日々の音色とことば

usual tones and words

ピコ太郎について僕が知っているいくつかのこと

 

 

古坂大魔王さん、梅田彩佳さんがMCをつとめるテレビ朝日LoGirlの番組『あやまおうのリニューアルしたよ。』にゲスト出演してきました。

 

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テレビ朝日LoGirl「あやまおうのリニューアルしたよ。」

 

というわけで。これを機会に、改めてこのブログにも書いておこう。

 

今年後半、文字通り世界中を席巻したピコ太郎「PPAP」の大旋風。とても面白く、興味深く、そして不思議な現象だった。きっと後から思い返しても「2016年はいろいろあったなあ」の一つの象徴として、いろんな人が鮮明に思い浮かべるんじゃないだろうか。

 

僕はたまたま当事者に近い場所にいるタイミングがあったので、それも含めて「一体何があったのか」を振り返っていこうと思います。

 

■なぜジャスティン・ビーバーに届いたのか?

 

まず8月25日、この動画「PPAP(Pen-Pineapple-Apple-Pen Official)ペンパイナッポーアッポーペン」が公開される。

 

www.youtube.com

 

これを書いてる段階で再生回数はついにほぼ1億回突破(!)。2016年のYouTubeランキングでも2位に入るというとんでもないことになっている。

 

多くの人が知るように、その起爆剤となったのは、公開から1ヶ月後の9月28日、ジャスティン・ビーバーが以下のツイートをしたことだ。

 

 

これを受けてピコ太郎も以下ツイート。ここから予想外の状況が広がっていく。

 

 

でも、問題は「なぜジャスティン・ビーバーに届いたのか?」というところ。一体、どこでどうやってジャスティン・ビーバーはピコ太郎を知ったのか? 最終的には謎ではあるのだけど、僕はこんな感じで分析しています。

 

まず公開当日の8月25日、プロデューサーの古坂大魔王と同じ事務所で元々仲が良かったSKY-HI(AAA日高光啓)がツイッターで紹介。

 

 

その後MixChannelで、「まこみな」や「りかりこ」といったスター的な存在の双子JKがピコ太郎の真似を始めて、中高生の間に話題が広まっていく。

さらに、アメリカのサイト「9GAGS」がこのムーブメントを取り上げ、Facebook上でバイラルが始まる。これが9月25日のこと。

 

 

実はジャスティン・ビーバーがツイッターで紹介する前に素地は出来上がっていたわけだ。そして10月以降、PPAPはまさに世界中に「伝染」していった。イギリスのBBCでは「頭から離れない」、アメリカのCNNでも「ネットが異常事態」などと紹介。

 

www.bbc.com

 

いろんな人が真似したり、アレンジした動画をYouTubeに公開した。

 

www.youtube.com

 

www.youtube.com

 

さらにはSpotifyやApple Musicなどのストリーミング配信でリリースされた「PPAP」が全米ビルボード・ソング・チャートにトップ100にランクイン。同チャートのトップ100に入った「世界最短曲」としてギネス世界記録に認定された。

 

www.afpbb.com

 

こないだ僕は『ヒットの崩壊』という本を出した。でも実はヒットは「崩壊」していなかった。むしろ、こんな風に予想もしていなかったところから世界的なヒットが生まれる時代になっている、というわけだ。

 

ヒットの崩壊 (講談社現代新書)

ヒットの崩壊 (講談社現代新書)

 

 

 

■「PPAP」公開の4日前に古坂大魔王がポツリと言った一言

 

そして。ここからは内幕的な話。

 

ピコ太郎が「PPAP」を投稿する4日前の8月21日、実は、僕は古坂大魔王さんと一緒にいたのです。

 

それはサマソニでの会場でのこと。「WOWOWぷらすと」特番の「SUMMER SONIC×WOWOWぷらすと~会場から32時間ぶっ通しニコ生SP~」で、僕はコメンテーターとして出演していた。その司会が古坂大魔王さんだった。

 

live.nicovideo.jp

 

その日のゲストには、でんぱ組.incやA応Pやゴールデンボンバーが出演していた。前日のゲストにはRADIOFISHも出演していた。

 

もともと洋楽フェスとして始まったサマソニは、いまやロックもアイドルもアニソンもお笑いも何でもありの「音楽とエンターテイメントの一大絵巻」みたいな現場になっている。でも、それってすごくいいことだし面白いことだよね。そんな話を現場でした。

 

