日々の音色とことば

usual tones and words

「音楽メディア」を巡るあれこれと、新しい音楽との出会い方

■問題は「紙 VS ウェブ」じゃない

先日、THE PUBLICにて、こういうトークイベントがありました。

「音楽メディアってなんだ!? 鹿野 淳×大山卓也トークセッション」http://2-5-d.jp/schedule/20130422p/

音楽情報誌「WHAT’s IN?」、「PATi・PATi」の休刊のニュースを受け、それぞれの思いをフェイスブック上で投げ合ったふたりが、公の場所で語りたいとの思いからスタートしたこの対談企画。同じ業界のなかにありながら、雑誌とWEBという違う環境で音楽を伝えてきたふたりによる対談は、ありそうでなかった最強の組み合わせ。誰もが「音楽メディア」が過渡期を迎えていることを実感している、いま、このタイミングでふたりが思いをぶつけ合います。
また、スペシャルゲストとして、アーティストの金井政人氏(BIGMAMAヴォーカリスト)と、編集者の河口義一氏(WHAT’s IN? WEB編集長)を交え、それぞれ見解を語っていただきます。もしかしたら途中で飛び込みで、トーク参加者が増えるかもしれません。
「音楽メディア」を話すには避けて通れない、貴重な組み合わせによる講座です。

そのアーカイブがこちら。

当日のツイッター実況などのまとめは、こちら。

音楽メディアってなんだ!? - 鹿野 淳 ×大山卓也トークセッションのまとめhttp://togetter.com/li/492025

参加したかったなー。『MUSICA』でも『ナタリー』でも『WHAT’S IN』でも原稿を書かせてもらってるし、『NEXUS』というウェブメディアではそれこそ鹿野さんと一緒にコンテンツ制作に携わっていたりするわけで、まさに当事者のど真ん中。ライターとしての立場から発言できることだって勿論ある。

何より、前半のこの流れのところでリングに上がりたかった。



別に自分のことを有名だとかアルファブロガーだとか全然思ってないけど、鹿野さんの定義する「音楽にまつわるモノ・ことについて意見を述べるのがジャーナリズム」というのを、記名でブログでやってる人間が、とても身近なところにいますよ!?ということは、あの場所でちゃんと言っておきたかったな。「お金の出る・出ないは文章に対しては差はないのでは?」という大山卓也さんの投げかけに対しても、書き手の実感として告げられることはあるし。

会場で手を挙げてでも発言したら、その後の話の流れをもうちょっとかき回せたんじゃないかなあ、と。


ちなみに、高橋健太郎さんが編集長を務める、フリーのウェブ音楽雑誌『ERIS /エリス』というものもある。
http://bccks.jp/store/eris

あと、僕が毎回楽しみにしてるウェブ上の連載記事で、こんなものもある。

「歌のしくみ」- MODERN FARThttp://modernfart.jp/2013/04/10540/
(これは編集者の伊藤ガビンさん立ち上げたサイト「MODERN FART」上の細馬宏通さんの連載)

とか、ウェブ上で読めるとても良質な”音楽ジャーナリズム”だと思うし。

たとえ”公人”じゃなくても面白い音楽ブログ沢山あるし。

Hi-Hi-Whoopeehttp://hihiwhoopee.tumblr.com/

レジーのブログhttp://regista13.blog.fc2.com/

kenzee観光第二レジャービルhttp://bungeishi.cocolog-nifty.com/

pitti bloghttp://pittiblog.ldblog.jp/

Come-In Come-Out - Hiroyuki Oyama's Bloghttp://comein-comeout.com/

とか。とりあえずざっと挙げただけですが、まだまだ他にもあると思います。

改めて言うけど、紙メディアとウェブメディアを対比させて、どっちのほうが便利だとか、どっちのほうが思いが伝わりやすいとか、優劣を語ってもしょうがないと思います。それが僕の率直な感想。そういう意味では、『MUSICA』の有泉編集長のコメントには僕も同意。


■すべての「個人」が「音楽メディア」になる時代

で、ちょうどその日、僕は別のトークイベントに参加してました。それがこちら。

4/22『sensor 〜 it&music community』powered by happydragon
vol.7『音楽との出会いは宝探し!? 〜 スマホで変わる音楽の楽しみ方』

http://peatix.com/event/12279

“アナログ環境でのワクワクが止まらなかった音楽の探し方、楽しみ方”を、どうすれば“デジタル環境に再定義”し、盛上げることができるのか? そんなテーマでトークしていきたいと思います。

ふくりゅうさん(音楽コンシェルジュ)、山口哲一さん(音楽プロデューサー)がMCをつとめるイベント。僕以外のゲストは浅枝大志さん(「Beatrobo」開発者)、関根佑介さん(Groovy、Discodeer設計者)で、お二人とも、音楽との出会いや、音楽を通じた新しいコミュニケーションを生み出すべく、ウェブサービスやアプリを開発してきた方。

僕は以下の記事の書き手として、ストリーミングや音楽配信サービスの最新事情を紹介する、という立ち位置で参加しました。

第55回:「聴き放題」だけでは音楽ストリーミングサービスが成功しない理由〜「着うた」市場壊滅の本当の理由から、次世代音楽配信サービスの「成功モデル」を探る〜 | DrillSpin Column(ドリルスピン・コラム)
http://www.drillspin.com/articles/view/571

387348_598495856827129_1175950354_n.jpg


結論から言うと、こちらの方は、めちゃめちゃ有意義な話ができたと思ってます。関根さんも、浅枝さんも、プログラマ目線で設計を語るだけじゃなく一人の音楽ファンとしてサービスやアプリの思想を熱く語っていて、共感するところはすごく大きかった。

僕が話したことの骨子は以下のとおり。



というわけで、冒頭の鹿野 淳さんと大山卓也さんのトークセッションに話は戻る。あの日の僕のこのツイートには、こういう背景があったわけです。




大山卓也さんの「鹿野さんみたいな人が本気で取り組めば〜」という最初のコメントに示唆されているように、結局は「人」なんだと思うのです。

鹿野さんの掲げる音楽ジャーナリズムが信頼されているから『MUSICA』には熱い読者からのリアクションがあるわけだし、沢山のウェブ音楽メディアがある中でナタリーが最も見られるサイトになったのは、大山卓也さんのスタンスがきちんと浸透しているからだと、思う。

テレビもラジオも雑誌もウェブも、ブログもツイッターもYouTubeもニコニコ動画もスマートフォンのアプリも、「それを通して誰かがお気に入りの音楽を知ったり、音楽の楽しさや面白さを知ったりしたもの」は、すべて音楽メディアとして機能していると、僕は考える。もちろん媒体の特性はそれぞれ違うし、伝播力も影響力も違うけれど、あくまで土俵はフラット。全ては人次第。

そして、それぞれの音楽メディアにおいての「影響力」や「信頼」は、決して特別な一部の人、“公人”にだけ備わっているものではない、と僕は思う。誰もがメディアになり、誰もが批評行為を行うことができる。伽藍からバザールへ。そういう風に情報環境が変わりつつある。たとえば「食べログ」や「NAVERまとめ」のアーキテクチャを考えれば、そのことは明らかだと思う。

というわけで、この話、もうちょっと続きます。