日々の音色とことば

新刊『ヒットの崩壊』が出ました。

サム・フェンダーとジレットCM、「男らしさの毒(Toxic Masculinity)」について

サム・フェンダーの「Dead Boys」という曲がすごくいい。

https://www.youtube.com/watch?v=FcO8uV2n3Ys

UKはノースシールズ出身の24歳のシンガーソングライター。ほんとは1月16日に初の来日公演がある予定だったんだけど、キャンセルになっちゃった。残念。「BBC Sound of 2018」にノミネートされたり、先月に発表された「Brit Awards 2019」の批評家賞に輝いたり、つまりはUKの次の時代を担うと目されているシンガーソングライター。なので日本でもサム・スミスとかエド・シーランくらいちゃんと売れてほしいと願ってる。

憂いを含んだ声、ポストパンクっぽい切迫感を匂わせるビート、切ないリリシズムを湛えたメロディセンスと、いろんな系譜を感じさせるシンガーソングライターなんだけれど、とりあえず、そのことは置いておいて。

彼が昨年11月にリリースした「Dead Boys」という曲の歌詞が、とても興味深い。というのも、これ、「男らしさという毒」についての曲。それが男性を追い詰め自殺に追い込んでいるということを描いた歌なのである。

英語では「Toxic Masculinity」という言葉。彼の歌はそういう文脈で広まっている。たとえばNY TIMESにはこんな記事がある。

NMEにはこんなインタビューもある。

邦訳のページはこちら。

サム・フェンダー自身はこんな風に語っている。

「これは男性の自殺、特に僕の故郷での男性の自殺についての曲なんだ」
「それが原因で非常に近い友人を何人か亡くしていてね。この曲はそこからできた曲で、それ以来ずっといろんな人に聴いてもらいたくて演奏してきたんだ。この曲が対話を引き起こすのを見て、どれだけ現在進行系の問題なのか実感したよ。この国のいろんな場所で話してきた全員が誰かを失う体験に繋がりがあるんだよね」
「この曲はどれだけ大きな問題なのか、僕の目を開かせてくれたんだ。この曲が誰かに届いて、その人が連絡をとって語り合わなきゃと思ってくれたら、成功だよね」

サム・フェンダーが歌っていることは、「me too」や「times up」という運動で始まったムーブメントの先で「男性の生きづらさ」が改めて掘り起こされつつある、という今の時代の風潮とリンクしていると思う。

つまり「なぜ男は勝者で暴力的で支配的でなければ”男”とみなされないのか」という問いだ。

たとえば世界中で大きな話題を巻き起こしているジレットのCMがある。

このCMの冒頭にも「Toxic Masculinity」という言葉が出てくる。

そして、公開されたばかりのCMには賛否両論が巻き起こっている。

コマーシャルは今週、ソーシャルメディアの公式アカウントで公開された。1分48秒の映像は、いじめやセクハラの例から始まり、乱暴な少年たちが「男の子だから」と容認される場面などが続く。

そこへ「もう笑い飛ばしたり、同じ言い訳を繰り返したりしているわけにはいかない」とナレーションが入り、#MeToo運動がもたらした変化が紹介される。最後に男性たちがけんかを止めたり、子どもを守ろうと立ち上がったりする姿と、それを見つめる少年たちのまなざしが映し出される。

ジレットのチームは全米の男性たちから意見を聴くなど独自の調査を重ね、専門家の助言を受けながらコマーシャルを制作したという。

しかしユーチューブやツイッターには、「侮辱的だ」「フェミニストの宣伝工作だ」と反発するコメントが殺到した。

一方で、こうした反応は逆に、意識改革を促す運動がいかに必要とされているかを示す指標になるとの意見も寄せられた。

このCMに「侮辱的だ」という反発が巻き起こること自体が、ひとつの「男らしさという毒」なのだと思う。ジェーン・スーさんがこうコメントしてるけれど、僕も同感。

 

