日々の音色とことば

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「ポップの予感」第三回 我々は〝ビーチェラ以降〟の新しい歴史を生きている

 

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「花冠を用意するより、自分たちの文化を持って行く方が大切だった」

 

 ビヨンセ・ノウルズはそう語った。

 

 2018年のコーチェラ・フェスティバルにヘッドライナーとして出演したビヨンセ。先日にはその模様を収録しメイキングを掘り下げた映像作品『ホームカミング』が完成し、Netflixで配信がスタートした。

 

www.youtube.com

 

 そのステージは、間違いなく歴史的な一幕だった。21世紀のポップカルチャーにとって、黒人文化にとって、大きなターニングポイントになる瞬間だった。

 

 そしてそこには、これからの社会や価値観全体に変化をもたらす一つの“予感”があったように、僕は感じている。彼女が代弁者となった黒人や女性だけでなく、すべてのマイノリティがポップカルチャーを通して自分に誇りを感じることのできる可能性の新しい回路が開いた瞬間だったと思う。

 

 それは、ピラミッド型のセットに100人以上のマーチングバンドとダンサーを従えた圧倒的なステージだった。誰もが目を奪われる壮麗なパフォーマンスだった。そして、そこにあったのは歴史を受け継ぎ未来にバトンを渡すという明確な意志だった。HBCU(歴史的黒人大学)の伝統と意匠をモチーフに、ブラスバンドのスタイルで再構築した数々の楽曲が披露された。その迫力には、ちょっと神々しさすら感じるくらいだった。

 

 僕が特に感じ入ったのは、ステージ全体に満ちていた歓喜と自由のムードだった。披露されたのは、一つのミスもない完璧なパフォーマンス。ドキュメンタリーを見れば数ヶ月にわたる徹底した練習とリハーサルの日々があり、その全てをビヨンセ自身が指揮してきたこともわかる。でも、そこにあったのは、「一糸乱れぬ」という言葉がぴったりくるような、ビシッと統率された上意下達の緊迫感とは、ちょっと違っていた。軍隊由来の「個を殺し組織に尽くす」美学ではなく、メンバーそれぞれが音楽の喜びに身を委ね「自分の踊りを踊る」HBCUのマーチングバンドの躍動感が基軸にあった。それが美しさと強さと団結感につながっていた。

 

 だからこそ、あのパフォーマンスには「連帯」の新たなスタンダードが示されていた、と僕は思う。「連帯」なんて難しい言葉を使わなくても、「みんなが一つになる」時の格好いいやり方の基準が、あれを観れば直感的にわかる。たとえば日本にだって京都橘高校のブラスバンド部があって、あの自由闊達な演奏が評判を集めてるわけだから、きっと本質的な部分は変わらないと僕は思う。おそらく10年後、20年後に、きっと何度も振り返られることになるだろう。2018年のコーチェラには、ビヨンセがいた。

 

 そして『ホームカミング』を観ると、HBCUは単なるモチーフとして用いられたのではなく、ビヨンセ自身が、歴史と教育をとても強く意識していたことがわかる。

 

 ドキュメンタリーの序盤で、ビヨンセは父親がHBCU出身であること、自分自身もそこに憧れ通おうと思っていたことを語っている。しかし10代でデビューした彼女にはそれは叶わず、かわりにデスティニーズ・チャイルドが、彼女にとっての「大学」になった、と。

 

 そして、フェスの出演後、ビヨンセは「ホームカミング奨学金プログラム」として、黒人に高等教育の機会を与えるために作られた大学に総額10万ドルを寄付することを発表した。

 

「教育は仕事だけでなく人生を教えよ」

 

 ドキュメンタリーの中では、公民権運動の指導者だったW・E・B・デュボイスが1888年に残した言葉が引用されている。130年前に放たれたメッセージを受け止め、そのバトンを次代に渡したのが、「ビーチェラ」と称されたビヨンセのコーチェラ出演だった。 

 

 そして、4月に開催された今年のコーチェラに垣間見えたのも、明らかに“ビーチェラ以降”の時代状況だった。

 

 ビヨンセがあれだけの歴史的なパフォーマンスを見せたことで、トップアーティストの野心と意欲に火がついたのだと思う。今のコーチェラは、単なるセレブが集う野外フェスというよりも、もはやアーティストたちが新たな音楽表現を世界に問う場所になっている。

 

