日々の音色とことば

usual tones and words

『平成のヒット曲』の「はじめに」

平成のヒット曲(新潮新書)

新刊『平成のヒット曲』が、11月17日に発売されました。その「はじめに」と「目次」を、横書きで読みやすいよう少し修正を加えて公開します。

 

 平成とは、どんな時代だったのか――。

 

 本書は、それを30のヒット曲から探る一冊だ。

 

 1989年の美空ひばり「川の流れのように」から、2018年の米津玄師「Lemon」まで。ヒットソングがどのような思いをもとに作られ、それがどんな現象を生み出し、結果として社会に何をもたらしたのか。そのことを読み解くことで、時代の実像を浮かび上がらせる試みだ。

 

 悲惨な戦争から高度経済成長に至る〝激動の昭和〟に対して、平成という時代の全体像は、どこか茫漠としているように見える。焦土から豊かな生活を目指してがむしゃらに進んでいった戦後史の大きな物語に比べると、どんな価値観が時代を駆動する力学になっていたのか、一言では言い切れないように感じられる。

 

 しかし、30年という時間は、日本という国を、静かに、しかし確実に変えてきた。長い経済停滞を引きずり、沢山のものが失われていく一方で、インターネットを筆頭にした数々のテクノロジーの登場が人々の暮らしを塗り替えていった。多くの人たちを駆り立て縛り付けてきた昭和の常識が、ゆっくりとほどけていった。少しずつ、新たな価値観が根付いていった。

 

 ヒットソングはその変化に寄り添い、あるときは予兆のように響いてきた。本書はそれを点と点のようにつないで紡いでいく物語である。

 

 選んだのは、1年に1曲。語る対象にしたのは、必ずしも、年間ランキングのトップを飾った曲だけではない。特に平成の後半は、ヒットチャートという枠組み自体が瓦解し、世の中からヒットが見えづらくなっていった時代でもある。売上枚数の数字と、その曲が巻き起こした現象の大きさは、決して一致するわけではない。

 

 それでも、一つ一つの歌を紐解いていけば、ヒット曲が「時代を映す鏡」であることが、きっと伝わるのではないかと思っている。

 

 本書では平成という時代を3つの期間に区切っている。

 

 最初の10年は「ミリオンセラーの時代」。それまでの歌謡曲にかわってJ-POPという言葉が生まれ、CDセールスが右肩上がりで拡大していった、音楽産業の黄金期だ。

 

 ドラマ主題歌やCMソングのタイアップがヒットの火付け役になった。通信カラオケのブームと8cmシングルCD市場の拡大によって、音楽が流行の中心になった。100万枚、200万枚を売り上げるミリオンセラーが相次いだ。90年代初頭にバブルが崩壊し日本経済は不況に向かっていったが、1998年に史上最高の生産金額を記録するまでCDバブルは拡大の一途にあった。

 

 次の10年は「スタンダードソングの時代」。00年代初頭には、SMAP「世界に一つだけの花」とサザンオールスターズ「TSUNAMI」という二つの国民的ヒット曲が生まれている。流行と共に消費されるものから、時代を超えて歌い継がれるものへと、ヒットソングのあり方は徐々に変わっていった。カラオケで歌われる楽曲の傾向の変化はそのことを如実に示していた。

 

 インターネットの普及と配信の登場によって、音楽業界の風向きが大きく変わったのもこの頃だ。栄華は長くは続かなかった。CD市場は徐々に縮小し、00年代後半には音楽不況が誰の目にも顕になっていた。

 

 最後の10年は「ソーシャルの時代」。YouTubeとソーシャルメディアの登場によって、流行を巡る力学は大きく変わった。それまでのマスメディアと違って誰もが情報の発信側に立つことができるようになった。話題性が局地的に生じるようになり、参加型のヒットが生まれるようになっていった。

 CDの時代はいよいよ終焉を告げようとしていた。10年代前半にはAKB48を筆頭にしたアイドルグループが特典商法を導入し、一人のファンが複数枚を購入することが当たり前になり、楽曲の話題性や知名度とCDセールスの数字が乖離していった。10年代後半にはストリーミングサービスが徐々に主流となり、CDの売上枚数に依拠しないヒットチャートの再構築も進んでいった。

 
 2019年4月、平成という時代は幕を下ろした。

 