CMでは「Boys will be boys」という言葉が繰り返される。否定的な文脈で。「もう止めよう」という文脈で。「男はいつまで経っても”男の子”だから」。それは社会の中で多くの男たちにとって免罪符として機能してきた一方、呪いの言葉でもあったはず。サム・フェンダー「Dead boys」はそういうことについての歌でもある。

We close our eyes
Learn our pain
Nobody ever could explain
All the dead boys in our hometown

日本では田中俊之さんが「男性学」という言葉を提唱して「男の生きづらさ」を掘り起こしている。

 

男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学

男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学

 

 

この先「Toxic Masculinity」という言葉が、社会とエンタテインメントをつなぐ線において、一つの重要なキーワードになる気がしている。

 

「Time's Up」、すなわち「時間切れ」「もう終わりにしよう」という運動は、ある程度は広まってきた。でも、それって、単に「これからはセクシャルハラスメントをしないようにしましょうね」というムーブメントではないと思うのだ。 

むしろそれは、「新しい”男らしさ”を規定しよう」というポップカルチャーの表現に結びつくはずだと思ってる。特に、義務や規則や規範ではなく、格好良さ、すなわち「何がクールか」というロールモデルを提示することによって人々の価値観を変え社会を変えていくことができるのは、ファッションと音楽の得意分野だ。

 

この先、“男らしさの毒(Toxic Masculinity)”の解毒剤となるような表現が求められているという気がする。そして、サム・フェンダーはUKだけれど、もちろんちゃんとUSからそれに呼応するような潮流はあらわれている。本当に変わるべきだし、そして現在進行系で変わりつつあるのは90年代から00年代にかけて、長らくその「男らしさ」を規定してきたUSのラップ・ミュージックの価値観であるように思う。

 

outception.hateblo.jp

 

www.huffingtonpost.com

 

もちろん、このあたりの話は現在進行形で進んでいて、ドキュメンタリー番組『サバイビング・R.ケリー』とそれが巻き起こしている大きな反響ともつながっている話。

 

kusege3.com

 

たぶん、もう少し時間はかかるだろうけれど、いろんなものが同時進行で進んでいくはず。

 

今年もありがとうございました/2018年の総括

 

 

例年通り、紅白歌合戦を見ながら書いてます。

 

 

 

今年はいつにもましてあっという間に過ぎていった一年でした。2016年は『ヒットの崩壊』、2017年は共著の『渋谷音楽図鑑』と、自分にとって大きな仕事を形にすることができたんですが、2018年はどちらかと言えば仕込みの時期というか、次に向けていろいろと考えを深めていく時期だったと思います。

 

ヒットの崩壊 (講談社現代新書)

ヒットの崩壊 (講談社現代新書)

 

 

 

渋谷音楽図鑑

渋谷音楽図鑑

 

 

 

今年もいくつかの媒体で2018年を振り返りました。

 

 

海外の最先端の音楽シーンの動きにアンテナを張っているクリエイター、アーティストおよびプロダクションが一番ヒットしている曲を作っている。そういう流れが明らかに起きているんですよね。

 

 

newspicks.com

 

ストリーミングサービスの普及前は『すでに名のあるアーティストに有利なサービス構造だ』と言われていましたが、実は起こっているのは世代交代だったということも改めて証明できたのではないでしょうか。

 

アメリカ大陸全体に音楽シーンの発信源が点在する状況に変わっているような気もします。

 

 

realsound.jp

 

今って、アメリカのヒップホップやRBのトレンドと、それをきっちり追いかけていったK-POPと、ガラパゴス化的な進化をしてきたJ-POPと、それを全部フラットに聴いてきた世代の人たちが新しい扉を開けている時代なんだって思ったんです。

 

www.cinra.net

 

年間ベストについては、『ミュージック・マガジン』に寄稿しました。

 

 

ミュージック・マガジン 2019年 1月号

ミュージック・マガジン 2019年 1月号

 

 

 

そちらで選んだのがこの10枚。

 

 

● XXX Tentacion/?

● Joji/Ballad 1

● tofubeats/RUN

● 三浦大知/球体

● Post Malone/beerbongs & bentleys

● Jorja Smith/Lost & Found

● 小袋成彬/分離派の夏

● RM/mono.

