日々の音色とことば

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冨田勲「イーハトーヴ交響曲」と、初音ミクの神話性



イーハトーヴ交響曲

初音ミクは「雨ニモマケズ」を歌わなかった

冨田勲『「イーハトーヴ」交響曲』、11月23日に行われたその世界初演をライヴ収録したCDがリリースされた。僕は東京オペラシティコンサートホールにて行われたその公演を生で観た。胸を揺さぶられるような内容で、テクノロジー的にも、音楽的にも、とても刺激的な体験だった。

オーケストラと初音ミクの共演が実現したこの公演。しかし、実はそのこと自体への驚きは少なかった。会場に一歩足を踏み入れると、ステージ上段中央には半透明のスクリーンが設置されている。「ああ、あそこに初音ミクが登場するんだな」と思った。

透過型スクリーンを使ってミクが演奏者と共にステージに立った先行例は沢山ある。だから、どんな技術でそれが実現しているのかはわかる。ただ、今回の公演ではあらかじめプログラミングされたリズムにオーケストラが合わせるのでなく、大友直人氏の指揮に合わせてミクが「歌う」というスタイルでの演奏だった。それを実現するためには数々の苦難があったようだし、そのことに対する技術的な興味はとてもあるのだけれど、そのことがダイレクトに感動に繋がっていたわけでもなかった。

僕が惹きつけられたのは、むしろ初音ミクが「歌わなかった」言葉だった。それはつまり、冨田勲氏が10数年の構想を経て取り組んだ交響曲の中で、「初音ミク」というキャラクターに、彼女にしか担えない役割を託していたことを意味していた。

宮沢賢治の世界を音楽化した「イーハトーヴ」交響曲は、7つの曲から成り立っている。

1. 岩手山の大鷲<種山ヶ原の牧歌>
2. 剣舞(けんまい)/星めぐりの歌
3. 注文の多い料理店
4. 風の叉三郎
5. 銀河鉄道の夜
6. 雨にも負けず
7. 岩手山の大鷲<種山ヶ原の牧歌>

このうち、初音ミクがソリストとして登場したのは「注文の多い料理店」「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」の3曲だ。東北の風景を描写した「岩手山の大鷲」に始まり、音楽が描く物語は徐々に現実世界から幻想世界へ飛翔していく。そして「注文の多い料理店」でミクが初めて登場する。冨田勲はパンフレットにこう書いている。

ミクの歌は2人のイギリスかぶれのハンターに、もはやここからは出られないことをアラビア風ジンタのリズムにのった歌で暗示します。

あたしはハツネミク かりそめのボディー、
妖しくみえるのはかりそめのボディー、
あたしのお家はミクロより小さく
ミクロミクロミク ミクのミクのお家、
パソコンの中からはでられないミク、
でられない、でられない、でられない

このあと、ミクは「風の又三郎」や「銀河鉄道」のカンパネルラの歌を歌いますが、私の感じている風の又三郎やカンパネルラ像は、物語では男の子の設定ですが、他方非常にボウイッシュな少年のような女の子とも感じとれ、この異次元的なキャラクターは初音ミク以外にはないと考えました。
宮沢賢治先生自身もどこか遠い異次元界から表れ、この世の人々の幸せを願い、いくつもの愛される作品を残し、やがて最愛の妹トシのいる世界へ帰っていきました。
(冨田勲「イーハトーヴに寄せて」より)」

「銀河鉄道の夜」のクライマックスのあと、少しの静寂を経て「雨にも負けず」が始まる。「雨ニモマケズ/風ニモマケズ」から始まるあの有名な詩が、抑制されたメロディで合唱団によって歌われる。ここで音楽が描く物語世界は、壮大な幻想宇宙から一気に宮沢賢治が生きた東北の厳しい現実に引き戻される。ここで初音ミクは登場しない。

僕にとっては、ここがクライマックスだった。「もしここでミクが登場したら全てが瓦解する」くらいの心持ちになっていたのをすごく覚えている。百数十人の男女が歌う「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」。宮沢賢治の遺品である大きな革トランクの中にあった手帳に走り書きされていたその言葉は、あくまで人間の声として放たれる必要があった。

つまり、イーハトーヴ交響曲における初音ミクは「新しい技術としてオーケストラにボーカロイドを取り入れてみました」というような浅薄なものではなく、単なる人間の声の代替物でもなく、ちゃんと彼女にしか担えない意味と役割が与えられていたということだ。「異なる次元から現れた、かりそめの歌い手」として、いわば神話的な存在として、初音ミクが宮沢賢治の世界の中に具現化していた。

新しい時代のフォークロアとしての「初音ミク」

もう一つ、すごく印象的だったのが、初音ミクがスクリーンの上で「踊る」ということだった。たとえばニコニコ動画でMMD(MikuMikuDance)などを見慣れている人にとっては、初音ミクがダンスをする演出は当たり前と思えるかもしれない。でも、あの場においては明らかに違和感を生み出す作用をもたらしていた。直立不動の合唱団が百数十人並ぶなかで一人画面の中で踊りながら歌うソロシンガーというのは、そのまま「人間世界の規律に縛られない存在」を思わせる。それが、風の又三郎やカンパネルラのイメージとリンクする。そして、それは同時に「画面から出てこれない」ミクの存在を思わせる。

《パソコンの中からはでられないミク でられない、でられない、でられない》

「注文の多い料理店」で初音ミクはこう歌う。

「私は画面から出られない、でも私はみんなの歌姫だよ」というのは、「ハジメテノオト」や「初音ミクの消失」など初音ミクのキャラクター表現としてボカロ黎明期の楽曲に繰り返し描かれたテーマで、それと繋がるモチーフが80歳の作曲家の手で改めて描かれたのも興味深かった。

ボーカロイドというものは、音楽制作ツールとしてはあくまで人間の声の代用品として開発されたものだ。いろんな楽器の音を電子的に合成するシンセサイザーと同じように、歌声を人工的に合成するソフトウェアが本来的な存在だった。日本におけるシンセサイザー音楽のパイオニアである冨田勲氏がボーカロイドを用いた交響曲を作曲したということは、そういう電子音楽史の文脈としても重要な意味合いを持っている。でも、それだけでなく、イーハトーヴ交響曲は「キャラクター表現」としての意味合いがとても強いものだった。

終演後に行われたTOWERECORDOMMUNEのトークセッションで、冨田勲氏は

「宮沢賢二だったから初音ミクがソロを歌ったんだよ。森鴎外だったら無理だった(笑)」

と言っていた。そのことはすごく示唆的だと思う。宮沢賢治は、東北地方に埋もれていたフォークロア(=民間伝承)と繋がりあうような、独自の幻想の世界を描いた小説家だった。中央の文壇には全く相手にされなかった作家だった。その世界を具現化するにあたって、結果的に冨田勲は「ニコニコ動画というメディア空間に広がる新しい形のフォークロア」とリンクするような物語を紡いだ。

それは、初音ミクというキャラクター表現を近代文学の延長線の先に位置づける試みのように思えた。そのことに僕は、とても興奮したのだ。

いろんな意味で、感慨深い公演だった。

(追記修正・初期段階ではフォークロアを”拾い集めていた”と書いていましたが、その仕事を為したのは柳田国男ではないかと指摘を受け、少し書き直しました。)