「無知が至福だというなら、もう放っといてくれ」
ポスト・マローンは「インターネット」でこう歌っている。
この曲が収録された彼のニューアルバム『ハリウッズ・ブリーディング』は、2019年もっともセールスをあげたアルバムのうちの一枚だ。その中でも「インターネットなんてファックだ」と言い放ち、インターネットがいかに自分たちのライフスタイルをろくでもないものにしているかを歌い上げるこの曲は、どこか、2010年代という一つのディケイドが終わろうとしている今の時代を象徴しているように思える。
9年前、世の中には、もっと希望に満ちたムードがあった。
インターネットによって、ソーシャルメディアによって、何かが変わるかもしれない。これまでになかった、現実社会を変える大きな力が生まれつつあるのかもしれない。そんなことを、いろんな人が思っていた。たとえば2012年に刊行された津田大介『動員の革命 - ソーシャルメディアは何を変えたのか』は、そんな気分に満ちた一冊だ。本の中には、当時、中東や北アフリカで起こった民主化運動「アラブの春」を肯定的に描いた一節がある。たしかにあの時点では革命の熱狂があった。しかし、その後数年で、地域は再び混沌と暴力に包まれることになる。
2010年代は、スマートフォンとソーシャルメディアのディケイドだった。新たな情報技術と、それによってもたらされた人々の紐帯が、最初は興奮をもって、そして次第に幻滅と共に語られるようになった。そういう10年だった。
もちろん、インターネットによってエンパワーメントされた人は沢山いる。この連載でも何度も触れてきたように、ここ数年で社会の価値観はずいぶん変わった。マイノリティの声は少しずつ世を揺るがす力を得るようになってきている。
それでも、その裏側にはダークサイドがある。
デイビット・パトリカラコス『140字の戦争』は、ソーシャルメディアが戦場においてどんな役割を果たしたかを克明にドキュメントしたルポルタージュだ。そこでは、戦車や爆撃機といった武力ではなく、ソーシャルメディアを通じた言葉とナラティブによって勝者が決まる二十一世紀の戦争のさまが描かれる。イスラエルとパレスチナで、ロシアとウクライナで、シリアとISで、どんなデジタル・コミュニケーションが人々を駆り立てたのかを詳細に描いている。なかでも印象的なのは、サンクトペテルブルクの「トロール工場」で相場以上の月収をもらい日々フェイクニュースの執筆に勤しんでいたヴィターリ・ベスパロフの述懐だ。彼は毎日、自分がまるでジョージ・オーウェルが『1984』に描いた「真理省」に勤めているようだと感じ、次第に心を病んでいったという。
ファック・ザ・インターネット。
ポスト・マローンの歌声には、どこか「心地よい虚無感」のようなものが宿っている。そして、それは彼自身の厭世的なキャラクターとも結びついている。右眉毛の上に「Stay Away」(俺に近づくな)、両眼の下に「Always Tired」(いつもぐったり)というタトゥーを入れたポスティ。この二つの言葉は、彼のスタンスの象徴と言ってもいいかもしれない。
DJだった父親のもとで育ち、ゲーム「ギターヒーロー」をきっかけにギターに夢中になったテキサス州の少年オースティン・リチャード・ポストは、高校を卒業し、LAに移住する。2015年、デビューシングル「White Iverson」で一躍注目を集めた彼を後押ししたのも、インターネット・カルチャーだった。
無類のゲーム好きでもあり、実況サイトTwitch にも自身のチャンネルを持つ彼は、2019年、ハリウッドからユタ州ソルトレイクシティに引っ越している。メタル界の大御所オジー・オズボーンとトラヴィス・スコットを一曲で共にフィーチャリングするほどのスーパースターとなった彼が、ハリウッドの喧騒を離れて求めたのが、「1人っきりでビールを飲んでビデオゲームをやるための豪邸」だった。
つまり、ポスト・マローンは一貫して「デタッチメント」を象徴するポップアイコンなのだ。退却主義と言ってもいい。この連載でスポットをあててきたビヨンセやTHE1975が「コミットメント」の象徴であるのとは対照的だ。60年代や70年代のロックミュージシャンのライフスタイルを称揚した「ロックスター」で世を席巻しスターダムを上り詰めた彼。そこから一貫して、享楽性と虚脱感が背中合わせになったようなムードを音楽の中に表現している。それがポップな魅力として人々を惹きつけ続けている。
「退屈した者たちの王国では、片手で操作する無法者が王である」
ニコラス・G・カーは『ウェブに夢見るバカ』(原題は『Utopia is Creepy』)にて、こう綴っている。「ツイッターは、哲学者のジョン・グレイの言葉を借りるなら、『無意味からの避難所』となり得る」と喝破している。2010年に刊行された『ネット・バカ』(原題は『The Shallows』)にて注目を集めた著述家である彼は、インターネットというテクノロジーが人々の知性と集中力を削ぎ落とすように巧みに設計されたインターフェースとして機能していることを繰り返し述べている。
2010年代の後半に入り、同様の主張は増えている。
たとえば、行動経済学の専門家であるアダム・オルターは、著書『僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた』の中で、スマートフォンとソーシャルメディアがもたらした新たな「行動嗜癖」の発生と広がりを分析している。
コンピュータ科学の専門家であるカル・ニューポートが記した『デジタル・ミニマリスト』にも、スマートフォンが人々の生活を侵食し重度の情報依存をもたらしている理由の一端を、フェイスブックの初代CEOショーン・パーカーの言葉の引用と共に解説されている。
「フェイスブックを先駆とするこういったアプリケーションの開発者の思考プロセスは……要するに〝どうしたらユーザーの時間や注意関心を最大限に奪えるか〟だ。自分の写真や投稿や何やらに〝いいね〟やコメントがつくと、ユーザーの脳内にわずかながらドーパミンが分泌される。これが一番手っ取り早い」
間歇強化、つまりランダムな報酬によって引き起こされる心理的な影響がユーザーの注意を引きつける。それがユーザーにとっては行動嗜癖の、テクノロジー企業にとっては成功のトリガーになる。「アテンション・エコノミー」という言葉が示す通り、人々の関心を集めることはそのまま経済的な成功に結びつく。そうやってテクノロジー企業は訴求力を高め、それを利益の源泉にしている。
アンドリュー・キーン『インターネットは自由を奪う』(原題『Internet is not the Answer』)には、北京航空航天大学が2013年に起こった調査から、ソーシャルメディア上での拡散速度がもっとも速かった感情は怒りで、次点だった喜びを大きく引き離していたという記述がある。人々はソーシャルメディア上で喜びよりも怒りをわかちあう傾向にある。
ファック・ザ・インターネット。
ポスト・マローンの「インターネット」は、カニエ・ウェストがプロデュースした楽曲だ。2018年9月、そして2019年5月に、「ファック・ザ・インターネット」と題された、両者のコラボレーションによる未発表バージョンの音源がリークされた。
そしてそのカニエ・ウェストは2019年10月、再三に渡る延期を経て、アルバム『ジーザス・イズ・キング』をリリースする。全編ゴスペルをベースにした、しかしこれまでの黒人教会の伝統に連なるオープンネスとは違う、とてもスピリチュアルで密室感のある曲調を展開する一枚だ。
2010年代の終わりと共に、「インターネットが希望だった時代」も終わりゆく予感がしている。
でも、そのさきの希望がどこにあるのかは、まだ、見えていない。
(初出:タワーレコード40周年サイト「音は世につれ」2019年11月11日 公開)