日々の音色とことば

『ヒットの崩壊』『初音ミクはなぜ世界を変えたのか』発売中です

春ねむりさんのことについて (追記あり)

 

(※追記しました)

 

 

まあ、これは書かねばならないよな。なんせ当事者なので。

 

沈黙していたほうが波風立たないのはわかっているけれど、自分のスタンスを表明しておかないのはよくないなと思うのでね。そして僕にとってブログというのはそういうことを文字にして残しておく場所でもあるので。

 

というわけで、何があったのか、僕がどう思っているのかを、つらつらと書いていきます。

 

8月28日に、宇野維正さんとのトークイベントをやりました。

 

「毎回波乱のトークバトル 2022年夏編」というイベント。サブタイトルは「ポップカルチャーから見た社会/社会から見たポップカルチャー」。以下のサイトで配信の視聴チケット購入できます。アーカイブ視聴期間は9月11日(日)23時59分まで。

(アーカイブ視聴期間終了しました)

twitcasting.tv

 

LOFT9 Shibuyaで宇野さんとのトークイベントをやるのはこれで3回目。最初にやった2021年夏はオリンピックの開会式の翌日で、あのときの音楽やエンタテインメントを巡るムードは相当シビアなものがあった。2回目は2021年の年末にやったその年の総括で、それはそれで爪痕の残るような話だった。

 

で、それを経ての今回は、個人的にも、かなり言いたいことが溜まっていたタイミングでもあった。夏フェスの現場で見てきたことについて。マルチバースとしてのサマソニで生まれた軋轢と、SNSで広がったその波紋について。それから、日本のカルチャーの状況にずっとある「帰るのが寂しいからといって、終わったパーティに居続けるのはみっともない」(by ヴィンス・ギリガン)問題について。

 

あとは、7月の参院選であった音楽業界4団体による特定候補の支持表明について、どんな背景があって、どういう構造があって、その力学がどう働いたのかについても、自分なりに整理して見取り図を示したつもり。そして、そこから当然派生する話として、7月8日の安倍晋三元首相の銃撃事件についても、踏み込んで話しました。それがどういうことをもたらすのかについては、僕は「フタが開いた」という言葉で言い表してます。

 

他にもいろんなトピックはあるのだけど、興味ある方はアーカイブ視聴期間がまだちょっと残ってるんで見てみてください。全編見ていただいた方からはかなりの割合で好意的な反響をいただいてます。そこは嬉しい限り。

 

 

で、そのトークイベントの一番最後、質疑応答のくだりの中で、宇野さんから春ねむりさんへの言及があった。それを見た本人からこんな指摘がありました。

 

これをきっかけに、春ねむりさんだけじゃなく、そのツイートを見た沢山の人からの反響があった。かなり批判も届いた。

 

予定時間をかなり超えてたというのもあって、僕は現場では何のコメントもしなかった(というか、そもそも話題自体が別のトピックだったのでね)。その後のSNSでも発信したのはこれだけ。

 

 

そのことに対して「卑怯なんじゃない?」的な声もあった。あー、そっか。そう感じる人もいるんだなと思った。なので正直な思いを書いておこう。

 

「もう、勘弁してよー!」

 

というのが、当該の宇野さんの言及への率直な僕の感想。だって、これまで何回か取材を重ねて、関係性もあって、個人的にもプッシュしていて、すぐ後にはトークイベントで会うことが決まっている、そういうアーティストとこんな風なややこしい感じになるの、めちゃイヤじゃないですか。

 

そもそも、春ねむりさんを最初に取材したのはアルバム『LOVETHEISM』をリリースした2020年のこと。記事のリンクは以下。

https://www.billboard-japan.com/special/detail/2938

 

個人的な興味の発端は2018年のアルバム『春と修羅』の海外での評価を耳にしたり、2019年に出演したヨーロッパの巨大フェス「Primavera Sound 2019」での盛り上がりを映像で目にしたりしたことだったんだけど、インタビューをしてわかったのは、単に海外で人気が出たとかバズったとかじゃなく、批評家のレビューをきっかけに、ちゃんと文脈が伝わって受け止められているということだった。

 