 その象徴が、徹底したカメラワークでライブ配信の映像美を追求し、自身とリアーナが主演した映画『Guava Island』もライブにあわせたタイミングで公開することで、映画と音楽をクロスオーバーさせた新たな表現領域を開拓したチャイルディッシュ・ガンビーノだった。ジャスティン・ビーバーを筆頭に数々のサプライズゲストを招きポップスターとしての存在感を示したアリアナ・グランデも、今の時代のロックバンドのあり方を見せたテイム・インパラも、かなりの野心が感じられた。

 

 僕が最も心を奪われたのは、若干17歳にして、すでに世界中を虜にしつつあるビリー・アイリッシュのステージ。彼女の音楽には根底のところに絶望と拒絶があって、だからこそ小さな声でも胸の底の方を震わせるようなパワーがあって、それが世界中に共振を巻き起こしている。だからこそ、ステージ上の彼女の奔放な振る舞いや、数万人が叫び大合唱になっている一体感に、新しいスターダムのあり方を感じた。

 

 また、初のK-POPグループの出演となったBLACKPINKも、とてもモニュメンタルなステージだったと思う。カラフルなパーティー空間を作り上げたJ.バルヴィンも含め、アジアや南米のアーティストが大きな熱狂を作り出し、話題を呼んだのも、今年のコーチェラの特徴だった。もちろん、真鍋大度らライゾマティクスの協力のもとテクノロジーとダンスが高次元で融合したステージ演出を展開したPerfumeも、きっとJ-POPの歴史に残る一幕になったはずだ。

 

 いまや、コーチェラはスーパーボウルのハーフタイムショーやグラミー賞授賞式に並ぶ「グローバルなポップミュージックの震源地」になった。

 

 9年前からいち早くYouTubeの生配信に取り組み、来場者だけでなく世界中の音楽ファンがネットを通してライブを同時に体験しSNSで興奮を共有するようになったこと。インスタグラムの普及と共にファッションのトレンド発信地としてのイメージを獲得していったこと。音楽シーンの変化を反映しロックだけでなくR&Bやヒップホップも含む幅広いジャンルのアーティストが出演するようになったこと。4月という開催時期からその年のシーンを占うラインナップが集うようになったこと。様々な要因もあり、コーチェラは「世界で最も注目を集める野外音楽フェス」としてのブランドを確立していく。

 

 そうして2010年代のディケイドに生まれた新しいポップカルチャー、新しいテクノロジー、新しい社会を象徴する場所がコーチェラだった。そこで自身のキャリアと、ここ10年の時代のうねりの、一つの集大成のようなステージを見せたのが、2018年のビヨンセだった。

 

我々は“ビーチェラ以降”の新しい歴史を生きている。そういう実感が、改めてあった。

 

(初出:タワーレコード40周年サイト「音は世につれ」2019年5月8日 公開)

 

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1998年という「音楽シーンの特異点」、そして、その時にhideがいた場所

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5月2日は、hideの21回目の命日。

毎年開催されてきたhideを偲ぶ会のことは、ニュースにもなっていた。

www.asahi.com

 

僕自身は、リアルタイムでリスナーではあったものの、熱心に追いかけてきたファンだったというわけではない。

 

それでも、ここのところ、平成の日本の音楽のヒストリー、特に00年代以前には強くあった「洋楽と邦楽の壁」という問題について考えているときに、hideの存在がとても重要だったんだということを改めて考える機会があった。

 

そして、hideが残した「ピンク スパイダー」という一曲が、いろんな意味で時代の先を行っていたんだ、と考えるきっかけがあった。

 

というのも、最近、『オルタナティブロックの社会学』を著した南田勝也さんが編著に携わった『私たちは洋楽とどう向き合ってきたのか――日本ポピュラー音楽の洋楽受容史』という本を読んだから。

 

 

私たちは洋楽とどう向き合ってきたのか――日本ポピュラー音楽の洋楽受容史

私たちは洋楽とどう向き合ってきたのか――日本ポピュラー音楽の洋楽受容史

  • 作者: 南田勝也,?橋聡太,大和田俊之,木島由晶,安田昌弘,永井純一,日高良祐,土橋臣吾
  • 出版社/メーカー: 花伝社
  • 発売日: 2019/03/20
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 

 

とても興味深く、おもしろい一冊だった。

で、この本の序章には「洋楽コンプレックス」というキーワードがある。

 

ここで洋楽コンプレックスを取り上げているのは――誤解を恐れずに言えば――それが「甘美な」経験だったからである。到達目標とするアーティストの音楽性や技巧面だけでなく、思想や社会性までも西洋の音楽側に置き、ほんものの証や音楽の崇高さは「いま・ここ」にいては得られないと駆り立てられる気持ち。日本での人気に安住せず、物まねを脱してオリジナリティを捻出し、世界にエクスポートしようという気概。あるいは日本の音楽のクオリティやレベルに悲観しているがゆえに、西洋に匹敵すると判断できる日本人ミュージシャンを必死で探し出そうとする音楽ファンの試み。これらの感覚は、単に劣等感ではなく、差異化・卓越化の源泉となり、競争的状況を生み、音楽への没入へと誘うものであった。日本が音楽消費大国であるのは、つねに一歩先へ行きたいとするそのような衝動が駆動しつづけてきた所為である。

