サニーデイ・サービスのニューアルバム『DANCE TO YOU』を、リリースされてから繰り返し聴いてる。すごくよい。最初はピンと来なかったんだけど、何度か聴くうちにどんどんハマってきた。その「よさ」の輪郭がクリアになってきた。
これ、相当ヤバいアルバムだ。ドラッギーだとも言える。ちょっと聴いただけじゃ気付かない。基本的にはゆるいテンポのダンサブルなリズムの楽曲が並ぶ、軽やかでポップなアルバムだ。スロウなディスコビート。ファンキーなベースライン。お洒落なエレキギターのカッティング。メロウな旋律に乗せて、曽我部恵一が持ち前の柔らかい歌声を響かせる。
だから「いいアルバムだよね」「ですよね」みたいな感じで消費されてしかるべきだと思う。そんな風に聴かれても何もおかしくない。
が、よくよく耳を凝らして聴くと、ヒリヒリした感触、精神の暗がりみたいなものが透けて見えてくる。
今回のアルバムについてナタリーの大山卓也さんがインタビューで「サウンドはポップでメロウなのに、どこか鬼気迫る印象を受けた」「メロディやサウンドは軽やかなのに、全体から受ける“圧”がすごい」と語っている。僕も同感。
この記事に「悪魔に憑かれた渾身ポップアルバム」というキャッチをつけているのだけれど「まさに」と思う。
常軌を逸していると思う。
■異常な制作過程
何が常軌を逸しているか。
上記のインタビューでも語られているんだけれど、この『DANCE TO YOU』というアルバムが完成するまでには異様な時間がかかっている。作り始めたのが2015年の春。そこから数ヶ月かけて2015年の初夏にアルバムが一度完成したものの、そこにあった10曲は全てボツになってしまう。
上記のインタビューではこんな風に語られている。
普通は核になる曲が何曲かできて、それを中心に10曲とかまとめてアルバム完成ってことになる。6月ぐらいに一度そういう状態になったんだけどね。
──6月って1年前ですよね?
そう(笑)。そのときに一度完成したはずなんだけど、もっと新しいものを出したくなったというか。いわゆるサニーデイっぽさを残さずに、完全に脱皮した状態を見せたくなって。
──でもその新しいものがどういうものかは見えないまま?
だから途中からこれはヤバいな、このままずっと完成しないんじゃないかって思い始めて。「これでいいんじゃないか」と「もうちょっといかないとダメだろう」っていうののせめぎ合いでしたね。
──最終的に何曲ぐらい作ったんですか?
50曲は作ってる。そのうち40曲以上はちゃんと録ってミックスダウンまでしてるし。
──めちゃくちゃですね。
めちゃくちゃだと思う。そもそもレコーディングには予算ってものがあるからさ。スタジオ代やエンジニアのギャランティを確保して、だいたいの予算を決めた上でスタジオに1週間とか入るんだけど、結局そこでは何もできなかった。
──でもレコーディング初体験の新人じゃあるまいし、普通はもう少しうまくやれそうなものですが。
もちろん予算とか期間のことを考えたら、落としどころはあったと思うんだけど、でも今回は自分のアーティスト性のほうが勝っちゃったんだよね。よくわかんないところから無理やりひねり出すみたいな感じで、とにかく作り続けてた。
制作の途中でドラマーの丸山晴茂は体調不良により離脱。結局、曽我部恵一自身がドラムを叩き、夜通し編集作業を経て、最終的にはほぼソロのような体制になりながらアルバムは完成する。
もちろん、ロックやポップスの歴史をたどれば、もっとめちゃくちゃなレコーディングは沢山ある。たとえばケヴィン・シールズはマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの名盤『ラブレス』の制作費用がかさんで、レーベルを倒産寸前にまで追い込んでいる。日本でも、巨大なスタジオを何ヶ月もロックアウトして結局一曲も完成しなかったとか、作った曲を全部ボツにするとか、そういう例は枚挙に暇がない。
ただ、曽我部恵一の場合は、彼自身がインディーズレーベルの経営者であるというのが大きなポイントだ。しかも稼ぎ頭である。スタッフもいるし家族もいるし抱えているアーティストもいる。巨大な資本に支えられたメジャーレコード会社に所属するアーティストとは金銭感覚が全く違う。
40代も半ばを超えたそういう人が
「めちゃくちゃになっちゃいましたね、すべてが」
「やっぱり“業”なのかな」
「理性の部分を超えて、全部を破壊しようとする何かが自分の中に生まれてきたんだよね」
とか言っているの、率直にかなりヤバいと思うのだ。
