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日々の音色とことば

新刊『ヒットの崩壊』が出ました。

音楽の快楽をどう語るか ― 書評『日本文化の論点』とその先の話

日本文化の論点 (ちくま新書)

(※追記修正しました)


宇野常寛さんの新著『日本文化の論点』を読みました。


【目次】
序章 〈夜の世界〉から〈昼の世界〉へ
論点1 クール・ジャパノロジーの二段階論――集合知と日本的想像力
論点2 地理と文化のあたらしい関係――東京とインターネット
論点3 音楽消費とコンテンツの「価値」
論点4 情報化とテキスト・コミュニケーションのゆくえ
論点5 ファンタジーの作用する場所
論点6 日本文化最大の論点
終章 〈夜の世界〉から〈昼の世界〉を変えていくために
あとがき
付録 『日本文化の論点』を読むキーワード

内容(「BOOK」データベースより)
情報化の進行は、二〇世紀的な旧来の文化論を過去のものにした―。本書は情報化と日本的想像力の生む「新たな人間像」を紐解きながら、日本の今とこれからを描きだす。私たちは今、何を欲望し、何に魅せられ、何を想像/創造しているのか。私たちの文化と社会はこれからどこへ向かうのか。ポップカルチャーの分析から、人間と情報、人間と記号、そして人間と社会との新しい関係を説く、渾身の現代文化論。


本の内容自体は、ここのところ宇野常寛さんが語っていることを、コンパクトに、わかりやすい語り口でまとめてみましたという感じ。これを入り口に『PLANETS vol.8』を読んだりすれば、カルチャーについて語ることが社会について語ることにそのまま敷衍するというその姿勢が伝わる。

amazonのレヴューでは「現代日本文化最大の論点=AKB48」としている本の構成に批判が集まってたりする。まあ、そう思う人が多いのは当然だよなあ、とも思う。共感できない人、気に入らない人が沢山いるのは当然のこと。『PLANETS vol.8』や同書にある「夜の世界と昼の世界」という二項対立は、明確に仮想敵を作るやり方だしね。

僕のスタンスとしては、以下の記事で書いたとおり、個人的に好きか嫌いかは別にして、AKB48について語ることが日本社会について語ることに敷衍するということには、基本的に「そうだよなあ」と思っている。

AKB48峯岸みなみを坊主頭にさせたのは誰か – 日々の音色とことば:http://shiba710.blog34.fc2.com/blog-entry-534.html
ただ、この『日本文化の論点』の中で、付け加えたいことがあると思ったのは〈論点3 音楽消費とコンテンツの「価値」〉という箇所。

そこには、僕自身がここ数年考え続けていることとリンクする指摘がある。

それは何かというと、「音楽の快楽をどう語るか?」ということ。

もはや改めて語るまでもないことだけれど、ここ10数年で音楽の環境を巡る状況は大きく変わっている。それはCDだ配信だ、いやいや聴き放題のストリーミングだみたいな、ビジネスモデルだけの問題じゃない。インターネットとソーシャルネットワークの普及と発達で、カルチャーのあり方自体が、本質的に変わってきている。

簡単に言うと、音楽を楽しむという体験のなかにおいて「聴く」ことではなく「参加する」ことのパーセンテージが上がっていて、それがパッケージの存在意義を揺るがせている。

で、それは、音楽だけじゃなくて他ジャンルのカルチャーにも同時並行的に起こっていることでもある。『日本文化の論点』にもこう指摘されている。

単純に考えて、ここ一〇年余りの情報化の進行は人間と「言葉」との関係を大きく書き換えています。デジタル化で「紙の本」というものの存在意義が大きく揺らいでいるのはもちろんのことですが、僕はもっと本質的な変化が現代には起こっていると考えています。現代における情報化の進行は人類の文化そのものを大きく変化させようとしているはずです。
『日本文化の論点』 論点4「情報化とテキスト・コミュニケーションのゆくえ」

で、そういう情報環境の変化を背景に、アイドルやボカロなど、いわゆる「キャラクター的音楽」の拡大と隆盛が起こっていると、本書では指摘されている。

情報環境の変化は「聴く」という体験を大きく変えている。そして人間と音楽の関係性をも大きく書き換えている。こうしたキャラクター的音楽の存在感の爆発的拡大は、この変化を背景にしているものです。

ここはすごく同意。

なので、音楽の批評のあり方も、当然変化してきている。バンドやアーティストの自意識に寄り添ったり、曲の内側に込められたメッセージや物語性を読み解いたりするだけで、音楽の内実を語ったことにはならないよね、ということは常日頃思っていたりすることの一つ。

アイドルやV系バンドの楽曲だけを単体で批評していい/悪いを論じることにほとんど意味はない。この種の楽曲はアイドルやバンドメンバーのキャラクターを消費する総合的な体験の一部でしかなく、だとすると楽曲がその体験の中でどう作用しているのかを論じるという視点や、そのアイドルを応援する(消費する)という総合的な体験を論じるという視点がないと意味がないことになる。同じことがアニメソングやボーカロイドの楽曲にも言える。