 

ここが、とても膝を打ったポイントだった。

コンプレックスというのは単なる劣等感ではない。むしろ憧れとないまぜになったその感情があったからこそ日本の豊かな音楽カルチャーが育ってきたのだ、ということだろう。

戦前のジャズやビートルズ初来日など、様々な時代における「洋楽と邦楽の関係性」が語られるこの本だけれど、個人的にもリアルタイムの記憶と共に最も面白く読んだのが、『ロックフェスの社会学』の永井純一さんが書いた「フジロック、洋邦の対峙」という章だった。そこにはこんな記述がある。

 

日本初の「本格的」な野外ロックフェスティバルとしてのフジロックの功績のひとつに、音楽ジャンルならびに洋楽/邦楽の垣根をなくしたことがしばしば挙げられる。
(中略)
フジロック以前にも洋楽アーティストと邦楽アーティストが共演するイベントはあったが、それらにおける日本のバンドは前座というニュアンスが強く、洋楽/邦楽という差異は強く機能していた。

 


この章では、1997年の嵐のフジロックでイエロー・モンキーが立ち向かい大きな挫折となった”壁”について、そして翌年の1998年に豊洲で開催された2度目のフジロックでミッシェル・ガン・エレファントやブランキー・ジェット・シティが生み出した熱狂について書かれている。そこに忌野清志郎がいたことの意味について書かれている。

 

振り返ると、1998年というのは単に「CDが一番売れていた」だけでなく、日本の音楽シーンがとても豊かだった幸福な時代なのではないかと思う。とりわけフェスという空間や、そこが象徴する音楽メディアやリスナーたちの文化において「邦楽ファン」と「洋楽ファン」が最も幸福に溶け合っていた時代なんじゃないかと思う。

 

(もちろん人によっては異論はあるだろう。しかし00年代以降、両者のクラスタはわかれていく。同書にはその後2000年代に入って開催されたROCK IN JAPAN FESTIVALに出演したTHE JON SPENCER BLUES EXPLOSIONが直面した”断絶”についても書かれている。僕もそれを当事者として目の当たりにしている)

 

もちろん、hide自身はフジロックには出演していない。

でも、「音楽ジャンルならびに洋楽/邦楽の垣根をなくす」という信念を、1998年において、最も強く体現していたのが彼だったと思う。

1997年の大晦日にX JAPANが解散し、その興奮もさめやらぬ元日に「hide with Spread Beaver」名義でのソロ活動を始動。その一方で、Zilchという3人組のバンドを同時並行で進めていた。メンバーはhide以外には、元Killing JokeのPaul Raven、Sex Pistolsのサポートも務めた元PROFESSIONALSのRay McVeigh。楽曲は全編ほぼ英語詞で、サウンドは当時のUSのロックシーンの主流だったインダストリアル・ロックの方向性。特に通じ合っていたのが、マリリン・マンソンやナイン・インチ・ネイルズだった。

1999年夏にはサマソニの前進イベントとなった「beautiful monsters」が開催されたのだけれど、そこではもし生きていれば、hideとマリリン・マンソンとの共演も予定されていたという。

 

あと、もうひとつ。

 

当時のインタビューを読み返すと、hideは「ピンク スパイダー」について、曲のテーマは”WEB=蜘蛛の巣”だということ、そのモチーフが当時ハマっていたインターネットだったということを語っている。

 

そう考えると、あの曲は誰よりも早い(livetuneの「Tell Your World」より12年早い)インターネット・アンセムだったのだとも思う。

 

1998年は、日本の音楽ヒストリーの「特異点」だった。そこでhideが成し遂げようとしていたことが、彼が死ぬことなく成就していたら、その後の歴史はどう変わっただろう。そんなことをたまに考える。

 

――――――

というわけで、最後に告知。

 

二つのトークイベントに登壇します。一つは、5月10日、南田勝也さん、永井純一さんとの、B&Bのトークイベントです。

 

『私たちは洋楽とどう向き合ってきたのか』(花伝社)刊行記念

テーマは「最近、洋楽って聴いてますか?」

2019年 5月10日(金)
時間 _ 20:00~22:00 (19:30開場)
場所 _ 本屋B&B
東京都世田谷区北沢2-5-2 ビッグベンB1F
入場料 _ ■前売1,500yen + 1 drink
■当日店頭2,000yen + 1 drink