● THE 1975/ネット上の人間関係についての簡単な調査

● 中村佳穂/AINOU

 

音楽に関しては、総じて、すごく充実した一年だったように思います。

 

 

■2019年に向けて。

 

「平成最後の~」というキャッチフレーズが食傷気味になるくらい巷に流れた一年だったわけですけれど、そのムードは2019年も、もう少し続くんだと思います。

 

本当は「とっくに終わって次に行くべきなのに生き残っているもの」が沢山あるという実感もあるんですが、きっと、いつの時代もそうやって移り変わっていくんでしょう。

 

取材を担当した『さよなら未来』のインタビューで若林恵さんが語っていたんだけど、僕もまったく同意で、音楽という分野は世の中における「炭鉱のカナリヤ」だと思っている。

 

 

世の中で起きる変化というものは、特にデジタル以降のテクノロジーの分野においては、音楽が最初に直撃するんです。なので、そこを見ておくと、だいたい何が起こるかわかる。炭鉱のカナリヤのようなものですよね。

もう少し世の中の人は音楽業界で起こっていることが何なのかというのを見ておけばいいのになとは思います。

音楽を出版や映画が後追いして、その後にものすごく遅れて重工業や他の業界で同じことが起こっていく。だから、時代の試金石として音楽を見るべきなんです。

 

gendai.ismedia.jp

そして、そういう視点で音楽を通して社会を見ていると、今後、数十年かけて「国」という枠組みが溶けていき「都市」がそれを代替するような予感がしています。

 

そして、「企業」という枠組みも溶けていき、様々な物事が断片化して「個人」同士のゆるやかな結びつきの中で巡っていくようになる予感がしています。

 

まあ、そこについては長いスパンの変化なので、また今度ゆっくり考えを深めていくとして。

 

来年も、正直に、足元を見失わないように、やっていこうと思ってます。

 

 

 

星野源とRADWIMPSが対峙してきた「邪悪」について

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久々のブログ更新。いろいろと〆切を抱えててこっちに書く時間がなかなかとれないんだけど、これはちょっと記録しておかざるを得ないよね。

 

だって、11月から12月にかけての1ヶ月のうちに僕の観測範囲の中心である日本の音楽シーンから、素晴らしいアルバムがどんどんリリースされているわけだから。ちゃんと自分なりにそれをどう受け止めたかを書き記しておかないと、流れていってしまう。

 

そういうことのために僕のブログはあるのでね。

 

まずはなんと言っても、星野源『POP VIRUS』。まあ年間ベスト級の一枚であることは間違いないでしょう。

 

 

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三浦大知『球体』と新曲の「Blizzard」を聴いたときにも思ったけれど、なんだかんだ言って、メインストリームのど真ん中にいる人が挑戦的なことをやっているのがポップ・ミュージックの一番面白いところなんだよね、と痛感する。

 

 


三浦大知 (Daichi Miura) / Blizzard (映画『ドラゴンボール超 ブロリー』主題歌)

 

 

ただし「海外のトレンドにいち早く反応したほうが勝ち」みたいなゲームをやってるわけじゃない。ここ、すごく大事。別に先鋭的なことをやってるから格好いいわけじゃなくて。

 

ポップ・ミュージックは日々更新され続ける今の時代感の表現である。で、その背景には歴史の積み重ねたるルーツがある。当然のことだけど、完全にオリジナルな表現なんて世の中にはほとんどなくて、カルチャーとはいわば河川のようにいろんな源流が合わさって形作られる潮流である。

 

なので、現在の時代へのアンテナと、過去の蓄積への探究心と、声を使った身体表現としての「歌」としての美しさがあいまって、強度を持ったものになる。星野源の新作はそういうことを感じさせてくれるアルバムだった。いろんな聴き所があるけれど、やっぱり僕としてはSnail's Houseを起用した「サピエンス」に一番ビビったかな。

 

で、RADWIMPSの『ANTI ANTI GENERATION』も、確実に同じ問題設定を踏まえた上でその先に突き抜けていこうという意識を感じるアルバムだった。

 

