日々の音色とことば

usual tones and words

「ポップの予感」第八回 2019年とはどんな年だったのか

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 2019年はどんな年だったのだろうか。

 

 それを振り返るためには、まず「9の年」が持つ、因縁めいた符合について語らなければならない。


ディケイドの終わりには、変革が訪れる。時間の流れは連続で途切れないものだけれど、人々はそこに意味と物語を求める。十年ごとの区切りで時代を語ろうとする。そのムードが積み重なって、やがて、社会そのものの色合いを変えていく。


そしてもちろん、音楽はそこに密接にからみあっている。


たとえば、アメリカのポルノグラフィ業界を描いた映画『ブギーナイツ』には、1979年の大晦日に行われたパーティの模様が映し出されている。「グッド・バイ70s、ハロー80s」。きらびやかで騒々しいそのムードは、時代の空気の一つの象徴だ。1979年と言えば、マイケル・ジャクソンが『オフ・ザ・ウォール』をリリースし、トレヴァー・ホーン率いるバグルズが「ラジオスターの悲劇」で一世を風靡した年。

 

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「もう巻き戻せない。こんなにも遠くまで来てしまったのだから」。

 

そう歌った「ラジオスターの悲劇」では、その後の80年代に起こることが、すでに予言されていた


たとえば、今年を代表する映画の一つであるクエンティン・タランティーノ監督の最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』には、1969年がどんな年だったかが色鮮やかに刻み込まれている。

 

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ウッドストック・フェスティバルからオルタモントの悲劇へ――ヒッピーたちが謳歌した60年代後半のピースフルで牧歌的な空気が大きく変質していく分岐点の一つに、映画が描いたシャロン・テート殺害事件があった。


1989年はもっとはっきりと、世界全体の枠組みが大きく変わった一年だった。北京の天安門広場で暴動が起き、ベルリンの壁が崩壊し、マルタ会談で冷戦の終結が宣言された年。ストーン・ローゼズやニルヴァーナがファーストアルバムをリリースし、フランシス・フクヤマが『歴史の終わり?』と題した論文を発表した年だ。


そんな風に、2019年も、きっと後から振り返れば沢山のことが思い出される一年になるだろう。少なくとも、人々の価値観は、目に見えて、大きく変わっている。家族や友人、仕事仲間との何気ない会話の中でも、そのことに触れることが多くあった。


そして、敏い人はもう気付いているだろう。2020年代への胎動はすでに始まっている。

 

たとえば、リゾがデビュー作『コズ・アイ・ラヴ・ユー』でブレイクを果たしたこと、グラミー賞で主要4部門を含む最多8部門にノミネートされるなどアーティストとして大きな成功を得たことは、「すでに2020年代が始まっている」ことの一つの象徴と言えるだろう。

 

「ブラック・ライヴズ・マター」も「#ME TOO」も経て、誰もがコンプレックスに縛られず、ハラスメントの対象にならず、自分に誇りを持って生きていける時代が、ひょっとしたらこの先、本当に訪れるかもしれない。彼女の醸し出すポジティヴなエネルギーには、そんな希望を感じてしまう。


 ビリー・アイリッシュもが巻き起こしたセンセーションも二十年代への架け橋になるはずだ。18歳という年齢というよりも、僕は彼女の存在の重要性を「セルフ・アウェアネス」という切り口から見ている。つまり、自分自身と深く向き合うこと


スマートフォンとソーシャルメディアの普及を経て「人々が常時接続し、相互に作用しあうこと」が当たり前になった2010年代は、メンタルヘルスが大きな問題になった時代でもあった

 

様々な統計がアメリカで10代の自殺率が激増したことを示している。その要因をソーシャルメディアのせいだけにするのは早計かもしれないが、少なくとも、新しい情報技術が若者たちのメンタルに作用していることは明らかだ。XXXテンタシオン、リル・ピープ、そして先日夭折を遂げたジュース・ワールド。みな20歳か21歳で命を失った。

 