 

bookandbeer.com

 

チケットはこちら。

 

passmarket.yahoo.co.jp

 

もうひとつは、イントロマエストロ藤田太郎さんとのトークイベント。テーマは「1998年に何が起こったか?」

 

「8cmシングルナイト Vol.3 ~1998年に何が起こったか~」

2019年 5月14日(火)
OPEN 18:30 / START 19:30
前売(web予約)¥2,000/当日¥2,300(+要1オーダー)
【ナビゲーター】
藤田太郎(イントロマエストロ)
柴 那典(音楽ジャーナリスト)

 

www.loft-prj.co.jp

 

チケットはこちら。

 

www.loft-prj.co.jp

 

二つのトークイベントはお相手もテーマも全然違うのだけれど、実は僕の中で喋ろうと思っていることは一続きのモチーフだったりするのです。そういうことを考えていて、そのキーパーソンの一人がhideだった、ということなのでした。

 

というわけで、もし興味そそられた方がいらっしゃったら、ぜひお越しください。

「ポップの予感」第二回  音楽は予言だと、僕はいつも思っている。

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 とても示唆的な二つのトークセッションのモデレーターをつとめさせていただく経験があった。

 

 一つは、2月27日に幕張メッセで開催された「ライブ・エンターテイメントEXPO」内のセミナー。登壇したのは、亀田誠治さんといしわたり淳治さん。タイトルは「ヒットメーカー対談! 音楽シーンの現在、そして未来」というものだった。

 

 そしてもう一つは、3月16日に渋谷WWWと渋谷WWWXで行われたライブイベント「Alternative Tokyo」のトークショー。登壇したのは、その日にライブアクトとしても出演した近田春夫さんと曽我部恵一さん。こちらのタイトルは「ポピュラーミュージックの行方」というものだ。

 

 主催者もイベントの趣旨も全く異なるし、テーマ設定には僕は関与していなかったから、タイトルが似通ったものになったのは全くの偶然だろう。

 

 でも、そこには、単なる偶然だけじゃない巡り合わせのようなものがあるようにも思う。2019年の今、「○○の未来」とか「○○の行方」といった声を求める時代の空気というものがどこかに存在している気がする。

 

 その上で、とても面白かったのは、二つのトークセッションが、場所も客層もコンセプトも対照的なイベントで行われた、ということ。

 

 亀田誠治さん、いしわたり淳治さんが登壇した「ライブ・エンターテイメントEXPO」というのは、いわゆる業界向けのコンベンションだ。会場の幕張メッセには、ライブやコンサート、スポーツイベントなどの開催に必要な演出機材や各種サービスなどが出展され、商談ブースも用意されていた。いわゆる見本市のイベントで、セミナーの来場者にはレーベルやプロダクションなど音楽業界の関係者が多かった。

 

 一方、近田春夫さんと曽我部恵一さんが登壇した「Alternative Tokyo」は、その名の通り「オルタナティブ」をコンセプトに掲げたライブイベントだ。「商業的な音楽や方法論的な流行音楽とは一線を引き、時代の流れに捕らわれない普遍的な音楽を中心に、アート展示やトークセッション等を通じてそれぞれのコンテンツを紹介していく」というのがイベントのコンセプト。出演陣には、蓮沼執太フィル、トリプルファイヤー、折坂悠太、イ・ラン、カネコアヤノ、青葉市子、SONGBOOK PROJECTなどのメンツが並ぶ。近田春夫さんは「近田春夫+DJ OMB」名義で、曽我部恵一さんはこの日が初披露となる新プロジェクト「曽我部恵一 抱擁家族」名義での出演だ。こちらのラインナップには、いわゆるメインストリームとは違う、しかし独自の美学とポップセンスをもった面々がフィーチャーされている。会場にはメディアアーティストの市原えつこさんによる前衛的なアート作品も展示されていた。

 

 そういうこともあって、場のムードも聴衆の顔ぶれも全く異なっていたのだけれど、それでも二つのトークセッションは、必然的に共通したテーマを踏まえたものになった。それは「ストリーミングが前提となった状況において、音楽の作り手のスタンスはどう変わっていくのか」ということ。

 

 ストリーミングの普及による市場の拡大は、グローバルな音楽シーンにおいては、もはや既成事実となりつつある。ストリーミングからの収益が7割を超えたアメリカの音楽市場はここ数年続けて大幅なプラス成長を達成。90年代末から右肩下がりで減少を続けてきた世界全体の音楽市場も、2015年を境に回復期に入っている。その動きに遅れていた日本でも、昨年にはストリーミングによる売り上げがダウンロードを上回り、普及フェーズに入りつつある。

