日々の音色とことば

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山内マリコ『選んだ孤独はよい孤独』と宇多田ヒカル『俺の彼女』と、男たちの人生を蝕む「そこそこの呪い」について

山内マリコ『選んだ孤独はよい孤独』を読んだ。

 

選んだ孤独はよい孤独

選んだ孤独はよい孤独

 

 
すごく面白かった。そして同時にじんわりと鈍痛のような読後感が残る一冊だった。デビュー作の『ここは退屈迎えに来て』から繰り返し女性を主人公にしてきた作者が、男性を主人公に書いた短編集。

 

出版社の紹介文にはこうある。

 

地元から出ようとしない二十代、女の子が怖い男子高校生、仕事が出来ないあの先輩……。人生にもがく男性たちの、それぞれの抱える孤独を浮かび上がらせる、愛すべき19の物語。

「女のリアル」の最高の描き手・山内マリコが、
今度は「男のリアル」をすくいあげる、新たなる傑作登場!

 

www.kawade.co.jp

 

cakesで一部公開されている。武田砂鉄さん、田中俊之さん、海猫沢めろんさんとの対談も公開されている。

 

cakes.mu

 

cakes.mu


それぞれ、すごくおもしろい。でも記事の紹介文にものすごく違和感がある。

 

山内マリコさんの最新作『選んだ孤独はよい孤独』は、情けなくも愛すべき「ちょいダメ」男たちの物語です。 

 

違うだろう、と思う。このリード文を書いたcakesの編集者は、作品を絶望的に読めてないんじゃないか?と思ってしまう。

ここに描かれているのは「情けなくも愛すべき“ちょいダメ”男たち」なんかじゃない。そんな甘っちょろいもんじゃない。「気付かぬうちに人生を致命的に毀損してしまっている残念な男たちの物語」だ。

引きこもりだとか、無職だとか、コミュ障だとか、非リアとか、そういうことではない。登場する主人公の男には、傍目には充実した人生を送っているように見える男もいる。でも、全編に、どこにも行けない閉塞感と諦念が通奏低音のように鳴っている。

“ちょいダメ”男というのも違うと思う。むしろ“クズ男”という言葉が近い。と言っても、そういう形容からすぐに思い浮かぶような、たとえばモラハラの暴力夫とか、浮気とか、わかりやすい不誠実や無責任とか、そういうのとも違う。空洞はもっと奥底にある。

仲間からいつも見下されて苛立ちながらも、地元から出ていくことができない二十代。彼女に部屋を出て行かれてから数年経っても、自分が愛想を尽かされた理由がさっぱり思いつかない三十代。サッカー部のキャプテンで勉強もできてクラスの人気者なのに、一学年上のチームが奇跡的な全国制覇をしてしまった反動からの虚無感を諦念と共に抱える高校生。仕事が出来ないことを周りから見透かされながらも“できる風”を装い続ける広告会社の営業。誰も彼もが閉塞感を抱えている。満たされているかのようでいて、乾いている。

本文の中にこんな一節がある。

自分の手で、幸福を選んでもよかったのだ。いつだって、幸福は、選べたのだ。 

 

登場する男たちが「人生を致命的に毀損してしまった」理由はハッキリしている。選ばなかったからだ。

願っていることは、言葉の形で表出されないと、身体の底に沈んで燻る。たとえその場は満たされたとしても、他人からみたら羨ましく思えるような人生を送っていたとしても、「選ばなかった」ことの毒はやがて回ってくる。

心当たりがある人は少なくないんじゃないかと思う。

たとえば中華料理店に入る。心の中で「チャーハンが食べたい」と思っていても、それを実際に声に出して伝えないとチャーハンはやってこない。極端な例かもしれないけれど、人生にはそういうことがままある。

テーブルにつくと隣の人がラーメンを食べていて、それを見て本当はチャーハンが食べたいのについラーメンを頼んでしまうようなこともある。同席している人に「この店は○○が有名だから」と言われ、それを頼んでみたら実際たしかに美味く、満足しながらも(本当はチャーハンが食べたかったのにな…)と心の中で思っているようなこともある。自分はチャーハンを食べようと思っていたのに場を仕切っている人が「とりあえずビールの人〜」と挙手を募り、その雰囲気に流されるようなこともある。

スイスイさんの「メンヘラハッピーホーム」の人生相談を毎回おもしろく読んでいるのだけれど、以下のページで「セックスレスの彼女と結婚すべきか?」という悩みを投稿してきた“P君”が、まさにそれだった。この回はとりたてて凄まじい切れ味の回答だった。

cakes.mu


ここに書かれているP君のエピソードは、そのまま『選んだ孤独はよい孤独』に登場しそうな男性像だ。

32歳。デジタル広告会社のプランナー。年収は600万。仕事内容にはそこそこ満足しているものの、『お金2.0』『多動力』などのNewsPicks系書籍を読みあさる。同棲中の彼女と結婚すべきか悩んでいる。セックスレス。


