日々の音色とことば

usual tones and words

時代の転換点に立ち会っている

 

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時代の転換点に立ち会ってるんだな、と日々思う。

 

1ヶ月前に僕は一つ前の記事を書いた。

 

shiba710.hateblo.jp

 

社会が大きく変わる予感はその時点でひしひしと感じていた。だから書かなきゃいけないと思った。でも、あそこで引用していた「今後のシナリオ」の見通しを今読むと、たった1ヶ月で世界は「最悪のケース」のさらに向こう側の扉を開けてしまったんだなと感じる。

 

感染拡大はパンデミックとなった。ミラノで、マドリードで、ニューヨークで、医療機関が危機に瀕している。世界中の都市が封鎖され、日常は失われた。

 

www.nytimes.com

 

危機に瀕したときこそ、自分が何に価値を感じていて、何を大事にして生きていくのかを、ちゃんと書き留めておかないといけない。それが自分を繋ぎ止める錨になる。

 

■音楽業界の動きについて

 

3月に、Yahoo!ニュース個人とQJWebに以下のような記事を書いた。

 

news.yahoo.co.jp

 

qjweb.jp

 

記事の中では、ライブ配信サービス「fanistream」が始めた#ライブを止めるな!」プロジェクトや、ceroの「Contemporary http Cruise」が用いた電子チケット販売プラットフォーム「ZAIKO」による電子チケット制ライブ配信サービス、GRAPHERS’ GROUPが始めた新しいプロジェクト「新生音楽(シンライブ)」などを紹介している。

 

 

これも一つ前の記事で書いたこととつながるけれど、僕のやっていることは基本的に同じだなと思う。東日本大震災のとき、このブログでは震災を受けてYouTubeに公開されたアーティストの作品を紹介することに徹していた。

 

 

shiba710.hateblo.jp

 

ただ、あのときと違うのは「出口が見えない」ということ。この日々がいつまで続くのか、事態がいつ収束するのか、日常がいつ戻ってくるのか、今の時点ではわからない。

 

 

■社会はどう変わるのか

 

『サピエンス全史』のユヴァル・ノア・ハラリが「フィナンシャル・タイムズ」紙に「ワールド・アフター・コロナウィルス」と題したエッセイを書いていた。

 

www.ft.com

 

とても示唆的な内容で、この後10年後、20年後に訪れる世界がどうなるかの別れ道がこの数週間で決まってしまうのではないかということが書かれている。

 

 

嵐は去る。人類は生き延びる。我々はほとんどがまだ生きている。けれど、おそらく以前とは別の世界に暮らすことになるだろう。

 

the storm will pass, humankind will survive, most of us will still be alive — but we will inhabit a different world.

 

普段だったら数年かけて熟慮のもとに行われる意思決定が、数時間で行われてしまう。何もしないよりはましだと、未成熟で危険ですらあるテクノロジーが実用化される。全ての国家が巨大なスケールの社会実験におけるモルモットの役目を果たす。

 

Decisions that in normal times could take years of deliberation are passed in a matter of hours. Immature and even dangerous technologies are pressed into service, because the risks of doing nothing are bigger. Entire countries serve as guinea-pigs in large-scale social experiments. 

 

今回の危機に際して、我々は二つの重要な選択肢に直面している。1つ目の選択肢は「全体主義の監視」か「市民のエンパワーメント」か。2つ目の選択肢は「ナショナリストの孤立主義」か「グローバルな連帯」か。

 

In this time of crisis, we face two particularly important choices. The first is between totalitarian surveillance and citizen empowerment. The second is between nationalist isolation and global solidarity.

