日々の音色とことば

usual tones and words

豊かさが、選択肢であるということ

興味深い記述を発見。

ぺったんぺったん:失われてない十五年−まとめ
http://blog.pettan.jp/archives/50491162.html

ここ15年ほど、マスコミの連中は日本の経済成長が止まっていると言い続けてきた。政府もそれを鵜呑みにしているし、一般的にもこの見解は通説、常識になっているようだ。でも、それって本当だろうか?

という素朴な問いに発する、様々な話。まだ1〜3を読んだ段階だけだけれど、共感する部分は非常に多い。

ただ、「ここ15年ほどマスコミの連中は日本の経済成長が止まっているといい続けてきた」にはちょっと違和感。「いざなぎ越え」という言葉が2006年に喧伝されたように、2002年以降は景気が拡大しているという認識のほうが“通説”としては強い気がする。もちろん、その成長を実感できているかどうか、という話は別として。ポスト・バブルの不況を表す言葉としては、「失われた10年」のほうがしっくりくる。まあ、主題から離れた瑣末な話ではあるけれど。

wikipedia:失われた10年

僕は経済学をきっちり学んでいないので素人の物言いにはなってしまうが、経済の軸が量から質、多様性へとシフトしてきたという論は、実感として非常にわかる。これをカルチャーの話に落とし込んでみると、たとえば音楽で言えば、90年代に比べてミリオンヒットは格段に少なくなったし、CDの売り上げも年々減少している。音楽産業が衰退しているという話は、今年の初めくらいにブログに書いた話(「終わりの始まりのあとに(1)」)でも触れたけれど、これも通説のようになっている。けれど、確かにそれを「成長が止まった」ということだけで語ってしまうと、何か大事なことが抜け落ちてしまうように思う。ひとつひとつのパイは小さくなっても、多様性という観点で観ると、大きな飛躍を果たしている。

要は「失われた10年(or15年)」で、日本は「豊かになった」ということなんだと思う。「経済成長」という言葉を使うからちょっとややこしいけれど、「豊かさ」と言うならすっきりとする。お金が、ではない。情報が、そして選択肢が、豊富になった。以前にも書いた「バブルの頃は景気も良かったらしいけど、決してその頃には戻りたくないなあ」という思いは、そこに通じている気がする。

「豊かさ」とは、どうやらお金を沢山持つことでは、ない。フェラーリやポルシェを何台も持つこと、高層マンションに暮らして五つ星のレストランで毎晩食事をすること、それだけが「豊かである」ということを指し示すわけではない。かといって、「心の豊かさ」みたいな道徳の教科書チックな話をしているわけでもない。「お金を沢山持っている人」よりも「見えている人」=「情報を沢山持っている人」のほうが、僕には豊かに見える、ということだ。

まあ、もちろんお金は大事だし欲しいけどね。