 

ANTI ANTI GENERATION(初回限定盤)(DVD付)

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つまりは「すさまじい速度で更新されつつあるポップ・ミュージック・カルチャーの変化」にどう応えるか。具体的に言うならば、英語圏ではラップミュージックやベースミュージックが潮流を握ったことによって、リズムのあり方、垣根の溶けた歌とラップのフロウのあり方と言葉のデリバリー、そしてサウンドメイキングにおいて抜本的に革新が起こっている。それに「日本のロックバンド」はどう向き合うの?という問題意識だ。

 

それが端的にあらわれているのが「カタルシス」であり「PAPARAZZI~*この物語はフィクションです~」だと思う。

 


PAPARAZZI~*この物語はフィクションです~ RADWIMPS MV

 

ここにあるのは「前前前世」の「みんなが知ってるキラキラとして情熱的なギターロックバンド」のRADWIMPSではなく、トラップ以降のグルーヴとフロウの関係性の変化、低域の鳴らし方の変化に意欲的に向き合っているRADWIMPSだ。

 

で、そういう問題意識は当然他のミュージシャンも共有しているもので、特に12月はそういうテーマを持った作品が次々とリリースされた。

 

たとえば、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの『ホームタウン』は、まさに「ベースミュージックの影響で低域が強くなっているのが前提のグローバルな潮流に対して中域が強すぎるJ-POPや日本のロックバンドのサウンドメイキング」という問題系に真っ向から向き合いつつ「パワーポップをやる」という、いわば針の穴を通すようなコンセプトを形にしている。

 

 

ホームタウン(初回生産限定盤)(DVD付)(特典なし)

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SKY-HIの『JAPRISON』はラッパーという立場だから、もっとグローバルな潮流の変化にダイレクトにアクセスしようとしてる。端的に言うと、「日本」という枠組みで考えるとどうしてもぶち当たってしまう壁を「アジア」という枠組みに自分を位置づけることで突破しようとしている感がある。「JAPRISON」というタイトルに「JAPAN PRISON」「JAPANESE RAP IS ON」というダブルミーニングを込めていることからも、それが伝わってくる。

 

 

JAPRISON(CD+Blu-ray Disc)(LIVE盤)

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ぼくのりりっくのぼうよみのラストアルバム『没落』もすごくよかった。ツイッターの炎上騒ぎばっかり見てる人には何にも伝わってないし、最近でもYouTuberに就職して2日で辞職したりして「何がやりたいのかわからない」とか言われて本人にマジレスされたりしてるけど。

 

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ちゃんと彼のアルバムを聴いてる人はそこに封入されている「遺書」を読んだだろうし、いろんな表現が“自死”をモチーフにしていることが伝わってくると思う。『没落』の中では「曙光」が一番好きだけど、XXX TentacionやLil PeepやMac Miller やJUICE WRLDや、Lil Uzi Vert や、Fueled By Ramen所属だからワンオクともレーベルメイトになるnothing, nowhereあたりなど、北米のエモ・ラップやサッド・ラップと言われてるムーブメントと呼応しているテイストを感じる。

 

そのうえで、XXXTentacionもLil PeepもMac Millerも本当に死んじゃったのが去年から今年にかけての残酷な事実なわけで。ぼくりりは自分の肉体を害するかわりにキャラクターとしての「ぼくのりりっくのぼうよみ」を葬ったんだと考えると、日本がアメリカみたいな銃社会じゃなくて「キャラ社会」でよかったよねーなんてことも思う。

 

あと、曽我部恵一の追いつけないほどの多作っぷりも北米のトラップ以降のムーブメントの速度感を体現しててヤバいよね、と思う。

 

 

それからそれから、長谷川白紙『草木萌動』も今までにないタイプのリズムの脈動を身体感覚として“歌”にしていて、それもよかったなーと思う。

 

 

中村佳穂『AINOU』も。

 

 

■「人をコンテンツとして扱う」という邪悪

 

で、本題。

 