そうしたら、古坂大魔王さんが「実は俺も今やろうとしてることがあるんだよね」みたいなことをポツリと言った。その時は「へえ、そうなんですか」みたいにして流しちゃったけど、今思うと、あれが「PPAP」のことだったんだろうな。

 

ピコ太郎公式ホームページのプロフィールには「目指せ紅白歌合戦とサマソニ」と書いてあるのも、実はそのへんが背景にあるんじゃないかと思ってる。

 

avex.jp

 

そんなもので、あれよあれよと現象が広まっていくのを、僕は驚きと共に、そしてちょっと他人事ではない感じで見てました。そして「これは自分が誰よりも最初に音楽的に大真面目に語らねばならぬ!」と謎の使命感を持って、以下のページで解説しました。

 

realsound.jp

 

以下自分のコメントを引用。

 

「約15年前から『PPAP』の原型はありました。古坂さんのルーツは80年代のテクノ。以前組んでいたお笑いコンビ・底ぬけAIR-LINEでも、1999年の『爆笑オンエアバトル』第一回チャンピオン大会で『テクノ体操』というネタを披露していました。2003年に一時お笑い活動を休止した際は、テクノグループ『NO BOTTOM!』を結成し、音楽活動に専念していたこともあります。古坂さんは1973年生まれの現在43歳。80年代後半に思春期、青春時代を送っているので、初期の電気グルーヴ、遡ってDEVOやYMOなどに影響を受けたのでしょう。そのあたりが古坂さんの音楽性の核にあり、ピコ太郎についても80年代のテクノポップの音を意識したチープな音に仕上がっているのだと思います」

 

「古坂さんは、mihimaruGTのプロデュースワークのほか、SCANDALが2013年にリリースしたシングル『OVER DRIVE』収録の『SCANDAL IN THE HOUSE』をプロデュースしています。この楽曲は、SCANDAL初の演奏なしの打ち込みダンスナンバーです。ほかにも、2007年にはAAAの楽曲のリミックスを手がけていて、メンバーの日高光啓とは2013年にイトーヨーカドーのCMで共演も果たしています。実は、今回ジャスティンがツイートをする前に日高がツイートしていたりもして、関係は深いはずです」

 

「ピコ太郎のサウンドにはEDMっぽさが一切ない。特に『PERFECT HUMAN』と比べると、一聴してそれが明らかです。『PERFECT HUMAN』はLMFAO以降のパーティーミュージックをトレースしていますが、『PPAP』は確信的に80年代のレトロなテクノサウンドを鳴らしている。リズムマシンの名機と言われるTR-808のカウベルを使っているのが象徴的。その古さがジャスティンを始めとする若い世代に刺さったんだと思います。80年代のリバイバルは00年代に起こっていて、その頃は世界的にもポストパンク、ニューウェーヴのリバイバルが流行ったんですが、その流れもすでに終わってしまった。“1周回って新しい”という時期は過ぎたけれど、2周目もまだきていない。“1.5周目”くらいなんです。そういう意味ではピコ太郎は今誰もいないポジションにいることになります。また、爆発的流行の理由に1分8秒という動画の短さもあげられます。実際に曲が鳴ってるのは大体45秒ぐらい。Twitterで動画を観る人の基本の感覚だと1分を超えるともう長く感じるので、Twitter、Instagram、Vineのタイム感にすごくフィットしているのは間違いないです」

 

「ピコ太郎の『PPAP』は、“ネタ”ではなく“楽曲”として10月7日に各サービスで配信がスタートしました。しかもApple MusicやSpotifyを通じての全世界配信も実現した。ということは、それらのサブスクリプションサービスを通じて世界中でこの曲が聴かれることが予想できます。そういったサービスでは聴かれた回数によってアーティストに収益が還元されるので、多額の収入が発生する可能性がある。これはお笑いと音楽の歴史を紐解くと、とても画期的なことだと思います。90年代の一発ギャグはテレビで披露して視聴者に飽きられて終わりだった。しかし、00年代に『着ボイス』が流行したことで、消費されて終わりではなく、それを収益化することが可能になった。00年代中盤に流行したムーディー勝山の『右から来たものを左へ受け流すの歌』は携帯電話向けコンテンツだけで2億円以上の売り上げになったそうです。つまり、一発ギャグが芸人にインカムをもたらすようになった。さらにピコ太郎の突発的なブレイクは、それがグローバルな規模で広がるという新しい時代の到来を意味している。これは同じように“音楽×お笑い”の芸をやっている芸人にとっては希望の持てる出来事だと思います」

 