そういうP君に対してスイスイさんはこう喝破する。

なんだかんだ“そこそこ”の人生でもいいかって思ってる。
だから大事なことと大事じゃないことが、曖昧なまま。全部に流される。
もうNewsPicks見るな。簡単にagreeするな。

 

そうなのだ。

『選んだ孤独はよい孤独』に登場する男たちも、同じ空洞を抱えている。

「そこそこの呪い」が、男たちの人生を蝕み、毀損している。

この感じ、どこかで聴いたことがある。そう思っていた。まさにこれ、宇多田ヒカルが「俺の彼女」で歌っていた呪いだ。

俺の彼女はそこそこ美人 愛想もいい
気の利く子だと 仲間内でも評判だし
俺の彼女は趣味や仕事に 干渉してこない
帰りが遅くなっても聞かない 細かいこと

 

この歌詞のすごいところは、1行目で「そこそこ美人」、2行目で「仲間内でも評判だし」というフレーズを突き刺してくるところ。ホモソーシャル的な価値観の中にどっぷりと浸かっている男性像を射抜いている。

曲は男性と女性のすれ違う関係を、それぞれ声色を変えて演じながら歌う。
サビではこんなフレーズが歌われる。

本当に欲しいもの欲しがる勇気欲しい
最近思うのよ抱き合う度に
カラダよりずっと奥に招きたい 招きたい
カラダよりもっと奥に触りたい 触りたい

満たされているようで乾いている。何かを得ているようで何も求めていない。

俺には夢が無い 望みは現状維持
いつしか飽きるだろう つまらない俺に


とても残酷だけれど、この残酷さに身に覚えがある人は多いと思う。

もし『選んだ孤独はよい孤独』に主題歌があるのなら、それは「俺の彼女」だろうと思うのだ。

米津玄師は「パプリカ」で誰を応援しているのか。

 

米津玄師が書き下ろした新曲「パプリカ」がすごくいい。

 


<NHK>2020応援ソング「パプリカ」世界観ミュージックビデオ

 

何度か聴くうちにすっかりハマってしまった。

 

「<NHK>2020応援ソング」というNHKのプロジェクトに書き下ろした新曲で、作詞作曲編曲とプロデュースを米津玄師が担当、歌ってるのはFoorin(フーリン)という5人という小学生ユニット。

 

www.nhk.or.jp

 

キャッチコピーは「2020年とその先の未来に向かって頑張っているすべての人に贈る応援ソング」。その一報を聞いた第一印象は「米津玄師が応援ソング?」というものだった。彼の音楽を追ってる人なら、なんとなくこの感覚、わかるんじゃないかと思う。

 

でも、聴いてみたら、歌詞にも曲調にも、「頑張れ」とか「強くなれ」とか「さあ行こう」みたいに、わかりやすく誰かを応援する、誰かの背中を押すような表現は一つもなかった。

 

そこがすごくいい。

 

曲りくねり はしゃいだ道
青葉の森で駆け回る
遊び回り 日差しの町
誰かが呼んでいる

夏が来る 影が立つ あなたに会いたい
見つけたのは一番星
明日も晴れるかな

パプリカ 花が咲いたら
晴れた空に種をまこう
ハレルヤ 夢を描いたなら
心遊ばせ あなたにとどけ

 

 

歌詞に描かれているのは子供時代の情景。田舎の森や町並みではしゃいで遊び回り、「あなたに会いたい」と願う、そのときのピュアな楽しさや喜びの感情だけが切り取られている。

雨に燻り 月は陰り
木陰で泣いていたのは誰
一人一人 慰めるように
誰かが呼んでいる

喜びを数えたら あなたでいっぱい
帰り道を照らしたのは
思い出のかげぼうし

 

2番では、1番で歌われる「みんな」とは対照的に「一人」の情景。それでも「喜びを数えたら あなたでいっぱい」と、真っ直ぐな幸せが歌われている。

この歌詞の言葉はFoorinの5人が歌うからこそ成立するものなのだろう。ダンスバージョンのMVでは5人が元気いっぱいに踊る姿が映し出されていて、その楽しそうな雰囲気も曲の魅力の一つになっている。振り付けは辻本知彦と菅原小春。特に辻本知彦とは「LOSER」でダンスレッスンをして以来の付き合いなので、お互いにクリエイターとして尊敬し合う仲なのだと思う。


<NHK>2020応援ソング「パプリカ」ダンス ミュージックビデオ

 

で、すごくいい曲だと思うのだけれど、この曲のどこがどういう風に「応援ソング」なのかは、ちょっと解説が必要だと思うのだ。

 