抗不安薬ザナックスの広まりと共に生まれた「エモ・ラップ」のムーヴメントと、そのシーンのヒーローとなるべき才能に溢れた若いラッパーたちの死は、苦悩に溢れたティーンエイジャーたちの心象の象徴でもあった。もともとダークで内向的なセンスの持ち主でもありXXXテンタシオンとも親交のあったビリー・アイリッシュが、ポップ・アイコンとして巨大なスケールの成功を経て眩しすぎるスポットライトを浴びた後に、どう歩みを進めていくか。それが次の時代の扉を開ける一つの鍵になる気がしている。


グレタ・トゥーンベリが一躍「時の人」になったのも、2019年を象徴するような現象だった。世界中の注目を浴びたきっかけは9月に行われた国連の地球温暖化サミットだったが、すでに彼女はそれ以前からアイコンになっていた。だからこそTHE1975は8月に発表した楽曲でそのスピーチをフィーチャーしたわけだし、ビリー・アイリッシュも支持を呼びかけたわけだ。気候変動にまつわる問題は、すでに危機的な状況に達している。そのことがようやくイシューとして前面化したということだ。


 一方で、グレタ・トゥーンベリの言動や存在に憤慨したり嘲笑したりしている多くの人間が、いわゆる「おっさん」だったことも、とても印象的だった。その中には、トランプ大統領を筆頭に権力者の人間、企業家やエスタブリッシュメント側の人間も少なくなかった。


 「toxic masculinity(有害な男らしさ)」という概念に注目が集まるようになったのも、2019年の兆候の一つだろう。強権的な態度や、暴力性や、他者を支配し屈服させることへの欲求は、これまで「男らしさ」の一つの側面として捉えられてきた。その背景には長らく続いてきた家父長制の影響もあったと思う。

 

けれど、その男らしさの呪縛こそが、女性を、LGBTQなどのマイノリティを、そして当の男性自身を苦しめ、生きづらくさせてきたのではないか。世界は、徐々にそのことに気付きはじめている。たとえばサム・フェンダーのデビュー作『Hypersonic Missiles』やレックス・オレンジ・カウンティの3作目『Pony』は、この「有害な男らしさ」をどう乗り越え、どう解毒していくかをテーマにした作品だ。

 

 


 ポップ・ミュージックは〝予感〟に満ちている。

 この連載では、ずっとそのことについて書いてきた。


 日本に暮らしていると、日々、うんざりするようなニュースを目にすることが多い。気が滅入るようなことも多い。取り繕って平気な顔をしているつもりはないけれど、それでも、基本的には僕は楽観的でいようと思っている。

 

(初出:タワーレコード40周年サイト「音は世につれ」2019年12月26日 公開)

 

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長谷川白紙『エアにに』と、拡張されるアイデンティティの境界

忘れないうちに書いておこう。長谷川白紙のファーストアルバム『エアにに』がめちゃめちゃ素晴らしい。

 

エアにに

 

エアにに

エアにに

  • アーティスト:長谷川白紙
  • 出版社/メーカー: MUSICMINE
  • 発売日: 2019/11/13
  • メディア: CD
 

 

アルバムについては『MUSICA』の12月号でディスクレビュー書きました。

そこにも書いたことだけど、こちらにも。

 

大袈裟なことを言うと「長谷川白紙以降」というタームが生まれそうなくらいの飛び抜けた才能。リズムとアンサンブルと歌の奔放で綿密な躍動があふれている。どんどん表情を変えせわしなく駆け抜けていく曲調は現代ジャズやエレクトロニカなど様々なルーツも感じさせつつ圧倒的にオリジナル。そして何より歌の強さ。譜割りもメロディの跳躍もこれまでのポップスの常識から逸脱してるのに、一度聴くとしっくりと馴染む。単なるエクスペリメンタルな音楽ではなく、シンガーソングライターとして「歌うべきテーゼ」を持ち、詩としての強度を持つ言葉を歌っているからだと思う。

 

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ひとたび聴いて伝わるのは、彼の音楽が、今まで聴いたことのないテクスチャ―と構造を持っているということで。緻密なコラージュの数々、カオティックな展開、自在なストップ&ゴ―、いろんなタイプの興奮を味あわせてくれる曲調が展開されていく。

で、それも間違いなく素晴らしいと思うんだけれど、僕としては、上に書いたとおり、これだけエクスペリメンタルでぶっ飛んだ音楽が、それでも「シンガーソングライターの表現」になっているということが凄いと思うのです。ただ音符と戯れているというよりも、彼の中に確固たるテーマがあって、その表出として歌がうたわれているということ。歌詞をちゃんと紐解くと、そのことが伝わってくる。