この記事には古坂大魔王さん本人から「実は自分のルーツはプロディジー、ケミカル・ブラザーズ、アンダーワールドあたりの90年代エレクトロニック・ミュージック」とコメントが入ったりしたのだけど。

 

 

ちなみにその時の「SUMMER SONIC×WOWOWぷらすと」の特番にやはりゲストとして来てくれた西寺郷太さんには、『週刊現代』に掲載された書評でその時のことをこんな風に書いてくれた。

 

今にして思えば、ジャスティン・ビーバーがTwitterでツイートしたことから爆発的に広まった「ピコ太郎」フィーバーが、単なる「まぐれ」ではなかったこともわかる。古坂さんは「フェス(リスナー参加型音楽の魅力)」「ネットの有効活用」「そして英詞曲で、洋楽と邦楽の垣根を超える」というすべてを理解し、クリアしていたのだから。

 (中略)

本書『ヒットの崩壊』で、彼が「崩壊」していると指摘する「ヒット」とは、旧態依然のメディアと作り手側が意図的に仕掛けて作る「ヒット」のこと。しかし、予想もしない角度から新たな「ヒット」は生まれうる。その主張をより鮮明に印象づけることになったのが、わずか3ヵ月と少し前の古坂さんと共演した記憶だ。出版時期から考察して9月までに執筆された本書に、夏に著者が共演まで果たした「ピコ太郎」についての記述はない。

 

その今年最も書くべきことが書かれなかった事実こそに僕は、まさに数週間で運命は変わるし、思いもよらぬパターンで新たなヒットが生まれる大転換時代なのだと指摘する本書の正当性を感じる。

 

なんか、いろいろ感慨深いものがある。

 

■バットを振り続ける、ということ

 

今年の秋から冬にかけては「なぜPPAPが世界中でヒットしたのか?」という問いに答えるお仕事がいくつかありました。

 

たとえば『5時に夢中』でコメントしたり。

 

大谷ノブ彦さんとの連載『心のベストテン』で語ったり。

cakes.mu

 

 「とにかくやる」ってのも重要ですよね。ピコ太郎だって、今回PPAPがここまで当たったのは間違いなく偶然だと思うんですよ。

大谷 そうですよね。別に最初から世界なんて狙ってない。

 でも、古坂さん自身はヒットを飛ばすまで20年以上バットを振り続けてきた。

大谷 そうそう!

 底抜けAIR-LINE時代の1999年に爆笑オンエアバトルで「テクノ体操」というネタをやったり、NO BOTTOM!というテクノグループを結成したり、音楽とお笑いを融合した芸をずっとやり続けてきたわけで。
 ヒットはたまたまかもしれないですけど、そのためには、やっぱり打席に立ち続ける、バットを振り続けるっていうのが何より大事なんだと思います。

 

 

たぶん、僕以外にも「なぜPPAPが世界中でヒットしたのか?」ということについて、沢山の人がコメントしていると思います。でも、僕としては正直、「ヒットの理由」なんて、結局のところは「後づけのこじつけ」にしか過ぎないと思うのです。

 

『ヒットの崩壊』なんて本を今年は書いていたから「ヒットとは何か?」みたいなことを考えることが多かったのだけれど、それって、考えてもなかなか答えがでない。当たるか当たらないかなんて、事前にはわからない。結局のところ「得体の知れない現象」にしかすぎない。だからこそ、みんなスッキリする説明を求める。もしくは「あんなもんどこがおもしろいんだ」と拒否反応を示す。

 

そういう「得体の知れなさ」こそがヒットの本質なのだと思います。

 

だから僕は、やっぱり、打席に立ち続ける、バットを振り続けるっていうのが何より大事なんだと思います。

 

 

 

PPAP(DVD付)(通常仕様)

PPAP(DVD付)(通常仕様)

 

 

『この世界の片隅に』と、「右手」が持つ魔法の力

今日は、映画『この世界の片隅に』についての話。

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もうすでにいろんなところで評判になっている。たくさんの人が心を揺り動かされている。絶賛されている。「映画館で観るべきだ」って言っている。僕も同意。名作だと思う。だから付け加えることはないかなとも思ったんだけど、やっぱり自分が感じたことを書いておこう。

 

僕は試写のときと、公開翌日と、2回観た。どちらも、途中から気付いたら涙ぐんでいた。なんと言うか、「感動を体感する」ってこういうことなんだと思った。原作は読んでいたから話の筋はわかっていたけれど、そういうこととは関係なしに、伝わってくるものがあった。物語というものの持つ本質的な力に触れたような感覚があった。

