日々の音色とことば

『ヒットの崩壊』『初音ミクはなぜ世界を変えたのか』発売中です

今年もありがとうございました。/2022年の総括

例年通り、紅白歌合戦を観ながら書いています。

 

3年ぶりのNHKホールで有観客での紅白。華やかなステージセットにさまざまな歌手やグループがかわるがわる歌い踊り、沢山の人が行き交い、ひたすら賑やかなエンタメが繰り広げられる画面の様子からは、ちょっと不思議な感慨を感じてます。「そういや2010年代ってこんな感じだったなあ」とか、「そういや紅白歌合戦っていろんな賑やかしとか流行り物をごった煮にした茶番を楽しむものだったなあ」とか。

 

2022年は、どんな年だったのか。ヒットチャートの分析原稿は以下に書きました。

 

gendai.media

 

宇野維正さんとのトークイベントでも4時間強にわたって、今年のポップカルチャーがどんなものだったのか、社会と時代の動向をからめて語ってます。こちらは1月12日までアーカイブで配信されていますのでお時間ある方は是非見てみてください。

 

 

2022年は、いろんな意味で反動の動きがあった1年だったように思います。コロナ禍で時計の針が一気に進んだように思えていたことが、少し戻ってきたような感じもします。新しい時代が始まって旧弊は一気に打破されたような気がしていたけれど、全然そんなことはなかったんだということを思い知らされるようなことがいくつかあった。

 

カルチャーやエンタテイメントの領域でも、ずーっと動いていたいろんなリバイバルの動きが、いよいよ大きな流れになってきているのを感じます。特に日本では社会の平均年齢が上がってきたこともあって、どんどん中高年世代がマジョリティになってきていのを感じる。おそらくそのこともあって、あとは若い世代でのTikTokでのバズが後押しして、80年代の歌謡曲やシティポップや、90年代のJ-POPや、いろんな時代のリバイバルが同時並行的に生まれている。

 

そんな中で、僕個人としては、今年春からスタートしたTBSラジオの『パンサー向井の#ふらっと』という朝の帯番組にレギュラーで出演するようになったのが大きな変化だった。「ウーファービーツ」というコーナーで、90年代のJ-POPを毎週選曲して紹介する。そこで選んで紹介した90年代の楽曲が世の中に広まっていく現象をたびたび目の当たりにしたりしました。

 

『平成のヒット曲』という本を昨年に出したということもあって、テレビへの出演や新聞社からの取材依頼も増えて、充実した仕事をできた感はあります。

 

来年はもっといろんなことを仕込んでいく一年にしたいと思っています。毎年書いてるような気もするけど、もっとブログに思いついたことを書いていきたいな。

 

 

最後に2022年の50枚を。

 

来年もよろしくお願いします。

 

    1. joji『Smithereens』
    2. 宇多田ヒカル『BADモード』
    3. 藤井風『LOVE ALL SERVE ALL』
    4. LOUS AND THE YAKUZA『IOTA』
    5. 春ねむり『春火燎原』
    6. ROTH BART BARON『HOWL』
    7. Drake『Honestly, Nevermind』
    8. RQNY『pain(ts)』
    9. 中村佳穂『NIA』
    10. 七尾旅人『Long Voyage』
    11. RINA SAWAYAMA『HOLD THE GIRL』
    12. 坂本慎太郎『物語のように』
    13. Harry Styles『Harry’s House』
    14. ELLEGARDEN『THE END OF YESTERDAY』
    15. SZA『SOS』
    16. Bad Bunny『Un Verano Sin Ti』
    17. The 1975『Being Funny In A Foreign Language』
    18. 4s4ki『Killer in Neverland』
    19. Hyd『CLEARANCE』
    20. 佐野元春&COYOTE BAND『今、何処』
    21. THE SPELLBOUND『THE SPELLBOUND』
    22. Arctic Monkeys『The Car』
    23. BEACH HOUSE『Once Twice Melody』
    24. Ckay『SAD ROMANCE』
    25. Beabadoobee『Beatopia』
    26. Rema『Rave & Roses』
    27. 羊文学『our hope』
    28. アツキタケトモ『outsider』
    29. Ryu Matsuyama『from here to there』
    30. The Weeknd『Dawn FM』
    31. BEYONCE『Renaissance』
    32. Black midi『hellfire』
    33. BE:FIRST『BE:1』
    34. Eve『廻人』
    35. 優河『言葉のない夜に』
    36. 結束バンド『結束バンド』
    37. ROSALÍA『MOTOMAMI』
    38. Bjork『Fossora』
    39. Conan Gray『SUPERACHE』
    40. Tomberlin『I Don’t Know Who Needs To Hear This...』
    41. Holly Humberstone 『Can You Afford To Lose Me?』
    42. 10-FEET『コリンズ』
    43. Black Country, New Road『Ants From Up There』
    44. ヒグチアイ『最悪最愛』
    45. AURORA『The Gods We Can Touch』
    46. Hudson Mohawke『Cry Sugar』
    47. くじら『生活を愛せるようになるまで』
    48. yama『Versus the night』
    49. Mori Calliope『Spinderella』
    50. Kendrick Lamar『 Morale & the Big Steppers』