 

体を囲う虹の糸が
見えているのはあなただけ
天国くらいに磨り減って
光を通す
あなただけ
思ったときできた
肌から臓が 着くずれ 文字を待つ
(「あなただけ」)

 

「あなただけ」の冒頭で歌われるのは、身体の境界や、自分の内部の溶融をモチーフにした表現。『草木萌動』でも自分の身体をモチーフにした表現が頻出していたけれど、今作もその延長線上にある表現になっている。

どうして、彼は、そういうことを歌おうとしているのか。

『MUSICA』に編集長の有泉さんによるインタビューが載っていて、彼自身が明確にそれを言語化していた。

 

基本的に、私は常に私自身を否定して外に行きたいんですね。何重もの領域を持っていたいというか、私を固定するひとつの枠組があったとして、それを常に壊して「ない」状態にしておきたい――というのが私の根源的な欲求だなということに気づいたんです。私のやってきたことは全部それで説明がつくぐらい、私にとって基本的な欲求なんだなと。でも、それって実際には無理があることなんですよ。「何者でもありたい」なんてことはもちろん実現できないですし。でも音楽であればそれが可能になる。つまり私が音楽をやるのは、私にとって「私ではない私」にアクセスするための1個の手段なんだなということに気づきまして。私が想像し得なかった私であるとか、もしくはなりたかった私であるとか、少なくとも今の自分ではない広い領域に自分の体を持っていったり、広い領域まで自分の体を広げるための手段が音楽だったんだな、と。

 

私が曲を書く上で一番重要視している、というかこれ以外はほぼ重要視してない判断基準があるんですけど、それは曲を書いている時や書き終わった後に、「私の中を何かに探られていく感覚、あるいは私の中の何かが更新されていく感覚があるかどうか」なんです。やってて楽しいとかそういうことを基準にしていると、私の中ではどんどん立ち行かなくなってしまうところがあって。

 

この二つの発言を読んで、僕としては、とても合点がいったし、なんだかすごく感動してしまった。

たぶん、長谷川白紙の音楽を聴いて「わかりづらい」と思う人は沢山いると思う。馴染みのある様式を使ってはいないから。でも彼の曲はポップスとして機能する。というか、なんだかわからないけれど感覚を揺さぶられるようなものがある。それは、彼がアイデンティティについて歌っているから。

アイデンティティというのは、古くて新しい、すごくクリティカルな問題だと思ってる。

アイデンティティとは「自己同一性」のこと。辞書的な説明をすると「人が時や場面を越えて一個の人格として存在し、自己を自己として確信する自我の統一を持っていること」という意味。もうちょっと噛み砕くと「私はこういう人間だ」と思える「自分らしさ」のよすがというか。

で、ほとんどの人は、アイデンティティについて「あったほうがいい」と思っている。生きていくために「自分らしさ」が必要だと思っている。たとえばサカナクションの「アイデンティティ」みたいに、そのことをテーマにした日本のポップソングも多い。

 

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アイデンティティがない、つまり「自分らしさ」のよすががないことは、人を不安にさせる。

だから、多くの人は、人種や民族や、生まれ育ちや住む場所や、性別や性的志向や、職種や所属や、いろんな「領域」や「枠組み」をアイデンティティのよすがにする。

でも、長谷川白紙が言ってるのは、その反対なわけだ。「私を固定するひとつの枠組があったとして、それを常に壊して『ない』状態にしておきたい」というわけだから。

すごくラディカルな、そしてめちゃめちゃ風通しのいい考え方だと思う。

もちろん現実には難しい。でも少なくとも、音楽を聴いている瞬間には、それができる。「私」という境界は溶けて、違う領域にタッチできる。長谷川白紙はそういうことをテーマに表現してるから、こういう歌、こういう音楽にある。必然性がある。

そういうところにすごく興奮します。

「ポップの予感」第七回 ポスト・マローンと、インターネットが希望だった時代によせてのララバイ

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「無知が至福だというなら、もう放っといてくれ」


 ポスト・マローンは「インターネット」でこう歌っている。

 