 

最初の感想ツイートは以下。

 

 

 

■音楽の持つ力

 

そして、見逃されがちだけど、『この世界の片隅に』の魅力の一翼を担っているのは、コトリンゴが手掛けた音楽だと思う。

 

こうの史代の原作も、片渕須直監督の手腕、主人公・すずを演じたのん(=能年玲奈)の天性の才能も、もちろん大きい。でも、コトリンゴの手掛けた音楽も本当に素晴らしいのだ。

 

今年は『君の名は。』を筆頭に、映画と音楽の新しい関係を感じさせる良作が相次いだ一年だった。従来の主題歌タイアップよりも深く踏み込み、監督とアーティストががっつりとタッグを組んで制作した作品が結果を残している。

 

『君の名は。』については、ブログにも書きました。

shiba710.hateblo.jp

 

『シン・ゴジラ』や『怒り』や『何者』、『聲の形』もそういう論点で語ることのできる作品だということはリアルサウンドやオリコンに寄稿したコラムに書きました。

realsound.jp

www.oricon.co.jp

 

上で書いたように、『この世界の片隅に』もそういう枠組みで語ることのできるアニメーション映画だ。主題歌も劇伴もコトリンゴが手掛けている。繊細で柔らかな歌声、ストリングスや生楽器の優しい響きを活かした音楽が活きている。以下のインタビューでも語られているとおり、この映画の「音」を作り出すために、彼女は通常の劇伴作家を超えた領域の役割も果たしているらしい。

 

www.cinra.net

 

まずグッとくるのが、彼女がカバーしたフォーク・クルセダーズの「悲しくてやりきれない」。これはもともと『picnic album 1』というコトリンゴのカバーアルバムに収録されている曲で、2010年に出たこのCDを彼女が片渕監督に渡したことから関係が始まっている。

 

 

picnic album 1

picnic album 1

 

 

 

最初の特報ではそのバージョンが使われているので、映画のオープニングテーマとして流れる曲とは、若干アレンジが変わっている。

 


映画「この世界の片隅に」特報1

 

本予告で使われているのは、オーケストラが加わることでよりドラマティックになった、この「悲しくてやりきれない」のカバー。サントラ盤にはこちらのバージョンが収録されている。

 


『この世界の片隅に』(11/12(土)公開)本予告

 

■主題歌「みぎてのうた」の持つ意味

 

そしてここからはネタバレ込みです。

 

ただし。この曲が「主題歌」だと思っている人もいるかもしれないが、実はそうじゃない。この「悲しくてやりきれない」はオープニングテーマという位置づけだ。映画の最後にはコトリンゴが書き下ろした「たんぽぽ」という、とても優しいバラードが流れるんだけど、それも「主題歌」ではない。エンディングテーマという位置づけだ。

 

この映画の主題歌は、物語の終盤で流れる「みぎてのうた」。サントラ盤では30曲目に収録されている。

 

 

クレジットは「作詞:こうの史代・片渕須直 作曲:コトリンゴ」。どういうことかというと、こうの史代が書いた原作の最終回「しあはせの手紙(21年1月)」のモノローグをもとに、片渕須直監督が構成した言葉が歌詞になっているわけだ。前出のインタビューで彼女はこんな風に語っている。

 

―“みぎてのうたの歌詞は、原作漫画の最後に出てくるモノローグを組み合わせたものになっていますね。それは監督の希望だったのですか?

コトリンゴ:そうですね。原作漫画の中に、すずさんの右手について書いた言葉がばーっと長く入っているところがあるんですけど、それを歌にしたいという話を監督から聞いて。ただ、その言葉を書き出して曲にしようとしたら、言葉の量が多いから、ものすごく長くなってしまったんですよね。なので、言葉のセレクトを監督にしていただいて、ぎゅっと濃縮して作りました。

いわゆるポップソングの言葉ではないので、なかなか難しいところもあったのでは?

