日々の音色とことば

usual tones and words

「シモキタ」への思い、さまざま

茶沢通りから原付に乗って下北沢を抜けると、小田急の踏み切りの工事が大分進んでいることに気付かされる。ディスクユニオンからスズナリのちょっと先。地下化、複々線化がだいぶ進んでいるようだ。新駅舎のデザイン案も発表された。

平成 28年度 (7年後) 完成の駅[下北沢南口商店街の白髪爺さん吉田くによしのブログ]

しかしこれがだいぶ反対を集めているらしい。コメント欄はだいぶ荒れていたようだけれど、今では削除されている。こんなページもあった。

小田急線下北沢駅の新駅舎案が猛反発される理由[絵文録ことのは]
下北沢再開発問題についてもう一度まとめてみる(ゼロ年代の都市計画)[絵文録ことのは]

下北沢という街にはいろいろな人の立場と思い入れがあり、それが複雑に交差しているようにも思う。基本的には僕は、「演劇・音楽の街」としての、あの街並みは好きだ。歩いて行ける範囲にライヴハウスと飲み屋と小粋なカフェが並んでいるイメージ。以前に曽我部恵一さんに「下北沢という街について」という取材を行っている。『PAPYRUS』の2009年2月号、「下北沢DIY」という特集だ。そこでの彼の発言に近い。

前にイギリスのブライトンに遊びに行ったことがあるんですよ。そこではみんなが自然に身の丈で音楽をやっていて、そういうの、すごくいいなって思った。街にちゃんとアイデンティティがある感じがするんですよね。古着屋さんとかレコード屋さんがあって、小さなカフェの地下のクラブで毎日誰かがDJをしている。そういう、フラットな感じで街に音楽があるんです。
下北沢も、その街が持ってるサイズ感でこじんまりとみんな充足している。好きな街で、好きなように楽しんでる。それがすごくいいなって思うんです


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ただ、僕自身は「再開発計画で文化が消滅の危機に!」というような、眉をひそめて声を張り上げて“反対運動”的なトーンにも、ちょっと違和感を覚えるのも事実。僕自身は下北沢の住人ではないし、そこで商売を営んでいるわけでもない。だから当事者としての意見ではないけれど、「失われていくもの」に関してのノスタルジーには、そこまで共感しない。もし駅舎のデザインとか道路一本で文化が消えてしまうのならば、それはその程度のものなんだろうという気もする。時代は移り変わるし、時計の針は巻き戻せない。そして、そこで暮らす人達のムードやトーンで街の雰囲気は作られるから、たとえ駅がガラス張りのデザインになろうと、駅前に高層ビルが建とうと、ロータリーが出来ようと、そこを歩く人達が「好きな街で、好きなように楽しんでる」ことさえできるならば、「シモキタ文化」は潰えない予感がする。

一方で、やっぱり小田急地下化の跡地はロータリーにして車をがんがん入れるよりも、公園っぽい歩道にしたほうが「粋だよな」という感覚もある。ノルウェーのベルゲンに行ったときも思ったけれど、街の真ん中に車が入ってこない広い歩道があるって、すごく気持ちがいいんだよね。


(ベルゲンの街並み。ちょっと写真ではわかりにくいけれど、撮った背後は町の中心通りで、そこには車は入ってこれない。広い歩道があって、カフェのテーブルなんかが並んでいる。そこで人々がのんびりとコーヒーを飲んでいたりする)

それと、都内で車移動することもある立場としては「都市計画道路補助54号線」(スズナリから下北沢北口前を突っ切る幅26mの大通り)に関しては、シンプルに「いらないよね?」ということも思う。もうすぐ井の頭通りの拡幅工事が完了して片側2車線になる。そうすると、山手通りの富ヶ谷交差点から環七までわりとすっきりしたアクセスが可能になる。となると、別にわざわざ下北沢の街並みをなぎ倒して道路を突き通さなくても、世田谷から渋谷・原宿方面への道はある。むしろ茶沢通りの踏切を越えたところから大山交差点への道を拡幅するなり、そこから東北沢までの小田急跡地を道路にするなりすればいいんじゃない?とも、素人考えでは思う。

なんだかまとまらないけれど、僕としては、ノスタルジーに基づく感情的な“反発”には違和感を覚えるけれど、結局その人達の主張とは同じスタンスである、という感じなのかな。

複雑なのだ。