 そして、2020年初頭から本格化した新型コロナウイルスのパンデミックは、文字通り世界を一変させてしまった。

 

 音楽産業も大きな打撃を受けた。10年代はライブ市場が拡大し、大規模な演出を用いたコンサートやライブが各地で活況を呈していた時代でもある。しかし、数千人、数万人が一つの場に集まり共に大きな声をあげて歌うようなライブやフェスティバルは、コロナ禍に入ってからの日本では1年半以上にわたって開催されていない。

 

 平成という時代は〝コロナ前〟の記憶と共に、誰にとっても遠い過去のものとなった。

 

 だからこそ、今、その30年を振り返ることで見えてくるものが沢山ある。

 

 ヒットソングが社会の中でどんな役割を果たし、一人ひとりの胸の内にどう根を下ろしていったかを知ることが、現在進行形で大きく変貌を遂げつつある世界のこの先を見通すための手がかりの一つにもなるのではないかと思っている。

 

 歌は世につれ、世は歌につれ。

 

 改めて、この言葉の意味を実感できるような30曲の物語になっているはずだ。

 

●目次

はじめに
第一部 ミリオンセラーの時代
――1989(平成元)年〜1998(平成10)年

1.昭和の幕を閉じた曲【1989(平成元)年の「川の流れのように」(美空ひばり)】
昭和が終わった翌日に/秋元康と美空ひばり/歴史の転換点と「思い出の目次」

2.さくらももこが受け継いだバトン【1990(平成2)年の「おどるポンポコリン」(B.B.クィーンズ)】
植木等と『ちびまる子ちゃん』/ビーイング系とは何だったのか/大瀧詠一の果たした役割

3.月9とミリオンセラー【1991(平成3)年の「ラブ・ストーリーは突然に」(小田和正)】
「月9」とは何だったのか/タイアップの本質/3連符の魔法

4.昭和の「オバさん」と令和の「女性」【1992(平成4)年の「私がオバさんになっても」(森高千里)】
平成を経て「女性」はどう変わったのか/「アイドル」と「アーティスト」の境目で/20年越しのメッセージ

5.ダンスの時代の幕開け【1993(平成5)年の「EZ DO DANCE」(trf)】
小室哲哉と「プロデューサーの時代」/カルチャーを作るということ/エイベックスの挑戦/ダンサーの地位を変えた曲/誰もがダンスする時代へ

6.自己犠牲から自分探しへ【1994(平成6)年の「innocent world」(Mr.Children)】
桜井和寿と小林武史/切ないが、前に進むのだ/サッカーとミスチルの「国民的物語」/根性から自分らしさへ

7.空洞化する時代と「生の肯定」【1995(平成7)年の「強い気持ち・強い愛」(小沢健二)】
時代の曲がり角へ/「生命の最大の肯定」/2つの「今」に挟まれた25年

8.不安に向かう社会、取り戻した自由と青春【1996(平成8)年の「イージュー★ライダー」(奥田民生)】
カウンターとしての「脱力」/30代の“自由”と“青春”/バンドブームの狂騒と、その後に訪れた充実

9.人生の転機に寄り添う歌【1997(平成9)年の「CAN YOU CELEBRATE?」(安室奈美恵)】
人気絶頂での結婚発表/山口百恵と安室奈美恵/笑顔で終わりたい/30歳で更新した「カッコいい女性像」/人生の荒波を超えていく

10.hideが残した最後の予言【1998(平成10)年の「ピンク スパイダー」(hide)】
音楽シーンの特別な1年/最後の121日間/初のインターネット・アンセム


第二部 スタンダードソングの時代
――1999(平成11)年〜2008(平成20)年

11.台風の目としての孤独【1999(平成11)年の「First Love」(宇多田ヒカル)】
800万人と1人/孤独から生まれた祈り/「First Love」と「初恋」

12.失われた時代へのレクイエム【2000(平成12)年の「TSUNAMI」(サザンオールスターズ)】
ミレニアムの狂騒の中で/大衆音楽のバトンを受け取る/過ぎ去った輝きの時へ

13.21世紀はこうして始まった【2001(平成13)年の「小さな恋のうた」(MONGOL800)】
9・11と不意のブレイク/道を作ったハイスタ/変わらない日本、変わらない沖縄