で、上記の箇所に続けて、アイドルやV系バンドの楽曲を「従来の音楽批評の手法で論じることにはほとんど意味がないのではないかと思います」と、宇野常寛さんは言う。ただし、そこに関しては僕と宇野常寛さんの立場は異なる。

もちろん、この手の楽曲について、鳴ってる「音」だけをとりあげて面白いとか面白くないとか言ってもしょうがないという問題提起は、正直、同意。「AKB48は存在としては面白いけど音楽的には面白くないよね〜」なんていうことを言う人は今でもやっぱりいるし、そういう言説へのカウンターとしては機能してるとは思う。ただし、その上で「従来の音楽批評の手法」というのが、そんな薄っぺらいなものだと思われちゃ困るよ!というのが、僕の立場。もしくは、もしそう思われているんだったら、そういう「音楽批評の手法」をアップデートしていかんといけないよね、というのが僕の問題意識。

レジーさんのブログとか、宇野維正さんのツイートにも、この発言への距離感が表明されていた。

僕が思うのは「アイドルやV系バンドの楽曲だけを単体で批評」することは決して「ほとんど意味はない」ことではないよなと。少なくとも「音楽が好き」な人にとっては。「これいい曲だなー→これ誰が作ってるんだろう→歴史的に見てどういう流れの中にあるんだろう」って話は「総合的な体験」とは関係なくできるんじゃないかなと思いました。

アイドルと自意識、アイドルの自意識9 - アイドルにとって「楽曲」とは何か? SKE48とSMAPとソウルミュージック
http://regista13.blog.fc2.com/blog-entry-61.html

僕の立場としては、「音楽そのものに関心がある」人間として、ここで語れることは沢山あるよな、という。たとえば『AKB48白熱論争』や『前田敦子はキリストを超えた』を読んでも、そういうことを思ったりする。

本自体は、すごく面白いのよ。でも、AKB48はアイドルであり、CDを売っていてライブをやっている、つまり(たとえば女優やグラビアアイドルやアニメキャラと比較しても)間違いなく「音楽」が「キャラクターを消費する総合的な体験」の核にあるカルチャーなのに、そのことが本を読んでもちゃんと語られていない気がするのだよね。

上記の二冊においては、宇野常寛さん、濱野智史さん、中森明夫さん、小林よしのりさん、4人のAKB48についての論は、基本的に「システム」と「人間」についての語りが中心になっている。あれを読んでいると、鳴っている”音”自体には関心ないのかなーって思わされたりする。

もちろん、宇野常寛さんの主著である『リトル・ピープルの時代』の中にはAKB48の歌詞分析が描かれていて、そこではかなり踏み込まれた論考が行われている。システム分析をスタート地点に歌詞の中身に迫っていく、というやり方。特にブレイクのきっかけになった”大声ダイヤモンド”以前と以降における「一人称視点の変化」がターニングポイントになったという話は、なるほどなあと思わされた。

宇野常寛さんは、『日本文化の論点』で「楽曲を批評する」ということについて、

アイドルを応援する(消費する)という総合的な体験を論じるという視点がないと意味がない

と言っている。

僕自身、そこは同意で。そういう問題意識の上で面白い視点や批評軸を探すことも「音楽批評」の役割の一つだと思っている。『PLANETS SPECIAL 2011「夏休みの終わりに」』で「音楽批評は何を語るべきか」という座談会(「文化時評アーカイブス 2011-2012」にも再録)に参加したときに語り合ったことが、まさにそのことだった。で、その上で、宇野常寛さんは「物語論」が主戦場の人なので、だからこそ僕に語れることは沢山あると思うのだ。

僕は「鳴ってる音」をスタート地点に分析してAKB48の楽曲がどう機能しているのかを語るのも面白いし、そういうのも「音楽批評の手法」だと思ってる。

「文化時評アーカイブス 2012-2013」の音楽座談会では、僕なりにそういうアプローチに臨んだ話をしています。


ダ・ヴィンチ×PLANETS 文化時評アーカイブス 2012-2013 (ダ・ヴィンチブックス)ダ・ヴィンチ×PLANETS 文化時評アーカイブス 2012-2013 (ダ・ヴィンチブックス)
(2013/03/15)
宇野常寛青山裕企

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で、そういうことについて語っているのが、たとえばレジーさんのブログであり、たとえば円堂都司昭さんの著作『ソーシャル化する音楽 「聴取」から「遊び」へ』であると思う。

ソーシャル化する音楽 「聴取」から「遊び」へソーシャル化する音楽 「聴取」から「遊び」へ
(2013/02/25)
円堂都司昭

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特に『ソーシャル化する音楽 「聴取」から「遊び」へ』は、いろいろと僕が考えていた問題意識と深くリンクするところがあり、すごく刺激を受けています。


というわけで、この話はまだまだ続く。