日々の音色とことば

usual tones and words

『アンナチュラル』と米津玄師「Lemon」が射抜いた、死と喪失

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(TBS公式ページより)

■取り残された側の物語

 

今日はドラマの話。先日最終回の放送が終わった『アンナチュラル』について。ドラマの筋書きも演出もすごくよかったけれど、何より印象に残ったのは米津玄師が手掛けた主題歌「Lemon」だった。

 


米津玄師 MV「Lemon」

 

観た人はきっと同じ感想を持っていると思うのだけれど、毎回、この「Lemon」いう曲が絶妙のタイミングで流れるのだ。主題歌だからと言ってエンドロールで流れるわけじゃない。1話完結形式で進んでいくドラマ、そのクライマックスのここぞという場面で曲が始まる。

 

夢ならばどれほどよかったでしょう

未だにあなたのことを夢にみる

 

戻らない幸せがあることを

最後にあなたが教えてくれた 

 

 

そう歌われる歌詞の言葉が、登場人物の心情とシンクロして響く。たとえばバイク事故で若くして亡くなった父親と残された母子が描かれる第4話。たとえばいじめによる疎外とその結実が描かれる第7話。『アンナチュラル』は法医学をモチーフにしたドラマなので、毎回、なんらかの死がストーリーの主軸になる。死者の残した手掛かりをもとに謎が究明されるという、ミステリーの王道のフォーマットが用いられている。

 

でも、『アンナチュラル』がユニークなのは、決して事件の解決や真犯人の解明が「辿り着くゴール」として描かれていないこと。もちろん法廷ドラマの側面もあるので、そういった描写は多い。しかし殺人だけでなく事故や病気や火災による死が扱われる話も多く「なぜ殺したのか」という動機の究明が行われることはほとんど無い。むしろ焦点が当てられているのは「取り残された側」の傷や痛み。

 

家族や恋人や友人や、大切な人を突然に亡くしてしまった人たちが否応なしに抱える、とても大きな喪失。「なぜ死んでしまったのか」という答えの出ない問い。胸にあいた巨大な空洞。ドラマでは毎話そこにフォーカスが当てられている。主人公のミコトと中堂も、大切な人を亡くした経験の持ち主だ。

 

ストーリーの中では、ミコトたち法医学者たちの尽力によって、亡くなってしまった人が最後に「どう生きていたのか」が解き明かされる。不条理な死の「意味」が取り戻される。しかし、失われてしまった幸せな過去はもう戻らないーー。

 

その瞬間。

 

米津玄師が「夢ならば、どれほどよかったでしょう」と歌うのだ。

 

■なぜ絶妙なタイミングなのか

 

僕はナタリーで米津玄師にこの曲についてインタビューしているのだけれど、彼自身、ドラマの中でこの曲が流れるタイミングについては強く印象に残っているようだった。

 

natalie.mu

 

──完成したドラマを観て、あのタイミングのよさは強く印象に残ったんじゃないでしょうか。

はい。本当にドンピシャのタイミングで流れるし、自分の個人的な体験から生まれてきたものが、物語となんら矛盾なく流れてくることに対して、不思議な感覚もありますね。確かにドラマのために書いた曲ですけど、同じくらい、もしかしたらそれ以上に自分のための曲でもあるので。でもそれが歌い出しの瞬間から、これだけリンクして流れるという。それは不思議な感覚ですし、どこか普遍的なところにたどり着くことができたんだなっていう証左でもあるなと思いました。

(上記インタビューより引用)

 

 

米津玄師が「個人的な体験から生まれたもの」「自分のための曲でもある」というのは、彼自身が肉親の死という渦中でこの曲を書いたから。ドラマ制作側から「傷付いた人を優しく包み込むようなものにしてほしい」というオーダーを受け、死をテーマに曲を書いている途中で、実際に彼の祖父が亡くなった。そのことが楽曲の制作に大きな影響を与えたと上記のインタビューで彼は語っている。

 

つまり、これは、この曲を書いていたときの米津玄師自身が否応なしに「取り残された側」になった、ということなのだと思う。

 

「大切な人の死」というものが、モチーフでも対象でもなく、突如、一つの動かしようのない事実として目の前に立ち現れた。そこにどう向き合い、どう意味を見つけるのか。そういう体験を経て「Lemon」という曲が生まれたと彼は語っている。

 

 

結果的に今になって思えることですし、こう言うのも変な話かもしれないですけど、じいちゃんが“連れて行ってくれた”ような感覚があるんです。この曲は決して傷付いた人を優しく包み込むようなものにはなってなくて、ただひたすら「あなたの死が悲しい」と歌っている。それは自分がそのとき、人を優しく包み込むような懐の広さがまったく持てなくて、アップダウンの中でしがみついて一点を見つめることに夢中だったので、だからこそ、ものすごく個人的な曲になった。でも自分の作る音楽は「普遍的なものであってほしい」とずっと思っているし、そうやって作った自分の曲を客観的に見たときに「普遍的なものになったな」っていう意識も確かにあって。それは、じいちゃんが死んだということに対して、じいちゃんに作らせてもらった、そこに連れてってもらったのかなって感じもありますね。 

 

「Lemon」の歌詞の最後の一行には、こんなフレーズがある。

 

今でもあなたはわたしの光

 

ドラマの中でも、この一節はとても印象的に響く。ここで歌われる「あなた」という言葉に、それぞれの登場人物にとっての失われてしまった大切な人の姿がオーバーラップするような描かれ方になっている。そして、その構造と全く同じく、この「Lemon」という曲は、誰もが自分にとっての大切な人の喪失と重ねることのできる曲になっている。

 

取り残された側が、どう生きていくか。自分の胸の中にある大事な部分をもぎ取られたかのような体験をした者が、その死という事実にどう向き合い、未来に歩みを進めていくか。脚本を書いた野木亜紀子と米津玄師が共有していたストーリーの「主題」はそういうところにあるのだと思う。

 

絶妙のタイミング、というのはそういうことなんだと思う。