと書いている。

 

これを無理やり現代のコスプレ文化に置き換えると、「ゾンビ」と「キャラクター」と「制服」ということになる。かなり符合するんじゃないかと思うわけです。

 

善と悪、正義と不正は混沌と入り交じり、京の闇のなかに溶け込んでいる状態である。そしてその闇は、人間以外のものと百鬼夜行化した人間とが混在してなおさら濃さを増しているのである。 百鬼夜行のイメージは、こうした闇の暗さに向かった人間が生み出したものなのだ。人の集まるところからきしみながら分泌される体液が〈都市〉の闇の底に蓄積されたとき、百鬼夜行が幻視されるのである。

 

この一節も、『百鬼夜行の見える都市』からの引用。 上の記述は、あくまで平安時代の京の都について描写したものだ。

 

でも、僕としては、それを21世紀の東京という〈都市〉に重ね合わせて考えてしまう。なぜ沢山の人たちが、こぞってゾンビメイクをしてるのか。なぜアンデッドが夜の都に現出しているのか。なぜ「百鬼夜行化した人間たち」が渋谷や新宿や六本木を練り歩いているのか。

 

もちろん一人一人は、自分が「鬼」になっているなんて思ってないと思う。ただただ、楽しんでるんだと思う。キャラになりきって、夜の街に繰り出して、集まって、騒いで、その現象自体を味わっているんだと思う。

 

でも、そのムーブメントを駆動している原理、沢山の人を揺さぶり、煽り、動かしているその根っ子に、何か得体のしれないものがあったとしたら。

 

人の集まるところからきしみながら分泌される体液が〈都市〉の闇の底に蓄積されたとき、百鬼夜行が幻視される。

 

ひょっとしたら、これは平安末期の京都ではなく、2015年の東京で起こっていることなのかもしれない。そんな風に思ってしまう。