コトリンゴ:監督が、「最後は救われるものであってほしい」ということを何度もおっしゃっていたので、最初のデモは今よりも軽い感じで提出したんです。でも、それはそれでちょっと違ったみたいで。なので、軽くなりすぎず、重くなりすぎず、なおかつ原作の言葉をちゃんと入れつつ、というところでなかなか難しかったですね。

―“みぎてのうたが、一応「主題歌」ということになるんですよね。

コトリンゴ:「主題歌」という役割分担が難しくて。悲しくてやりきれないもあるし、どちらを主題歌にするのか最近まで決まらなかったんですけど、結局映画用に新しく録り直した悲しくてやりきれないはオープニングテーマで、主題歌はみぎてのうたということで落ち着きました。 

 

つまり、「悲しくてやりきれない」ではなく「みぎてのうた」を主題歌にしたのは、片渕監督の意志だったということが明かされている。

 

その「みぎてのうた」では、こんな言葉が歌われる。

  

変わりゆくこの世界の

あちこちに宿る

切れきれの愛

 

ほらご覧

 

いま其れも

貴方の

一部になる 

 

原作では、この「ほらご覧」のところで、絵筆を持った右手が登場する。「例へばこんな風に」と、描かれた風景に色をつける。

 

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つまり、このモノローグは、主人公のすずではなく、(すでに失われてしまった)「右手」が語り部になっている言葉なのだ。だから「みぎてのうた」なのである。

 

■マジックリアリズム的な世界観

  

最初に観たときは、そのことに気付かなかった。けれど、映画の主人公をすずでなく「右手」と捉えると、作品の伝えてくるものがガラリと変わってくる。

  

『この世界の片隅に』は、戦時中の広島と呉を舞台にした映画だ。ぼんやりとしていて、でも明るくて愛嬌がある一人の女性とその家族の、ささやかで幸せな暮らしが描かれる。かまどでご飯を炊いて、干物を買って、野草を積んで。戦時下の広島と呉の、日常や普通の暮らしを大切に描く。そこが、戦争を描いたこれまでの作品との大きな違いとなっている。

 

そうやって読み取るのが、作品の正しい受け取り方だと思う。僕も一回目に観たときはそう思った。日々の営み、生活の様子、細々した視点を、リアリティを持って、アニメーションの動きにも丁寧にこだわり抜いて描いた作品と思える。

 

だけど、主人公を「右手」と捉えると、その印象が逆転する。『この世界の片隅に』は、とても不思議な、ある種のマジックリアリズム的な作品と捉えることができる。

 

すずの「右手」は、特殊な能力の持ち主だ。単に絵が上手いというだけじゃない。作品の中の現実に介入することができる。たとえば物語の主軸となっている夫・北條周作との出会いも「右手」が導いている。広島の中心街を歩いているときに、ひょいとバケモノの背負うカゴに入れられる。そこで縁が生まれるわけなのだが、このエピソードも、少女時代のすずが妹のすみに「右手」で描いたものだ。

 

水原哲との場面もそう。「波のうさぎ」を描くシーンでは、すずの「右手」が描いた絵は景色にとってかわり、海の上を白いうさぎが跳ねていく。描くことで、風景に命がふきこまれる。

 

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(上巻扉絵より)

 

リンとの出会いの場面も、晴美さんとのやり取りも印象的だ。すずの「右手」はすいかを、アイスクリームを、干物を描く。窮乏する生活の中で、別に絵で腹がふくれるわけじゃない。でも、登場する人々は、みんな「右手」が描いた食べ物の絵を見て心を満たす。そういう魔法のような力を持っている。

 

だからこそ、その後、20年3月に呉を襲った空襲の描写が生きてくる。ここでは、敵機を撃ち落とすための対空砲火が空で炸裂する。色鮮やかな煙が舞う。これは決してアニメーション的な演出でなく、当時の対空砲火がどの軍艦から撃ったかを見分けるために煙が着色されていたことに基づく描写らしい。

 

が、その後、突然画面に絵筆があらわれる。砲火の煙のかわりに、絵筆が絵の具を空にぶちまけていく。

 

「ああ、今ここに絵の具があれば……って、うちは何を考えてしもうとるんじゃ!」

 

のんがそう言う。これはすずのセリフだけれど、僕は数少ない「右手」の叫びが前面にあらわれた瞬間だと思っている。

 

小原篤さんも、細馬宏通さんも、この「右手」のことに触れている。

 

www.asahi.com

 

digital.asahi.com

 

magazine.manba.co.jp

 

 

だからこそ、6月の空襲で晴美が死に、すずが右手を失った時には、アニメーションの枠組み自体がぐらぐらと揺れる。闇の中に荒い描線が浮かんでは消えるような、幻覚のような絵が繰り広げられる。

 

つまり、『この世界の片隅に』の主人公を「右手」と捉えると、途端に、この映画は「戦時下の広島と呉の、日常や普通の暮らしを描いた作品」ではなくなってくるわけだ。

 