14.SMAPが与えた「赦し」【2002(平成14)年の「世界に一つだけの花」(SMAP)】
社会が揺らぐとき、歌にはどんな力があるのか/“平成のクレージーキャッツ”に/大衆の心の負荷を取り除く

15.「新しさ」から「懐かしさ」へ【2003(平成15)年の「さくら(独唱)」(森山直太朗)】
会議室で歌うことから始まった遅咲きのブレイク/「涙そうそう」と森山良子/カバーブームはどのようにして生まれたか/「桜ソング」の功罪/混沌としての平成

16.「平和への祈り」と日本とアメリカ【2004(平成16)年の「ハナミズキ」(一青窈)】
ミリオンセラー時代の終わりと、平成で最も歌われた曲の誕生/9・11が生んだ2つのヒット曲

17.消えゆくヒットと不屈のドリカム【2005(平成17)年の「何度でも」(DREAMS COME TRUE)】
「ヒットの崩壊」のはじまり/苦悩の中で明日が見える曲を

18.歌い継がれた理由【2006(平成18)年の「粉雪」(レミオロメン)】
YouTubeとSNSが勃興した時代/『1リットルの涙』から生まれた2つのヒット/ユーザー参加型のヒット曲

19.テクノロジーとポップカルチャーの未来【2007(平成19)年の「ポリリズム」(Perfume)】
時代の転換点でのブレイク/クリエイティブへの誠実な姿勢/幻になった「これからの日本らしさ」

20.ガラケーの中の青春【2008(平成20)年の「キセキ」(GReeeeN)】
着うたとは何だったのか

 

第三部 ソーシャルの時代
――2009(平成21)年〜2019(平成31)年

21.国民的アイドルグループの2つの謎【2009(平成21)年の「Believe」(嵐)】
嵐の「国民的ヒット曲」とは何か/嵐と日本のヒップホップとのミッシングリンク/嵐とアジアのポピュラー音楽の勢力図

22.ヒットの実感とは何か【2010(平成22)年の「ありがとう」(いきものがかり)】
ヒットの基準があやふやになっていく時代/誰かの日常の暮らしの中に息づく歌を

23.震災とソーシャルメディアが変えたもの【2011(平成23)年の「ボーン・ディス・ウェイ」(レディー・ガガ)】
音楽の力が問い直された1年/マイノリティを名指しで肯定する

24.ネットカルチャーと日本の“復古”【2012(平成24)年の「千本桜」(黒うさP feat. 初音ミク)】
初音ミクが巻き起こした創作の連鎖/和のテイストがネットカルチャーの外側に波及した

25.踊るヒット曲の誕生【2013(平成25)年の「恋するフォーチュンクッキー」(AKB48)】
AKB48の“本当のヒット曲”/『あまちゃん』と「アイドル戦国時代」/平成というモラトリアム

26.社会を変えた号砲【2014(平成26)年の「レット・イット・ゴー 〜ありのままで〜」】
“ありのまま”の魔法

27.ダンスの時代の結実【2015(平成27)年の「R.Y.U.S.E.I.」(三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE)】
ストリーミングに乗り遅れた日本/拡大するEXILEとHIROのリベンジ

28.ヒットの力学の転換点【2016(平成28)年の「ペンパイナッポーアッポーペン」(ピコ太郎)】
天皇とSMAPが示した平成の終わり/古坂大魔王はピコ太郎をどう生み出したのか/バイラルヒットと感染症

29.新しい時代への架け橋【2017(平成29)年の「恋」(星野源)】
物語とダンスの相乗効果/イエロー・ミュージックの矜持/植木等と星野源

30.平成最後の金字塔【2018(平成30)年/2019(平成31)年の「Lemon」(米津玄師)】
死と悲しみを見つめて/ヒットの復権/インターネットの遊び場から時代の真ん中へ/300万の“ひとり”

おわりに

 

 

 

 

 

 

 

 

ターミナル/ストリーム

 

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ミームは呪術、アルゴリズムは魔術。


そのことに気付いている人は多いと思う。オカルティックな言葉を聞くと眉に唾をつけたくなるタイプの人でも、よくわからないこと、説明のつかないことが起きているという実感のようなものを持っている人はかなりいるんじゃないかと思う。