■幻になったアルバム
ちなみに僕は去年の夏に『AERA』の「現代の肖像」という企画で曽我部恵一さんに密着取材していた。
その中ではこのアルバムのレコーディングスタジオにもお邪魔していて、なので、スタッフやメンバー以外では数少ない「ボツになった曲」を聴いている人間ということになる。
その時に書いた文章を引用します。
世田谷の閑静な住宅街の一角にある小さなレコーディングスタジオに、ピンと張り詰めた空気が漂う。エンジニアの合図と共に流れてきた音楽に載せて、ブースの中でマイクに向かった曽我部恵一(44)が、丁寧に歌声を響かせる。ゆったりとした、しかしとても繊細な雰囲気を持った曲だ。
「うん、いいんじゃないかな」
声の調子やニュアンスを変え、何度かの録り直しを経て、曽我部は小さく頷く。
彼は今、自らのバンド「サニーデイ・サービス」の新作のレコーディングを行っている。デビューは94年。情緒的なメロディと日本語の柔らかい響きを活かした歌詞でロックファンに確かな支持を集めてきた。新作は通算10枚目、2008年の再結成からは3枚目となるアルバムだ。ただし、発売の予定はまだ決まっていない。
スタジオにいるのは、曽我部とバンドメンバーの田中貴、丸山晴茂、そしてマネージャーとエンジニアの5名のみ。昼過ぎに集まり、ときに他愛のない話をかわしながら、作業はたいてい深夜か早朝まで続く。三児の父でもある彼は、翌日起きて子供たちを学校に送り出すと、眠そうな目をこすりながら、またスタジオに向かう。そんな毎日が、数ヶ月続いている。
「ものによっては数日でパッと録ってしまうアルバムもあるし、サニーデイの前のアルバムも一週間くらいで仕上げたんで、ここ数年では一番長い時間がかかってると思います」
この取材を開始したのがまさに去年の6月くらいの頃。たしかフジロック前だったはず。その時点で「ここ数年では一番長い時間がかかってると思います」と言っていた。で、その時に聴いた曲も、正直、めちゃいい曲なんですよ。少なくともボツにするようなレベルでは全くない。
で、その夏にフェス出演の裏側を追ったり、メンバーの田中貴さんやROSE RECORDSの岩崎朗太さんやMIDI時代のディレクター渡邉文武さんにインタビューしたり、香川県坂出市にまで行って母親の曽我部輝子さんに話を聞いたり、いろんな周辺取材を経て9月に再び曽我部さんにインタビューしたら状況が変わってた。
上記の記事から再び引用。
しかしアルバム完成の目処はまだ見えていない。
「再結成してから2枚のアルバムは、今の3人が出せる音を自然体で出そうと作ったんです。でも今はそうじゃなくて、自分の意識下を探るような旅になっている。暗闇の中で自分に対峙するような感じがある。20代半ばの頃の感覚に戻っている気がします」
制作の過程は二転三転している。ツアー前にシングルをリリースする当初の計画もなくなった。冒頭に書いたレコーディングの時点で筆者が聴かせてもらったものも含めて、最初に録音した10曲は全て白紙になった。レコーディング費用の数百万円が水の泡になったと言いつつ、「陶芸家が窯から取り出した作品を気に入らなくて割るようなときって、困るんだけど、ものづくりの醍醐味と思ったりもする」と言う。振り回される形となった田中も「僕らは曽我部がそういう人間だってわかってますから」と笑う。
どうなるか全くわからないと言いつつ、曽我部は今探っているものをこう語る。
「子供が夢で見るような、漠然とした、説明がつかないような風景を音楽にしたいという気持ちがある。僕らがバンドを始めたころの日本のロックはみんなでマスゲームのように同じタイミングで拳を振り上げるものが主流で、それは今も同じ。そういうものに対する反発心で、全く違うものをやろうとしていたのがサニーデイ・サービスというバンドだったんです」
静かな、しかし芯の強いパンクの意志が曽我部恵一というミュージシャンを導いている。
この記事が出たのが去年の秋だったので、さらにそこから半年は制作が続いたことになる。相当ヤバい。
■自分の意識下を探るような旅
もちろん制作過程が大変だったというのは、いろんなアーティスト、いろんな作品でもよくある話だと思う。なんだかんだ言って、本当に「ヤバい」のは肝心の中身のほうだ。
なんでこれでMV作らないのか謎なんだけど、アルバムを象徴するのは冒頭の2曲「I’m a boy」と「冒険」だと思う。
「I’m a boy」の歌詞がいい。
きみのことが忘れられない
なにをしても手につかない
ぼくの中に暗い夜が続く
きみと手をとりさまよい続けたい
祈ることしかできないのか?