絵を描くこと、鉛筆や絵筆で目の前の光景を書き留めること、幻想に思いを馳せること、想像力を働かせること、物語を紡ぐこと――。それらの行為が持つ魔法のような力、その渇望、そしてそれが持つ“業”のようなものにまで踏み込んでいく。

 

こうやって深読みしていくと、『この世界の片隅に』は「芸術」そのものをテーマにした作品とも言えるわけなのである。

 

■二つのエンドロール

 

そして、この映画の主人公を「すず」ではなく「右手」と捉えると、エンドロールの持つ意味合いも、変わってくる。

 

 

これ、のんさんの舞台挨拶で本人から直接聞いてよかった。注意してなかったら見逃してたかもしれなかった。だって物語が終わった後は涙ぐんでたんだから。

 

ここから後はエンドロールにまつわるネタバレです。一度観た人も、ここに気を付けてもう一度観ると「あっ!」と気付くことがあると思う。

 

この映画、実はエンドロールが二つあるんです。一つは、監督やキャストやスタッフの名前が並ぶ、通常のエンドロール。そして、それが終わると、続いてもう一つのエンドロールが始まる。この映画はクラウドファウンディングで資金を集めているから、その支援者のクレジットを入れる必要もあって、こういう構成になっているわけです。だから本編が終わった後のエンドロールがとても長い。映画の感想でも「クラウドファウンディングのクレジットがとにかく長くてうんざりした」みたいなのを見かけた。

 

でも、それを飽きさせずにちゃんと魅せる工夫もしてある。ずらずらと名前が流れる脇に、映画で描いた物語の「その後」を示すような、二つのショートストーリーが描かれるのだ。

 

通常のエンドロールで描かれるのは、すずさんたちが呉で暮らす日常の風景。おそらく昭和25年くらいかな。物語の終盤で出会った孤児が成長し、つつがなく、幸せに暮らす家族。片渕須直監督の前作『マイマイ新子と千年の魔法』は昭和30年代を舞台にした物語で、そこと『この世界の片隅に』が地続きのストーリーであることも暗示しているのだと思う。

 

そして、クラウドファウンディングの支援者の名前が並ぶもう一方のエンドロールでは、手描きの絵が描かれていく。ただイラストのカットが流れるのではなく、白い画面に口紅を使って「右手が描いていく」過程がアニメーションで描写される。そこに登場するのは、原作から映画で大幅にカットされた遊女・リンの人生。少女時代のすずと出会い、呉の遊郭で再会し、友達になる。そんなストーリーだ。それを(リンと同じ遊女のテルの遺品だった)口紅で描くということにも、ちゃんと原作由来の意味がある。

 

そして、最後の最後で、画面隅にひらりと登場した「右手」が手を振るんですよ。

 

これを観たときに、うわっと思った。鳥肌が立った。

 

僕が考えるに、この二つのエンドロールは「此岸」と「彼岸」を示していると思うのです。前者は「生」で後者は「死」。一つ目のエンドロールは戦後、そして現代までちゃんと連続していく「生活」を、そしてもう一つのエンドロールは、失われてしまった命、亡くなってしまった人に思いを馳せる「追憶」を示している。だから前者では子供が幸せに成長していくさまが、そして後者には死んでしまった人の楽しかった思い出が描かれる。

 

だからこそ、バイバイと手を振るのは、彼岸の領域にある「右手」じゃなければならなかった。

 

すずさん自身は「この世界の片隅」に居場所を見つけて、ちゃんと救われた。希望を持った終わり方になった。でも、その一方で、失われてしまったものは、どうやって救うことができるのか。

 

そこが、まさに「右手」が主人公として果たした役割なのだろうと思う。描くことで、思いを馳せることで、想像力を働かせること、フィクションをまじえて物語ることで、懐かしい記憶や、住んでいた場所や、大切な人にもう一度会いにいくことができる。すずの「右手」はそういう特別な力を持っていることが、作中でも繰り返し示される(たとえば『鬼いちゃんの南洋冒険記』が、石ころになって帰ってきた兄をジャングルに蘇らせたように)。

 

そして、こうの史代さんと片渕須直監督が『この世界の片隅に』でやったのも、それと同じことだった。その時代を生きた人の生活のさまを丹念に調べ、たくさんの人に街の様子を聞き、とても丁寧に、広島で暮らしていた人の日常をアニメーションで蘇らせた。その経緯は以下の記事に詳しい。

 

www.nhk.or.jp

 