 

 

 

ハッピー・ハードコア漫才としてのヨネダ2000「餅つき」

今年も『M-1グランプリ』面白かった!

 

なんだかんだで忙しくて直後に感想書けなくてもうすっかり時間が経ってしまったんだけど、それでもブログに書いておこう。ヨネダ2000の「餅つき」のネタがBPM160であることの“意味”について。

 

www.youtube.com

 

抜群に面白かったです。僕は劇場に足を運ぶほどのコアなお笑いファンではないけれど、去年から「すごいのがいる」という噂は伝わってきて。で、THE Wに続いてM-1で観て、すっかりファンになってしまった。

 

直後の感想はこれ。

 

マジでミニマルテクノなんですよ。「ぺったんこー」「あーい!」のリズムが癖になる中毒性があって、しかも「あーい!」に強弱のダイナミクスがあったり、ドラムが入ってきたり、DA PUMPのダンスが始まったり、めくるめく展開があって、とにかくわけがわからないけど笑っちゃう。

 

で、ヨネダ2000のすごいところは「パフォーマンス力の異常な高さ」が「謎の面白さ」に直結しているところ。いろんな人が検証してるけど、「ぺったんこー」「あーい!」のリズムがBPM159〜160で安定してるんです。これ相当なことですよ。

 

凄腕のドラマーやミュージシャンならいざしらず、M-1の大舞台で、しかもあれだけトリッキーなことをやりながら一定のテンポが保てるのには驚愕。しかもヨネダ2000の公式チャンネルに上がっている(おそらく時期的には以前の)ネタと見比べると、M-1決勝戦ではグルーヴ感もキレも増してる。仕上がってるわけですよ。

 

www.youtube.com

 

なんで正確なリズムキープが「謎の面白さ」に直結するキモになるかというと、それは「意味の逸脱」との錯綜につながるから。言ってることはどんどん逸脱していくけれど、リズムのルールやフォーマットがしっかりと守られている。そこのところのズレが面白さの原動力になるわけです。

 

何年も前のことだけど、そのあたりのことは、このブログで「ラッスンゴレライはどこが面白かったのか」という記事を書いたときに詳しく解説してます。

 

shiba710.hateblo.jp

 

審査員は全員頭を抱えてたし、漫才のフォーマットとしては「わけがわからない」「掟破り」な感じもするけど、いわゆる音楽評論家的な視点から見ると、リズムネタとして非常にロジカルに作られている。かつ「ぺったんこー」を表拍、「あーい!」を裏拍に入れてグルーヴを生み出す構造も含めて、とてもテクノミュージック的に作られている。そこにも感服しました。

 

ちなみに、初見では気付かなかったんだけど、最初の「♪絶対に〜成功させようね〜」「(うなづく)」もBPM160のテンポで歌ってる。なのでここが“リズムの快楽”の伏線になる。さらにはラストはテープストップ的にテンポを落として終わる。そういうところもDJ的で完成度高いなーと思います。

 

■なぜ「ロンドンで餅つき」なのか

 

で、ここからは深読みの領域に属することなんだけど、テクノとかダンス・ミュージックにおいて、だいたいBPM160くらいの領域のテンポのジャンルって、90年代前半に勃興したハッピー・ハードコアと言われるジャンルなんです。代表曲はこんな感じ。

www.youtube.com

ジャンルの解説についてはRedbull Music Academyのこの記事が(英語なんですが)簡潔にまとまっていてわかりやすいです。

 

daily.redbullmusicacademy.com

 

ハウス・ミュージックが大体BPM115~130くらいであるのに比べると、ハッピー・ハードコアのテンポはとにかく速い。トランスとかダブステップに比べても速い。そしてメロディはシンプルで、フレーズも展開もシンプル。ユーロビートとかにも近い、頭のネジ飛ばして楽しむタイプのダンス・ミュージック。なのでレイヴカルチャー界隈ではちょっとバカにされてたりもしていた。ヨネダ2000はTHE Wのネタでもハッピー・ハードコアとかユーロビートっぽい曲を使ってたので、このへん好きなのかなーとも思います。

