日々の音色とことば

usual tones and words

今年もありがとうございました。/2023年の総括

例年通り、紅白歌合戦を観ながら書いています。

 

2023年はどんな年だったか。ここのところ恒例になっている宇野維正さんとのトークイベント「ポップカルチャー事件簿『2023年徹底総括&2024年大展望』編」でも語りましたが、やっぱりエンタテインメントの領域に大きな地殻変動のあった1年でした。そしてこれは不可逆の変化でもあると思います。

 

 

(1月10日までアーカイブ配信しているので興味ある方はぜひ)

 

旧ジャニーズ事務所を巡る問題や、さまざまなイシューが世を賑わせた1年でもありました。旧来の権威が解体していくさまはとてもダイナミックで、それは芸能界だけでなく政治の世界でも同時並行的に起こっていることで、そこには必然的な結びつきがあったようにも思います。

 

ただ、本当の変化は目に見えない社会の下部構造で起こっていることでもあると思っています。気付かないうちに、いつのまにか底が抜けていたということになるかもしれない。そんな危惧も感じています。

 

個人的な仕事の手応えの実感としては、ありがたいことに今年はずいぶんとメディア露出が増えた1年だったようにも思います。昨年に始まったTBSラジオの『パンサー向井の#ふらっと』という朝の帯番組へのレギュラー出演に加えて、TBSテレビ『ひるおび』でアーティストの魅力を解説するという機会もたびたびいただくようになった。

 

ダイノジ大谷さんとの音楽放談番組もフジテレビで放映されました。年末の特番が並ぶTVerの画面に自分の顔がサムネイルが映っているの、なんだか不思議な感じがします。

 

tver.jp

 

充実した仕事の場を与えてもらえていることには感謝の限り。ただ、そういう場所で活動しているせいかもしれないですが、世の中により一層「わかりやすいもの」が求められている風潮も、ひしひしと感じています。

 

求められていることにしっかりと応えつつも、目に見えない場所で起こっていることに耳を澄ますこと、匂いを嗅ぎ取ろうとすることを疎かにしたくはないと考えています。毎年書いているような気もするけれど、もっと思いついたことをブログに書いていこう。

 

というわけで、今年もありがとうございました。最後に今年の個人的なベストアルバム30枚を。2024年もよろしくお願いします。

 

  1. Noah KahanStick Season (We'll All Be Here Forever)
  2. boygeniusthe record
  3. スピッツ『ひみつスタジオ』
  4. Olivia RodligoGUTS
  5. King GnuTHE GREATEST UNKNOWN
  6. The Rolling StonesHackney Diamonds
  7. ヨルシカ『幻燈』
  8. Vaundyreplica
  9. GEZAN with Million Wish Collective『あのち』
  10. 君島大空『映帶する煙』
  11. PinkPantheressHeaven Knows
  12. くるり『感覚は道標』
  13. Zack BrianZack Brian
  14. YueleSoftscars
  15. Melanie MartinezPortals
  16. AmaaraeFountain Baby
  17. Troy SivanSomething To Give Each Other
  18. MitskiThe Land Is Inhospitable and So Are We
  19. UnderscoresWallsocket
  20. People In The BoxCamera Obscura
  21. NinhoNI
  22. TainyDATA
  23. マカロニえんぴつ『大人の涙』
  24. d4vdPetals to Thorns
  25. ROTH BART BARON8
  26. GRAPEVINEAlmost There
  27. GorillazCracker Island
  28. なとり『劇場』
  29. Cornelius『夢中夢』
  30. syudou『露骨』

『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』重版記念/「ボーカロイド文化のその後の10年」

 

『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』が増刷しました。

 

初音ミクはなぜ世界を変えたのか?

 

2014年4月の刊行から9年目。これで3刷目となります。こういうたぐいの本が発売から時間が経ってから重版となるのは本当に嬉しい限り。僕にとっては初の単著でもあり、思い入れの大きな本でもあります。

 

新版には「ボーカロイド文化のその後の10年」と題した文章を綴ったペーパーを挟み込んでおります。

 

画像

 

2023年8月31日、初音ミクの16歳の誕生日にあわせてこちらのペーパーに記した内容もブログ上に公開しようと思います。

00年代のネットカルチャーの泡沫が過ぎゆく時の波に洗われて消えていく中、初音ミクの登場のときにあった熱気を、20世紀のロックやポップ・ミュージックの歴史とつなぐ形できちんと単行本の形で残す仕事をすることができたのは、自分にとってもすごく大きなことだったと思っています。

 