『この世界の片隅に』がとても丁寧に当時の人々の暮らしや日常を「描いて」いるのも、すずさんがスイカや干物や街の風景を作中で「描いて」いるのも、一つのメタ的な相似形なのだと思う。描くことで、手の届かないもの、失われてしまったものを近くに引き寄せることができる。それは「物語」の持つ、とても大きな力だ。

 

そういうところに、僕は深く感じ入ったのです。

 

 

劇場アニメ「この世界の片隅に」オリジナルサウンドトラック

劇場アニメ「この世界の片隅に」オリジナルサウンドトラック

 

 

『ヒットの崩壊』の「はじめに」

講談社現代新書より上梓した単著『ヒットの崩壊』が発売になります。amazonでは11月16日となっていますが、明日、11月15日には都内書店に並び始めると思います。

 

ヒットの崩壊 (講談社現代新書)

 

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この本の問題意識は、以下に引用する「はじめに」のところで書いています。

 

「ヒット曲」というものを一つの主題にした本ですが、音楽業界だけのことにとどまらず、流行の実情や、メディアと人々の接し方の変化、それによって生まれている社会の変化のうねりのようなものにも迫れたらと思って執筆を進めています。

 

―――――

 

はじめに

 

 「最近のヒット曲って何?」

そう聞かれて、すぐに答えを思い浮かべることのできる人は、どれだけいるだろうか? よくわからない、ピンとこないという人が多いのではないだろうか。

 かつてはそうではなかった。昭和の歌謡曲の時代も、90年代のJ−POPの時代も、ヒット曲の数々が世の中を彩っていた。毎週のヒットチャートを見れば、何が流行っているのか一目瞭然だった。テレビの歌番組が話題の中心にあった。

 でも、今は違う。シングルCDの売り上げ枚数を並べたオリコンのランキングを見ても、それが果たして何を示しているのか、判然としない。流行歌の指標がどこにあるのかわからない。それが今の日本の音楽シーンの実情だ。

 果たして何が起こっているのか?

 

 「音楽不況だからしょうがない……」

 そんなことを言う人もいる。確かにCDの売り上げは右肩下がりで落ち込んでいる。しかし、音楽の〝現場〟には、今も変わらぬ熱気がある。それは、音楽ジャーナリストとして20年近くロックやポップ・ミュージックについて取材と批評を続けてきた筆者の正直な実感だ。音楽フェスの盛況、ライブ市場の拡大もそれを裏付ける。

 では、なぜヒットが生まれなくなったのか? 実は、それは音楽の分野だけで起こっていることではない。

 ここ十数年の音楽業界が直面してきた「ヒットの崩壊」は、単なる不況などではなく、構造的な問題だった。それをもたらしたのは、人々の価値観の抜本的な変化だった。「モノ」から「体験」へと、消費の軸足が移り変わっていったこと。ソーシャルメディアが普及し、流行が局所的に生じるようになったこと。そういう時代の潮流の大きな変化によって、マスメディアへの大量露出を仕掛けてブームを作り出すかつての「ヒットの方程式」が成立しなくなってきたのである。

 

 本書は、様々な角度から取材を重ね、そんな現在の音楽シーンの実情を解き明かすルポルタージュだ。ミュージシャン、レーベル、プロダクション、テレビ、ヒットチャート、カラオケなど、それぞれの現場の人たちが時代の変化にどう向き合っているのか。その言葉は、たとえ音楽に興味がない人にとっても、あらゆる分野で「ヒット」が生まれなくなっている今の時代を読み解くためのキーになるのではないかと思う。

 

 本書の構成は以下のようになっている。第一章では、90年代から現在に至るまで、音楽産業がどう変わってきたかを解説する。CDが売れなくともアーティストが活動を続けられるようになった現状、「コンテンツ」から「体験」へとマーケットの軸足が移ってきたここ10数年の変化を読み解く。そして、日本の音楽シーンを代表するヒットメーカーとして、音楽プロデューサー・小室哲哉と、いきものがかり・水野良樹という二人の作り手に話を聞き、それぞれのスタンスと、ヒット曲についての考え方を探る。

 第二章ではヒットチャートの変化に迫る。極端な結果を示すようになったオリコン年間ランキングから、「AKB商法」とも言われる特典商法がヒットチャートを〝ハッキング〟してきた経緯を示す。そして、当のオリコン側はそのことをどう捉えているのかを尋ねる。また、複合的な指標による新たなヒットチャートのあり方を掲げるビルボード・ジャパンの狙いと、カラオケランキングから見えるヒット曲の受容の特徴を解き明かす。