というのも、上に書いた通り、この曲は「他の誰かを応援する曲」ではないから。2020年に向けたNHKのプロジェクトではあるけれど、アスリートをイメージさせるような描写も一つもない。そういう意味では、たとえばゆずの「栄光の架橋」とか安室奈美恵の「Hero」みたいな曲とは全然違う。

 

この「パプリカ」が誰をどう応援しているのか。それは、同じ米津玄師が菅田将暉を迎えて歌った「灰色と青」を聴くとわかる。


米津玄師 MV「 灰色と青( +菅田将暉 )」

 

この曲では、こんな歌詞が歌われる。

 

君は今もあの頃みたいにいるのだろうか
ひしゃげて曲がったあの自転車で走り回った
馬鹿ばかしい綱渡り 膝に滲んだ血
今はなんだかひどく虚しい

どれだけ背丈が変わろうとも
変わらない何かがありますように
くだらない面影に励まされ
今も歌う今も歌う今も歌う

また、この曲にはこんな歌詞もある。

君は今もあの頃みたいにいるのだろうか
靴を片方茂みに落として探し回った
「何があろうと僕らはきっと上手くいく」と
無邪気に笑えた 日々を憶えている

 

この曲は大人になった二人が、それぞれ子供時代を共に過ごした「君」とその記憶に思いを馳せるような一曲。ここでは「ひしゃげて曲がったあの自転車で走り回った」「靴を片方茂みに落として探し回った」と、過去へのノスタルジーが描かれている。

 

その描写は、「パプリカ」の「曲りくねり はしゃいだ道 青葉の森で駆け回る」という歌詞と、どこか通じ合うものがある。

 

そして「灰色と青」には、「くだらない面影に励まされ 今も歌う今も歌う今も歌う」という歌詞がある。

 

そう考えると、この「パプリカ」が誰をどう応援しているのかが、はっきりする。この曲は「他の誰かを応援し、背中を押す歌」ではない。「大人になり虚無に襲われたときに自分自身を励まし奮い立たせてくれる、幸せな子供時代の記憶の歌」だ。

 

そして、もう一つ。

 

「パプリカ」のサビでは「パプリカ 花が咲いたら 晴れた空に種をまこう」と歌っている。

 

そして「パプリカ」の花言葉は「君を忘れない」。

 

そういうところまで考えると、すごく深く美しい意味が込められていると思うのだ。

追悼XXXTentacion

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XXXTentacionが亡くなった。享年20歳。強盗犯に射殺されたという。

 

www.bbc.com

とても悲しい。すごく残念で、胸が締め付けられるような気がする。だから、ちゃんと追悼の思いを書き連ねておこうと思う。

 

シンプルに、彼の作る音楽がとても好きだった。こういう仕事をしているからいつもは評論家めいた物言いをしてしまうけれど、XXXTentacionのいくつかの曲に、その言葉やメロディに、かつて10代の思春期の頃に自分を救ってくれた音楽に通じ合うものを勝手に感じていた。

 

昨年、やはり21歳で若くして亡くなってしまったLil Peepも同じだ。僕は彼の音楽にすごく思い入れていたから、その死は、とても惜しく辛いものだった。


僕がXXXTentacionに出会ったのは、彼の名を有名にした「Look at Me」ではなく「King」という曲だった。たしかSpotifyのランダム再生だったと思う。ちょうど車を運転していたから、中盤の叫びのところで「え? 誰?」と思わず路肩に止めてアーティスト名をメモした。

 

www.youtube.com

 

この曲ではこんなことを歌っていた。

 

Leave me alone, I wanna go home
(一人にさせてくれ、帰りたいんだ)
It’s all in my head, I won’t be upset if
(全部俺の頭の中の問題だ。そうならもう心も乱さない)
Hate me, won’t break me,
(憎んでくれ。そうしたって俺は壊れない)
I’m killing everyone I love
(俺を愛してくれる奴ら全てを殺したい) 


最初に聴いたとき、なにか撃ち抜かれるような感があった。居場所のなさ、行き場のなさ、自暴自棄な混乱と諦念。「メンヘラ」という言葉で括られてポップに消費される以前の生々しい感情。そういうものがあった。

 

彼やLil Peepのことをいろいろ調べて記事を書いた。デビュー・アルバム『17』をリリースする前のことだ。彼自身が元彼女への暴行など様々な問題を起こしていたことを知ったのは、もう少し後の話。

 

realsound.jp

 

そこで書いた「グランジ・ラップ」なる言葉は僕の造語だけれど、結局、彼やLil Peepの音楽は「エモ・トラップ」や「エモ・ラップ」というジャンルで括られるようになっていった。でも、だいたい意味するところは同じだ。ニルヴァーナのカート・コバーンだって、マイ・ケミカル・ロマンスのジェラルド・ウェイだって、世を席巻した時代は違うけれど、それぞれの時代の生き辛さを抱えたティーンを救っていた。