星野源『POP VIRUS』とRADWIMPS『ANTI ANTI GENERATION』はほぼ同じタイミングで世に出ているわけだけれど、ちゃんと聴けば、そこには拭い去れない「精神の傷痕」が刻み込まれているのが感じ取れると思う。

 

僕なりの言い方でもっと極端に言えば、それは世の中にはびこる巨大な「邪悪」に対峙してきた痕跡だ。

 

たとえば星野源の「アイデア」にはこんな歌詞がある。NHK連続テレビ小説の主題歌として爽やかに日本の朝を彩った一番から一転、二番では音数をグッと落としたアレンジでこう歌われる。

 

おはよう 真夜中
虚しさとのダンスフロアだ
笑顔の裏側の景色
独りで泣く声も
喉の下の叫び声も
すべては笑われる景色
生きてただ生きていて
踏まれ潰れた花のように
にこやかに 中指を

 

『ダ・ヴィンチ』2018年12月号掲載のエッセイ「いのちの車窓から」では、この歌詞の背景にあったエピソードが書かれている。

 

 買い物をしていると、物陰からスマートフォンで写真や動画を勝手に撮影されるようになった。
 家の前には、窓にスモークのかかった車が止まるようになった。
仕事帰りには様々な車が付いてくるようになった。
 週刊誌、ネットニュースで全ての内容が創作である記事が書かれるようになった。

  

続けて「嬉しいことばかりだった」と星野源は綴っているが、それはきっと、あくまでレトリックとしての表現だろう。2017年から2018年にかけて、間違いなく星野源は病んでいた。文章はこう続く。

 

 仕事では楽しく笑顔でいられても、家に帰って一人になると無気力になり、気がつけば虚無感にまみれ、頭を抱え、何をしても悲しみしか感じず、ぼんやり虚空を見つめるようになった。
 それは日々ゆっくりと、少しずつ増殖するウイルスのように、僕の体と精神を蝕んでいった。
 声をかけられることが恐怖心となり、街では誰にも見つからないように猫背で顔を隠し逃げ回り、ベランダに出ることさえも怖くて怖くて晴れた日でもカーテンを閉めるようになった。

 

ここからは、2016年に「恋」が一つの社会現象を巻き起こしてから彼が対峙さるを得なかった「邪悪」の巨大さが伺える。アルバムのインタビューでも星野源はこう語っている。

 

「去年いろんなこともあったし、ほんとにうんざりっていう(笑)。世の中に対してもそうだし、人間的にも疎外感というか、『なんじゃこりゃ、この世はもうどうしようもないな』みたいな感じがどんどん強くなってきて。そういう、うんざりっていう感覚みたいなものを出していこうっていうか」

(『MUSICA』2018年12月号)

 

 

 

同じく2016年に『君の名は。』と「前前前世」が社会現象的なヒットとなったRADWIMPSの表現はもっと直接的だ。彼が向き合ったものは「PAPARAZZI~*この物語はフィクションです~」のリリックに全て書いてある。

 

いいかいお父さんの仕事は普通とはちょっと違う
大きな意味では世の中の人に娯楽を提供してるんだ
役者さんミュージシャン スポーツ選手や著名人
家の前だとか仕事場でも どんな所だって張り付いて
その人の日々の監視をする そういう仕事をしてるんだ
そして何か悪さをしたり 面白いことが起こったりすると
それをすかさず記事に書いて 世間の皆に知らせるんだ
体力も根気も無きゃいけない とても大変な仕事なんだ

 

曲名には「*この物語はフィクションです~」とあるが、インタビューではこんなことも語っている。

 

「これは相手がいた頃、俺は数年間ほんとに苦しんでて、ほんとにノイローゼになりかけてて。ウチが個人事務所だからなのかなんあのか、容赦なくて。役者の友達とかに話すと『そんなことあり得ないよ』っていうようなこともされてて。自分の中でどうケリをつけようかなっていうのがずっとあったんですよね。ただあの怒りをそのまま曲にしても伝わるものにならないなと思ったし、だから4,5年かかったんですけど……なので自分が言いたいことを言いつつ、彼らの言い分もなるべく想像して。あの人達には子供とかいるのかな、その子供に自分の職業をなんて説明するのかなってところからまず始まって」