で、次に取材したのはアルバム『春火燎原』にも収録されている「Déconstruction」がリリースされたときのこと。こちらの記事は以下。

https://www.billboard-japan.com/special/detail/3344

 

ここで話題にしたのは、曲やライブのことだけじゃなく、春ねむりさんなりのパンク精神について。話を聞いて、すごく得心がいくところがあった。

 

あとはYahoo!ニュース個人にこんな記事を書いたのもあった。

 

news.yahoo.co.jp

 

そういういろいろを経てきているのもあって、宇野さんの言及に対する春ねむりさんの憤りについては正当だと感じてます。ただ、自分が周りからの煽りに応じて何かするのはあんまり誠実じゃないと思うし、どっち側につくだとか、間に入ってどうこうだとかは、全然考えてないです。それでもまあ、少なくとも僕の考えてることは書いておこうと思う。

 

ブロック云々は僕が口を挟むようなことじゃないので置いておくとして、春ねむりさんが「わたしにとってフェミニズムは、性別に関係なく全ての者に平等に権利があるべきという思想です」と書いていることには同意です。僕はフェミニズムの専門家ではないし知識も足りないのでラディカル・フェミニストの定義や位置づけとかについて踏み込んで自信を持って何か言えるようなことは何もないのだけれど。でもベル・フックスとか読むと「うんうん、たしかにそうだよな」と思ったりする。

 

というか、これは僕自身の反省なんだけど、現場であいまいに流そうとせずに「春ねむりはラディカル・フェミニストじゃなくてライオット・ガールだと思いますよ」と言えばよかった、それだったらスマートだったなーということは、この件を振り返って一番強く思うことです。それは前述のインタビューでちゃんと本人から聞いていることなので。

 

ライオット・ガール(RIOT GRRRL)については一応ウィキペディアの説明を。

 

ja.wikipedia.org

 

そういえば、『ミュージック・マガジン』2022年5月号で「ライオット・ガール特集」があって、そこに当然春ねむりが取り上げられてるだろう、というか『春火燎原』のリリースタイミングでもあるわけだからインタビュー載ってるんだろうなと思ったら、インタビューどころか全然言及がなくてビックリしたということもありました。いやいや「2022年に考えるライオット・ガール・ムーヴメント」を語るならザ・リンダ・リンダズもいいけどそれより春ねむりだろう、というのは強く思うところです。今年3月のサウス・バイ・サウスウエストではプッシー・ライオットと共演したりしてるわけだしね。

ミュージック・マガジン2022年5月号:株式会社ミュージック・マガジン

 

そんなわけで、この件に関しての僕の表明は以上。

 

9月13日の春ねむりさんのイベントでは、前回のアメリカツアーの反響について、『春火燎原』について、それからこれからのアメリカツアーについてのトピックになる予定です。気になるかたは是非チェックのほどを。

 

で、次回のLOFT9 Shibuyaでの宇野さんとのイベントは年末12月29日を予定してます。こちらは近くなったらまた告知しますが、また会場チケットと配信チケットの形になるはずです。テーマは何もまだ決まってないですが、話すべきことを話すイベントになると思うのでよろしくお願いします。

 

最後に、もうひとつだけ。チケットをちゃんと買って会場に来てくれた方、配信を見てくれた方はわかると思うけど、そもそもの質疑応答のくだりの話題のところで僕が言ってたことって、「ツイッターは怒りの感情を増幅して伝播するアルゴリズムによって人々のアテンションを奪いにくるプラットフォームなので、そのことに注意しようね」ということなんですよ。

 

もちろん、傷つけられたり、不当な扱いを受けたその人に対して「怒るな」と言うようなつもりは全然ないです。その選択肢はあってしかるべき。でも、他者の発した怒りの感情に安易に「乗っかる」人に対しては、それが行動嗜癖化してないか一回深呼吸して確かめてみたらいいんじゃないかなと思ってる。今回も沢山見かけたよ。揉め事を見かけて駆け寄ってきて、ツバを吐いたり弄ったりするだけして、去っていく人。

 

これは前々から言っていること。

 

 

そういうことを話したあとに、まさにそういう反響の当事者になったのは、皮肉なことだなあと思ったりしています。

 