僕が勘付いたのは2019年頃のこと。ポップ・ミュージックの領域で仕事をしている人間なもんで、きっかけはやっぱりリル・ナズ・Xの「オールド・タウン・ロード」だった。全米シングル・チャート19週連続1位。歴代最長ナンバーワンとなったこの曲がなんでヒットしたのかを探る原稿を書いてるときのことだった。

 

www.youtube.com

 

「TikTok発のヒット」みたいな、もっともらしい説明や能書きは調べれば確かに出てくる。カウボーイの格好をして踊るダンスチャレンジが流行ったとか、カントリーとラップを融合した曲調が斬新だったとか、カントリーチャートから除外されて物議を醸していたところに大御所ビリー・レイ・サイラスが乗っかったことで話題が広がったとか、ストーリーはいくらでも出てくる。でも、結局のところ、そのブームの最初の発火点を見つけようとすると不思議な煙にまかれてしまう。

 

楽曲は、リル・ナズ・Xがビート購入サイトを通じて当時19歳のオランダのトラックメイカー、ヤング・キオから30ドルで購入したビートにラップを乗せたもの。途中からメジャーレーベルのソニーが乗り出してきたが、最初は完全に自主配信。なんらかの予算を使った仕掛けのようなものは皆無。それでも巨大な現象を巻き起こすドミノの最初の一コマが倒れたわけだ。


もちろんミームが現象化するのはそれ以前にもあった。2016年にはピコ太郎の「PPAP」があったし、2013年にはPSYの「江南スタイル」があった。音楽以外で言うとアイス・バケツ・チャレンジが広がったのが2014年。僕はわりとそういうのを興味深く観察するほうで、いろいろ謎な現象が起こったらその尻尾を手繰り寄せるようなことを調べたりしていた。ソーシャルメディアとYouTubeがそれに起因しているということが可視化されたのが、ここ10年の動きだったと思う。

 

www.youtube.com


「バイラル」とか「バズ」という単語が人々の口端に登るようになったのも2010年代に入ってからのこと。ひょっとしたら、マーケティング界隈の人はそれよりも前に使っていたのかな。でも、自分にとって目眩ましになっていたのは、当たり前に「バイラル」を「口コミ」の意味合いでイメージしていたことだった。辞書にもそうあるから油断していた。

 

goo国語辞書(デジタル大辞泉)で「バイラル」を検索するとこうある。

 

1 ウイルス性であること。「バイラルインフェクション(=ウイルス感染)」
2 口コミによるもの。「バイラルメディア」「バイラルマーケティング」

 viral(バイラル)の意味 - goo国語辞書

 

その類推で「バイラル」というものを捉えようとすると、「波紋」のようなイメージで考えることになる。最初に数人とか数十人の小さな、けれど感度が高くて熱量を持った人々の集まりがある。そういう人の間で評判になっていた最初の「バズ」を、周囲の数百人が話題として聞きつける。「踊ってみた」みたいにムーブメントに乗っかって、参加することがメディアになって、それが数千人、数万人と広がっていく。いわば同心円状にドミノ倒しが広がっていくイメージだ。


もちろんその見立てが間違ってるわけじゃない。ただ、ここ最近に起こっているバイラルのムーブメントを見ていくと、起こっていることはもっとカオス現象に近い気がする。非線形で、予測できない。バタフライ・エフェクトがそこら中で起こっているようなもので、まったくもって再現性がない。


その理由は、ここ数年、バイラルというのが、口コミだけではなく、むしろアルゴリズムによって強力に駆動するようになったからだと思う。たとえばYouTubeの関連動画。たとえばTikTokのタイムライン。アルゴリズムがやっていることは、ユーザー一人ひとりがその動画を最後まで観たかそれとも飛ばしたか、「評価」や「お気に入り」のマークをタップしたか、チャンネル登録したりフォローしたりしたか、その行動履歴をつぶさに分析して次のオススメを提示するということに過ぎない。基本的にはパーソナライズドされたレコメンデーションシステムなわけで、それがバイラルに寄与するとは考えにくい。


が、ポイントはアルゴリズムと人間との相互作用のフィードバックループが起きることにある。たとえば、最初はそのユーザー自身と嗜好や指向に基づいて判断していた「お気に入り」に、アルゴリズムによってもたらされたザイオンス効果(単純接触効果)が発火する。たとえば、ハッシュタグに乗っかってミームに参加することで感情の焦点が変化する。一人ひとりの行動がデータとして食われることで可視化されたトレンドが提示され、それによって行動が変容する。「口コミ」とは全く別の力学が「ミーム」として人を突き動かす。


