Spotifyの「#SpotifyPride」プレイリストを聴きながら、これを書いてる。
Spotifyが、LGBTQQIA+の権利や文化について世界中でさまざまな啓蒙活動が行われる6月の#SpotifyPrideを祝したオリジナルプレイリストを公開した。
Spotifyではグローバルにおいて「Claim Your Space(自分らしさを追求しよう)」をテーマに、「プライド月間(PRIDE Month)」を祝う様々な活動を実施。日本では、誰もが自分らしくいられる安全な場所(Space)を、LGBTQQIA+のクリエイター陣がキュレーションするプレイリストにより音楽で再現。これまで、LGBTQQIA+のコミュニティにおいて、その人らしくいられる場所のひとつとして音楽イベントがあったが、リアルなイベントが開催しづらい今、どこでも楽しめるプレイリストを通じて音楽でつながることのできる機会を提供していく。
プレイリスト企画の監修はPOPLIFE:THE PODCASTでもご一緒したライターの木津毅さんで、10個あるプレイリストの中では、木津さんの「DISCOVER OUR SPACE」というプレイリストと、Doulさんの「今まで色んな場面で聴いてきて、救われたと感じた楽曲をセレクト」というプレイリストが、すごくグッとくる。
SpotifyだけじゃなくてApple Musicも「プライド/LGBTQ+」特集を公開している。
Apple Musicプライド/LGBTQ+をApple Musicで
こちらのキュレーターを担当したのは、トロイ・シヴァン、ヘイリー・キヨコ、ミッキー ブランコ、Tayla Parx、Claud。
最近はSpotifyやApple Musicの新着プレイリストをかけっぱなしにしていて、そこから気になったアーティストを調べていくような聴き方をしているのだけど、たとえばClaudにしても、たとえばGirl in redにしても、「なんかいいなあ」と思う人が従来のジェンダーの枠組みに収まらない立場を標榜しているようなことが増えた気がする。
もちろん、これまでもANOHNIやSOPHIE やArcaに惹かれてきたわけだから全然最近のことなわけじゃないわけだけど。オルタナティブな分野以外でも、たとえばマックルモア&ライアン・ルイスの「Same Love」からLIL NAS X「MONTERO (Call Me By Your Name)」までアメリカのポップカルチャーのど真ん中で起こってきたことにも、すごく心を動かされてきた。
そして、ここ日本においても長谷川白紙や諭吉佳作/menのようにジェンダーニュートラルな価値観を持った気鋭のミュージシャンたちの表現がどんどん羽ばたいていくのが2020年代の様相で(『放るアソート』『からだポータブル』素晴らしかった!)。少しずつ時代が変わってきたなという実感はとてもある。
自分自身のジェンダーはここでは書かないでおくとして、基本的な僕のスタンスとして「周縁化された人の側に立つ」ということは決めている。なぜなら僕が好きなポップカルチャーは、そういう力を持っているものだから。
■「プライド月間」にLGBT法案の成立を見送ろうとしている自民党
一方で、政治の領域を見ていると、ため息をつくようなことばかりが伝わってくる。
4月から超党派で法制化が進められてきたLGBT平等法の法案は、現時点で、自民党の反対によって暗礁に乗り上げている。自民党の下村政務調査会長が「今国会への提出は見送ることで同意した」と発言し、抗議を受け事実誤認だったとして訂正し謝罪したというニュースもあった。
この件に関する報道を追っていると、最初から抵抗勢力の存在が強かったことがわかる。
そもそも当事者団体や人権団体が求めていたのは「差別を禁止する法律」で、野党が提出した法案も差別解消を訴えた内容であるのに対して、自民党は「理解増進法」となっている。
「『差別禁止』といった瞬間に自民党内で法案は通らないだろう」という“自民党に近い保守系の当事者”の発言が上記のニュースに引用されている。
ここから調整が続き、法案の目的に「性的指向及び性自認を理由とする差別は許されないものであるとの認識の下」との文言を追加することがまとまると、そこに自民党内での反発があったというニュースが大きく報じられる。自民党の簗和生議員による、性的少数者に対して「生物学上、種の保存に背く。生物学の根幹にあらがう」といった趣旨の発言もあった。
山谷えり子議員が「社会運動化・政治運動化されるといろんな副作用もある」と発言したとか、 「道徳的にLGBTは認められない」という発言があったとか、そういうことも報じられた。
法案に「差別は許されない」という認識を明記することにすら反対の声が上がるということは、これはもはや「差別をしたい」という意思の表れとしてしか受け止めようがない。
しかも、あれだけ問題視されたにも関わらず、簗和生議員は、自身の発言について説明も謝罪もしていない。「ご照会頂いた会議は非公開のため、発言についてお答えすることは差し控えさせて頂く」とコメントしただけで、下村博文政調会長に対してのみ「お騒がせして申し訳ありません」と謝罪があったことが明かされている。
6月5日現在では、まだどうなるかわからない。法案見送りの動きに対しては当事者団体だけでなく大手企業からも反対の声が上がっている。
もし、こうした声を抑えて、本当に法案が見送りになったならば。こうした動きがこともあろうに「プライド月間」に起こっていることのメッセージが国外に伝わることの意味は、とても大きいと思う。
■「誇り」とは何だろうか
こういうニュースを見たときは、怒ったり、がっかりするだけじゃなくて、なんでそういう行動原理で動いている人がいるのかを調べることにしている。
反対の声を上げている議員について、ニュースでは「自民党内の保守派」としか書かれていないことが多いが、名前を丹念に調べていくと、たいてい、日本会議か、神道政治連盟か、そのあたりの支持母体があることがわかる。親学とも深く結びついている(親学推進議員連盟の常任幹事は山谷えり子、事務局長は下村博文)。
そして、日本会議とか神道政治連盟のホームページを見ると、必ず使われているのが「誇り」という言葉だ。日本会議のHPには「誇りある国づくりを目指した新しい国民運動」と説明がある。
神道政治連盟のHPには「日本に誇りと自信を取り戻すため、さまざまな問題に取り組んでいます」とある。
こういう人たちの支持と集票が原動力になっているのだろうと推察される。
でも、実際のところ、こうした団体の支持を受けた政治家が推し進めていることは、ソチ五輪のときのロシアがやっていることと同じだと感じる。
こうして見ていくと、一連の物事は、文字通り誇りにまつわる問題なのだと思う。そもそも 「プライド月間(PRIDE MONTH)」だって誇りにまつわる言葉だ。
人がどういうものに誇りを感じるかは、人それぞれだとは思う。「日本に誇りを取り戻す」と言っている人が、どんなものが誇りだと思っているのか、何をもってそれが損なわれていると感じているのかは、よくわからない。
僕が考える「誇り」という言葉は、自分が自分らしくいられることへの信頼と強く結びついている。
なので、「プライド月間」に関しても、LGBTQ+コミュニティのための言葉であるのは当然として、同時に、共同体全体にまつわるイシューでもあると思っている。少なくとも差別を許容するような社会や国家に、僕は誇りを感じることはできない。
「誇り」という言葉について、そんなことを考えている。