ボーカロイド文化のその後の10年


 ブームは去っても、カルチャーは死なない。


 それがこの本の主題の一つだ。本書のモチーフの原点になった「僕らは『サード・サマー・オブ・ラブ』の時代を生きていた」というブログ記事を公開したのは2013年1月。そこにはこう書いた。

 

歴史は繰り返す。ムーブメントそれ自体は、数年で下火になる。それは宿命のようなものだ。沢山の商売人が飛びついてきて、そして舌を鳴らしながら去っていく。したり顔で、得意げに「もう終わった」とささやく人が、沢山あらわれる。

 しかし、そのことを悲観することもないと、僕は思っている。二つの「サマー・オブ・ラブ」と「2007年」をつなぐことで、僕たちは歴史に学ぶことができる。

 サマー・オブ・ラブの季節が終わりを迎えても、ロックやクラブミュージックは、今も形を変えながら若者たちのものであり続ける。それと同じように、2007年のインターネットが宿していた熱も、この先長く生き続け、刺激的なカルチャーを生み出し続けるだろうと僕は思っている。ひょっとしたらこの先、ボーカロイドのブームは下火になるかもしれない。しかしそこで生まれた「n次創作的に共有するポップアイコン」というイメージは、これからのポップカルチャーのあり方を規定する価値観の一つになっていくはずだと思っている。

 

 そして2023年7月。そこから10年が経ち、願いと祈りを込めて書いた言葉が、ちゃんと予言となったことを実感している。

 ボーカロイド文化は、決して消えることはなかった。一時的な退潮こそあれ、しっかりとユースカルチャーとして根を下ろし、拡大し、そして、いまや日本の音楽シーンのメインストリームとシームレスに繋がるようになった。

 その象徴が「小説を音楽にするユニット」YOASOBIだろう。2019年、「夜に駆ける」でデビューした彼らは、瞬く間にブレイクを果たし、時代を代表する存在になった。2023年もその勢いはとどまるところを知らない。アニメ『【推しの子】』オープニング主題歌に書き下ろした「アイドル」は国内のヒットチャートを席巻、米ビルボードのグローバルチャート「Billboard The Global Excl. U.S. top 10」にて日本語で歌唱された楽曲として初の首位を獲得するなどワールドワイドに広まった。そんな中、コンポーザーのAyaseは初音ミク「マジカルミライ 2023」テーマソング「HERO」をボカロPとして書き下ろしている。それだけにとどまらず、即売会イベント「クリエイターズマーケット」にはサークル「DREAMERS」(Ayase・syudou・すりぃ・ツミキ)として出店が決定。ヒットチャートと同人文化とがここまで直結している時代が2023年だ。

 Adoの存在も大きい。2020年10月に「うっせぇわ」でメジャーデビューした彼女は、この曲の社会現象的なヒットで日本中から注目を集める存在になった後も、あくまでも「ボーカロイド・シーンの一員」という姿勢を崩さなかった。小学生のときに動画投稿サイトでボカロを知り、14歳で自ら「歌ってみた」動画を初投稿したというボカロネイティブ世代。2022年1月にリリースされたメジャー1stアルバム『狂言』は、「うっせぇわ」を作曲したsyudouを筆頭に、すりぃ、DECO*27、Giga、Neru、みきとP、くじら、Kanaria、Jon-YAKITORY、柊キライ、てにをは、煮ル果実、biz、伊根など、彼女が敬愛するボカロPたちが作り手として参加した。ブレイク後もボーカロイド、歌い手の文化をリスペクトし広めるスタンスを持ち続けている。


 振り返ってみれば、本書を上梓した2014年から2015年にかけては、ボカロシーンに〝停滞論〟が囁かれるようになった時期でもあった。ニコニコ動画で投稿年に100万回再生を達成したボカロ楽曲は、2012年の11曲、2013年の11曲から1曲に減少。2015年もこの傾向は続き、ブームの沈静化が生じつつあった。


 2015年7月に「アンドロメダアンドロメダ」を投稿し活動を開始したナユタン星人は、後に「僕がはじめた2015年は、過去に例がないくらいボカロシーンが落ち込んでいた時期でした。それこそ“焼け野原”とか“ボカロ衰退期”とか言われてました」――と語っている。(https://kai-you.net/article/80818

 ただ、その一方で、この時期には新しい世代のクリエイターが頭角を現してきた時期でもあった。そのナユタン星人に加え、後にヨルシカを結成するn-bunaは2014年2月投稿の「ウミユリ海底譚」で、Orangestarは2014年8月投稿の「アスノヨゾラ哨戒班」で脚光を浴びている。

