とても示唆的な二つのトークセッションのモデレーターをつとめさせていただく経験があった。
一つは、2月27日に幕張メッセで開催された「ライブ・エンターテイメントEXPO」内のセミナー。登壇したのは、亀田誠治さんといしわたり淳治さん。タイトルは「ヒットメーカー対談! 音楽シーンの現在、そして未来」というものだった。
そしてもう一つは、3月16日に渋谷WWWと渋谷WWWXで行われたライブイベント「Alternative Tokyo」のトークショー。登壇したのは、その日にライブアクトとしても出演した近田春夫さんと曽我部恵一さん。こちらのタイトルは「ポピュラーミュージックの行方」というものだ。
主催者もイベントの趣旨も全く異なるし、テーマ設定には僕は関与していなかったから、タイトルが似通ったものになったのは全くの偶然だろう。
でも、そこには、単なる偶然だけじゃない巡り合わせのようなものがあるようにも思う。2019年の今、「○○の未来」とか「○○の行方」といった声を求める時代の空気というものがどこかに存在している気がする。
その上で、とても面白かったのは、二つのトークセッションが、場所も客層もコンセプトも対照的なイベントで行われた、ということ。
亀田誠治さん、いしわたり淳治さんが登壇した「ライブ・エンターテイメントEXPO」というのは、いわゆる業界向けのコンベンションだ。会場の幕張メッセには、ライブやコンサート、スポーツイベントなどの開催に必要な演出機材や各種サービスなどが出展され、商談ブースも用意されていた。いわゆる見本市のイベントで、セミナーの来場者にはレーベルやプロダクションなど音楽業界の関係者が多かった。
一方、近田春夫さんと曽我部恵一さんが登壇した「Alternative Tokyo」は、その名の通り「オルタナティブ」をコンセプトに掲げたライブイベントだ。「商業的な音楽や方法論的な流行音楽とは一線を引き、時代の流れに捕らわれない普遍的な音楽を中心に、アート展示やトークセッション等を通じてそれぞれのコンテンツを紹介していく」というのがイベントのコンセプト。出演陣には、蓮沼執太フィル、トリプルファイヤー、折坂悠太、イ・ラン、カネコアヤノ、青葉市子、SONGBOOK PROJECTなどのメンツが並ぶ。近田春夫さんは「近田春夫+DJ OMB」名義で、曽我部恵一さんはこの日が初披露となる新プロジェクト「曽我部恵一 抱擁家族」名義での出演だ。こちらのラインナップには、いわゆるメインストリームとは違う、しかし独自の美学とポップセンスをもった面々がフィーチャーされている。会場にはメディアアーティストの市原えつこさんによる前衛的なアート作品も展示されていた。
そういうこともあって、場のムードも聴衆の顔ぶれも全く異なっていたのだけれど、それでも二つのトークセッションは、必然的に共通したテーマを踏まえたものになった。それは「ストリーミングが前提となった状況において、音楽の作り手のスタンスはどう変わっていくのか」ということ。
ストリーミングの普及による市場の拡大は、グローバルな音楽シーンにおいては、もはや既成事実となりつつある。ストリーミングからの収益が7割を超えたアメリカの音楽市場はここ数年続けて大幅なプラス成長を達成。90年代末から右肩下がりで減少を続けてきた世界全体の音楽市場も、2015年を境に回復期に入っている。その動きに遅れていた日本でも、昨年にはストリーミングによる売り上げがダウンロードを上回り、普及フェーズに入りつつある。
そして、こうした状況においては、ヒットの基準は「売れた枚数」より「聴かれた回数」になる。複合型チャートであるアメリカのビルボードではストリーミングサービスの再生回数がランキングに大きく反映されるようになり、日本でも昨年12月からオリコンランキングがストリーミングサービスでの再生回数を織り込んだ合算チャートをスタートした。
