僕が『平成のヒット曲』という本を出したのは約2年前の2021年のこと。そこの後書きにはこう書いた。
改めて振り返った今、ひょっとしたら我々が過ごしてきたのは、ある種の「幸福な時代」だったのではないだろうかという思いがある。
もちろん、そう考えない人も多いだろう。バブル崩壊後の経済停滞は長く続いた。二度の震災もあった。本書の中でも「失われた」という言葉は頻出している。
それでも、ポピュラー音楽、大衆文化について考える時には、「平成」という言葉は、(たとえば「大正」と同じように)、ある種の豊かさのイメージと共に振り返られるようになっていくのではないかという予感がある。
その予感は、いい意味でも、悪い意味でも、当たったような気がしている。
悪い意味というのは、その「豊かさ」の感覚が、いよいよ失われつつある、ということ。日本という国が他の国と比べて相対的に貧しくなっているというのは、たとえば海外旅行をして食事をしてみれば一目瞭然なわけで。平成という時代にあった”停滞”、つまりモラトリアム的な感覚もいよいよ失われて、剥き出しの格差と階級社会が目に見えてきているような感もある。
そして何より、「振り返り」が続いている。大衆文化のメインストリームには、時代を前に進めていこうという力強い意志よりも、懐かしさとじゃれ合うようなムードが続いている。昭和の、そして平成のリバイバルはずっとトレンドになっている。
まあ、他人事のように言うわけにもいかないよな。僕自身も、それに加担している。TBSラジオの朝番組で毎週90年代の、そして00年代のヒット曲を解説するというコーナーをやっている。毎回、しっかり力を入れて選曲して準備して喋ってる。自分自身、『平成のヒット曲』という本を書いたこと、そしてその後にいろんな曲をセレクトしてその背景を解説する仕事を通じて、「平成という言葉をある種の豊かさのイメージと共に振り返る」活動をしているわけであるので。
ただ、それだけに、こういうCMを観ると、とてもむず痒いような気持ちがしてしまう。
マクドナルドの「平成バーガー」のCM。キャッチコピーは「あの平成が、かえってくる。」。CMでは池田エライザがギャルファッションをして「チョベリグ!」と言っている。楽曲は浜崎あゆみの「Boys & Girls」。1999年リリース。
なんというか、おそらく電通のクリエーティブなのだろうけど、「ほんとに、それでいいの?」と思ってしまう。浜崎あゆみが悪いわけじゃない。ギャルファッションが悪いわけじゃない。でも、ディティールの一つ一つにも、そもそもコンセプトにも、言葉にしがたい”キツさ”がある。
何がキツいのか。
「懐かしの〜」とか「昭和レトロ」とか、題材は何でもいいけど「温故知新」の「温故」しかないクリエーティブを堂々と眼の前に開陳されると、「ほんとに、それでいいの?」と思ってしまう。作り手としての矜持、ないの?って。
もちろん受け手がそれを喜ぶのは全然いい。そこにターゲットを絞ったプロダクトやコミュニケーションをするのもいい。『昭和何十年男』みたいなね。
でも、せめてCMクリエーターなら、それもマクドナルドみたいなグローバル企業のキャンペーンを打つなら、「知新」を意識に入れてほしいよねと思ってしまう。
一方で、NewJeansのマクドナルドのCMはめちゃめちゃクールなのですよ。
商品はマクドナルドの新メニュー「McCrisp」。クリスピーチキンの”サクサク感”を、ピクセルのビジュアルと8bitのチップチューンサウンドとかけ合わせて、つまりは任天堂のファミコンの表象を引用して訴求している。
ファミコンやレトロゲームは日本発祥のサブカルチャーなので「持ってかれた」と感じる人はいるかもしれないけど、まあ、グローバルに見れば同じ東アジアのポップカルチャーということで。あとは、ちゃんとAR的な映像表現にしていることで、期せずして『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』と同時代性もある2023年のクリエイティブになってるなと思う。
NewJeansはコカ・コーラとのコラボレーション曲「Zero」も最高だった。ドラムンベースのビートに乗せて「コカ・コーラ、マシッタ(コカ・コーラおいしい)」とサビで唄う曲。めちゃめちゃフレッシュだし中毒性高い。
ナイキのAirMaxのCMも、Y2Kファッションの引用とかクリエーティブの「温故知新」が効いているように思う。
で、マクドナルドとNewJeansのコラボレーション、どうやら韓国だけじゃなく、フィリピン、タイ、インドネシア、ブルネイ、マレーシア、香港、台湾、シンガポール、ベトナムでも展開予定のキャンペーンらしい。今のところ日本はスルーされている。
NewJeansがこうやってアジアを席巻してるなか、日本だけ「チョベリグ」とか言ってていいの? ほんとにいいの?って思ってしまうよね。