どうやら、オンラインの世界ではすでに非科学的な領域に属することが物事を動かしているようだ。「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない」とアーサー・C・クラークは言っていたけれど、それは僕が子供の頃に思い描いていたSF的な未来とは全く別の形で具現化している。

 

いつ頃からこんなふうになったのか。

 

たぶん、ターニングポイントは2017年だと思っている。

 

これも僕がこういう仕事をしているもんで、その考えに至ったきっかけは、竹内まりやの「Plastic Love」だった。これについても沢山原稿を書いたし、新聞記者に取材を受けてもっともらしいことを喋ったりもした。海外でシティポップがブームになっている。再評価されている。その背景にはインターネット発のムーブメント「ヴェイパーウェイヴ」と「フューチャー・ファンク」があるのだとか、あとはヨット・ロック以降のAOR再評価だとか、消費社会への郷愁だとか、ストーリーはいくらでも出てくる。でも、ちゃんと現象の端緒をたどっていくと2017年7月に「plasticlover」というユーザーが非公式に投稿したYouTubeの動画が2000万回以上も再生されたことに行き着く。

 

www.youtube.com

 

そして、なんでその動画がいきなりそんな再生数を叩き出したのかについては、どれだけ調べても謎に包まれている。たとえばムーブメントの立役者でもある韓国のDJ・プロデューサーのNight Tempoも、海外を含めたいろんな人達も「沢山の人のYouTubeの関連動画のところにサジェクトされたから」という以上の理由はわからないという。


もっとわかりやすく言えばByteDance社がmusical.lyを買収し、TikTokのサービスをローンチしたのが2017年のことだ。いろんなことを振り返ると、やっぱりここが起点になっている。


TikTokの強みは機械学習のアルゴリズムにある。単なる「これを好きな人はこれも好き」という協調フィルタリングだけでなく、ユーザーの視聴行動を秒単位で分析することでレコメンデーションが強化されるような仕組みがある。僕が話を聞いたTikTokの中の人は、それを「ソーシャルグラフからコンテンツグラフへ」という言い方をしていた。つまりは従来のSNSのような友人や親しい間柄のつながりをもとにした関係に基づくリコメンデーション(=ソーシャルグラフ)ではなく、その人自身がどんなコンテンツを作り消費してきたかに基づくリコメンデーション(=コンテンツグラフ)が働いている、ということだ。なので、もともとフォロワー数が少ない人もアルゴリズムの波に乗ればミームを生むことができる、というプラットフォームになっている。


そうして2019年から2020年にかけては、東方Projectの同人CDをサンプリングした「Omae Wa Mou」が世界中でバイラルを巻き起こしていたり、2018年に公開されたお下品BLアニメ『ヤリチン☆ビッチ部』の主題歌「Touch You」が、なぜか2020年11月になって東南アジアからアメリカとイギリスにバイラルを巻き起こしたり、沢山の謎現象がTikTok経由で観測されるようになった。


僕はそのたびに首を捻っていたのだけれど、2020年代に入って痛感したのは、ひとたび何かが流行ってしまえば、世の中の人たちのほとんどはそれを「そういうもの」としてすんなり受け入れてしまう、ということだった。

 

自慢するわけじゃないけど、YOASOBIの「夜に駆ける」についての記事をメディアに書いたのは2020年1月のことで、たぶん僕はあの曲に最初に着目したうちの一人だと思う。瑛人の「香水」がチャートを駆け上がっていったときも、かなり初期から記事を作っていた自負がある。「うっせぇわ」についてもそうだ。

 

リル・ナズ・Xのときとは違って自分自身がムーブメントに寄与しているし、その当事者に取材して何が起こったのかをつぶさに聞くこともできた。だけど、やっぱり、何なのかわからない。これ以上は無理だ。そして、「そういうもの」でいいんだ。そう思い至ったのが、2020年を振り返った個人的な実感としては最も大きかった。


世界がウイルスによって一変してしまった2020年から2021年にかけても、僕はずっとバイラルのことを考えていた。そして今のところの結論は「どうやら世界は再魔術化しているんだ」ということ。

 