 

 

僕の訳なので拙いところはあるとは思うけれど、とても重要な視点だと思う。

 

先日リリースされたチャイルディッシュ・ガンビーノのアルバムに収録された「Algorhythm」という曲が、まさにハラリが言っていることとリンクするような内容を歌っている。

 

 

genius.com

 

誰もがモーゼのように選ばれし者になりたがる

母なる大地は苦境を乗り越えて再び立ち直る

より効果的に働く新たな改良版が召喚される

それは我々を許可なくモルモットにする

 

Everybody wanna get chose like Moses
Came out Mother Earth smelling like roses
Summon the new edition, made it way too efficient
Made us the guinea pig and did it with no permission

 

ちょっと鳥肌が立つようなリリックだ。

 

すでに中国はスマートフォンの位置情報と顔認証を駆使した個人の行動統制を行っている。シンガポールも含め、テクノロジーを強権的に用いることのできる全体主義的な体制はウィルスの封じ込めに成功しているように見える。

 

一方でヨーロッパにはGDPRがある。国家にそこまで監視の権限はなく、それでもフランスやイタリアやスペインの人々は自主的に(=僕の定義する用語であるところの”スマート”に)外出禁止令の日々を過ごしている。

 

そして国民皆保険制度のない国家であるアメリカの人々は今回のウィルス感染拡大には厳しい局面を強いられるだろう。その渦中で次の大統領選挙が実施される。

 

ハラリが言うように、地球上で様々な国、文化、統治機構の「A/Bテスト」が行われてしまっているのが、今の数ヶ月と言えるのかもしれない。

 

 

 

 

社会が揺らぐときに、浮足立ってしまわないために

こういうことはちゃんと書いておくべきだと思うのでブログに書きとめておこう。

 

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■社会が揺らぐとき 

 

新型コロナウイルスの拡大感染によって、社会が大きく揺らいでいる。ここ数日、状況が目まぐるしく変わりつつある。

 

特にエンターテインメント産業は大きな打撃を受けている。政府の方針と要請を受け、沢山のライブやイベントが中止や延期を発表している。

 

natalie.mu

 

エンターテインメント業界の損害は数百億円規模というニュースが出ている。それは単なる数字ではなく、アーティストや、それを支えるスタッフや、ライブやイベントの現場で働く沢山の人たち、一人ひとりの生活を大きく揺るがすものだ。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

というか、まあ、僕自身も他人事じゃない。すでにいくつかの予定されていた仕事がなくなったり、中止になったりもしている。当事者のど真ん中。

 

もちろん影響はエンターテインメント業界だけでない。映画館やスポーツジムなどの施設も、飲食業も、観光業も。”不要不急”の外出を控えるよう要請があったことで、街の風景自体が変わってきてしまっている。小中学校と高校の臨時休校も要請された。突然の発表に現場が混乱している。

 

不安が広がっている。東日本大震災の時を思い出す、という人もいる。あのときは放射能、そして今はウイルス。目に見えないものが健康と生命を脅かすというイメージが、人々の心を少しずつ蝕む。

 

だからこそ、こういうときには、自分が浮足立ってしまわないように、書きとめておこうと思う。

 

■ぼくの基本的なスタンス

 

まず、自分の基本的なスタンスとして「誰かを貶めない」「できるだけ悲観的にならない」ということは守ろうと思っている。それは10年以上前に決めたこと。

 

shiba710.hateblo.jp

 

 

こういうときには、混乱に乗じて、必要以上に危機感を煽ったり、デマや、差別的な言説を広めようとする人も出てくる。そういうものに加担しないよう、心の平安は保っていたいと思う。

 

ただ、とは言っても「批判をしない」ということを是とするわけじゃない。特にここ数年、日本という国家を運営する意思決定のあり方は、ずいぶんと酷いことになっていた。無理を通して道理を引っ込めるようなことが続いてきた。権威主義的な組織が、民主主義国家の根幹を破壊してきた。きちんとした情報公開がなされていないことや、専門家を軽視する姿勢や、そういうことは、きちんと批判されてしかるべきだと思う。

 

権威と忖度ではなく、知性と信頼によって、公共性はデザインされるべきだ。

 

僕はそう願う。

 

 

■文化を豊かにするために

 

僕は感染や医学の専門家ではないので、推測の話はしない。でも、ある程度、この先に予測されるシナリオについて考えておこうと思う。

 

