日々の音色とことば

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続・音楽メディアを巡るあれこれ〜食べログ研究と「影響力はどこから生まれるか?」という話

■炎上する「App Store」と信頼される「食べログ」

食べログキャプチャ

今回の記事は、

「音楽メディア」を巡るあれこれと、新しい音楽との出会い方http://shiba710.blog34.fc2.com/blog-entry-544.html
の続きです。

それぞれの音楽メディアにおいての「影響力」や「信頼」は、決して特別な一部の人、“公人”にだけ備わっているものではない、と僕は思う。誰もがメディアになり、誰もが批評行為を行うことができる。伽藍からバザールへ。そういう風に情報環境が変わりつつある。たとえば「食べログ」や「NAVERまとめ」のアーキテクチャを考えれば、そのことは明らかだと思う。

前回の記事で、そういう風に僕は書いた。紙 VS ウェブとかやりあっててもしょうがない、結局は人でしょ?っていう。

でも、そうやって誰もが情報を発信できる、すべての個人がメディアとなりうる時代になったとき、そのメディアの価値の由来となる影響力や信頼はどこから生じるのだろうか。最近、僕がつらつらと考えるのは、そんなこと。

というわけで、今日の話は、まずは食べログについて。音楽メディアとフィールドは違うけれど、食べログについて考えると、いろんなことが見えてくる。

食べログイメージ20130415

食べログの普及は、「食」に関してのメディア環境を大きく変えた。僕自身、その実感は大きい。見知らぬ街でカフェやレストランやラーメン屋を探すときには、とりあえず食べログを検索するようになった。別にランキングをそこまで信頼しているわけではないけれど、ある程度の点数以上が表示されていると「まあハズレではないだろう」という予測が立てられるようになった。そのおかげもあって、最近、東京で暮らしていて「不味かった」とか「がっかりした」とか、そういう風に思うことが段々少なくなってきた。

ただ、食べログのようなレビューサイトがどこも信頼を獲得しているかというとそうではない。下の記事でも紹介されている通り、たとえばApp Storeのレビュー欄はヒドいことになっている。Amazonだってよく炎上している。

App Storeのレビューに、日本のモンスター消費者の片鱗を見る - 脱社畜ブログhttp://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2012/12/04/213102

ステマ騒動もあったけれど、それでも食べログがある程度の信頼性を保っているのは何故か。それは口コミを投稿し情報発信する「レビュアー会員」という存在にスポットが当たっているからだと思う。

『PLANETS vol.8』掲載の川口いしやさんによる論考「『食べログ』の研究――レビューサイトがもたらした『食文化』と『都市』の風景」には、こうある。

食べログのレビュー投稿条件には、「300文字以上」という制限が設けられている。これを苦痛に感じる人には食べログは使えないアーキテクチャであり、この制限がレビューの質を担保している。

中級者以上になると、レストランランキングよりも、レビュアーランキングを重視するようになる。(中略)点数やランキングでレストランを選ばず、ランキングからお気に入りのレビュアーを見つけて、その人が推しているレストランを探すことが多い


PLANETS vol.8PLANETS vol.8
(2013/01/04)
宇野 常寛、濱野 智史 他

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食べログでは、レビュアー会員のランキング制度があったり、ある程度の文字数以上での投稿が必須となっていたり、一人一人のレビュアーに“批評行為”を行うモチベーションが高まるべくアーキテクチャが設計されている。そのことがレビューの信頼性を担保し、お気に入りの店に巡りあうためには「自分の好みとあう、信頼できるレビュアーを見つける」ことが点数以上に大事なことだという考えが定着してきている。

でも、食べログのレビュアーは基本的にハンドルネームなので、レビューの信頼性は、その人に知名度があるかどうか、グルメ評論家として実績があるかどうかには、ほとんど関係ない。そこに僕は興味がある。

■「出会う」というゴール

上記『PLANETS vol.8』掲載の「『食べログ』の研究〜」では50代、40代、20代という3人のレビュアー会員へのインタビューを行なっているのだけれど、そこで世代を超えた2名から興味深い意見が出てきている。

「食べログの特長はいくつかあってさ、その一つにオフ会があるんだよ」。撮影が一通り終わると、彼は話し始めた。「こんな風にいうと出会い系かと思われそうだけど、自分も月に3回くらい、2,3人の女性とオフ会をしている。俺みたいなおじさんが20代、30代の女性と食事をできるし、自分の生活圏と違う人達と話せるのが面白いんだ」

50代男性のレビュアー会員、Aさんはこんな風に語っている。「相手は俺が書いたレビューを読んで、人柄がわかっているから誘いやすいのだろう」と分析している。同記事にある20代女子大生のCさんへのインタビューも、その事実を裏付けている。

