日々の音色とことば

usual tones and words

米津玄師は「パプリカ」で誰を応援しているのか。

 

米津玄師が書き下ろした新曲「パプリカ」がすごくいい。

 


<NHK>2020応援ソング「パプリカ」世界観ミュージックビデオ

 

何度か聴くうちにすっかりハマってしまった。

 

「<NHK>2020応援ソング」というNHKのプロジェクトに書き下ろした新曲で、作詞作曲編曲とプロデュースを米津玄師が担当、歌ってるのはFoorin(フーリン)という5人という小学生ユニット。

 

www.nhk.or.jp

 

キャッチコピーは「2020年とその先の未来に向かって頑張っているすべての人に贈る応援ソング」。その一報を聞いた第一印象は「米津玄師が応援ソング?」というものだった。彼の音楽を追ってる人なら、なんとなくこの感覚、わかるんじゃないかと思う。

 

でも、聴いてみたら、歌詞にも曲調にも、「頑張れ」とか「強くなれ」とか「さあ行こう」みたいに、わかりやすく誰かを応援する、誰かの背中を押すような表現は一つもなかった。

 

そこがすごくいい。

 

曲りくねり はしゃいだ道
青葉の森で駆け回る
遊び回り 日差しの町
誰かが呼んでいる

夏が来る 影が立つ あなたに会いたい
見つけたのは一番星
明日も晴れるかな

パプリカ 花が咲いたら
晴れた空に種をまこう
ハレルヤ 夢を描いたなら
心遊ばせ あなたにとどけ

 

 

歌詞に描かれているのは子供時代の情景。田舎の森や町並みではしゃいで遊び回り、「あなたに会いたい」と願う、そのときのピュアな楽しさや喜びの感情だけが切り取られている。

雨に燻り 月は陰り
木陰で泣いていたのは誰
一人一人 慰めるように
誰かが呼んでいる

喜びを数えたら あなたでいっぱい
帰り道を照らしたのは
思い出のかげぼうし

 

2番では、1番で歌われる「みんな」とは対照的に「一人」の情景。それでも「喜びを数えたら あなたでいっぱい」と、真っ直ぐな幸せが歌われている。

この歌詞の言葉はFoorinの5人が歌うからこそ成立するものなのだろう。ダンスバージョンのMVでは5人が元気いっぱいに踊る姿が映し出されていて、その楽しそうな雰囲気も曲の魅力の一つになっている。振り付けは辻本知彦と菅原小春。特に辻本知彦とは「LOSER」でダンスレッスンをして以来の付き合いなので、お互いにクリエイターとして尊敬し合う仲なのだと思う。


<NHK>2020応援ソング「パプリカ」ダンス ミュージックビデオ

 

で、すごくいい曲だと思うのだけれど、この曲のどこがどういう風に「応援ソング」なのかは、ちょっと解説が必要だと思うのだ。

 

というのも、上に書いた通り、この曲は「他の誰かを応援する曲」ではないから。2020年に向けたNHKのプロジェクトではあるけれど、アスリートをイメージさせるような描写も一つもない。そういう意味では、たとえばゆずの「栄光の架橋」とか安室奈美恵の「Hero」みたいな曲とは全然違う。

 

この「パプリカ」が誰をどう応援しているのか。それは、同じ米津玄師が菅田将暉を迎えて歌った「灰色と青」を聴くとわかる。


米津玄師 MV「 灰色と青( +菅田将暉 )」

 

この曲では、こんな歌詞が歌われる。

 

君は今もあの頃みたいにいるのだろうか
ひしゃげて曲がったあの自転車で走り回った
馬鹿ばかしい綱渡り 膝に滲んだ血
今はなんだかひどく虚しい

どれだけ背丈が変わろうとも
変わらない何かがありますように
くだらない面影に励まされ
今も歌う今も歌う今も歌う

また、この曲にはこんな歌詞もある。

君は今もあの頃みたいにいるのだろうか
靴を片方茂みに落として探し回った
「何があろうと僕らはきっと上手くいく」と
無邪気に笑えた 日々を憶えている

 

この曲は大人になった二人が、それぞれ子供時代を共に過ごした「君」とその記憶に思いを馳せるような一曲。ここでは「ひしゃげて曲がったあの自転車で走り回った」「靴を片方茂みに落として探し回った」と、過去へのノスタルジーが描かれている。

 

その描写は、「パプリカ」の「曲りくねり はしゃいだ道 青葉の森で駆け回る」という歌詞と、どこか通じ合うものがある。

 