極端なことを言うと、アルゴリズムと人間が結託することで、最終的には人間から人間性が失われるかもしれない、という予感もある。ネットワークを介して常時接続し相互に情報を交換することで、人が群知能(=Swarm Intelligence)の端末の一つとなる未来が容易に予想できる。そして、こういう話をすると怖がったり眉をひそめたりする人も多いんだけれど、僕としては、基本的には楽観的なスタンスで物事を考えている。

 

というか、そういうことを「なんか怖い」と言うような人たちほど、いざ人間から人間性が失われようとしていくときに、きっとその状況を「そういうもの」としてすんなり受け入れるだろうという予感がある。

 

ミームは呪術、アルゴリズムは魔術。

 

(『ウィッチンケア第11号』に寄稿した文章に加筆修正しました)

 

 

「誇り」について

 

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Spotifyの「#SpotifyPride」プレイリストを聴きながら、これを書いてる。

 

 

 Spotifyが、LGBTQQIA+の権利や文化について世界中でさまざまな啓蒙活動が行われる6月の#SpotifyPrideを祝したオリジナルプレイリストを公開した。

 Spotifyではグローバルにおいて「Claim Your Space(自分らしさを追求しよう)」をテーマに、「プライド月間(PRIDE Month)」を祝う様々な活動を実施。日本では、誰もが自分らしくいられる安全な場所(Space)を、LGBTQQIA+のクリエイター陣がキュレーションするプレイリストにより音楽で再現。これまで、LGBTQQIA+のコミュニティにおいて、その人らしくいられる場所のひとつとして音楽イベントがあったが、リアルなイベントが開催しづらい今、どこでも楽しめるプレイリストを通じて音楽でつながることのできる機会を提供していく。

 

realsound.jp

 

プレイリスト企画の監修はPOPLIFE:THE PODCASTでもご一緒したライターの木津毅さんで、10個あるプレイリストの中では、木津さんの「DISCOVER OUR SPACE」というプレイリストと、Doulさんの「今まで色んな場面で聴いてきて、救われたと感じた楽曲をセレクト」というプレイリストが、すごくグッとくる。

 

 

SpotifyだけじゃなくてApple Musicも「プライド/LGBTQ+」特集を公開している。

Apple Musicプライド/LGBTQ+をApple Musicで

こちらのキュレーターを担当したのは、トロイ・シヴァン、ヘイリー・キヨコ、ミッキー ブランコ、Tayla Parx、Claud。

 

最近はSpotifyやApple Musicの新着プレイリストをかけっぱなしにしていて、そこから気になったアーティストを調べていくような聴き方をしているのだけど、たとえばClaudにしても、たとえばGirl in redにしても、「なんかいいなあ」と思う人が従来のジェンダーの枠組みに収まらない立場を標榜しているようなことが増えた気がする。

 

www.youtube.com

  

www.youtube.com

 

 

もちろん、これまでもANOHNIやSOPHIE やArcaに惹かれてきたわけだから全然最近のことなわけじゃないわけだけど。オルタナティブな分野以外でも、たとえばマックルモア&ライアン・ルイスの「Same Love」からLIL NAS X「MONTERO (Call Me By Your Name)」までアメリカのポップカルチャーのど真ん中で起こってきたことにも、すごく心を動かされてきた。

 

そして、ここ日本においても長谷川白紙や諭吉佳作/menのようにジェンダーニュートラルな価値観を持った気鋭のミュージシャンたちの表現がどんどん羽ばたいていくのが2020年代の様相で(『放るアソート』『からだポータブル』素晴らしかった!)。少しずつ時代が変わってきたなという実感はとてもある。

 

www.youtube.com

 

自分自身のジェンダーはここでは書かないでおくとして、基本的な僕のスタンスとして「周縁化された人の側に立つ」ということは決めている。なぜなら僕が好きなポップカルチャーは、そういう力を持っているものだから。

  

■「プライド月間」にLGBT法案の成立を見送ろうとしている自民党

  

一方で、政治の領域を見ていると、ため息をつくようなことばかりが伝わってくる。

 

www3.nhk.or.jp

 

4月から超党派で法制化が進められてきたLGBT平等法の法案は、現時点で、自民党の反対によって暗礁に乗り上げている。自民党の下村政務調査会長が「今国会への提出は見送ることで同意した」と発言し、抗議を受け事実誤認だったとして訂正し謝罪したというニュースもあった。

