すごいの来た。小沢健二の新曲「彗星」。これを待ってた、という感じ。11月13日にリリースされる13年ぶりのニューアルバム『So kakkoii 宇宙』の収録曲とのこと。きっとアルバム全体を聴いたらまた捉え方も変わってしまうというので、今の時点でのファーストインプレッションを書きとめておこう。
歌詞はこちら。
曲はオルガンから始まる。いきなり歌が始まる。
そして時は2020
全力疾走してきたよね
その言葉に応えるかのように、優しいストリングスがふわっと響く。
「♪ツー、タッタタ」というドラムのフィルを合図に、ベースラインがグルーヴのスイッチを入れる。ギターのカッティングとクラビネットがファンキーに跳ねる。そしてフレーズはこう続く。
1995年 冬は長くって寒くて
心凍えそうだったよね
その言葉に「♪パッパラッパ〜」とホーンセクションが合いの手のようなオブリガードを入れる。ここまで約30秒。完璧。このオープニングがほんとに最高で、ここばっかり繰り返して聴いちゃう。歌い出しから「1995年」と明示した歌詞も、軽快で多幸感に満ちたソウル・ミュージックのサウンドも、明らかにこの曲が「強い気持ち・強い愛」のアンサーソングであることを示している。
この「強い気持ち・強い愛」がリリースされたのが1995年。アルバム『LIFE』リリースの翌年だ。異例なハイペースでシングルをリリースし、音楽番組にもたびたび出演して軽妙なトークを繰り広げ、さらには紅白歌合戦にも初出場と、小沢健二のキャリアでは数少ないマスメディアを賑わせた狂騒の一年。
「強い気持ち・強い愛」はアルバム未収録曲なのだけれど(ベストアルバム『刹那』には収録)、今年に入って「強い気持ち・強い愛 (1995 DAT Mix)」という別バージョンも配信リリースされていた。
このジャケット写真を見ても、2曲が呼応しているのがわかる。
「強い気持ち・強い愛」にはこんな歌詞がある。
寒い夜に遠くの街からまっすぐに空を降ってきた
冷たく強い風 君と僕は笑う
「寒い夜」に「冷たく強い風」。この曲では冬の情景が描かれている。
1995年の冬。それは阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が起こった季節だ。前年夏に「ジュリアナ東京」が閉店した。バブルの残り香がたち消え、未曾有の天災と事件が世の中の空気と人々の価値観をがらりと塗り替えた季節。戦後日本のターニングポイント。
「強い気持ち・強い愛」は、そういう年に世に放たれた冬の曲だった。だから「彗星」ではこう歌われる。
1995年 冬は長くって寒くて
心凍えそうだったよね
つまりこれは1995年と、おそらくやはり日本のターニングポイントとなるだろう2020年をつなぐ曲なわけだ。ちなみに、じゃあその途中の2000年代はどうなの?という問いにも、丁寧に歌詞の中で答えている。
2000年代を嘘が覆い イメージの偽装が横行する
みんな一緒に騙される 笑
そしてここからがポイント。
「強い気持ち・強い愛」と「彗星」には共通点がある。それはサビで歌われる「今」という言葉が大事なキーワードになっている、ということ。
今のこの気持ちほんとだよね (「強い気持ち・強い愛」)
今ここにある この暮らしこそが 宇宙だよと
今も僕は思うよ なんて素敵なんだろう!と (「彗星」)
どういうことか。
この2曲は、共に「長い人生の中で、ほんのわずかに訪れる完璧な瞬間」のようなものをモチーフにしている。まばゆい光に包まれるような、その記憶だけを抱えてずっと生きていけるような、すべてがむくわれるような瞬間。だから曲調は多幸感に満ちているし、ホーンは祝福の響きを高らかに鳴らすし、言葉は饒舌になる。この2曲に使われている「ほんと」と「真実」というキーワードがその象徴になっている。
で、「強い気持ち・強い愛」は、その「今」から未来を見通す曲で、「彗星」は、逆に「今」から過去を振り返る曲だ。
長い階段をのぼり 生きる日々が続く
大きく深い川 君と僕は渡る (「強い気持ち・強い愛」)
今遠くにいるあのひとを 時に思い出すよ
笑い声と音楽の青春の日々を(「彗星」)
そういう風に呼応していると考えると、この曲に1995年と2020年というキーワードが表れているのがハッキリすると思う。
ちなみに「彗星」の後半も相当やばい。転調して、最後の大サビをコーラスと共に高らかに歌い上げて、そこで3分ちょっと。そこで曲を終えても全くもって熱量たっぷりの大団円なのに、さらに掛け合いを畳み掛ける。
あふれる愛がやってくる
その謎について考えてる
高まる波 近づいてる
感じる
ここ、控えめに言って狂ってると思う。素晴らしいです。