 

で、そのハッピー・ハードコアから派生したのがUKハードコア。そう、ハッピー・ハードコアは90年代のUKのクラブカルチャーとかレイヴシーンで生まれたムーブメントなわけですよ。

 

そう考えると、「ロンドンで餅つき」にも、ちゃんと意味がある。このネタは「イギリスで餅つこうぜ!」「イギリスでお餅をついたら一儲けできるって計算が出たのね」というところから始まる。「どういうこと?」ってなるわけだけど、それもハッピー・ハードコアの本場がロンドンだってことを踏まえると謎のつながりが生まれる。

 

 

さらに言うなら、DA PUMPの最大のヒットになった「U.S.A」がユーロビートのカバー曲なのは有名な話。

www.youtube.com

(こちらがJOE YELLOWによる92年の原曲)

 

なので「♪DA PUMPのKENZO〜」にも、ちゃんと文脈のつながりがある。

 

ヨネダ2000おそるべしだと思います。

春ねむりさんのことについて (追記あり)

 

(※追記しました)

 

 

まあ、これは書かねばならないよな。なんせ当事者なので。

 

沈黙していたほうが波風立たないのはわかっているけれど、自分のスタンスを表明しておかないのはよくないなと思うのでね。そして僕にとってブログというのはそういうことを文字にして残しておく場所でもあるので。

 

というわけで、何があったのか、僕がどう思っているのかを、つらつらと書いていきます。

 

8月28日に、宇野維正さんとのトークイベントをやりました。

 

「毎回波乱のトークバトル 2022年夏編」というイベント。サブタイトルは「ポップカルチャーから見た社会/社会から見たポップカルチャー」。以下のサイトで配信の視聴チケット購入できます。アーカイブ視聴期間は9月11日(日)23時59分まで。

(アーカイブ視聴期間終了しました)

twitcasting.tv

 

LOFT9 Shibuyaで宇野さんとのトークイベントをやるのはこれで3回目。最初にやった2021年夏はオリンピックの開会式の翌日で、あのときの音楽やエンタテインメントを巡るムードは相当シビアなものがあった。2回目は2021年の年末にやったその年の総括で、それはそれで爪痕の残るような話だった。

 

で、それを経ての今回は、個人的にも、かなり言いたいことが溜まっていたタイミングでもあった。夏フェスの現場で見てきたことについて。マルチバースとしてのサマソニで生まれた軋轢と、SNSで広がったその波紋について。それから、日本のカルチャーの状況にずっとある「帰るのが寂しいからといって、終わったパーティに居続けるのはみっともない」(by ヴィンス・ギリガン)問題について。

 

あとは、7月の参院選であった音楽業界4団体による特定候補の支持表明について、どんな背景があって、どういう構造があって、その力学がどう働いたのかについても、自分なりに整理して見取り図を示したつもり。そして、そこから当然派生する話として、7月8日の安倍晋三元首相の銃撃事件についても、踏み込んで話しました。それがどういうことをもたらすのかについては、僕は「フタが開いた」という言葉で言い表してます。

 

他にもいろんなトピックはあるのだけど、興味ある方はアーカイブ視聴期間がまだちょっと残ってるんで見てみてください。全編見ていただいた方からはかなりの割合で好意的な反響をいただいてます。そこは嬉しい限り。

 

 

で、そのトークイベントの一番最後、質疑応答のくだりの中で、宇野さんから春ねむりさんへの言及があった。それを見た本人からこんな指摘がありました。

 

これをきっかけに、春ねむりさんだけじゃなく、そのツイートを見た沢山の人からの反響があった。かなり批判も届いた。

 

予定時間をかなり超えてたというのもあって、僕は現場では何のコメントもしなかった(というか、そもそも話題自体が別のトピックだったのでね)。その後のSNSでも発信したのはこれだけ。

 

 

そのことに対して「卑怯なんじゃない?」的な声もあった。あー、そっか。そう感じる人もいるんだなと思った。なので正直な思いを書いておこう。

 

「もう、勘弁してよー!」

 

というのが、当該の宇野さんの言及への率直な僕の感想。だって、これまで何回か取材を重ねて、関係性もあって、個人的にもプッシュしていて、すぐ後にはトークイベントで会うことが決まっている、そういうアーティストとこんな風なややこしい感じになるの、めちゃイヤじゃないですか。

 