 

この件に関する報道を追っていると、最初から抵抗勢力の存在が強かったことがわかる。

equalityactjapan.org

 

そもそも当事者団体や人権団体が求めていたのは「差別を禁止する法律」で、野党が提出した法案も差別解消を訴えた内容であるのに対して、自民党は「理解増進法」となっている。

 

www.tokyo-np.co.jp

 

「『差別禁止』といった瞬間に自民党内で法案は通らないだろう」という“自民党に近い保守系の当事者”の発言が上記のニュースに引用されている。

 

www.tokyo-np.co.jp

 

ここから調整が続き、法案の目的に「性的指向及び性自認を理由とする差別は許されないものであるとの認識の下」との文言を追加することがまとまると、そこに自民党内での反発があったというニュースが大きく報じられる。自民党の簗和生議員による、性的少数者に対して「生物学上、種の保存に背く。生物学の根幹にあらがう」といった趣旨の発言もあった。

 

www.nikkei.com

 

山谷えり子議員が「社会運動化・政治運動化されるといろんな副作用もある」と発言したとか、 「道徳的にLGBTは認められない」という発言があったとか、そういうことも報じられた。

 

www.huffingtonpost.jp

 

法案に「差別は許されない」という認識を明記することにすら反対の声が上がるということは、これはもはや「差別をしたい」という意思の表れとしてしか受け止めようがない。

 

しかも、あれだけ問題視されたにも関わらず、簗和生議員は、自身の発言について説明も謝罪もしていない。「ご照会頂いた会議は非公開のため、発言についてお答えすることは差し控えさせて頂く」とコメントしただけで、下村博文政調会長に対してのみ「お騒がせして申し訳ありません」と謝罪があったことが明かされている。

 

www.asahi.com

 

6月5日現在では、まだどうなるかわからない。法案見送りの動きに対しては当事者団体だけでなく大手企業からも反対の声が上がっている。

 

www.tokyo-np.co.jp

 

もし、こうした声を抑えて、本当に法案が見送りになったならば。こうした動きがこともあろうに「プライド月間」に起こっていることのメッセージが国外に伝わることの意味は、とても大きいと思う。 

 

■「誇り」とは何だろうか

こういうニュースを見たときは、怒ったり、がっかりするだけじゃなくて、なんでそういう行動原理で動いている人がいるのかを調べることにしている。

 

反対の声を上げている議員について、ニュースでは「自民党内の保守派」としか書かれていないことが多いが、名前を丹念に調べていくと、たいてい、日本会議か、神道政治連盟か、そのあたりの支持母体があることがわかる。親学とも深く結びついている(親学推進議員連盟の常任幹事は山谷えり子、事務局長は下村博文)。

 

そして、日本会議とか神道政治連盟のホームページを見ると、必ず使われているのが「誇り」という言葉だ。日本会議のHPには「誇りある国づくりを目指した新しい国民運動」と説明がある。 

 

www.nipponkaigi.org

 

神道政治連盟のHPには「日本に誇りと自信を取り戻すため、さまざまな問題に取り組んでいます」とある。

 

www.sinseiren.org

 

こういう人たちの支持と集票が原動力になっているのだろうと推察される。

 

でも、実際のところ、こうした団体の支持を受けた政治家が推し進めていることは、ソチ五輪のときのロシアがやっていることと同じだと感じる。

 

toyokeizai.net

 

こうして見ていくと、一連の物事は、文字通り誇りにまつわる問題なのだと思う。そもそも 「プライド月間(PRIDE MONTH)」だって誇りにまつわる言葉だ。

 

人がどういうものに誇りを感じるかは、人それぞれだとは思う。「日本に誇りを取り戻す」と言っている人が、どんなものが誇りだと思っているのか、何をもってそれが損なわれていると感じているのかは、よくわからない。

 

僕が考える「誇り」という言葉は、自分が自分らしくいられることへの信頼と強く結びついている。

 

なので、「プライド月間」に関しても、LGBTQ+コミュニティのための言葉であるのは当然として、同時に、共同体全体にまつわるイシューでもあると思っている。少なくとも差別を許容するような社会や国家に、僕は誇りを感じることはできない。

 

「誇り」という言葉について、そんなことを考えている。