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日々の音色とことば

もう言い忘れないために、書いていきます。

『君の名は。』は、何故ここまでヒットしたのだろうか

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 ■「オタクとリア充」みたいなことじゃない

 

『君の名は。』を、もう一度観てきた。

 

www.oricon.co.jp

 

正直、ここまでヒットすると思ってなかった。興行収入ランキングは3週連続1位。累計では早くも動員481万人、興収62億円を記録している。すごいことになっている。『シン・ゴジラ』も社会現象的なヒットを巻き起こしたけれど、それを上回る成績。評判もすこぶる良い。

 

なので、今日は『君の名は。』について、ちゃんと書いておこう。僕も試写で観たときには絶賛モードだったけど、ここまでの現象を巻き起こすことは予期してなかった。

 

なんでこの映画はここまでヒットしたのか? 


批評家の東浩紀さんは『君の名は。』のヒットについて、『シン・ゴジラ』とあわせて、こうツイートしている。

 

 

togetter.com

 

  

その前後のツイートで東さんが引用している批評家の渡邉大輔さんはこう書いている。

 

『君の名は。』をその深部で規定しているのは、新海がその出自としてもっている、ゼロ年代の美少女ゲームのジャンル的想像力だといえると思います。

 

今回の空前の『君の名は。』現象が興味深いのは、かつて「10~30代の男性オタク」をおもな消費者にし、しかも男性向けポルノメディアのムービー制作にもかかわっていた新海が、明確にそれらかつての物語的/ジャンル的記憶に「原点回帰」して作っているはずの作品が、セカイ系も美少女ゲームもまったく知らない「10代の女性観客」を中心に、目下、前代未聞の大ヒットを記録しているという事実でしょう。きわめてニッチなファンに向けて、マイナーなジャンルから出発した作家が、ある種の「原点回帰」した作品で、破格のメジャー性=国民性を獲得してしまった。ここには、多くの「捻れ」が潜んでいます。

  

realsound.jp

 

 でもこれ、「オタクとリア充」みたいな話じゃないと思うんだよなあ。

 

『君の名は。』のヒットの背景には、新海誠監督が考えた「エンタテインメント性」の徹底がちゃんとあると思う。社会論というよりも、むしろ技術論として還元できる話だと思う。

 

たしかに渡邉大輔さんが指摘してる通り、「ループ的な物語構造」は、ある意味、今の時代の作劇としては定番のネタだと思う。『涼宮ハルヒの憂鬱』とか『時をかける少女』とか『魔法少女まどか☆マギカ』など、先例がたくさんある。

 

物語構造としては「ベタ」である。でも『君の名は。』が優れていたのは、それをどう見せるかという観点だったと思う。SF的な難解さよりも「胸キュン」を優先させる演出。そして、疾走感あるストーリー展開の巧みさなのではないかと思う。

  

 

■ エンタテインメント性とは「時間軸のコントロール」

 

新海誠監督は、この『君の名は。』を作るにあたって、エンターテイメント性を重視したことをインタビューで語っている。

 

今ならば、もっと鮮明にエンターテインメントを描けるという感覚はありました 

 

kai-you.net

 

では、新海誠監督の考える「エンターテイメント性」とは何か。過去の作品と今作で大きく違うのは何か。それは「時間軸のコントロール」だ。美しい絵という「静的」な魅力はすでに自身の強力な武器として持っている。けれど今回に新海誠監督が意識したのは「動的」な魅力を映画にいかに宿すかだった。

 

とにかく見ている人の気持ちになって、できるだけ退屈させないように、先を予想させない展開とスピードをキープする。一方で、ときどき映画を立ち止まらせて、観客の理解が追いつく瞬間も用意する。それらを作品のどの場面で設けるか、徹底的に考えました。

 

『君の名は。』の上映時間である107分間をいかにコントロールするかは、僕にとっての大きな仕事でした。 

  

前述のKAI-YOUのインタビューで新海誠監督はこうも語っている。

 

■「音楽×映画」の相乗効果

 

そしてやっぱり、その上で大きな役割を果たしたのがRADWIMPSの音楽だったと思う。

 

以前にもリアルサウンドの原稿で書いたけれど、『君の名は。』では、これまでのアニメーション映画の文法からは逸脱するような演出がなされている。

 

realsound.jp

 

 

主題歌は「前前前世」含めて全部で4曲。よく思い浮かべる「エンドロールに流れる歌」だけじゃない。歌モノの楽曲がストーリーの中に不可欠なパーツとして位置している。

 


RADWIMPS 前前前世 (movie ver.) MV

 

RADWIMPSのアルバム『君の名は。』の初回限定盤DVDに収録された新海誠監督とバンドとの対談では、新海誠監督はこんな風に語っている。

 