そもそも、春ねむりさんを最初に取材したのはアルバム『LOVETHEISM』をリリースした2020年のこと。記事のリンクは以下。

https://www.billboard-japan.com/special/detail/2938

 

個人的な興味の発端は2018年のアルバム『春と修羅』の海外での評価を耳にしたり、2019年に出演したヨーロッパの巨大フェス「Primavera Sound 2019」での盛り上がりを映像で目にしたりしたことだったんだけど、インタビューをしてわかったのは、単に海外で人気が出たとかバズったとかじゃなく、批評家のレビューをきっかけに、ちゃんと文脈が伝わって受け止められているということだった。

 

で、次に取材したのはアルバム『春火燎原』にも収録されている「Déconstruction」がリリースされたときのこと。こちらの記事は以下。

https://www.billboard-japan.com/special/detail/3344

 

ここで話題にしたのは、曲やライブのことだけじゃなく、春ねむりさんなりのパンク精神について。話を聞いて、すごく得心がいくところがあった。

 

あとはYahoo!ニュース個人にこんな記事を書いたのもあった。

 

news.yahoo.co.jp

 

そういういろいろを経てきているのもあって、宇野さんの言及に対する春ねむりさんの憤りについては正当だと感じてます。ただ、自分が周りからの煽りに応じて何かするのはあんまり誠実じゃないと思うし、どっち側につくだとか、間に入ってどうこうだとかは、全然考えてないです。それでもまあ、少なくとも僕の考えてることは書いておこうと思う。

 

ブロック云々は僕が口を挟むようなことじゃないので置いておくとして、春ねむりさんが「わたしにとってフェミニズムは、性別に関係なく全ての者に平等に権利があるべきという思想です」と書いていることには同意です。僕はフェミニズムの専門家ではないし知識も足りないのでラディカル・フェミニストの定義や位置づけとかについて踏み込んで自信を持って何か言えるようなことは何もないのだけれど。でもベル・フックスとか読むと「うんうん、たしかにそうだよな」と思ったりする。

 

というか、これは僕自身の反省なんだけど、現場であいまいに流そうとせずに「春ねむりはラディカル・フェミニストじゃなくてライオット・ガールだと思いますよ」と言えばよかった、それだったらスマートだったなーということは、この件を振り返って一番強く思うことです。それは前述のインタビューでちゃんと本人から聞いていることなので。

 

ライオット・ガール(RIOT GRRRL)については一応ウィキペディアの説明を。

 

ja.wikipedia.org

 

そういえば、『ミュージック・マガジン』2022年5月号で「ライオット・ガール特集」があって、そこに当然春ねむりが取り上げられてるだろう、というか『春火燎原』のリリースタイミングでもあるわけだからインタビュー載ってるんだろうなと思ったら、インタビューどころか全然言及がなくてビックリしたということもありました。いやいや「2022年に考えるライオット・ガール・ムーヴメント」を語るならザ・リンダ・リンダズもいいけどそれより春ねむりだろう、というのは強く思うところです。今年3月のサウス・バイ・サウスウエストではプッシー・ライオットと共演したりしてるわけだしね。

ミュージック・マガジン2022年5月号:株式会社ミュージック・マガジン

 

そんなわけで、この件に関しての僕の表明は以上。

 

9月13日の春ねむりさんのイベントでは、前回のアメリカツアーの反響について、『春火燎原』について、それからこれからのアメリカツアーについてのトピックになる予定です。気になるかたは是非チェックのほどを。

 

で、次回のLOFT9 Shibuyaでの宇野さんとのイベントは年末12月29日を予定してます。こちらは近くなったらまた告知しますが、また会場チケットと配信チケットの形になるはずです。テーマは何もまだ決まってないですが、話すべきことを話すイベントになると思うのでよろしくお願いします。

 

最後に、もうひとつだけ。チケットをちゃんと買って会場に来てくれた方、配信を見てくれた方はわかると思うけど、そもそもの質疑応答のくだりの話題のところで僕が言ってたことって、「ツイッターは怒りの感情を増幅して伝播するアルゴリズムによって人々のアテンションを奪いにくるプラットフォームなので、そのことに注意しようね」ということなんですよ。

 

もちろん、傷つけられたり、不当な扱いを受けたその人に対して「怒るな」と言うようなつもりは全然ないです。その選択肢はあってしかるべき。でも、他者の発した怒りの感情に安易に「乗っかる」人に対しては、それが行動嗜癖化してないか一回深呼吸して確かめてみたらいいんじゃないかなと思ってる。今回も沢山見かけたよ。揉め事を見かけて駆け寄ってきて、ツバを吐いたり弄ったりするだけして、去っていく人。

 