そして「灰色と青」には、「くだらない面影に励まされ 今も歌う今も歌う今も歌う」という歌詞がある。

 

そう考えると、この「パプリカ」が誰をどう応援しているのかが、はっきりする。この曲は「他の誰かを応援し、背中を押す歌」ではない。「大人になり虚無に襲われたときに自分自身を励まし奮い立たせてくれる、幸せな子供時代の記憶の歌」だ。

 

そして、もう一つ。

 

「パプリカ」のサビでは「パプリカ 花が咲いたら 晴れた空に種をまこう」と歌っている。

 

そして「パプリカ」の花言葉は「君を忘れない」。

 

そういうところまで考えると、すごく深く美しい意味が込められていると思うのだ。

追悼XXXTentacion

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XXXTentacionが亡くなった。享年20歳。強盗犯に射殺されたという。

 

www.bbc.com

とても悲しい。すごく残念で、胸が締め付けられるような気がする。だから、ちゃんと追悼の思いを書き連ねておこうと思う。

 

シンプルに、彼の作る音楽がとても好きだった。こういう仕事をしているからいつもは評論家めいた物言いをしてしまうけれど、XXXTentacionのいくつかの曲に、その言葉やメロディに、かつて10代の思春期の頃に自分を救ってくれた音楽に通じ合うものを勝手に感じていた。

 

昨年、やはり21歳で若くして亡くなってしまったLil Peepも同じだ。僕は彼の音楽にすごく思い入れていたから、その死は、とても惜しく辛いものだった。


僕がXXXTentacionに出会ったのは、彼の名を有名にした「Look at Me」ではなく「King」という曲だった。たしかSpotifyのランダム再生だったと思う。ちょうど車を運転していたから、中盤の叫びのところで「え? 誰?」と思わず路肩に止めてアーティスト名をメモした。

 

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この曲ではこんなことを歌っていた。

 

Leave me alone, I wanna go home
(一人にさせてくれ、帰りたいんだ)
It’s all in my head, I won’t be upset if
(全部俺の頭の中の問題だ。そうならもう心も乱さない)
Hate me, won’t break me,
(憎んでくれ。そうしたって俺は壊れない)
I’m killing everyone I love
(俺を愛してくれる奴ら全てを殺したい) 


最初に聴いたとき、なにか撃ち抜かれるような感があった。居場所のなさ、行き場のなさ、自暴自棄な混乱と諦念。「メンヘラ」という言葉で括られてポップに消費される以前の生々しい感情。そういうものがあった。

 

彼やLil Peepのことをいろいろ調べて記事を書いた。デビュー・アルバム『17』をリリースする前のことだ。彼自身が元彼女への暴行など様々な問題を起こしていたことを知ったのは、もう少し後の話。

 

realsound.jp

 

そこで書いた「グランジ・ラップ」なる言葉は僕の造語だけれど、結局、彼やLil Peepの音楽は「エモ・トラップ」や「エモ・ラップ」というジャンルで括られるようになっていった。でも、だいたい意味するところは同じだ。ニルヴァーナのカート・コバーンだって、マイ・ケミカル・ロマンスのジェラルド・ウェイだって、世を席巻した時代は違うけれど、それぞれの時代の生き辛さを抱えたティーンを救っていた。

 

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いや、「ティーン」なんて言い方をすべきじゃないな。これは僕の話だ。

 

僕自身は決して不幸な生い立ちじゃない。むしろ恵まれていたほうだと思う。虐められていたわけでもない。不登校だったわけでもない。少しばかり奇矯な行いは目立っていたと思うけれど、それでも中高一貫の男子校で楽しく充実した日々を過ごしていた。と思う。

 

でも、それでも過去を振り返ると「なんとか生き延びてきた」という実感がある。よくわからない自分の内側のどこかに切迫したものがあって、眠れない夜に、それが獣のように襲いかかってくるような感覚。それを今でも覚えている。怒りや苛立ちが外に向かわず、ハウリングを起こしたマイクとスピーカーのようにぐるぐると内省の回路をまわり続ける感覚。いっそのことスイッチを切ってしまいたい、大事にしているものを全て投げ捨ててしまいたい、という衝動。そういうものがあった。

 

いや、今も時々ある。

 

そういうときは処方された薬を飲むようにしている。アルプラゾラム。日本では「ソラナックス」という商品名で知られている。syrup16gがアルバム『coup d'Etat』で「空をなくす」という曲を書いているが、その曲名はここからとられている。

 

そして、それはアメリカでは抗不安薬「Xanax」という商品名で売られている。

 

