日々の音色とことば

usual tones and words

『すべらない話』収録直前の千原ジュニアとほっしゃん。に会った時の話

そういえば、お笑いの番組で出演者が「緊張してます」とコメントをするようになったのは、ここ数年になって見られるようになったことだと思う。とは言っても、僕が観た中では二つの番組でしかそういうコメントを聞いたことはない。『M-1グランプリ』と『人志松本のすべらない話』だ(『R-1グランプリ』もそうだったかな)。

これは、「お笑い」に「勝負」という概念が持ち込まれたという変化なのだろう。特に『M-1』が定着してからはその意味合いが大きい。賞金1000万円、翌年の確実なブレイク、それが一夜にして決するわけだ。年末年始のお笑い番組を観てると、その他の番組(『ドリームマッチ』など)との、「緊張」と「弛緩」の空気の落差はとても大きい。

でも、考えてみれば、かつてのお笑い番組で出演者が自分のことを「緊張してる」なんて言うことは、あり得なかった。ドリフやビートたけしの頃にさかのぼればコントには大抵決められた台本があったし、今でもバラエティ番組での若手芸人の役割は大概が「賑やかし」である。たとえ緊張してる芸人がいたとしても、それは「言ってもしょうがないこと」もしくは「言うべきでないこと」になる。それがOKになったというのは、僕は好ましい変化だと思っている。人気でも知名度でもなく、「誰が面白いのか」を可視化する装置として『M-1』は(今のところ、ちゃんと)機能している。芸人にとっての「甘え」は存在しない。だからこそ企画自体がこれだけの成功を収め注目を集めるようになったのだろう。

ただ、優勝で明日以降の生活が一変する若手芸人が『M-1』で緊張するのは、言ってしまえば当たり前のことだ。そう考えると、すでにキャリアも地位もある芸人たちが「緊張のせいで楽屋でえづいたりする」と語る『すべらない話』の番組としての特異性は図抜けている。ゴールデンに移ってからはだいぶ番組の雰囲気も変わったけれど、特に初期は「なごやかな真剣勝負」の空気が濃厚に漂っていた。誰が勝つかというより、チーム競技として「番組を成り立たせる」ための団体戦とでも言うべきか。司会者との掛け合いも、余計な演出や編集もなしで、ただそれぞれの持っている「話の面白さ」だけで場を持たせるわけだ。お笑い芸人としての地肩が一番問われるわけである。

僕が千原ジュニアとほっしゃん。に取材したのは一昨年の12月。フジテレビの会議室で、2006年の『すべらない話 年末拡大スペシャル』収録のおよそ3〜4時間前。赴く前は相当こちらも身構えた。なにせ楽屋でのエピソードは沢山聞いている。事前に担当氏から「インタヴュー内容によっては機嫌が悪くなることもあるので」というような注意も受けた。結果、話はとても和やかに進んだけれど、やはり普段の取材とは全然違う、独特のムードがあった。後方にはおそらく番組のスタッフだろう人々が待機し、インタヴュー中の会話で「〜(笑)。」というような流れになると、かなり大きな笑い声が響く。バラエティ番組でよく聞くようになった、あの「スタッフの笑い声」と同じやつだ。もちろん無理して笑ってるわけじゃないんだろうけど、きっと直前のインタヴューで「すべる」と本番のコンディションに影響するという意味合いも大きかったんだろう。そういう意味では、本人よりも周囲のほうがピリピリしていたムードがあったように思う。

ほっしゃん。は「この番組に出てるのは誇りだと思う」と語っていたし、千原ジュニアは「終わったら『よくぞ無事に生還した』みたいな感じ」と言っていたけれど、その言葉はあながち大袈裟なものではないと思う。観覧ゲストの豪華さなんてどうでもいいから、一度、生でその緊迫感を視聴者に見せてほしいな。


人志松本のすべらない話 其之参 通常盤人志松本のすべらない話 其之参 通常盤
(2007/06/27)
ほっしゃん。、千原ジュニア 他

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