日々の音色とことば

usual tones and words

中川昭一という人とその周囲について

あっという間に辞任まで追い込まれてしまった中川昭一元財務省。この人が政治家としてどうだったかは詳しく踏み込んで判断する材料を僕は持っていないが、「まあ、辞任もしょうがないよなあ」という空気があっという間に造成されるだけの破壊力をあの会見の映像は持っている。単に酩酊状態だったというだけではない、いろいろとマズい雰囲気。大臣がこんな状態でいいのかとか、国益がどうだとか、いろいろな前提を取っ払って、端的に「面白い」状態。

海外の人もかなり面白がっているようで、さっそくリミックスが作られている。このへんは「ムネオハウス」を彷彿とさせるよなあ。



とはいえ、面白がっては仕事にならないメディアのムードは、「とんでもない」「恥さらしだ」というような、非難一色のものになっているようだ。問責決議案だとか、任命責任だとか。まあ、本人の弁明が仮に正しいものだったとしても、風邪薬と酒を一緒に飲んじゃいけないのは基本中の基本で、体調管理の面で甚大なミスがあったのは否めない。ほうぼうで言われているとおりアルコールへの依存もあったのだろう。

ただ、やっぱりなんだかこの一件、腑に落ちないなあと思っていたのだが、以下の話を読んですこし納得がいく。


この話が残酷なのは、ひどい酩酊状態に見えるにも関わらず、記者や(おそらく回りにいた官僚たちも)が平然と記者会見を続けたところである。異常な状態だということは分かっていたはずである。なのに淡々と職務をこなした。この残忍さに誰ひとりとして異議を唱えることができなかった。

中川昭一は裸だ!/Keynotes

きっと、現場の記者の一人一人も官僚も、粛々と「記者会見」というシステムを遂行したのだろう。そこでの大臣の酩酊状態はエラーである。「正しさ」の担保はそこにはない。けれど、システムの側に立って、「正しい」立場に自らを置いて責めたてる側の「残忍さ」が省みられる気配は、どこにもない。

僕自身は、言葉を用いて仕事をする人達はその「残忍さ」への意識を、ほんの少しでも持っていてほしいと思うんだけれども。