これは前々から言っていること。

 

 

そういうことを話したあとに、まさにそういう反響の当事者になったのは、皮肉なことだなあと思ったりしています。

 

※追記(9月12日)

 

この記事を9月9日に公開して、いくつかの反応を読みました。それで思うこと、考えることがあったので追記しておきます。うーん、伝わってないか、とも思ったけど、これは自分に書き足りないことがあったなとも思うので。

 

まず「宇野さんの発言やその後の対応について柴はどう思っているのか」みたいなことについて。

 

このへんのことは、うまく言うのはなかなか難しいんだけど、自分の意思表示をできるだけシンプルな言葉にすると「同意はしていない」ということです。発言は不適切だったと思うし、同調しているつもりもないです。現場であいまいに流しちゃったなというのは反省点。

 

じゃあ年末にトークイベントやるしその告知もしてるじゃん、ということについてはどうかというと、それは「意見に相違がある」とか「不適切な発言については許容していない」ということと「じゃあ今後は関わらない」ということとはイコールではない、と捉えているから。そこについては0か100かじゃなくて、グラデーションであるべきだと思っているので。今回のことだけじゃなく、ふつうに社会ってそうあるべきでしょ、というスタンスです。

 

それから「柴はどうなの、何もするつもりないの?」みたいなことについて。

 

これについては、宇野さんと春ねむりさんとの当人同士の関係においては、上にも書いたとおり「どっち側につくだとか、間に入ってどうこうだとかは、全然考えてない」という感じです。

 

ただ、もうちょっと大きなフレームで物事を捉えると、やるべきことというか、当事者としてこの件に関わってる立場としての責任みたいなものはあるなと思う。それは何かというと、ひとつは、いわゆる今回みたいな有料配信ありのトークライブという場に携わるときの考え方について。こういう形のメディアはコロナ禍以降まさに成立過程にあって、そういう場では「お金を払ってチケットを購入した人だけが内容を把握できる」&「オーディエンスと書き起こしNGという約束を共有する」という環境設定によって、登壇者がリスクを恐れず踏み込んだ発言をできるというメリットが生まれる。それはまさに僕も享受しているもの。だからイベントのキャッチコピーとして「ここでしか言えない本音」みたいなことが書かれるし、僕にだって、チケットを買ってくれたお客さんを信頼してるから、そういう場だけで言えることも沢山ある。でも、「ここでしか言えない本音」は「インフォーマルな場だからこそ言える危うい、もしくはトキシックな発言」とイコールでは決してない。このへんはすごく大事なところ。そういう倫理観をもってやっていきたい。なんで、僕自身、今後は気を引き締めていかねばなと思ってます。

 

もうひとつは、これも書き忘れていた大事なことなんだけど、当該の言及の直前のところで「僕はフェミニズムに対してはアライであろうと思っている」と発言しているということ。考えてみればここ数年そういう風になんとなく思ってはいたけれど、それを明確に表明したことはなかったな。言ったことは流れていってしまうので、これもちゃんと文字にしておこう。僕が前にどっかでぽろっと言った自分自身のジェンダーやセクシュアリティにまつわることについては、改めて言ったり書いたりするようなつもりはないけど。まあそれは置いておいて、であるがゆえに、「専門家ではないし知識も足りないので踏み込んで自信を持って何か言えるようなことは何もない」と上で書いているのは「この先も学ぶつもりはありません」ということでは全然ないです。むしろ逆。やべえな、勉強しなきゃなこれ、って思ってます。そうでなくても、特にポップカルチャーと社会について語る上で、いろんな差別や抑圧の構造に無知であるわけでいられないのは当たり前のことなんで。フェミニズムについても自分なりの観点で考えてきたつもりではあるけれど、知識の土台がないと付け焼き刃であるなあというのは強く思った次第。個人的にいくつか課題図書もリストアップしてるんですが、詳しい人いたらそっと教えてくださいな。

 

なかなかこれも言語化するの難しいんだけど、「勉強する」とか「学ぶ」という言葉には、なんというか「お行儀の良さ」みたいなものを感じてしまう感覚があって。「教養」という言葉についてもそうで。それもあって「勉強します」的なことを自分で言うのはしゃらくさい的なことも思ってたんだけど、こういうのはいい機会だったのかもなと思ってます。変化しつつある時代の潮流の中で、自分自身はできるだけ先鋭化しないでいたいという思いはありつつ、よい場所を作っていくこととか、自分のスタンスを点検していくことについては、ほんとに勉強必要だなあとつくづく痛感してます。

 

長くなったけど、これでほんとに以上。