だから昨年、デビューアルバム『Come Over When You're Sober, Pt. 1』を発表したばかりのLil Peepが21歳で亡くなったときには深い衝撃があった。死因はXanaxのオーバードーズだった。とても他人事じゃない。

 

XXXTentacionが昨年夏に発表したデビューアルバム『17』に収録された「Jocelyn Flores」は、鬱病に苦しみ16歳で自殺した彼の女友達をテーマにした曲。タイトルは彼女の名前だ。

 

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そこではこんなことが歌われている。

 

I’ll be feelin’ pain, I’ll be feelin’ pain just to hold on


(苦しい。苦しくて仕方ない。でも耐えるしかない)

 And I don’t feel the same, I’m so numb


(もう前と同じようには感じない。麻痺してるんだ)

 

そして今年3月、XXXTentacionはセカンドアルバム『?』を発表する。アルバムは前作を上回る傑作になった。

 

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『17』の成功や、Lil Peepの死や、いくつかの状況が彼の価値観と行動を変えていた。大きな変化は、根底にある鬱や孤独感は変わらぬまま、自棄や厭世的な内容に終わらず、世代のアイコンとなりつつある自分の存在の意味を引き受け始めていたことだ。


収録曲の一つ「Hope」は、2月に彼の地元フロリダの高校で起きた銃乱射事件に対しての追悼曲だ。

 


『?』はビルボード1位を記録し、XXXTentacionはスターダムを駆け上がった。

 

そして彼は前に進もうとしていた。死の直前の5月にはチャリティープログラム「Helping Hand Foundation」立ち上げを宣言し、フロリダでチャリティーイベントを行う計画を表明していた。

 

「Hope」ではこんな風に歌っている。

Oh no, I swear to god, I be in my mind
(俺は神に誓う)
Swear I wouldn’t die, yeah,
we ain’t gonna-
(俺は死なないよ。俺たちは死なない)
There’s hope for the rest of us
(生き延びた俺たちには希望がある)

 

だからこそ、彼の死は早すぎたし、運命の皮肉を感じてしまう。


本当に惜しいのは、この先に沢山の可能性があったこと。Diploの追悼コメントによると、どうやらXXXTentacionはDiploとSkrillexのプロデュースで次の作品を制作する構想もあったようだ。

 

幻になってしまった次の作品は、きっとXXXTentacionにとっての本当の代表作になっただろう。ひょっとしたら、それは、マイ・ケミカル・ロマンスにおける『The Black Parade』のように、死から生へと向かう強烈なエネルギーを新しいポップ・ミュージックの形で昇華したものになったかもしれない。

 

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僕はXXXTentacionのことを、次の時代の音楽シーンを担うヒーローだったと本気で思っている。そして、たぶん、いろんな媒体で「アメリカの鬱屈した若い世代の代弁者だった」と彼のことを書くだろうと思う。

 

でも、このブログはとても個人的な場所なので、一つだけそれに加えておく。自分はもういい歳したオッサンだけど、彼は「若者」だけじゃなくて僕自身の代弁者でもあったんだと思う。

 

だから、すごく悲しい。

 

There’s hope for the rest of us.

 

冥福を祈ります。

 

 

『アンナチュラル』と米津玄師「Lemon」が射抜いた、死と喪失

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(TBS公式ページより)

■取り残された側の物語

 

今日はドラマの話。先日最終回の放送が終わった『アンナチュラル』について。ドラマの筋書きも演出もすごくよかったけれど、何より印象に残ったのは米津玄師が手掛けた主題歌「Lemon」だった。

 


米津玄師 MV「Lemon」

 

観た人はきっと同じ感想を持っていると思うのだけれど、毎回、この「Lemon」いう曲が絶妙のタイミングで流れるのだ。主題歌だからと言ってエンドロールで流れるわけじゃない。1話完結形式で進んでいくドラマ、そのクライマックスのここぞという場面で曲が始まる。

 

夢ならばどれほどよかったでしょう

未だにあなたのことを夢にみる

 

戻らない幸せがあることを

最後にあなたが教えてくれた 

 

 

そう歌われる歌詞の言葉が、登場人物の心情とシンクロして響く。たとえばバイク事故で若くして亡くなった父親と残された母子が描かれる第4話。たとえばいじめによる疎外とその結実が描かれる第7話。『アンナチュラル』は法医学をモチーフにしたドラマなので、毎回、なんらかの死がストーリーの主軸になる。死者の残した手掛かりをもとに謎が究明されるという、ミステリーの王道のフォーマットが用いられている。

 