 

www.youtube.com

 

いや、「ティーン」なんて言い方をすべきじゃないな。これは僕の話だ。

 

僕自身は決して不幸な生い立ちじゃない。むしろ恵まれていたほうだと思う。虐められていたわけでもない。不登校だったわけでもない。少しばかり奇矯な行いは目立っていたと思うけれど、それでも中高一貫の男子校で楽しく充実した日々を過ごしていた。と思う。

 

でも、それでも過去を振り返ると「なんとか生き延びてきた」という実感がある。よくわからない自分の内側のどこかに切迫したものがあって、眠れない夜に、それが獣のように襲いかかってくるような感覚。それを今でも覚えている。怒りや苛立ちが外に向かわず、ハウリングを起こしたマイクとスピーカーのようにぐるぐると内省の回路をまわり続ける感覚。いっそのことスイッチを切ってしまいたい、大事にしているものを全て投げ捨ててしまいたい、という衝動。そういうものがあった。

 

いや、今も時々ある。

 

そういうときは処方された薬を飲むようにしている。アルプラゾラム。日本では「ソラナックス」という商品名で知られている。syrup16gがアルバム『coup d'Etat』で「空をなくす」という曲を書いているが、その曲名はここからとられている。

 

そして、それはアメリカでは抗不安薬「Xanax」という商品名で売られている。

 

だから昨年、デビューアルバム『Come Over When You're Sober, Pt. 1』を発表したばかりのLil Peepが21歳で亡くなったときには深い衝撃があった。死因はXanaxのオーバードーズだった。とても他人事じゃない。

 

XXXTentacionが昨年夏に発表したデビューアルバム『17』に収録された「Jocelyn Flores」は、鬱病に苦しみ16歳で自殺した彼の女友達をテーマにした曲。タイトルは彼女の名前だ。

 

www.youtube.com

そこではこんなことが歌われている。

 

I’ll be feelin’ pain, I’ll be feelin’ pain just to hold on


(苦しい。苦しくて仕方ない。でも耐えるしかない)

 And I don’t feel the same, I’m so numb


(もう前と同じようには感じない。麻痺してるんだ)

 

そして今年3月、XXXTentacionはセカンドアルバム『?』を発表する。アルバムは前作を上回る傑作になった。

 

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『17』の成功や、Lil Peepの死や、いくつかの状況が彼の価値観と行動を変えていた。大きな変化は、根底にある鬱や孤独感は変わらぬまま、自棄や厭世的な内容に終わらず、世代のアイコンとなりつつある自分の存在の意味を引き受け始めていたことだ。


収録曲の一つ「Hope」は、2月に彼の地元フロリダの高校で起きた銃乱射事件に対しての追悼曲だ。

 


『?』はビルボード1位を記録し、XXXTentacionはスターダムを駆け上がった。

 

そして彼は前に進もうとしていた。死の直前の5月にはチャリティープログラム「Helping Hand Foundation」立ち上げを宣言し、フロリダでチャリティーイベントを行う計画を表明していた。

 

「Hope」ではこんな風に歌っている。

Oh no, I swear to god, I be in my mind
(俺は神に誓う)
Swear I wouldn’t die, yeah,
we ain’t gonna-
(俺は死なないよ。俺たちは死なない)
There’s hope for the rest of us
(生き延びた俺たちには希望がある)

 

だからこそ、彼の死は早すぎたし、運命の皮肉を感じてしまう。


本当に惜しいのは、この先に沢山の可能性があったこと。Diploの追悼コメントによると、どうやらXXXTentacionはDiploとSkrillexのプロデュースで次の作品を制作する構想もあったようだ。

 

幻になってしまった次の作品は、きっとXXXTentacionにとっての本当の代表作になっただろう。ひょっとしたら、それは、マイ・ケミカル・ロマンスにおける『The Black Parade』のように、死から生へと向かう強烈なエネルギーを新しいポップ・ミュージックの形で昇華したものになったかもしれない。

 

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僕はXXXTentacionのことを、次の時代の音楽シーンを担うヒーローだったと本気で思っている。そして、たぶん、いろんな媒体で「アメリカの鬱屈した若い世代の代弁者だった」と彼のことを書くだろうと思う。

 

でも、このブログはとても個人的な場所なので、一つだけそれに加えておく。自分はもういい歳したオッサンだけど、彼は「若者」だけじゃなくて僕自身の代弁者でもあったんだと思う。

 

だから、すごく悲しい。

 

There’s hope for the rest of us.

 

冥福を祈ります。