※追記(9月12日)

 

この記事を9月9日に公開して、いくつかの反応を読みました。それで思うこと、考えることがあったので追記しておきます。うーん、伝わってないか、とも思ったけど、これは自分に書き足りないことがあったなとも思うので。

 

まず「宇野さんの発言やその後の対応について柴はどう思っているのか」みたいなことについて。

 

このへんのことは、うまく言うのはなかなか難しいんだけど、自分の意思表示をできるだけシンプルな言葉にすると「同意はしていない」ということです。発言は不適切だったと思うし、同調しているつもりもないです。現場であいまいに流しちゃったなというのは反省点。

 

じゃあ年末にトークイベントやるしその告知もしてるじゃん、ということについてはどうかというと、それは「意見に相違がある」とか「不適切な発言については許容していない」ということと「じゃあ今後は関わらない」ということとはイコールではない、と捉えているから。そこについては0か100かじゃなくて、グラデーションであるべきだと思っているので。今回のことだけじゃなく、ふつうに社会ってそうあるべきでしょ、というスタンスです。

 

それから「柴はどうなの、何もするつもりないの?」みたいなことについて。

 

これについては、宇野さんと春ねむりさんとの当人同士の関係においては、上にも書いたとおり「どっち側につくだとか、間に入ってどうこうだとかは、全然考えてない」という感じです。

 

ただ、もうちょっと大きなフレームで物事を捉えると、やるべきことというか、当事者としてこの件に関わってる立場としての責任みたいなものはあるなと思う。それは何かというと、ひとつは、いわゆる今回みたいな有料配信ありのトークライブという場に携わるときの考え方について。こういう形のメディアはコロナ禍以降まさに成立過程にあって、そういう場では「お金を払ってチケットを購入した人だけが内容を把握できる」&「オーディエンスと書き起こしNGという約束を共有する」という環境設定によって、登壇者がリスクを恐れず踏み込んだ発言をできるというメリットが生まれる。それはまさに僕も享受しているもの。だからイベントのキャッチコピーとして「ここでしか言えない本音」みたいなことが書かれるし、僕にだって、チケットを買ってくれたお客さんを信頼してるから、そういう場だけで言えることも沢山ある。でも、「ここでしか言えない本音」は「インフォーマルな場だからこそ言える危うい、もしくはトキシックな発言」とイコールでは決してない。このへんはすごく大事なところ。そういう倫理観をもってやっていきたい。なんで、僕自身、今後は気を引き締めていかねばなと思ってます。

 

もうひとつは、これも書き忘れていた大事なことなんだけど、当該の言及の直前のところで「僕はフェミニズムに対してはアライであろうと思っている」と発言しているということ。考えてみればここ数年そういう風になんとなく思ってはいたけれど、それを明確に表明したことはなかったな。言ったことは流れていってしまうので、これもちゃんと文字にしておこう。僕が前にどっかでぽろっと言った自分自身のジェンダーやセクシュアリティにまつわることについては、改めて言ったり書いたりするようなつもりはないけど。まあそれは置いておいて、であるがゆえに、「専門家ではないし知識も足りないので踏み込んで自信を持って何か言えるようなことは何もない」と上で書いているのは「この先も学ぶつもりはありません」ということでは全然ないです。むしろ逆。やべえな、勉強しなきゃなこれ、って思ってます。そうでなくても、特にポップカルチャーと社会について語る上で、いろんな差別や抑圧の構造に無知であるわけでいられないのは当たり前のことなんで。フェミニズムについても自分なりの観点で考えてきたつもりではあるけれど、知識の土台がないと付け焼き刃であるなあというのは強く思った次第。個人的にいくつか課題図書もリストアップしてるんですが、詳しい人いたらそっと教えてくださいな。

 

なかなかこれも言語化するの難しいんだけど、「勉強する」とか「学ぶ」という言葉には、なんというか「お行儀の良さ」みたいなものを感じてしまう感覚があって。「教養」という言葉についてもそうで。それもあって「勉強します」的なことを自分で言うのはしゃらくさい的なことも思ってたんだけど、こういうのはいい機会だったのかもなと思ってます。変化しつつある時代の潮流の中で、自分自身はできるだけ先鋭化しないでいたいという思いはありつつ、よい場所を作っていくこととか、自分のスタンスを点検していくことについては、ほんとに勉強必要だなあとつくづく痛感してます。