でも、『アンナチュラル』がユニークなのは、決して事件の解決や真犯人の解明が「辿り着くゴール」として描かれていないこと。もちろん法廷ドラマの側面もあるので、そういった描写は多い。しかし殺人だけでなく事故や病気や火災による死が扱われる話も多く「なぜ殺したのか」という動機の究明が行われることはほとんど無い。むしろ焦点が当てられているのは「取り残された側」の傷や痛み。

 

家族や恋人や友人や、大切な人を突然に亡くしてしまった人たちが否応なしに抱える、とても大きな喪失。「なぜ死んでしまったのか」という答えの出ない問い。胸にあいた巨大な空洞。ドラマでは毎話そこにフォーカスが当てられている。主人公のミコトと中堂も、大切な人を亡くした経験の持ち主だ。

 

ストーリーの中では、ミコトたち法医学者たちの尽力によって、亡くなってしまった人が最後に「どう生きていたのか」が解き明かされる。不条理な死の「意味」が取り戻される。しかし、失われてしまった幸せな過去はもう戻らないーー。

 

その瞬間。

 

米津玄師が「夢ならば、どれほどよかったでしょう」と歌うのだ。

 

■なぜ絶妙なタイミングなのか

 

僕はナタリーで米津玄師にこの曲についてインタビューしているのだけれど、彼自身、ドラマの中でこの曲が流れるタイミングについては強く印象に残っているようだった。

 

natalie.mu

 

──完成したドラマを観て、あのタイミングのよさは強く印象に残ったんじゃないでしょうか。

はい。本当にドンピシャのタイミングで流れるし、自分の個人的な体験から生まれてきたものが、物語となんら矛盾なく流れてくることに対して、不思議な感覚もありますね。確かにドラマのために書いた曲ですけど、同じくらい、もしかしたらそれ以上に自分のための曲でもあるので。でもそれが歌い出しの瞬間から、これだけリンクして流れるという。それは不思議な感覚ですし、どこか普遍的なところにたどり着くことができたんだなっていう証左でもあるなと思いました。

(上記インタビューより引用)

 

 

米津玄師が「個人的な体験から生まれたもの」「自分のための曲でもある」というのは、彼自身が肉親の死という渦中でこの曲を書いたから。ドラマ制作側から「傷付いた人を優しく包み込むようなものにしてほしい」というオーダーを受け、死をテーマに曲を書いている途中で、実際に彼の祖父が亡くなった。そのことが楽曲の制作に大きな影響を与えたと上記のインタビューで彼は語っている。

 

つまり、これは、この曲を書いていたときの米津玄師自身が否応なしに「取り残された側」になった、ということなのだと思う。

 

「大切な人の死」というものが、モチーフでも対象でもなく、突如、一つの動かしようのない事実として目の前に立ち現れた。そこにどう向き合い、どう意味を見つけるのか。そういう体験を経て「Lemon」という曲が生まれたと彼は語っている。

 

 

結果的に今になって思えることですし、こう言うのも変な話かもしれないですけど、じいちゃんが“連れて行ってくれた”ような感覚があるんです。この曲は決して傷付いた人を優しく包み込むようなものにはなってなくて、ただひたすら「あなたの死が悲しい」と歌っている。それは自分がそのとき、人を優しく包み込むような懐の広さがまったく持てなくて、アップダウンの中でしがみついて一点を見つめることに夢中だったので、だからこそ、ものすごく個人的な曲になった。でも自分の作る音楽は「普遍的なものであってほしい」とずっと思っているし、そうやって作った自分の曲を客観的に見たときに「普遍的なものになったな」っていう意識も確かにあって。それは、じいちゃんが死んだということに対して、じいちゃんに作らせてもらった、そこに連れてってもらったのかなって感じもありますね。 

 

「Lemon」の歌詞の最後の一行には、こんなフレーズがある。

 

今でもあなたはわたしの光

 

ドラマの中でも、この一節はとても印象的に響く。ここで歌われる「あなた」という言葉に、それぞれの登場人物にとっての失われてしまった大切な人の姿がオーバーラップするような描かれ方になっている。そして、その構造と全く同じく、この「Lemon」という曲は、誰もが自分にとっての大切な人の喪失と重ねることのできる曲になっている。

 

取り残された側が、どう生きていくか。自分の胸の中にある大事な部分をもぎ取られたかのような体験をした者が、その死という事実にどう向き合い、未来に歩みを進めていくか。脚本を書いた野木亜紀子と米津玄師が共有していたストーリーの「主題」はそういうところにあるのだと思う。

 

絶妙のタイミング、というのはそういうことなんだと思う。