 

 そして、こうした状況においては、ヒットの基準は「売れた枚数」より「聴かれた回数」になる。複合型チャートであるアメリカのビルボードではストリーミングサービスの再生回数がランキングに大きく反映されるようになり、日本でも昨年12月からオリコンランキングがストリーミングサービスでの再生回数を織り込んだ合算チャートをスタートした。

 

 では、そのことによって、音楽はどう変わったのか。

 

 亀田誠一さんといしわたり淳治さんの指摘で印象的だったのは、「イントロ抜きでいきなり本題に入る」タイプの曲が増えている、ということだった。

 

 お二方には事前に「音楽シーンを象徴する曲」としてここ最近にリリースされた楽曲からいくつかピックアップし、その魅力を解説していただくというお願いをしていた。そこで亀田さんに挙げていただいたCHAI「アイム・ミー」、King Gnu「Prayer X」、米津玄師「Lemon」が、まさにそういう曲だった。いわゆる「サビ始まり」の曲構成とも違い、楽曲全体の核心を担うようなメッセージを印象的なメロディと共に冒頭から歌い上げるタイプの曲だ。

 

 また、いしわたり淳治さんの発言で印象的だったのは、「音楽から流行語が生まれてほしい」という言葉。挙げていただいた中では、ヤバイTシャツ屋さん「かわE」、DA PUMP「U.S.A」が、まさにそういう力を持った楽曲だった。

 

 また、二人の指摘で共通していたのが、コライト(共作)の重要性だ。日本ではアーティストによる自作自演が重視される傾向がある一方、海外では複数人が楽曲を制作することが当たり前のように行われている。「楽曲至上主義」の浸透が音楽シーンの未来を変えていくのではないか、という提言はとても意味のあるものだったと思う。

 

 一方、近田春夫さんと曽我部恵一さんのトークは台本も流れも決めないフリースタイルの形式。話題は、料理と音楽について、日本語の符割りとBPMについて、音楽に影響を与えた一番新しいテクノロジーの発明について(曽我部さんはオートチューン、近田さんはサイドチェイン・コンプと語っていた)など様々に広がったのだが、話はやはり「ストリーミングサービスの普及によって作り手のスタンスはどう変わったか」というテーマになった。印象的だったのは二人とも「多作」をキーワードとして挙げたこと

 

 振り返れば、近田春夫さんは昨年10月に38年ぶりのアルバム『超冗談だから』をリリースし、その発売からわずか49日後にOMBとのハモンドオルガン+テクノ・ハウスのユニットLUNASUNによるアルバム『Organ Heaven』をリリースしている。曽我部恵一さんのほうも、昨年4月にサニーデイ・サービスのアルバム『the CITY』を、12月には曽我部恵一名義の全曲ラップアルバム『ヘブン』をリリース。二人ともかなりのハイペースで作品を世に放ち、多岐にわたる形態でリリースを重ねている。とは言っても、その様子には切迫感や急いでいるような感じはなく、シンプルに「やりたいことが沢山あって、それを自由にアウトプットできるようになった」という風通しのよいムードがあるのが、とても印象的だった。

 

 音楽シーンは、過渡期の状況にある。

 

 そして、平成から次の年号へと移り変わろうとする今、日本の社会全体にも、大きな変化の機運がある。

 

 僕が普段からインタビュー取材で会っているアーティストたちも、口を揃えて言う。価値観は驚くべき速度で変わっている。ほんの少し前までにはオーケーだったことが、今では許されなくなってきている。逆に、昔だったら声を上げようとしても押し殺さざるを得なかった思いが、少しずつ、認められるようになってきている。

 

 音楽は予言だと、僕はいつも思っている。

 アーティストや作曲家や作詞家たちは、時代の風向きにアンテナを張り、自分の内側にある感覚を研ぎ澄まし、どんな歌が求められ、どんな歌が遠くまで響いていくのかを手探りで追い求めている。

 

 それに対し、ヒットという現象は、いつも事後的な形として現れる。もっともらしい後付けの説明は誰にでもできるが、結局のところ、それは結果論にすぎない。

 

 だからこそ、亀田誠一さん、いしわたり淳治さん、近田春夫さん、曽我部恵一さんといった第一線の作り手の方々に話を聞けたのは、とても刺激的な体験だった。

 

(初出:タワーレコード40周年サイト「音は世につれ」2019年4月4日 公開)

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