RADWIMPSって、アニメーション映画の中にどうハマるんだろう、本当に可能なのかなって。下手をすると、その強度みたいなものに飲み込まれて、「ラッドの映画だったね」ってことになっちゃいかねない。 

  

だから、劇伴とかBGMとか主題歌みたいな考え方じゃなくて、神木隆之介さんや上白石萌音さんみたいな登場人物の一つとしてRADWIMPSの楽曲がある。そういう設計の仕方をしないと上手くいかないだろうなと思いました。

 

 

君の名は。(初回限定盤)(DVD付)

君の名は。(初回限定盤)(DVD付)

 

 

 

 

RADWIMPSの楽曲があったことが、新海誠監督の意識した「107分間をいかにコントロールするか」という狙いの照準を定める助けになったはず。実際、ビデオコンテを作ったこと、その時に音楽が重要な役割を果たしたことも以下のインタビューで語っている。

  

『君の名は。』のビデオコンテでは効果音も全部入れているんです。仮の効果音なんですけど足音とかも入れていて、どちらかというと絵を書くというよりは、音のトラック、音のリズムでどうやって107分間聴かせるかということをやっていきました

 

RADWIMPSとのコラボレーションの中で彼らが作ってくれた音楽というものが、物語の形を少しずつ変えていったというのはあります。今回音楽はすごく大きな要素だったので、彼らの疾走感というものが物語に出ています。例えば主人公の2人がお互いにスマホでやりとりをするだけではなくて、体に何かを書くというコミュニケーションは最初の脚本では無かったんです。RADWIMPSからあがってきた曲を聴いていたら、勢い的にスマホだけじゃおさまらずもっと外側に刻み付けるような行為をやらないとこの絵に音楽が乗らないという気持ちにさせられて、シナリオが変わっていきました。 

www.sensors.jp

   

初回限定盤DVDの対談でも、物語と音楽が一体だったことを語っている。

 

最初にあげていただいた「前前前世」や「スパークル」があったから、それを聴きながらコンテを書いていったので。だからもう、初めから一体だった感覚はありますね。「この言葉なんだ、この作品で言おうとしているのは」というのが歌詞の中に沢山あった。

 

 

■プロデューサー・川村元気の天才性

 

ということは、つまり。

 

これはもう、制作の初期段階で新海誠とRADWIMPSを結びつけ、この座組みを作ったプロデューサー・川村元気の勝利だと思う。『君の名は。』のヒットの「仕掛け人」はやっぱり彼だと思う。プロダクションノートや対談でも最初の出会いが語られている。

 

「新海から好きなロックミュージシャンとして名前が出てきたのが、RADWIMPS。奇しくも川村がボーカル・ギターの野田洋次郎と交流があったことから、一気に話は進んでいった」 

 

映画『君の名は。』公式サイト

 

 

新海「川村元気プロデューサーと音楽の話をしていて『そもそも誰が好きなの?』って訊かれて『好きなのは、RADWIMPSです』って答えて。その時はラッドの音楽がアニメーションの画面に合うかどうかも考えず、単に好きなものを答えただけでした。でも川村さんが『俺、洋次郎くん、知ってるよ』と、その場でLINEをして」

――その時のこと、覚えてます?

野田「LINEが来た瞬間は覚えてないんですけど(笑)、でもお話してもらった時は覚えてます。面白い組み合わせだなあと思いましたし、新海さんの作品はもともと知ってたんです。お会いした時に本作のストーリーを持ってきてくださって」

新海「脚本の初稿でしたね」

野田「それが面白かったし、ちょっと今までの新海さんのテイストとは違うなと。一段と複雑にいろんな要素が入り組んでいたし、一読して理解できないぐらいの奥行きがあって。すごい世界が広がっているなと思いました」

新海「最初がホテルのラウンジで、次がお蕎麦屋さんでしたね」

野田「お蕎麦屋さんで会いましたね(笑)」

新海「で、その2ヵ月後ぐらいに曲が上がってきたんです」

野田「『まず読んでみて、まっさらなところで曲を書いていただけませんか』と言われて。だからどのシーンに使うとかじゃなく、まずストーリーを目にして、思ったものを曲にしてみますと。監督もラッドの曲を聴き込んでくださっていて、だからこそ『君の名は。』という世界を拝借して新曲を作ることが真っ当にやるべきことなんだろうなと思いました」

 

ro69.jp

 

こういう風にお互いに共通する世界観、作家性を持つクリエイターを結びつけるのが、まさに「プロデューサーの仕事」なんだなと思う。

 

そして、「音楽×映画」という観点で見ると、川村元気という人はいろんな実績がある。

 

『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』では、細田守監督と高木正勝を結びつけた。

 


映画「おおかみこどもの雨と雪」予告3

 

 

『バクマン』では大根仁とサカナクション・山口一郎を結びつけた。


「バクマン。」予告

 