 第三章はテレビの音楽番組をテーマにしている。10年代になって民放各局で放送されるようになった「大型音楽番組」の登場、そしてその長時間化は、果たして何を意味しているのか。制作者の意識を問う。

 第四章はライブ市場の拡大の背景にあるものを解き明かす。何故フェスは盛況を続けているのか。そして大規模な演出を用いたスペクタクルなワンマンライブやコンサートが増えてきているのは何故か。テクノロジーがライブを進化させた背景と、その行き先を探る。

 第五章では、ビジネスやマーケットではなく、音楽の中身について論じる。00年代以降、日本のポピュラー音楽の潮流はどう変わってきたのか。海外への憧れとコンプレックスから解き放たれて独自の進化を果たした「J‐POP」という言葉の意味合いの変化、そして日本発のポップカルチャーとして海外進出を果たしているその原動力を分析する。

 そして第六章では、大きな転換期を迎えている世界全体の音楽市場の動向を見据え、日本の音楽シーンの先行きを探る。ストリーミング配信が普及し十数年ぶりにレコード産業が拡大基調となった海外で、ヒットはどのように生まれるようになったのか。ロングテール以降の時代にグローバルなポップスターが君臨するようになった経緯、そして新たな「モンスターヒットの時代」の仕組みを解き明かし、この先に訪れる未来の可能性を示す。

 

 日本のロック/ポップス史に大きな足跡を残したミュージシャン・大瀧龍一は、かつてこう語った。

  歌は世につれ、というのは、ヒットは聞く人が作る、という意味なんだよ。ここを作る側がよく間違えるけど。過去、一度たりとて音楽を制作する側がヒットを作ったことはないんだ。作る側はあくまでも〝作品〟を作ったのであって〝ヒット曲〟は聞く人が作った。 (大瀧詠一『大瀧詠一 Writing & Talking』より)

 とても鋭い洞察だと思う。

 しかし、いつの間にか「歌は世につれ、世は歌につれ」という言葉自体をあまり耳にしなくなった。歌謡曲の時代には一つの定番だったフレーズは、今はその意味合いが薄れてきている。

 

 かつて、ヒット曲は時代を反映する〝鏡〟だった。  果たして、今はどうだろうか?

 

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以上が「はじめに」で書いたことです。

 

J-POPの90年代と今を語る第一章では小室哲哉さんといきものがかり・水野良樹さん。ヒットチャートをテーマにした第二章ではオリコン株式会社の垂石克哉さんとビルボード・ジャパンの礒崎誠二さん、JOYSOUNDの鈴木卓弥さんと高木貴さん。テレビと音楽番組をテーマにした第三章では『FNS歌謡祭』『FNSうたの夏まつり』の総合演出を手掛けるフジテレビの浜崎綾さん。ライブをテーマにした第四章では、BUMP OF CHICKENやサカナクションやKANA-BOONを手掛けるヒップランドミュージックコーポレーションの野村達矢さん。日本と海外の音楽シーンの関係性の変化を書いた第五章では、もう一度水野良樹さんと、シュガー・ベイブやフリッパーズ・ギターを手掛け日本のポップスの歴史の体現者であるプロデューサー・牧村憲一さん、きゃりーぱみゅぱみゅや中田ヤスタカ擁するレーベルunBORDEのレーベルヘッド鈴木竜馬さん。そして第六章では、再び小室哲哉さん、水野良樹さん、鈴木竜馬さんにご登場いただきました。

 

僕一人の論考ではなく、ミュージシャン、プロデューサー、マネジメント、ヒットチャート、テレビ、カラオケなど、音楽の現場にいる人たちの生の言葉があってこそ成立した本だと思っています。改めて感謝しております。

 

 

 

 

 

反響にも感謝。

 

そして最後に告知ですが、ブログ「All Digital Music」を主宰するデジタル音楽ジャーナリスト、ジェイ・コウガミさんと、この本、特に第六章で書いたストリーミング以降の音楽シーンについて語るトークイベントを11月15日に開催します。詳細は以下。

 

『ヒットの崩壊』(講談社現代新書)刊行記念
柴那典×ジェイ・コウガミ「テクノロジーは音楽をどう変えたのか?」

開催日時:2016年11月15日(火)19:30スタート
開催場所:スマートニュース イベントスペース(渋谷)
イベントページ:http://peatix.com/event/211745/

 

peatix.com

 

 

 

ヒットの崩壊 (講談社現代新書)

ヒットの崩壊 (講談社現代新書)