以下の記事で語られていることがとても参考になる。ここから1〜2週間、つまり3月中旬までが、感染がさらに拡大するのか、それとも収束するのかの分かれ目になるという。

 

本日(2月23日)時点での最良のシナリオは、日本で小さな流行しか起きず、重症者も出ないというものですが、その可能性は小さくなりつつあります。

別のシナリオは、いろいろな場所で、ある一定規模以上の感染拡大が起きて、そのいくつかではかなり厳しい状況になる、ということです。そこでは、医療機関が重症者の集中治療を十分にできないような状況になる可能性があります。

怖いのは、そういう状況が日本全国で相当数起きて、クラスターの連鎖が起こり、拡大を止められなくなることです。そうなると、感染拡大を止めるためには、社会機能を完全に止めるしかなくなります。

 

news.yahoo.co.jp

 

さっきは「悲観的にならない」と書いたけれど、それは「悪い可能性を考慮しない」という意味じゃない。それは大本営発表を鵜呑みにするのと変わらない。

 

最悪のシナリオでは、感染拡大が今後数ヶ月にわたって続く可能性がある。そうなった場合、経済的な打撃はさらに大きなものになるだろう。観光業や、飲食業や、そして音楽やエンターテインメントに携わる人たちの中には、生計が成り立たなくなる人も増えるかもしれない。

 

それはとてもつらい。

 

こないだ、知り合いの編集者とご飯を食べてるときに「まあ、自分のミッションの一つは文化を豊かにすることだから」というような言葉が思いがけず自分の口からさらっと出てきて、帰り道にずっとそれを反芻していたことがあった。どんな文脈だったっけな。「○○をすれば儲かる」みたいな話題になったときに「いやあ、でもそれはやりたくないな」と言ったときだったかな。

 

文化を豊かにする。

 

とはいっても、それは当然、僕ひとりでどうにかできるような大それたことじゃない。何をすればいいか決まっているようなことでもない。沢山の人たちが、クリエイティブであること。優れた表現が生まれて、その価値がちゃんと届くこと。そして多くの人が、それぞれの生活のなかで、美しいものを堪能したり、笑ったり、泣いたり、思いっきり楽しんだりすること。そういう営みが少しずつ積み重なることで、文化は豊かになっていく。そして、特にポップカルチャーの分野においては産業の構造が文化の多様性を支えているようなところもある。だから、仕事の内容が違っていたり、スタンスが違っていたりしていても、広い意味で「文化を豊かにする」ことに携わっている人は全員が同業者だなあ、と思うようなところもある。

 

娯楽やエンターテインメントは”不要不急”なものかもしれないけれど、それは、沢山の人の心を支えている。それぞれの人生という物語の糧になっている。少なくとも僕はそう信じてる。

 

何ができるか。基本的に僕のやる仕事は、音楽にまつわる文章を書いたり、喋ったりすること。たぶん、これからも基本的には変わらずにそれを続けていくと思う。

 

でも、それは「仕事だから」やってるんじゃなくて、ちゃんと意味と意義を感じてやっているということは、ここに書いておこうと思う。

Mura Masaの新作と「もはやチルってる場合じゃない」という時代の空気について

Mura Masaのニューアルバム『R.Y.C.』がめちゃめちゃ格好いい

 

 

R.Y.C

R.Y.C

  • アーティスト:Mura Masa
  • 出版社/メーカー: Polydor UK
  • 発売日: 2020/01/17
  • メディア: CD
 

 

 

『MUSICA』の今月号のディスクレビューでも書いたんだけど、脚光を浴びた2017年のデビューアルバム『Mura Masa』からサウンドは一転してる。一言でいうとパンク・ロック・アルバム。音に本気の切迫感が宿っている。

 

全編にフィーチャーされているのはギターサウンド。歪んだギターと縦ノリの直情的なビートが駆け抜ける。特にラッパーのslowthaiを迎えた「Deal Wiv It」がアルバムのトーンの象徴になっている。