山口一郎は映画の劇伴音楽を全て手掛け、主題歌として「新宝島」を作った。

 


サカナクション / 新宝島

 

 

10月15日公開の『何者』では中田ヤスタカが劇伴音楽を手掛けている。主題歌の「NANIMONO」は米津玄師を作詞・ボーカルに迎え、中田ヤスタカ feat.米津玄師という名義でリリースされる。

 


『何者』予告編

 

『何者』も試写で観たんだけど、これも、すごく面白かった。中田ヤスタカが劇中音楽でこれまでのイメージを覆すようなサウンドに挑んでいて、主題歌も、米津玄師とのコラボレーションによって両者にとって新境地になるような一曲に仕上がっていた。

 

高木正勝や山口一郎や野田洋次郎や中田ヤスタカのような作家性の強いアーティストに「映画のための音楽」を作らせる手腕。さらに主題歌と劇伴を同じアーティストが手掛けることによって、映画と音楽が密接に関わりあう作品に仕上げる手腕。そのあたりは、『バクマン』や『君の名は。』や『何者』に共通する、川村元気のプロデューサーとしての天才性だと思う。

 

ちなみに。

 

「新海誠監督の『君の名は。』を観て、ピクサーのジョン・ラセター方式をすべて捨てようと決意した」と言っている人がいるんだけど、

 

新海誠監督の『君の名は。』を観て、ピクサーのジョン・ラセター方式をすべて捨てようと決意した。《天狼院通信》 - 天狼院書店

 

それは大きな間違いだと思うんです。

 

ピクサーにジョン・ラセターがいるのと同じように、東宝に川村元気という人がいる、というのが僕の認識。

 

 

■もう一つの主題歌「蝶々結び」

 

 (ここからは映画の核心部分にまつわるネタバレを含むので未見の方は注意)

 

 

RADWIMPS『君の名は。』初回限定盤の対談は他にもとても面白い内容がたくさんあった。

 

新海誠監督はどうやら『君の名は。』を作るにあたって「ふたりごと」の歌詞に影響を受けていたらしい。

 

 「一生に一回のワープをここで使うよ」って、作劇上のピークみたいな言葉がそこに来てるわけですよ。「一生に一回のワープ、これだ!」みたいな。「ここで口噛み酒を飲むんだ!」って。ヒントだらけでした。ずいぶん導いてもらった感覚がある。

 

そう考えると、たしかに「ふたりごと」の歌詞と、口噛み酒を飲むところのシーケンスはとても共通しあうところある。

 

 


ふたりごと RADWIMPS MV

 

俺は地球人だよ
いや、 でも仮に木星人でもたかが隣の星だろ?
一生で一度のワープをここで使うよ
君と僕とが出会えた 奇跡を信じてみたいんだ
君と僕が出会えたことが奇跡だろうとなんだろうと
ただありがとう 君は言う
奇跡だから 美しいんだね 素敵なんだね.

「ふたりごと」RADWIMPS

 

一方、野田洋次郎の方も、『君の名は。』の音楽を担当することで、自分の音楽性に大きな影響を受けたことを語っている。

 

恋愛の歌って、僕の中では減ってきたというか。同じことは歌えないので、その感覚の中で僕の人生の割合の中で減ってきちゃって。この感覚を呼び覚ましてくれたのは間違いなくこの映画でした。途中まで書いてたような曲でも、それを仕上げるために歌詞がどうしても書けなかった曲もあって。そういうものも、全部新海誠さんんが作ったストーリーの登場人物が影響を与えてくれて。「こんな歌詞が書けるんだな」って、嬉しかったです。映画に引っ張られて、あのストーリーを観たからできた。

 

これ、僕は「蝶々結び」のことを言っているのではないかと思う。野田洋次郎がプロデュースしたAimerの新曲。これ、本当に大好きな曲で。そして、僕は勝手に『君の名は。』の「もう一つの主題歌」だと思っているのだ。

 


Aimer 『蝶々結び』 ※野田洋次郎(RADWIMPS)楽曲提供・プロデュース

 

映画を観た人ならきっと納得してくれると思う。

 

『君の名は。』の主題のモチーフに「結び」というものがある。主人公の三葉が住むのは「糸守」だし、そこで三葉が自分で結った組紐が、瀧と三葉を結びつける大事なアイテムになる。

 

物語の終盤、三葉は、一人東京に出かけて瀧に会いにいく。でもそこに居たのは「3年前の中学生だった瀧」で。向こうはこっちを知らないわけで、そっけない対応をされてしまう。で、その時にハッと思いついて、自分が髪を結んでいた組紐をわたす。

 

そして「現在の瀧」が彗星によって崩壊した糸守にやってくる。瀧はその組紐をミサンガのように腕に巻いている。誰から貰ったかを忘れてしまっても「お守り代わりに」身に付けるのが習慣になっている。