 

長くなったけど、これでほんとに以上。

 

ままならなさのなかで/FUJI ROCK FESTIVAL '22の配信を見ながら思う

土曜日。フジロック・フェスティバルの配信を見ながら、これを書いている。

 

直前まで行く準備をしていたのだけれど、先週に家族が体調を崩して熱を出してしまったので、とりあえず、見合わせることにした。幸いにして、PCR検査は陰性。すっかり回復したようで、うまくすれば、日曜日だけでも行くことはできるのかな。

 

ともあれ、今はコロナ”第7波”の真っ只中で、いろんなところでその影響が出ている。ずいぶん近くまで来ているような感もある。フジロックにしても、出演者がコロナ陽性になったことで出演がキャンセルになったり、他のライブにしても、野球の試合にしても、中止になったりしている。

 

とはいえ、昨年の夏とは、だいぶ社会のムードも変わってきているようにも思う。政府からの行動制限はなく、海外の動きも視野に、少しずつ平時に戻していこうという動きもある。簡単に言ってしまうと”飽き”のようなものも生まれているのかな。

 

よくわからない。

 

そうだ。よくわからない、ということを書き記しておこう。茫漠としている。アノミー的な状況の中で、気を抜いていると、自分の価値基準の手がかりや感情の手触りを見失いそうになる。SNSやニュースサイトばかり見ていると、アルゴリズムの渦にいとも簡単に飲み込まれてしまう。

 

ついつい忘れがちになるのだけれど、ブログを書くということは、少なくとも自分にとっては、未来の自分に対して「このときはこう考えていた」とか「このときはこんな感じだった」という足掛かりや手触りのアンカーポイントを示すという行為であったりする。

 

で、いくつか見返してみたら、ここ1、2年に書いたものは、なんだかちょっとばかり陰気なトーンになっているような感じもする。シニカルになるまいと思ってはいるのだけれど、知らぬ間に悲観的になっているのかな。疫病、戦争と、ひどいことばかり起こっているからだろうか。

 

それとも僕自身の傾向もあるのかな。振り返ってみると、ここ数年は、本や新聞やウェブのような商業媒体に書く原稿で「音楽シーンから社会の動きをわかりやすく解説します」的な役割を担うことも増えた。もともとそういうことをやりたかったわけだし、ある程度やれている自負もあるけれど、そのことで、少しずつすり減っているということもあるのかもしれない。

 

わからないことについて、わからないまま、手探りで草むらをかき分けていくように書くというのは、誰に頼まれるでもなく書くこういうブログのような場所に適している気もする。生産性はないけれど、そもそも別に生産性を求めてやってるわけじゃないし。

 

折坂悠太(重奏)の歌と演奏が、とてもよかった。

 

昨年のフジロックに出演を辞退し、今年は出演した彼。そのことについて、MCでは「わからない」と言っていた。「去年は出演を辞退しました。今年はこうして出ています。去年と今年の何が違うのか? 答えられません」「それでも、試行錯誤しながら、営みを続けていくしかないと思っています」と語っていた。

 

とても誠実な言葉だと思った。

 

ままならないことを、ままならないままで。音楽はそういういうありかたを許してくれるところがあって、そういうところが好きだったりする。

cakesサービス終了と、この先の不安

cakesがサービスを終了する。

 

cakes.mu

 

正直、かなり寂しい思いはありますよ。もちろんメディアの世界は諸行無常であって、全ての場所やサービスが永続的に続くわけじゃないことはわかっている。紙と違ってウェブメディアのアーカイブ性が低いということも、わかってはいる。でも、「サービス終了後はすべての記事が閲覧できなくなります」というのは、やっぱり寂しい。

 

いろいろあったけれど、cakesは書き手として初期から携わったメディアプラットフォームだというのが大きいんだと思います。まだnote株式会社じゃなくて株式会社ピースオブケイクだったころ。今はもう辞めてしまった編集者の中島洋一さんとタッグを組んで企画を立てて始めた対談連載が「心のベストテン」だった。

cakes.mu

 