 こうした動きがさらに加速したのが2016年だった。この年10月には後にシンガーソングライター・須田景凪としての活動を開始するバルーンが「シャルル」を発表。YouTubeに投稿されたセルフカバーをきっかけに様々な歌い手による「歌ってみた」ブームを巻き起こし、結果、2017年から2019年のJOYSOUNDカラオケランキングで10代部門において三年連続一位となるなど着実に支持を広げた。


 2017年には初音ミクは10周年を迎えた。記念コンピの発売や特設サイト開設など様々な企画が展開されたが、最も反響を集めたのは「マジカルミライ2017」のテーマソングとして4年ぶりに発表されたハチ(=米津玄師)の「砂の惑星」だろう。ボカロシーンへの問題提起を孕んだ歌詞の内容は賛否両論の論争を巻き起こしたが、今振り返ると、あの曲に込められていた「新しい才能がどんどん出てきてほしい」というメッセージは、まさに現実のものになったように思う。


 実際、2019年頃からボカロシーンは〝新たな黄金期〟とも言うべき盛り上がりを示し始めていた。syudou、煮ル果実、くじらなど、思春期にボカロに出会いボカロPにあこがれて育った世代の作り手が頭角を表し、クリエイターの裾野はさらに広がっていった。

 そして2020年はボカロシーンにとって大きなターニングポイントになった一年だった。前述した通り、YOASOBIがブレイク、「うっせぇわ」や、くじらが作詞作曲したyama「春を告げる」など、ボカロPが楽曲を書き下ろした歌い手のオリジナル曲がヒット。ネット発のカルチャーがJ-POPのメインストリームと直結するようになった。TikTokでの「踊ってみた」を起点に流行が生まれるタイプのボカロ曲が現れたのもこの頃だ。その代表がChinozo「グッバイ宣言」。当時10代で「King」をヒットさせたKanariaなど、さらなる次世代の才能も頭角を現しつつあった。

 2020年12月にドワンゴがニコニコ動画上でスタートさせたボカロの祭典「The VOCALOID Collection」(ボカコレ)をスタートさせたことも大きかった。回を重ねるごとにランキングが注目を集めるようになり、若い作り手たちが切磋琢磨する場が活性化した。

 2020年9月にローンチしたスマホゲーム「プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク」も、サービス開始から約10ヶ月でユーザー数500万人を突破するスマッシュヒットとなった。このゲームをきっかけにボーカロイドカルチャーを知った若い世代のファンも多いはずだ。

 2023年現在、ボカロシーンの現況は「全盛期を更新し続けている」と言える。

 さらに言えば、00年代のニコニコ動画で萌芽が生まれたn次創作のカルチャー、一つの曲が「歌ってみた」や「踊ってみた」などを介して広がっていく現象は、いまやグローバルなポップ・ミュージックにおける基本的なあり方になっている。世界中で日々TikTok発のバズが巻き起こり、UGC(ユーザー・ジェネレーテッド・コンテンツ)が起点になった数々のヒット曲が生まれている。

 そして何より重要なポイントは、まだまだ今は変化の渦中であるということだ。

 本書の最後にあるクリプトン・フューチャー・メディア伊藤社長のインタビューで言っていた「情報革命がライフススタイルにもたらすインパクトは、全然こんなもんじゃない」「もっとドラスティックな変化が数十年先に起こるはず」という言葉の重みも、10年が経ち、さらに増しているように思える。「情報革命の行きつく先は、価値のパラダイムシフトだと思っています」という予言も。

 初音ミクは「未来から来た初めての音」の象徴だ。相変わらずそう思う。

映画『バービー』に潜む“死”と“不安”


 
 『バービー』を観た。

 

驚いたのは、予想してた以上に“死”にまつわる映画だったということ。



全然気付かなかった。なにしろキャッチコピーは「バービーの世界、初の実写化!」。キービジュアルもピンク色のカラフルな仕上がりだし、予告編もまるでおとぎ話のようなコメディタッチの映像。きらびやかでポップな世界観が全面に打ち出されている。

 

www.youtube.com

 

ただ、その一方で、『バービー』が単なるファンタジーじゃなく、ジェンダーを中心にさまざまな社会問題を取り扱った映画だということは、いろんな記事を通して、なんとなく伝わってきていた。

 

たとえば以下の記事には「映画『バービー』は女性をエンパワーメントするフェミニズム映画として大絶賛されている」とある。

globe.asahi.com

 

たしかにそのことは映画の大事な要素になっている。

 

「完璧な毎日が続くバービーランドから、ある日、バービーとケンが“人間の世界”(リアルワールド)に迷い込んでしまう」――というのが『バービー』のあらすじ。

 

