時代の転換点に立ち会ってるんだな、と日々思う。
1ヶ月前に僕は一つ前の記事を書いた。
社会が大きく変わる予感はその時点でひしひしと感じていた。だから書かなきゃいけないと思った。でも、あそこで引用していた「今後のシナリオ」の見通しを今読むと、たった1ヶ月で世界は「最悪のケース」のさらに向こう側の扉を開けてしまったんだなと感じる。
感染拡大はパンデミックとなった。ミラノで、マドリードで、ニューヨークで、医療機関が危機に瀕している。世界中の都市が封鎖され、日常は失われた。
危機に瀕したときこそ、自分が何に価値を感じていて、何を大事にして生きていくのかを、ちゃんと書き留めておかないといけない。それが自分を繋ぎ止める錨になる。
■音楽業界の動きについて
3月に、Yahoo!ニュース個人とQJWebに以下のような記事を書いた。
記事の中では、ライブ配信サービス「fanistream」が始めた「#ライブを止めるな!」プロジェクトや、ceroの「Contemporary http Cruise」が用いた電子チケット販売プラットフォーム「ZAIKO」による電子チケット制ライブ配信サービス、GRAPHERS’ GROUPが始めた新しいプロジェクト「新生音楽(シンライブ)」などを紹介している。
こういう時だからこそ音楽業界のみなさん、テクノロジー業界のみなさんの知恵を絞って未来につなげていければ。
— 柴 那典 (@shiba710) 2020年3月21日
微力ながら僕はメディアの枠割を担う人間でもあるので、支援の動きを伝えていくことに尽力したいと思っています。
これも一つ前の記事で書いたこととつながるけれど、僕のやっていることは基本的に同じだなと思う。東日本大震災のとき、このブログでは震災を受けてYouTubeに公開されたアーティストの作品を紹介することに徹していた。
ただ、あのときと違うのは「出口が見えない」ということ。この日々がいつまで続くのか、事態がいつ収束するのか、日常がいつ戻ってくるのか、今の時点ではわからない。
■社会はどう変わるのか
『サピエンス全史』のユヴァル・ノア・ハラリが「フィナンシャル・タイムズ」紙に「ワールド・アフター・コロナウィルス」と題したエッセイを書いていた。
とても示唆的な内容で、この後10年後、20年後に訪れる世界がどうなるかの別れ道がこの数週間で決まってしまうのではないかということが書かれている。
嵐は去る。人類は生き延びる。我々はほとんどがまだ生きている。けれど、おそらく以前とは別の世界に暮らすことになるだろう。
the storm will pass, humankind will survive, most of us will still be alive — but we will inhabit a different world.
普段だったら数年かけて熟慮のもとに行われる意思決定が、数時間で行われてしまう。何もしないよりはましだと、未成熟で危険ですらあるテクノロジーが実用化される。全ての国家が巨大なスケールの社会実験におけるモルモットの役目を果たす。
Decisions that in normal times could take years of deliberation are passed in a matter of hours. Immature and even dangerous technologies are pressed into service, because the risks of doing nothing are bigger. Entire countries serve as guinea-pigs in large-scale social experiments.
今回の危機に際して、我々は二つの重要な選択肢に直面している。1つ目の選択肢は「全体主義の監視」か「市民のエンパワーメント」か。2つ目の選択肢は「ナショナリストの孤立主義」か「グローバルな連帯」か。
In this time of crisis, we face two particularly important choices. The first is between totalitarian surveillance and citizen empowerment. The second is between nationalist isolation and global solidarity.
僕の訳なので拙いところはあるとは思うけれど、とても重要な視点だと思う。
先日リリースされたチャイルディッシュ・ガンビーノのアルバムに収録された「Algorhythm」という曲が、まさにハラリが言っていることとリンクするような内容を歌っている。
誰もがモーゼのように選ばれし者になりたがる
母なる大地は苦境を乗り越えて再び立ち直る
より効果的に働く新たな改良版が召喚される
それは我々を許可なくモルモットにする
Everybody wanna get chose like Moses
Came out Mother Earth smelling like roses
Summon the new edition, made it way too efficient
Made us the guinea pig and did it with no permission
ちょっと鳥肌が立つようなリリックだ。
すでに中国はスマートフォンの位置情報と顔認証を駆使した個人の行動統制を行っている。シンガポールも含め、テクノロジーを強権的に用いることのできる全体主義的な体制はウィルスの封じ込めに成功しているように見える。
一方でヨーロッパにはGDPRがある。国家にそこまで監視の権限はなく、それでもフランスやイタリアやスペインの人々は自主的に(=僕の定義する用語であるところの”スマート”に)外出禁止令の日々を過ごしている。
そして国民皆保険制度のない国家であるアメリカの人々は今回のウィルス感染拡大には厳しい局面を強いられるだろう。その渦中で次の大統領選挙が実施される。
ハラリが言うように、地球上で様々な国、文化、統治機構の「A/Bテスト」が行われてしまっているのが、今の数ヶ月と言えるのかもしれない。