日々の音色とことば

usual tones and words

この後戻りのできない変化の中で

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なんだか、とても気落ちしている。

 

ニュースに心をかき乱されて、鬱々とした日々を過ごして、思うところを上手く言葉にできない居心地の悪さを抱えたまま時間が過ぎていく。

 

大きな戦争が起こってしまった。2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻。砲弾が飛び、街が破壊される映像が次々と伝わる。そこから10日。いろんな情報が押し寄せる。世界史の1ページのなかで、簡単に戻ることのできない変化が生じてしまったことを感じる。冷たい水に浸かっているかのような無力感がある。

 

けれど、それはそれとして、いつもどおりの日常は進む。仕事をして、ご飯を食べる。取材に出かけ、〆切に向けて原稿を書く。朝のニュース番組をつけると専門家が情勢を分析している。チャンネルを変えると芸人が街を歩いている。

 

10ヶ月前に自分が書いたことを思い出す。

 

ひょっとしたら、このコロナ禍の先の世情は、予想していたよりも、もっときな臭いものになるかもしれない。

 

shiba710.hateblo.jp

 

やっぱり、という落胆もある。

 

それでも、こんな風だとは思っていなかった。なんだかとてもがっかりしているのは、時計の針が巻き戻ってしまったかのような思いがしているからかもしれない。

 

2年前、コロナ禍の始まりの頃にはこんなことを書いた。

 

新型コロナウィルスへの感染拡大に対して、欧米各国の首脳が「戦争」という言葉を使っている。その言葉に、なにか違和感がある。骨が喉につかえるような、ちょっとした引っかかりを感じる。

 

shiba710.hateblo.jp

 

あのときには、国家による統制を表現するある種のレトリックとしての「戦争」という言葉についてのことだった。けれど、今起こっている事象は、文字通りの戦争だ。非国家勢力が引き起こす21世紀の「新しい戦争」ですらない。すでに歴史の中で何度も繰り返されてきたやつだ。

 

僕は国際情勢に詳しいわけでもないし、何かの知見をもとに偉そうなことを言えるような立場ではないのだけれど、それでも、いくつか、思うことがある。

 

それは、この後戻りのできない世界史的な変化の中で、ひとつの物語が(主にヨーロッパ各国の間で)形作られているように思えること。ドイツとフランスの政策転換。スウェーデンやフィンランドの世論の変化。各国による経済制裁。理不尽な破壊と、プーチンによるあまりにも無理筋なナラティブを目の前にして、明らかに人々が世界を見る目線が変わってしまった。情勢がどう変わるかはわからないけれど、少なくともそれが覆ることはないだろう。

 

www.jiji.com

 

ユヴァル・ノア・ハラリは、2月28日、ガーディアン紙への寄稿でこう書いている。

 

開戦からまだ1週間にもならないが、ウラジーミル・プーチンが歴史的敗北に向かって突き進んでいる可能性がしだいに高まっているように見える。彼はすべての戦闘で勝っても、依然としてこの戦争で負けうる。

(中略)

ウクライナ人の勇敢さにまつわる物語は、ウクライナ人だけではなく世界中の人に決意を固めさせる。ヨーロッパ各国の政府やアメリカの政権に、さらには迫害されているロシアの国民にさえ、勇気を与える。ウクライナの人々が大胆にも素手で戦車を止めようとしているのだから、ドイツ政府は思い切って彼らに対戦車ミサイルを供給し、アメリカ政府はあえてロシアを国際銀行間通信協会(SWIFT)から切り離し、ロシア国民もためらわずにこの愚かな戦争に反対する姿勢をはっきりと打ち出すことができるはずだ。

 

web.kawade.co.jp

たくさんの人が、心の中にあるスイッチをそっと切り替えたのではないかという気がしている。

 

戦争反対。僕は基本的には楽観的な人間なので、いろんな国で、多数の市民がシンプルに「戦争反対」という思いを持っているだろうということを疑ってはいない。「そんなことを言ったってどうしようもないだろう」みたいな揶揄や冷笑のほうがよほど恥ずかしい言動だと思っている。けれど、実際に危機が目前に迫っているとき。あり得ないと思っていたことが起こっているとき。それが情報として押し寄せてくるときに、人々の心のありようはどう変わるだろうか、ということを考えている。

 

「平和ボケ」という言葉がある。こんな風に解説されている。

 

戦争や安全保障に関する自国を取り巻く現状や世界情勢を正確に把握しようとせず、争いごとなく平和な日常が続くという幻想を抱くこと、あるいは自分を取り巻く環境は平和だと思い込み、周りの実情に目を向けようとしないことなどを意味する表現。主に安全保障などに無関心である日本国民に向け、皮肉を込めて用いられることが多い。

「平和ボケ(へいわボケ)」の意味や使い方 Weblio辞書

 

定義のとおり、ほぼ皮肉や見下した物言いに使われる言葉。その対義語はなんだろう。「戦時覚醒」とでも言うべきだろうか。危機情報は中枢神経を刺激する。興奮作用を持つ。緊張と不安の中でノルアドレナリンが過剰になった脳内から放たれた言葉は当然に攻撃性を持つ。僕は「平和ボケ」という言葉で誰かを貶めたり煽り立てるようなタイプの人のことは「戦時覚醒」だなあと思ったりする。

 

悪い予感は尽きない。

 

それでも、少しでも安寧が訪れることを願う。

 

 

※国連UNHCR協会に寄付をしました。

 

 

 

https://www.japanforunhcr.org/campaign/ukraine