 

そして「誰そ彼時」のマジックタイムに、二人が出会う。ほんの一瞬の逢瀬の時間。その時に、瀧が腕に巻いた組紐を三葉に手渡す。

 

そこでハッとするのは、三葉がその組紐を髪に「蝶々結び」で結んだこと。

 

 

鈴木謙介はこんな風に書いている。

 

瀧と三葉の二人が出会えた理由は「ふたりがともに同じだけの力で出会おうとしたから」という風には言えないだろうか。瀧が三葉に会いに行ったように、三葉もまた瀧に合うために東京に出ていた。二人はクレーターの縁で、異なる時間軸の中で互いを探していた。ラストシーンにおいても二人は、互いの姿を認めるまではもやもやした気持ちを抱えていたものの、その気持の出処を求めて一方だけが誰かを探しに行くということはなかった。二人が同じ気持で同じだけの力を込めて相手を求めた時に、ようやく二人は出会うことができるのである。

 

blog.szk.cc

 

ここはまさに同意。

 

映画のオープニングを飾る「夢灯籠」では

 

消えることない約束を 二人で「せーの」で言おう 

  

と歌う。

 

そして「蝶々結び」では

 

 

この蒼くて広い世界に 無数に散らばった中から

別々に二人選んだ糸を お互いたぐり寄せ合ったんだ

結ばれたんじゃなく結んだんだ

二人で 「せーの」 で引っ張ったんだ 

 

と歌う。

 

ちゃんと呼応している。

 

 

だから僕は『君の名は。』に、一つだけ不満があって。

 

それは「なぜこの曲を使わなかったのか」ということ。もちろん事情はいろいろあるのかもしれないけれど、この曲がエンドロールの「向こう側」で鳴っていたら、観客の感動にさらにトドメのようなものをさせたんじゃないかと思うのだ。

 

「なんでもないや」もとてもいい曲だけど、「蝶々結び」は野田洋次郎という音楽家にとっても、代表作の一つになっていいような曲だと思う。一つのメルクマールを示すような曲になっている気がする。

 

ともかく。

 

『君の名は。』は、すごくいい映画だったと思うし、それがちゃんとヒットしているということは、率直に、とても嬉しいです。

 

 

SMAP解散の「真相」と「本当」について

SMAPは終わらない~国民的グループが乗り越える「社会のしがらみ」

 

■「関係者」が語るもの

 

今日はSMAPの解散を巡る「真相」と「本当」の話。

 

と言っても、僕が何かを知ってるわけじゃない。事情通みたいな話をしたいわけじゃない。むしろその逆だ。

 

そういう話は、スポーツ新聞とか週刊誌とかネットメディアに山ほど載っている。そして、それを見ると、どのスタンスで書かれた文章でも同じ「書かれ方」をしている。というのも、ほとんどが「芸能記者」とか「事務所関係者」とか「テレビ局関係者」とか「知人」みたいな匿名の内部者がコメントし、それを元にストーリーを組み立てる構成になっている。それをもとに、何があったのか、誰と誰との関係がどうなのか、事務所は、元マネージャーはと、いろんな内幕といろんな思惑が語られている。

 

で。ざっと記事は見たけど、それ以上読む気がしなくなってしまった。なんだか、「関係者」って、そもそも一体なんなんだろう?って改めて思ってしまったのだ。

 

メンバーの言葉は届けられない。最初に発表されたコメントはあったが、それが話したものなのか、書いたものなのかさえ判然としない。その一方で情報が奔流のように届く。たとえば中森明夫さんは「天皇陛下が生前退位のお気持ちを、国民に向けて映像と肉声で語られたというのに、SMAPにはそれすらない」と指摘している。

 

dot.asahi.com

 

これは1月に書かれた記事だけれど、津田大介さんも「一部を除く芸能マスコミは軒並み情報源をぼかし、結果的に事務所の情報コントロールに加担した」と指摘している。特にスポーツ新聞のような媒体において、事務所関係者という匿名の情報源」の伝えたいメッセージを発言者の「コメント」ではなく「地の文」で書かせる手法が横行していたと言う。

 

digital.asahi.com

 

そういうメディア環境のなか、スポーツ新聞も週刊誌も「SMAP解散の真相」という見出しの記事を連発している。繰り返しになるが、どれも匿名の「関係者」が語ることをもとに、これが真実だ、これが真相だとストーリーが組み立てられている。メディアリテラシーが試されている。

 

僕が思うのは、そもそも「真相」って何だろう?ってことだ。そこに「本当」はあるのだろうか?