彼女によれば、会う人の信頼度は食べログのレビューからわかるという。「レビューを見ればどんな人か大概わかります」とのことだ。そんな彼女は最近、交友範囲を意識的に広げているという。「スマホにしてからTwitterをいじるようになって、都内全域の人と仲良くなっているんです。だから最近はわざわざ遠くに行く理由を作っていますね。下町に詳しいあの人と知り合ったから、じゃあそっちに行こうか、とか」

興味深いのは、レビュアー会員たちが「見知らぬ人と知り合う」「出会う」という欲求に駆動されている、ということ。でも、当然食べログは出会い系ではないし、誰でもいいわけじゃない。世代や生活圏が違っても、「食」を通じて話題を共有できる人。そして、信頼できる人が選ばれる。

さらに特筆すべきは、レビュアー会員たちは「食について語る」という行為から、レビュー対象だけでなく、レビュアー自身の人柄も読み取っている、ということ。

つまり、食べログにおいては、ハンドルネームの口コミレビュアーが、写真や文章をもとにした「信頼」を醸成していくゲームのプレイヤーになっている、とも言えるわけだ。「レビュアー同士が知り合う」「出会う」というゴールを目指した、いわばゲーミフィケーション的な行為としての「批評」が、そこにおいてなされている。それが、使い物にならないApp Storeや炎上を繰り返すAmazonレビューとの大きな違いになっている。

で、この話って、そのまま「音楽」にも当てはまると思うのだ。食文化ほどユニバーサルなものではないけど、「何かについて語る」というところからその人の人柄を読み取るというのは、音楽や映画や、いろんなカルチャーにおいても、当たり前にあることだし。

食べログの「オフ会」にあたるものとして、音楽好きにとっての「フェス」を読み替える。そういうウェブサービスがあっても面白いんじゃないかな、とか思ったりして。

■影響力は何から生まれるか

で、話は最初に書いた「すべての個人がメディアとなりうる時代になったとき、それぞれの個人のメディアとしての信頼や影響力の差はどこから生じるんだろう」というところに戻る。

そもそも、影響力ってなんだろうか。人を動かす力。それは権威とか名声のようなものだろうか。テレビで見かけるタレントとか、何らかのオーソリティーが持っているものだろうか。好感度の高い芸能人とか、ファッションモデルとか、文化人とか、専門家とか、そういう人が持っているものだろうか。

ネット界隈でも“インフルエンサー”みたいな言葉が、よく使われたりする。 “アルファブロガー”とか“カリスマ◯◯”みたいなものが持て囃されたりする。フォロワーの数を競ったり。そういうことを言っている人は、「影響力は権威や地位に付随するもの」という発想が当たり前のように根底にあるんだと思う。

でも、たとえば食べログにおいては、レビュアーは、著名なグルメ評論家でも“カリスマ◯◯”でも何でもない。それでも、「レビューを見れば人柄がわかる」と会員は口をそろえる。「あの人の言うことは信頼できる」、そういう風に沢山の人に思われることが影響力の源泉になっている。

そのことが、僕はとても興味深い。

いわゆるマスメディア、“伽藍”としてのメディア環境においては、確かに影響力は「権威や地位に付随するもの」だろう。でも、食べログのようなソーシャルメディア、オープン型の“バザール”としてのメディア環境においては、影響力は「行動の蓄積に付随するもの」になっている。

その人の信頼は、発信している情報と行動にブレがないこと、顔が見えることから生じる。影響力は、名声や地位やカリスマ性から事後的に生じるものではなく、一つ一つの発信と行動が、どれだけの人を「なるほどねぇ」と思わせたかの蓄積として測られる。

結局は「人」――という結論は単純だけど、いろいろ考えていくと、この辺の話はすごく重要だと思うのです。まだまだ深く掘り下げられそうな気がしてます。

でm,実は、この流れで「NAVERまとめ」についても語ろうと思ってたんだけど、「食べログ」だけでずいぶん長くなっちゃった。なので、ここからは次回予告。

レジーのブログ 『OTONARI』と柴那典さんインタビューから考える「音楽」と「仕事」の話
http://regista13.blog.fc2.com/blog-entry-67.html
でも語ったけど、僕は、「NAVERまとめ」は、もちろん玉石混淆だけど、それでも紙媒体ともウェブメディアとも違うユーザー発信の音楽メディアとして機能してると思うのです。そう考えるようになったきっかけが、昨年夏に以下の記事を見たこと。

日本一POPでクレイジーなバンド「Wienners」が最高すぎる - NAVER まとめhttp://matome.naver.jp/odai/2134628077408181701
このまとめを作成した「しろくマン」さんにメールで話を聞いてみたので、そのことについて次回は書きます。