映画には”人間の世界”に色濃く残る性差別や家父長制的な構造が描かれていたりもする。そこで“目覚めた”ケンが、バービーランドで反乱を起こし、車や映画や金融やロックについて語ったり、浜辺でうっとりとギターを弾き語りしたりして男の欲望を満たすという滑稽でユーモラスなシーンもある。そのあたりは、男らしさ(マスキュリニティ)に対しての痛烈な皮肉としても機能している。

 

でもでも、そんなことより何より、僕が気になったのは“死”を巡る問題。より噛み砕いて言うならば、死とアセクシュアル(生殖の不可能性)とメンタルヘルスにまつわる諸問題だ。

 

冒頭、デュア・リパの「Dance the Night」に乗せて陽気に、きらびやかに踊るバービーとケンたちのダンスパーティーは、「“死ぬ”ってどういうことなの?」という一言で、まるで一瞬にして空気が引き裂かれたかのように終わる。

 

www.youtube.com

 

それをきっかけにバービーの身体に異変が生じ、人間の世界との“裂け目”が生まれてしまうというのが映画のストーリー。つまり、最初から死は『バービー』の物語における最重要モチーフとなっている。

 

死だけではない。性的なことについてもそう。人形であるから生殖器を持たず(字幕や吹き替えでは“ツルペタ”と表現されていたけど、英語のオリジナル音声ではヴァギナとペニスがない、としっかり明言されている)、バービーとケンは決してセクシャルな関係にならない。夜を共にすることもないし、ケンが和解のときにキスしたそうなムードになったときも「そういうんじゃないから」とバービーがハッキリ拒絶する。

 

主演でプロデューサーもつとめるマーゴット・ロビー自身が、『VOGUE』のインタビューでもそのことに触れている。

 

「彼女は人形なんだ。プラスチック製の人形。臓器はない。臓器がなければ、生殖器もない。生殖器がなければ、性欲は感じるの?いや、感じないはず、というように考えていきました」

 

www.vogue.co.jp

 

だから、基本的にはユーモラスでファビュラスでコミカルな『バービー』の物語世界には、ずっと、実存的な不安が横たわっている。死ぬことはない。生殖もしない。バービーランドという、(資本主義によって作られた)夢のような完璧な世界が広がっている。じゃあ、そこにいる自分は、どうして、何のために生まれてきたの?という。それが大きなテーマになっている。

 

ただ、まあ、この不安に共感できるような人は少ないと思う。だって我々は人形ではないし、普通に日常生活を送っているから。当たり前に、生まれて、老いて、死んでいく。そこにアイデンティティの基盤がある。

 

でも、マーゴット・ロビーにとっては、ひょっとしたら、そうじゃないかもしれない。むしろそのルックスも含めて「(資本主義によって作られた)夢のような完璧な世界の住人」であること、記号的な存在として日々を生きることの虚無を感じているのかもしれない。だとしたら、自身をバービーに重ね合わせたのはすごく理解できる。

 

そして、サウンドトラックを聴くと、ビリー・アイリッシュが、ただ一人だけ、この映画の本質を理解しているように思える。そういうアイデンティティの不安や葛藤をストレートに射抜くような曲を作っている。曲名は「What Was I Made For?」(私は何のために存在しているの?)。

 

www.youtube.com

 

ドライブをしている 理想的な私

とても生き生きしていた

でも私は本物ではなかった

ただあなたがお金を払ったものに過ぎないの

私の存在は何のため?

 

ビリー・アイリッシュが書いた「What Was I Made For?」は、映画の中で何度もリフレインのように響く。作中のとても大事なシーンで使われている。

 

そして、MVを観ると、マーゴット・ロビーと同じように、ビリー・アイリッシュも自分自身をバービーに重ね合わせているのがわかる。なにしろ、ビリ―が箱の中から出してひとつひとつ眺めている着せ替え人形の洋服は、ビリー自身がこれまで着てきた衣装と同じデザインなのである。

 

『バービー』のラストでは、主人公のバービーが”人間の身体”を望み、それを得ることで終わる。生殖器を得ること、死ぬ身体になることが、ひとつの解放として訪れることで物語の幕が閉じる。そこから逆算的に描き出されるのは、夢のようなバービーランドが、ケンによる反乱とその鎮圧、そして和解を経ても、やはりなおディストピアであったということ。そこにあるのは”記号的な存在として日々を生きることの虚無”だ。

 

そして、バービーランドの鏡像的な存在である現実社会も、やはり”記号的な存在として日々を生きることの虚無”を強いられるディストピアである。我々の多くはそのことに気付いていないけれど、少なくともマーゴット・ロビーとグレタ・ガーヴィグとビリー・アイリッシュは、そのことを芯から知っている。

 

そういう映画として僕は『バービー』を観た。なので、すごくゾクゾクする面白さでした。