 

■「ロックンロールは鳴り止まない」としての「SMAPは終わらない」

 

 

そんな中で、献本いただいた『SMAPは終わらない 国民的グループが乗り越える「社会のしがらみ」 』を読んだ。『ジャニ研! ジャニーズ文化論』の著者の一人でもある矢野利裕さんの新著。

 

 

SMAPは終わらない~国民的グループが乗り越える「社会のしがらみ」

SMAPは終わらない~国民的グループが乗り越える「社会のしがらみ」

 

 

 

批評の鋭さと、思いの強さが文章の根底に流れている一冊だった。ただ、この本の発売一週間後にSMAPの解散が報じられ、よくも悪くも話題を集めるタイミングでの刊行になった。

 

アマゾンのレビューには現時点でこんな評が並ぶ。一目見ればわかるが、本の中身を一行たりとも読んでないだろうことがまるわかりの感想だ。たぶんタイトルを見て一言何か言いたくなっただけなのだろう。

 

 

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しかし、この本の題名の「SMAPは終わらない」という言葉が意味するものは、「きっとSMAPは解散しないはず」という見込みのようなものとは全く異なる。それは少しでも内容を読めばわかる。

 

「SMAPは終わらない」という言葉には、「パンク・イズ・ノット・デッド」とか「ロックンロールは鳴り止まない」とか、そういった言葉と近いニュアンスが込められている。

 

SMAPを「アイドルに自由と解放の気分をもたらしたグループ」と位置づけ、実質的には1月の謝罪会見の時点でその「SMAPらしさ」は失われてしまった、とするのが本書の論点だ。そして、タイトルには、たとえグループが解散したとしてもその存在が持つロマンは決して失われないだろうという願いが謳われている。

 

■SMAPというグループの「本当」はステージの上にある

 

著者の矢野利裕さんの立場は一貫している。この本の「はじめに」で語られているのは1月の報道と『SMAP×SMAP』での謝罪会見を受けてReal Soundに掲載されたコラムだ。

 

realsound.jp

 

以下引用する。 

 

芸能の本義は、常人とは異なる身体性を用いて、日常とは異なる空間を演出することだ。僕たちは、だからこそ、歌や踊りや笑いに触れることで、ほんのつかのま、社会のしがらみから解放される。かつて、ブロードウェイ・ミュージカルに魅了され、美空ひばりの舞台に感銘を受けたジャニー喜多川は、そのことをいちばん知っていたのではなかったのか。ジャニーズ事務所は、そういう日常から解放されるようなステージングを、なにより目指していたはずではなかったのか。だったら、ほかならぬ芸能‐人を、ああいうかたちで、社会のしがらみの最前線に立たせてくれるなよ。

(中略)

もし希望があるとすれば、それでも芸能は社会を越えてくる、ということだ。あらゆる社会的な困難にあるときこそ、歌と踊りと笑いが必要とされる。芸能は最後の最後、社会を越えてくると信じている。

(中略)

社会のしがらみに巻き込まれたSMAPが、「正直」に話ができないことくらい分かっている。しかし、芸能‐人にとっての「正直」さとは、あの、歌って踊る身体に他ならない。だから、社会のしがらみとはまったく別の水準で、芸能‐人としての「正直」さこそを早く見せて欲しい。

 

  

上に引用したとおり、矢野利裕さんはSMAPの「歌って踊る身体」「歌と踊りと笑い」に強い価値を置いている。「本義」や「正直」という言葉を使って、それを表現している。

 

すなわち、SMAPというグループの「本当」はステージの上にある、というのが矢野利裕さんのスタンスの根底にある価値観だ。それは匿名の関係者のコメントから「真相」を解き明かせるとする週刊誌やスポーツ新聞やネットメディアの立場とは真っ向から相反する。

 

なので、騒動の「内幕」のようなものは本には一切書かれない。本の目次は以下のようになっている。

 

はじめに

第一章 SMAP的身体論

第二章 Free Soul : the classic of SMAP――SMAPを音楽から考える

ゲスト:橋本徹(SUBURBIA)、柳樂光隆(Jazz The New Chapter)

第三章 SMAPがたどった音楽的変遷~触れておくべき8タイトル~

第四章 世界に一つだけの場所・にっぽんのアイドル論

ゲスト:中森明夫(作家/アイドル評論家)

 

 

大部分を占めているのは、SMAPのヒストリーを音楽から辿る論考だ。橋本徹さん、柳樂光隆さんとの鼎談で、90年代のクラブカルチャーとの親和性が示される。そして中森明夫さんとの対談では、アイドル文化と文学、社会、芸能、つまりは今の日本を巡る様々な状況の象徴としてのSMAPの存在が批評的に語られる。

 

 

僕は矢野利裕さんのスタンスに心底同意する。

 

もちろん、芸能の世界に「思惑」や「事情」や「しがらみ」があるのは誰にだってわかる。様々に絡み合うそれが物事を動かしているのだって承知している。でも、「歌って踊る身体」の持つ根源的な力に比べたら、そんなことは(わりと)どうだっていい。