(『MUSICA』2018年11月号)

 

 

俺のとこなら百歩譲ったとしても
実家の親の家にへばりついて
堂々直撃してきたな?
息子さん苦節10年 成功して良かったですね
親御さんとしてどうですか?
あんたの親にも聞いたろか

 

という歌詞もある。

 

まあ、これは実話だろう。『女性自身』が2017年1月にネットに公開したニュースには「RADWIMPS野田洋次郎の下積み時代支えた“セレブ母の献身”」という見出しの記事がある。アクセスを送るのが嫌なのでリンクは貼らないが、上のリリックの通りの内容だ。これもアクセス送るのが嫌なのでリンクは貼らないが、大方の予想通り、2018年後半時点で『女性自身』の標的は米津玄師に向かっている。自宅マンションをつきとめその前に張り付いた記事を公開している。

 

これ、僕ははっきりと「邪悪」だと思う。

 

もちろん今に始まった話じゃない。日本だけの話でもない。「有名税」なんて言葉もある。しかし、僕は「有名税」を払う必要のある人間なんて一人もいないと思っている。それに、SNSが普及し、子供たちの憧れにユーチューバーの名前があがり、多様化したジャンルそれぞれに個人のインフルエンサーがいる時代、「有名人」と「一般人」をわけるくっきりとした境目なんてないと思っている。

 

そういう意味では誰もが直面する可能性のあることだと思う。でも、特に、自分の生き様そのものを表現として差し出しているアーティストの場合は、そうやってプライベートな領域に土足で入り込まれることによって、自分の心の敏感な部分、大事な部分を削られてしまう。優れた才能を持った人間がそんな風に心を削られて消耗する必要なんてないと思っている。

 

それでも、この問題は根が深い。

 

スキャンダルやゴシップ記事で糊口をしのごうとするメディアはなくなってほしいし、それを作ったり協力したりすることを飯のタネにしてる人間のことは心から軽蔑するし、そういう人と一緒に仕事をしようとは思わないけど。ついでに誰かの名前で検索をかけると「○○の恋人は? 家族や出身は? 調べてみました!」と適当な情報を垂れ流すトレンドブログは絶滅してほしいと心から願ってるけど。でも、それだけじゃない。

 

ハンナ・アーレントが『イエルサレムのアイヒマン』で書いたように、邪悪とは陳腐で凡庸なものである。そういった記事を作っている人がが、特別にゲスな心性を持ち合わせているとは思わない。むしろ「たまたまその役割を担った」というくらいの人間だと思う。いろんな人が、少しずつ、持ち合わせているものだと思う。それは僕も。

 

その邪悪の源泉を言語化するならば、僕は、それは「人をコンテンツとして扱う態度」だと思う。

 

ごく最近に起こったことで言えば、『水曜日のダウンタウン』でクロちゃんを監禁した『モンスターハウス』と、それが結果的に巻き起こした騒動も、結局のところ同じ「邪悪」から生まれている。僕はあの番組をゲラゲラ笑いながら観てた側の人間だから、あそこに集まった若者たちを「この国は終わってる」なんて言って切断処理するつもりにはなれない。

 

TBSバラエティー番組イベント 若者殺到で混乱し中止に | NHKニュース

 

anond.hatelabo.jp

 

生身の人間のことを「コンテンツ扱い」していないか。そして、マスメディアとSNSが結託するようになり極度にメディア化された社会の中ではそれがある程度しょうがないことだとしても、そのことが生身の人間の尊厳を毀損することに加担してないか。

 

ついでに。いつものことだから口を酸っぱくして言っておくけれど、毎年、年末から正月にかけて沢山の炎上騒ぎが起こっている。おそらく今年もそうだろう。それは結局のところ、暇にかまけて「生身の人間をコンテンツ扱いしている」人たちが起こしていることだ。

 

何度だって省みられていいことだと思う。