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 この曲が収録された彼のニューアルバム『ハリウッズ・ブリーディング』は、2019年もっともセールスをあげたアルバムのうちの一枚だ。その中でも「インターネットなんてファックだ」と言い放ち、インターネットがいかに自分たちのライフスタイルをろくでもないものにしているかを歌い上げるこの曲は、どこか、2010年代という一つのディケイドが終わろうとしている今の時代を象徴しているように思える。

 

 9年前、世の中には、もっと希望に満ちたムードがあった。

 

 インターネットによって、ソーシャルメディアによって、何かが変わるかもしれない。これまでになかった、現実社会を変える大きな力が生まれつつあるのかもしれない。そんなことを、いろんな人が思っていた。たとえば2012年に刊行された津田大介『動員の革命 - ソーシャルメディアは何を変えたのか』は、そんな気分に満ちた一冊だ。本の中には、当時、中東や北アフリカで起こった民主化運動「アラブの春」を肯定的に描いた一節がある。たしかにあの時点では革命の熱狂があった。しかし、その後数年で、地域は再び混沌と暴力に包まれることになる。

 

 

動員の革命 - ソーシャルメディアは何を変えたのか (中公新書ラクレ)

動員の革命 - ソーシャルメディアは何を変えたのか (中公新書ラクレ)

  • 作者:津田 大介
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2012/04/07
  • メディア: 新書
 

 

 2010年代は、スマートフォンとソーシャルメディアのディケイドだった。新たな情報技術と、それによってもたらされた人々の紐帯が、最初は興奮をもって、そして次第に幻滅と共に語られるようになった。そういう10年だった。

 

 もちろん、インターネットによってエンパワーメントされた人は沢山いる。この連載でも何度も触れてきたように、ここ数年で社会の価値観はずいぶん変わった。マイノリティの声は少しずつ世を揺るがす力を得るようになってきている。


 それでも、その裏側にはダークサイドがある。


 デイビット・パトリカラコス『140字の戦争』は、ソーシャルメディアが戦場においてどんな役割を果たしたかを克明にドキュメントしたルポルタージュだ。そこでは、戦車や爆撃機といった武力ではなく、ソーシャルメディアを通じた言葉とナラティブによって勝者が決まる二十一世紀の戦争のさまが描かれる。イスラエルとパレスチナで、ロシアとウクライナで、シリアとISで、どんなデジタル・コミュニケーションが人々を駆り立てたのかを詳細に描いている。なかでも印象的なのは、サンクトペテルブルクの「トロール工場」で相場以上の月収をもらい日々フェイクニュースの執筆に勤しんでいたヴィターリ・ベスパロフの述懐だ。彼は毎日、自分がまるでジョージ・オーウェルが『1984』に描いた「真理省」に勤めているようだと感じ、次第に心を病んでいったという。

 

140字の戦争 SNSが戦場を変えた

140字の戦争 SNSが戦場を変えた

 

 
 ファック・ザ・インターネット。


 ポスト・マローンの歌声には、どこか「心地よい虚無感」のようなものが宿っている。そして、それは彼自身の厭世的なキャラクターとも結びついている。右眉毛の上に「Stay Away」(俺に近づくな)、両眼の下に「Always Tired」(いつもぐったり)というタトゥーを入れたポスティ。この二つの言葉は、彼のスタンスの象徴と言ってもいいかもしれない。

 

 DJだった父親のもとで育ち、ゲーム「ギターヒーロー」をきっかけにギターに夢中になったテキサス州の少年オースティン・リチャード・ポストは、高校を卒業し、LAに移住する。2015年、デビューシングル「White Iverson」で一躍注目を集めた彼を後押ししたのも、インターネット・カルチャーだった。

 

 無類のゲーム好きでもあり、実況サイトTwitch にも自身のチャンネルを持つ彼は、2019年、ハリウッドからユタ州ソルトレイクシティに引っ越している。メタル界の大御所オジー・オズボーンとトラヴィス・スコットを一曲で共にフィーチャリングするほどのスーパースターとなった彼が、ハリウッドの喧騒を離れて求めたのが、「1人っきりでビールを飲んでビデオゲームをやるための豪邸」だった。

 