 

カルチュラル・スタディーズの古典である、ディック・ヘブディッジ『サブカルチャー』は、まさに記号分析的な手法でパンクやモッズなどを批評していきました。というかそもそも、ロラン・バルトが『神話作用』のなかで最初におこなったのはプロレス分析ですよね。冒頭に「レスリングのよさは、度を越えた見世物であることだ」と書かれていますが、ようするに「見世物」なわけですよ。見世物においては、そこで演じている人がなにを思っているかとか、事実としてどうであるかとかとは別に、それを見ている観客にどういう意味作用・神話作用が起こるか、ということが重要です。ヘブディッジもバルトを参照していました。ジャニーズなどのアイドルやいわゆる芸能人というのも、見世物として人前に出ていく存在です。人前に出たとき、その人が何を考えているかとは別に流通していく記号や表象というものがあって、その分析は当然されるべきだと思います。いやむしろ、記号や表象としてこそ残っていくものがあるだろうし、芸能に生きる人というのは、そういう記号的な存在であることを引き受けている人なのだ、という感覚が個人的にはあります。

(『SMAPは終わらない』より引用)

 

たとえそれがどれだけ真相に近いものであったとしても、「匿名の関係者が語る裏事情」なんかより、「ステージの上」にこそエンタテインメントの「本当」がある。僕もそう思う。

 

2016年は、たぶん一つの時代の変わり目になる年なんだろう。SMAPだけでなく、いろんな事象がそれを象徴している。

 

何かの地殻変動が明示的に起こっているときには、僕はいつも、それが後から振り返ったときに「結果的にはよいターニングポイントになったのかもしれないね」と語られるような変化になることを願っている。

 

サニーデイ・サービスの新作が常軌を逸している

DANCE TO YOU

 

 

サニーデイ・サービスのニューアルバム『DANCE TO YOU』を、リリースされてから繰り返し聴いてる。すごくよい。最初はピンと来なかったんだけど、何度か聴くうちにどんどんハマってきた。その「よさ」の輪郭がクリアになってきた。

 

これ、相当ヤバいアルバムだ。ドラッギーだとも言える。ちょっと聴いただけじゃ気付かない。基本的にはゆるいテンポのダンサブルなリズムの楽曲が並ぶ、軽やかでポップなアルバムだ。スロウなディスコビート。ファンキーなベースライン。お洒落なエレキギターのカッティング。メロウな旋律に乗せて、曽我部恵一が持ち前の柔らかい歌声を響かせる。

 

だから「いいアルバムだよね」「ですよね」みたいな感じで消費されてしかるべきだと思う。そんな風に聴かれても何もおかしくない。

 

が、よくよく耳を凝らして聴くと、ヒリヒリした感触、精神の暗がりみたいなものが透けて見えてくる。

 

今回のアルバムについてナタリーの大山卓也さんがインタビューで「サウンドはポップでメロウなのに、どこか鬼気迫る印象を受けた」「メロディやサウンドは軽やかなのに、全体から受ける“圧”がすごい」と語っている。僕も同感。

 

natalie.mu

 

この記事に「悪魔に憑かれた渾身ポップアルバム」というキャッチをつけているのだけれど「まさに」と思う。

 

常軌を逸していると思う。

 

■異常な制作過程

 

何が常軌を逸しているか。

 

上記のインタビューでも語られているんだけれど、この『DANCE TO YOU』というアルバムが完成するまでには異様な時間がかかっている。作り始めたのが2015年の春。そこから数ヶ月かけて2015年の初夏にアルバムが一度完成したものの、そこにあった10曲は全てボツになってしまう。

上記のインタビューではこんな風に語られている。

 

普通は核になる曲が何曲かできて、それを中心に10曲とかまとめてアルバム完成ってことになる。6月ぐらいに一度そういう状態になったんだけどね。

──6月って1年前ですよね?

そう(笑)。そのときに一度完成したはずなんだけど、もっと新しいものを出したくなったというか。いわゆるサニーデイっぽさを残さずに、完全に脱皮した状態を見せたくなって。

──でもその新しいものがどういうものかは見えないまま?

だから途中からこれはヤバいな、このままずっと完成しないんじゃないかって思い始めて。「これでいいんじゃないか」と「もうちょっといかないとダメだろう」っていうののせめぎ合いでしたね。

──最終的に何曲ぐらい作ったんですか?