祈ることすらできないのか?
神様は踊っているのかな?
ああこのままさまよい続けたい
「冒険」もネジが外れている。最近のバンドにたとえるならD.A.N.みたいな感じの曲。ひんやりしたミニマルビートとカッティング・ギターに乗せて「♪ぼくは ぼくは ぼくは…」(♪パー、パパパ、パー~)「♪こんな場所で こんな場所で」と歌う。酩酊感しかない。
「血を流そう」も、ちょっと普通の曲じゃない。けだるい感じのビートに乗せてギターとユニゾンするメロディで「今夜血を流そう」と繰り返す。不穏な転調が訪れる。
シングルカットされた「苺畑でつかまえて」も、よくよく改めて聴くととかなりドラッギーな曲だ。
サニーデイ・サービス「苺畑でつかまえて」【Official Music Video】
見たこともないこんな街で 知らないだれかを探してる
苺畑で逢えるのかな
(……たぶん会えないよ!)
「パンチドランク・ラブソング」も。
サニーデイ・サービス「パンチドランク・ラブソング」【Official Music Video】
「ねえ、ここは何て名前の街だっけ?」
メロンソーダ アイスクリーム 溶けていく「ねえ、ここは何て名前の街だっけ?」
メランコリア 愛す 狂う ほどけていく
「セツナ」も。
サニーデイ・サービス「セツナ」【Official Music Video】
子供の頃に作ったしゃぼん玉に乗ってふたりでこの空を飛ぼう
曽我部恵一BANDでも、ソロでも、基本的にはここ10年くらいの曽我部恵一は日常や生活と地続きのことを歌詞に書いてきた。下北沢という街で暮らしていることとか、子供がいることとか、そこで考えた日記みたいなことを歌にしてきた。
再結成後のサニーデイ・サービスの2枚のアルバムもそう。40代になった3人の自然体が、そのまま音になっていた。
でも、このアルバムの歌詞で描かれているのは完全に脳内風景。「日常」とか「自然体」とかと一番対極にある世界だ。しかもキマりまくってる。クスリとかそういうんじゃなくて、想像力だけで飛んでいる感じ。自分の精神の内奥の暗がりの奥の方まで降りていく感じ。そういうアルバムの風景が繰り広げられる。
で、混沌の中進んでいくアルバムのストーリーは、「桜 super love」で、
きみがいないことは きみがいることだなぁ
桜 花びら舞い散れ あのひとつれてこい
夏に見つけたら 冬にひもといて
いつも踊ってる 僕も踊ってる
と、ふわーっとしたダンス・ミュージックの高揚感に達する。結局のところ何にも解決してないんだけど、なんだかOKになってしまう感じ。
そこがとても素敵だ。時を止めるような透明なロマンティシズムが音楽になっている。
サニーデイ・サービスというバンドは、解散と再結成を経て、ようやく『LOVE ALBUM』と「魔法」の次に来るべきアルバムを作り上げたんだと思う。