 つまり、ポスト・マローンは一貫して「デタッチメント」を象徴するポップアイコンなのだ。退却主義と言ってもいい。この連載でスポットをあててきたビヨンセやTHE1975が「コミットメント」の象徴であるのとは対照的だ。60年代や70年代のロックミュージシャンのライフスタイルを称揚した「ロックスター」で世を席巻しスターダムを上り詰めた彼。そこから一貫して、享楽性と虚脱感が背中合わせになったようなムードを音楽の中に表現している。それがポップな魅力として人々を惹きつけ続けている。

 

「退屈した者たちの王国では、片手で操作する無法者が王である」

 

 ニコラス・G・カーは『ウェブに夢見るバカ』(原題は『Utopia is Creepy』)にて、こう綴っている。「ツイッターは、哲学者のジョン・グレイの言葉を借りるなら、『無意味からの避難所』となり得る」と喝破している。2010年に刊行された『ネット・バカ』(原題は『The Shallows』)にて注目を集めた著述家である彼は、インターネットというテクノロジーが人々の知性と集中力を削ぎ落とすように巧みに設計されたインターフェースとして機能していることを繰り返し述べている。

 

ウェブに夢見るバカ ネットで頭がいっぱいの人のための96章

ウェブに夢見るバカ ネットで頭がいっぱいの人のための96章

 

 

 2010年代の後半に入り、同様の主張は増えている。

 たとえば、行動経済学の専門家であるアダム・オルターは、著書『僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた』の中で、スマートフォンとソーシャルメディアがもたらした新たな「行動嗜癖」の発生と広がりを分析している。

 

 

僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた

僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた

  • 作者:アダム・オルター
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2019/07/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 コンピュータ科学の専門家であるカル・ニューポートが記した『デジタル・ミニマリスト』にも、スマートフォンが人々の生活を侵食し重度の情報依存をもたらしている理由の一端を、フェイスブックの初代CEOショーン・パーカーの言葉の引用と共に解説されている。

 

「フェイスブックを先駆とするこういったアプリケーションの開発者の思考プロセスは……要するに〝どうしたらユーザーの時間や注意関心を最大限に奪えるか〟だ。自分の写真や投稿や何やらに〝いいね〟やコメントがつくと、ユーザーの脳内にわずかながらドーパミンが分泌される。これが一番手っ取り早い」 

 

デジタル・ミニマリスト: 本当に大切なことに集中する

デジタル・ミニマリスト: 本当に大切なことに集中する

  • 作者:カル・ニューポート
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2019/10/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 
 間歇強化、つまりランダムな報酬によって引き起こされる心理的な影響がユーザーの注意を引きつける。それがユーザーにとっては行動嗜癖の、テクノロジー企業にとっては成功のトリガーになる。「アテンション・エコノミー」という言葉が示す通り、人々の関心を集めることはそのまま経済的な成功に結びつく。そうやってテクノロジー企業は訴求力を高め、それを利益の源泉にしている。

 

 アンドリュー・キーン『インターネットは自由を奪う』(原題『Internet is not the Answer』)には、北京航空航天大学が2013年に起こった調査から、ソーシャルメディア上での拡散速度がもっとも速かった感情は怒りで、次点だった喜びを大きく引き離していたという記述がある。人々はソーシャルメディア上で喜びよりも怒りをわかちあう傾向にある。

 

インターネットは自由を奪う――〈無料〉という落とし穴

インターネットは自由を奪う――〈無料〉という落とし穴

 

 

 ファック・ザ・インターネット。

 

 ポスト・マローンの「インターネット」は、カニエ・ウェストがプロデュースした楽曲だ。2018年9月、そして2019年5月に、「ファック・ザ・インターネット」と題された、両者のコラボレーションによる未発表バージョンの音源がリークされた。

 

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そしてそのカニエ・ウェストは2019年10月、再三に渡る延期を経て、アルバム『ジーザス・イズ・キング』をリリースする。全編ゴスペルをベースにした、しかしこれまでの黒人教会の伝統に連なるオープンネスとは違う、とてもスピリチュアルで密室感のある曲調を展開する一枚だ。

 

 

 2010年代の終わりと共に、「インターネットが希望だった時代」も終わりゆく予感がしている。

 

 でも、そのさきの希望がどこにあるのかは、まだ、見えていない。

 

(初出:タワーレコード40周年サイト「音は世につれ」2019年11月11日 公開)

 

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