今調べてみたら、初回の記事は2014年。こんな風に始まってます。

 

音楽について語りたい。パァッと明るく話したい。「CDが売れない」とか「シーンの先行きはどうなるか」みたいな暗い話じゃなくて。なぜなら、日々いい曲がどんどん届いているから。年末恒例の「年間ベスト」だけじゃ物足りない。邦ロック、アイドル、洋楽、ボカロ、いろんなシーンに起こっているおもしろい動きを、がんがん紹介したい。熱く語らいたい。そういうところから話は始まりました。タイトルは「心のベストテン」。でも懐古的なトーンは一切なし。ダイノジ・大谷ノブ彦さんと、お互い「今はこの曲だ!」と思うものを持ち寄って、ぶっ続けの音楽談義。ぜひぜひ、聴きながら読んでみてください。

 

 

最初に取り上げてるのがファレル・ウィリアムスの「ハッピー」。もはや懐かしい。

 

www.youtube.com

 

その後、「心のベストテン」はCINRAに移籍した時期があったり。

 

www.cinra.net

 

www.cinra.net

 

その後はフジテレビの地上波に進出したり、YouTubeチャンネル「8.8 channel」に進出したりしながら、座組み自体は2022年の今も続いております。

 

www.youtube.com

わりと、自分にとって思い入れの強い座組みなんですよね。

 

他にも『初音ミクはなぜ世界を変えたのか』や『ヒットの崩壊』を出したときには全文公開をやらせてもらったり、オリジナルの対談記事やインタビューをやったり、いろいろ関わってきたメディアで。

 

それだけに、つらい気持ちはある。「サービス終了のお知らせ」には

 

原稿はクリエイターの方のものですので、お問い合わせいただき次第、クリエイターの方々それぞれのご要望をお伺いしながら、原稿のお渡しなどの対応を順次進めてまいります。

 

 

とあるので、自分としても原稿は引き取らせてもらおうとは思いますが。とはいえ、自分ひとりで書いたコラムやエッセイと違って、対談記事やインタビュー記事というのは相手があっての共同作業であり自分だけが権利を持っているものではないので、どうしようかなというのも思ったり。

 

で、もうひとつ。SlowNewsの終了のお知らせもあって。

slownews.com

こちらも自分が書き手としてがっつりコミットしているプラットフォームなので、正直、キツい気持ちは大きいです。

 

特にこっちのほうは現在進行形で連載をやってきていたので、それをどうするかについては、まさに考えねばならぬところ。

 

 

最後に本音を言うと。

 

正直、これを機会に、noteというサービスを使い続けていくことに不安を持っているというのは否めないです。

 

だって。

 

今後は、当社のミッションである「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする」に沿ってcakesで培ったノウハウを活かし、プラットフォーム事業のnoteをつうじて一層クリエイター支援を強化していきます。

 

 

とあるけれど。cakesは、ここ最近は、ずいぶん倫理的な面での問題を起こしていたメディアであって。その顛末はいちいち書かないけれど、その対応も書き手として「?」と思うところも多々あって。

 

たとえば、今回のサービス終了に関しても、書き手が真っ先に思うのは「自分の原稿はどうなるの?」っていうことで。そこへのアナウンスが「追記」としてなされている(たぶん問い合わせが沢山舞い込んで慌てて対応したんだと思う)ということにも、「えー?」と思ってしまう。普通に考えたら、「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする」ことをミッションに掲げ「クリエイター支援」を標榜する会社が、まず大事にすべきは書き手が安心して参加することのできるブランディングであると思うのだけれど。それを毀損してしまってない?とも思ったり。

 

加えて言うと、noteには現状、エクスポート機能もバックアップ機能もないわけで。ユーザーがそれを求めている声は当然サービス側に届いているし、何度かサービス側も開発に言及して、エディタのアップデートなんかもありながら、今日までリリースされていない。ということは、そこはあまり重視されていないんだなと思ってしまわざるを得ない。

 

はてさて、どうしたものか…。