50曲は作ってる。そのうち40曲以上はちゃんと録ってミックスダウンまでしてるし。

──めちゃくちゃですね。

めちゃくちゃだと思う。そもそもレコーディングには予算ってものがあるからさ。スタジオ代やエンジニアのギャランティを確保して、だいたいの予算を決めた上でスタジオに1週間とか入るんだけど、結局そこでは何もできなかった。

──でもレコーディング初体験の新人じゃあるまいし、普通はもう少しうまくやれそうなものですが。

もちろん予算とか期間のことを考えたら、落としどころはあったと思うんだけど、でも今回は自分のアーティスト性のほうが勝っちゃったんだよね。よくわかんないところから無理やりひねり出すみたいな感じで、とにかく作り続けてた。

natalie.mu 

 

制作の途中でドラマーの丸山晴茂は体調不良により離脱。結局、曽我部恵一自身がドラムを叩き、夜通し編集作業を経て、最終的にはほぼソロのような体制になりながらアルバムは完成する。

 

もちろん、ロックやポップスの歴史をたどれば、もっとめちゃくちゃなレコーディングは沢山ある。たとえばケヴィン・シールズマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの名盤『ラブレス』の制作費用がかさんで、レーベルを倒産寸前にまで追い込んでいる。日本でも、巨大なスタジオを何ヶ月もロックアウトして結局一曲も完成しなかったとか、作った曲を全部ボツにするとか、そういう例は枚挙に暇がない。

 

ただ、曽我部恵一の場合は、彼自身がインディーズレーベルの経営者であるというのが大きなポイントだ。しかも稼ぎ頭である。スタッフもいるし家族もいるし抱えているアーティストもいる。巨大な資本に支えられたメジャーレコード会社に所属するアーティストとは金銭感覚が全く違う。

 

40代も半ばを超えたそういう人が

 

「めちゃくちゃになっちゃいましたね、すべてが」

「やっぱり“業”なのかな」

「理性の部分を超えて、全部を破壊しようとする何かが自分の中に生まれてきたんだよね」 

 

とか言っているの、率直にかなりヤバいと思うのだ。

 

■幻になったアルバム

 

ちなみに僕は去年の夏に『AERA』の「現代の肖像」という企画で曽我部恵一さんに密着取材していた。

 

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その中ではこのアルバムのレコーディングスタジオにもお邪魔していて、なので、スタッフやメンバー以外では数少ない「ボツになった曲」を聴いている人間ということになる。

 

その時に書いた文章を引用します。

 

 世田谷の閑静な住宅街の一角にある小さなレコーディングスタジオに、ピンと張り詰めた空気が漂う。エンジニアの合図と共に流れてきた音楽に載せて、ブースの中でマイクに向かった曽我部恵一(44)が、丁寧に歌声を響かせる。ゆったりとした、しかしとても繊細な雰囲気を持った曲だ。

「うん、いいんじゃないかな」

 声の調子やニュアンスを変え、何度かの録り直しを経て、曽我部は小さく頷く。

 彼は今、自らのバンド「サニーデイ・サービス」の新作のレコーディングを行っている。デビューは94年。情緒的なメロディと日本語の柔らかい響きを活かした歌詞でロックファンに確かな支持を集めてきた。新作は通算10枚目、2008年の再結成からは3枚目となるアルバムだ。ただし、発売の予定はまだ決まっていない。

 スタジオにいるのは、曽我部とバンドメンバーの田中貴、丸山晴茂、そしてマネージャーとエンジニアの5名のみ。昼過ぎに集まり、ときに他愛のない話をかわしながら、作業はたいてい深夜か早朝まで続く。三児の父でもある彼は、翌日起きて子供たちを学校に送り出すと、眠そうな目をこすりながら、またスタジオに向かう。そんな毎日が、数ヶ月続いている。

「ものによっては数日でパッと録ってしまうアルバムもあるし、サニーデイの前のアルバムも一週間くらいで仕上げたんで、ここ数年では一番長い時間がかかってると思います」

 

 この取材を開始したのがまさに去年の6月くらいの頃。たしかフジロック前だったはず。その時点で「ここ数年では一番長い時間がかかってると思います」と言っていた。で、その時に聴いた曲も、正直、めちゃいい曲なんですよ。少なくともボツにするようなレベルでは全くない。

 

で、その夏にフェス出演の裏側を追ったり、メンバーの田中貴さんやROSE RECORDSの岩崎朗太さんやMIDI時代のディレクター渡邉文武さんにインタビューしたり、香川県坂出市にまで行って母親の曽我部輝子さんに話を聞いたり、いろんな周辺取材を経て9月に再び曽我部さんにインタビューしたら状況が変わってた。

 

上記の記事から再び引用。

 

 しかしアルバム完成の目処はまだ見えていない。

「再結成してから2枚のアルバムは、今の3人が出せる音を自然体で出そうと作ったんです。でも今はそうじゃなくて、自分の意識下を探るような旅になっている。暗闇の中で自分に対峙するような感じがある。20代半ばの頃の感覚に戻っている気がします」

