日々の音色とことば

usual tones and words

2010年の音楽シーン(2)/情報の処理速度について

twitterでは何度も繰り返し書いてきたことだけれど、2010年の音楽シーンにおいて顕著だったのは、さまざまな立場のさまざまなミュージシャンが「情報の消費スピードが上がっていること」に向きあって表現活動をしていることだった。僕がインタビューしてきた中でも、必然的に何人もそのテーマでの語り合いになった。

既にいろんなところに書いたけれど、細切れの情報が圧倒的な速度で消費されるようになった今のカルチャーの現状に対して、多くのミュージシャンはカウンターとしての表現を行っている
http://twitter.com/#!/shiba710/status/23158741309

ブンブンサテライツがじっくりと向きあって聴く大作を作り上げたのも、KREVAが「閉塞感」をキーにしてそれを打ち破ろうとリリックを書いているのも、2010年の時代の空気への必然的な対応だと僕は思っている。
http://twitter.com/#!/shiba710/status/23159024705

逆に言うと、OKAMOTO'Sや神聖かまってちゃんは、情報消費のスピードが圧倒的に上がっていることを前提に自分の表現を打ち出しているわけで。単なる世代や年齢の差じゃなくて時代が変わったことを背景に「新世代」の人達が脚光を浴びているという事実がある。
http://twitter.com/#!/shiba710/status/23159318707

他にも、ビークルのヒダカさんや、サカナクションの山口くんや、オレンジレンジのNAOTOくんや、ミイラズの畠山くんや、いろんな人と「今という時代に、音楽はどういう表現であるべき、ミュージシャンはどういうスタンスでいるべきか」というテーマでの話をした。立場はいろいろだし、どういうスタンスを取っているかも人それぞれだけれど、「変化が起こっている」という認識においては皆一様だった。

僕自身のスタンスは、最近では少し変わってきている。

今年の前半は、正直言うと「つらいなあ」という感じだった。「右を見ても左を見ても閉塞感しか感じられないなあ」という感覚だった。情報は明らかにジャンク化している。質よりスピード。内容よりもアクセス数。特にネットメディアを見ているとそれを実感する。音楽もそういう波に飲み込まれてジャンクなものに埋め尽くされるのかなあと思うと、ちょっとやるせない気持ちにもなった。話題はそれるけれど、テレビもそうだよなあと思う。特に海老蔵関連のワイドショーとか、味のしなくなったガムを繰り返し繰り返し噛み続け、吐き出してはまた拾って噛み続けるような気持ち悪さがある。

でも、どうやら音楽に関しては、ジャンクなものにならなそうな気がしている。特に日本のロックのシーンを見ていると、どんどん切実で突き刺さる音楽が出てきている。もしくは消費される速度を前提にしたスピード感のあるものが出てきている。オリコンのシングルチャートはもうなんだかよくわからないものになっているけれど、そことは別のところでいろんなものが生まれている。というか、あれはもう、指標としての意味も、もうほとんど失っているだろう。CDが売れない、音楽業界の先行きが見えない、というテーマでも今年何度か記事を書いたけれど、現場ではもうそれは「前提」になっている。そこをスタートにした、身軽なコミュニケーションが模索されている。

向かい風はキツイけど、そういう時代だってこった、って思うようにしている。