では、そのことによって、音楽はどう変わったのか。
亀田誠一さんといしわたり淳治さんの指摘で印象的だったのは、「イントロ抜きでいきなり本題に入る」タイプの曲が増えている、ということだった。
お二方には事前に「音楽シーンを象徴する曲」としてここ最近にリリースされた楽曲からいくつかピックアップし、その魅力を解説していただくというお願いをしていた。そこで亀田さんに挙げていただいたCHAI「アイム・ミー」、King Gnu「Prayer X」、米津玄師「Lemon」が、まさにそういう曲だった。いわゆる「サビ始まり」の曲構成とも違い、楽曲全体の核心を担うようなメッセージを印象的なメロディと共に冒頭から歌い上げるタイプの曲だ。
また、いしわたり淳治さんの発言で印象的だったのは、「音楽から流行語が生まれてほしい」という言葉。挙げていただいた中では、ヤバイTシャツ屋さん「かわE」、DA PUMP「U.S.A」が、まさにそういう力を持った楽曲だった。
また、二人の指摘で共通していたのが、コライト(共作)の重要性だ。日本ではアーティストによる自作自演が重視される傾向がある一方、海外では複数人が楽曲を制作することが当たり前のように行われている。「楽曲至上主義」の浸透が音楽シーンの未来を変えていくのではないか、という提言はとても意味のあるものだったと思う。
一方、近田春夫さんと曽我部恵一さんのトークは台本も流れも決めないフリースタイルの形式。話題は、料理と音楽について、日本語の符割りとBPMについて、音楽に影響を与えた一番新しいテクノロジーの発明について(曽我部さんはオートチューン、近田さんはサイドチェイン・コンプと語っていた)など様々に広がったのだが、話はやはり「ストリーミングサービスの普及によって作り手のスタンスはどう変わったか」というテーマになった。印象的だったのは二人とも「多作」をキーワードとして挙げたこと。
振り返れば、近田春夫さんは昨年10月に38年ぶりのアルバム『超冗談だから』をリリースし、その発売からわずか49日後にOMBとのハモンドオルガン+テクノ・ハウスのユニットLUNASUNによるアルバム『Organ Heaven』をリリースしている。曽我部恵一さんのほうも、昨年4月にサニーデイ・サービスのアルバム『the CITY』を、12月には曽我部恵一名義の全曲ラップアルバム『ヘブン』をリリース。二人ともかなりのハイペースで作品を世に放ち、多岐にわたる形態でリリースを重ねている。とは言っても、その様子には切迫感や急いでいるような感じはなく、シンプルに「やりたいことが沢山あって、それを自由にアウトプットできるようになった」という風通しのよいムードがあるのが、とても印象的だった。
音楽シーンは、過渡期の状況にある。
そして、平成から次の年号へと移り変わろうとする今、日本の社会全体にも、大きな変化の機運がある。
僕が普段からインタビュー取材で会っているアーティストたちも、口を揃えて言う。価値観は驚くべき速度で変わっている。ほんの少し前までにはオーケーだったことが、今では許されなくなってきている。逆に、昔だったら声を上げようとしても押し殺さざるを得なかった思いが、少しずつ、認められるようになってきている。
音楽は予言だと、僕はいつも思っている。
アーティストや作曲家や作詞家たちは、時代の風向きにアンテナを張り、自分の内側にある感覚を研ぎ澄まし、どんな歌が求められ、どんな歌が遠くまで響いていくのかを手探りで追い求めている。
それに対し、ヒットという現象は、いつも事後的な形として現れる。もっともらしい後付けの説明は誰にでもできるが、結局のところ、それは結果論にすぎない。
だからこそ、亀田誠一さん、いしわたり淳治さん、近田春夫さん、曽我部恵一さんといった第一線の作り手の方々に話を聞けたのは、とても刺激的な体験だった。
(初出:タワーレコード40周年サイト「音は世につれ」2019年4月4日 公開)