 制作の過程は二転三転している。ツアー前にシングルをリリースする当初の計画もなくなった。冒頭に書いたレコーディングの時点で筆者が聴かせてもらったものも含めて、最初に録音した10曲は全て白紙になった。レコーディング費用の数百万円が水の泡になったと言いつつ、「陶芸家が窯から取り出した作品を気に入らなくて割るようなときって、困るんだけど、ものづくりの醍醐味と思ったりもする」と言う。振り回される形となった田中も「僕らは曽我部がそういう人間だってわかってますから」と笑う。

 どうなるか全くわからないと言いつつ、曽我部は今探っているものをこう語る。

「子供が夢で見るような、漠然とした、説明がつかないような風景を音楽にしたいという気持ちがある。僕らがバンドを始めたころの日本のロックはみんなでマスゲームのように同じタイミングで拳を振り上げるものが主流で、それは今も同じ。そういうものに対する反発心で、全く違うものをやろうとしていたのがサニーデイ・サービスというバンドだったんです」

 静かな、しかし芯の強いパンクの意志が曽我部恵一というミュージシャンを導いている。

 

この記事が出たのが去年の秋だったので、さらにそこから半年は制作が続いたことになる。相当ヤバい。

 

■自分の意識下を探るような旅

 

もちろん制作過程が大変だったというのは、いろんなアーティスト、いろんな作品でもよくある話だと思う。なんだかんだ言って、本当に「ヤバい」のは肝心の中身のほうだ。

 

なんでこれでMV作らないのか謎なんだけど、アルバムを象徴するのは冒頭の2曲「Im a boy」と「冒険」だと思う。

 

「Im a boy」の歌詞がいい。

 

きみのことが忘れられない
なにをしても手につかない
ぼくの中に暗い夜が続く
きみと手をとりさまよい続けたい

祈ることしかできないのか?
祈ることすらできないのか?
神様は踊っているのかな?
ああこのままさまよい続けたい

 

「冒険」もネジが外れている。最近のバンドにたとえるならD.A.N.みたいな感じの曲。ひんやりしたミニマルビートとカッティング・ギターに乗せて「♪ぼくは ぼくは ぼくは…」(♪パー、パパパ、パー~)「♪こんな場所で こんな場所で」と歌う。酩酊感しかない。

 

「血を流そう」も、ちょっと普通の曲じゃない。けだるい感じのビートに乗せてギターとユニゾンするメロディで「今夜血を流そう」と繰り返す。不穏な転調が訪れる。

 

シングルカットされた「苺畑でつかまえて」も、よくよく改めて聴くととかなりドラッギーな曲だ。

 


サニーデイ・サービス「苺畑でつかまえて」【Official Music Video】

 

見たこともないこんな街で 知らないだれかを探してる
苺畑で逢えるのかな

 

(……たぶん会えないよ!)

 

パンチドランク・ラブソング」も。

 


サニーデイ・サービス「パンチドランク・ラブソング」【Official Music Video】

 

「ねえ、ここは何て名前の街だっけ?」
メロンソーダ アイスクリーム 溶けていく

「ねえ、ここは何て名前の街だっけ?」
メランコリア 愛す 狂う ほどけていく

 

「セツナ」も。

 


サニーデイ・サービス「セツナ」【Official Music Video】

 

子供の頃に作ったしゃぼん玉に乗ってふたりでこの空を飛ぼう

 

曽我部恵一BANDでも、ソロでも、基本的にはここ10年くらいの曽我部恵一は日常や生活と地続きのことを歌詞に書いてきた。下北沢という街で暮らしていることとか、子供がいることとか、そこで考えた日記みたいなことを歌にしてきた。

 

再結成後のサニーデイ・サービスの2枚のアルバムもそう。40代になった3人の自然体が、そのまま音になっていた。

 

でも、このアルバムの歌詞で描かれているのは完全に脳内風景。「日常」とか「自然体」とかと一番対極にある世界だ。しかもキマりまくってる。クスリとかそういうんじゃなくて、想像力だけで飛んでいる感じ。自分の精神の内奥の暗がりの奥の方まで降りていく感じ。そういうアルバムの風景が繰り広げられる。

 

で、混沌の中進んでいくアルバムのストーリーは、「桜 super love」で、

 

きみがいないことは きみがいることだなぁ
桜 花びら舞い散れ あのひとつれてこい
夏に見つけたら 冬にひもといて
いつも踊ってる 僕も踊ってる

 

と、ふわーっとしたダンス・ミュージックの高揚感に達する。結局のところ何にも解決してないんだけど、なんだかOKになってしまう感じ。

 

そこがとても素敵だ。時を止めるような透明なロマンティシズムが音楽になっている。

 

サニーデイ・サービスというバンドは、解散と再結成を経て、ようやく『LOVE ALBUM』と「魔法」の次に来るべきアルバムを作り上げたんだと思う。

 

 

DANCE TO YOU

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