 

www.youtube.com


slowthaiは昨年にデビューアルバム『Noghing Great About Britain』をリリースしたUKのラッパーで、Mura Masaはその収録曲「Doorman」でもコラボレーションしていた。そこでも、ヒリヒリした衝動に満ちたサウンドとラップが繰り広げられていた。

 

www.youtube.com

 

で、『Noghing Great About Britain』というタイトルから容易に思い浮かぶように、アルバムはピストルズ以来の伝統の「イギリスをこき下ろす」政治性を持つ一枚。去年のマーキュリー賞のパフォーマンスでは、ブレグジットを推し進める英首相のボリス・ジョンソンの”生首”を持ってパフォーマンスを繰り広げてた。


ジェイムス・ブレイクとの出会いからエレクトロニック・ミュージックに傾倒する以前の少年時代はパンク・ロックに憧れていたというMura Masaも、きっと、彼のスタンスに触発されたのだと思う。

 

『R.Y.C』というのは『Raw Youth Collage』、すなわち「生々しい若者たちのコラージュ」という意味。「No Hope Generation」という曲も象徴的だ。すなわち「何の希望もない世代」ということ。

 

Everybody do the no hope generation.

(誰もが希望のない世代を生きてる)

Gimme a bottle and a gun

And I'll show you how it's done

(火炎瓶と銃をくれ どうなるか見せてやる)

 

今のUKにはラッパーとトラックメイカーによるパンクロックの「再定義」が起こっていて、そのことをありありと感じさせてくれるのが、Mura Masaの新作なのだと思う。

 

そして、当然、その背景には今の社会情勢がある。端的に言うとブレグジットが決定的になり分断が進む今のUKで、ゆったりと心地よくリラックスしている余裕なんてないってこと。

 

「もうチルってる場合じゃない」

 

ということだ。

 

そういえば。

 

昨年、そう語っていたbetcover!!の言葉が心に引っかかっていた。

 

mikiki.tokyo.jp


「日本っていろいろ問題があるくせに、みんなラヴソングにしか共感しないですからね。あとはチル最高、波に乗っていこうぜみたいなのしかないっていう(笑)。いまの日本、メチャクチャ問題あるじゃないですか。チルってる場合じゃないんだけど、音楽が社会問題とかの空気感を音で示すのがタブーみたいになってる。それが音楽の廃れている理由じゃないかと思って。ただの音でしかなくて、メッセージがなさすぎて求められていない」

 

香港の民主化を求めるデモがどんどん拡大していくのも、ずっと見ていた。

 

www.bbc.com


上記の記事の通り、そこにあったのは自分たちのアイデンティティと自由が奪われることへの「怒り」と「絶望」で、それでも不服従を貫く若者たちは今も闘い続けている。

 

ひるがえって、日本は――。

 

状況は、まあ、全然違う。殺伐としている感じは、ほとんどない。でも、ひょっとしたらそれは多くの人が気付いていないだけで、水面下で沸々と起こっている変化があるのかもしれない。

 

「チルから暴力へ」

 

ただし、この場合の「暴力」というのは「誰かを屈服させ、支配するために力を振るう」ということを意味しない。むしろその逆だ。

 

そんなことを思って『MUSICA』でのMura Masaのレビューを「チルから暴力へ」というタイトルで書いたんだけれど、李氏さん(@BLUEPANOPTICON)という方が、まさにこの言葉で2019年を総括してた。

 

 

blue-panopticon.hatenablog.com

 

読んで思った。そうそう、たしかにそういう空気を僕も感じる。そういうことをテーマにした音楽ZINE『痙攣』刊行を予定しているとのことで、すごく楽しみにしてます。

 

そして、たぶん、1月29日にリリースされるGEZANのアルバム『狂(KLUE)』が、ざわざわと波紋のように広がって時代に大きな作用をもたらしそうな予感がしている。これについては、またこんど。

 

(追記)

 

imdkmさんによる批判記事で言及いただく。こちらも合わせてご一読を。

 

imdkm.com

 

たしかに「チルってる場合じゃない」のだが、同時に「チルするほかない」のだ、主人公は。