こういうことはちゃんと書いておくべきだと思うのでブログに書きとめておこう。
■社会が揺らぐとき
新型コロナウイルスの拡大感染によって、社会が大きく揺らいでいる。ここ数日、状況が目まぐるしく変わりつつある。
特にエンターテインメント産業は大きな打撃を受けている。政府の方針と要請を受け、沢山のライブやイベントが中止や延期を発表している。
エンターテインメント業界の損害は数百億円規模というニュースが出ている。それは単なる数字ではなく、アーティストや、それを支えるスタッフや、ライブやイベントの現場で働く沢山の人たち、一人ひとりの生活を大きく揺るがすものだ。
というか、まあ、僕自身も他人事じゃない。すでにいくつかの予定されていた仕事がなくなったり、中止になったりもしている。当事者のど真ん中。
もちろん影響はエンターテインメント業界だけでない。映画館やスポーツジムなどの施設も、飲食業も、観光業も。”不要不急”の外出を控えるよう要請があったことで、街の風景自体が変わってきてしまっている。小中学校と高校の臨時休校も要請された。突然の発表に現場が混乱している。
不安が広がっている。東日本大震災の時を思い出す、という人もいる。あのときは放射能、そして今はウイルス。目に見えないものが健康と生命を脅かすというイメージが、人々の心を少しずつ蝕む。
だからこそ、こういうときには、自分が浮足立ってしまわないように、書きとめておこうと思う。
■ぼくの基本的なスタンス
まず、自分の基本的なスタンスとして「誰かを貶めない」「できるだけ悲観的にならない」ということは守ろうと思っている。それは10年以上前に決めたこと。
こういうときには、混乱に乗じて、必要以上に危機感を煽ったり、デマや、差別的な言説を広めようとする人も出てくる。そういうものに加担しないよう、心の平安は保っていたいと思う。
ただ、とは言っても「批判をしない」ということを是とするわけじゃない。特にここ数年、日本という国家を運営する意思決定のあり方は、ずいぶんと酷いことになっていた。無理を通して道理を引っ込めるようなことが続いてきた。権威主義的な組織が、民主主義国家の根幹を破壊してきた。きちんとした情報公開がなされていないことや、専門家を軽視する姿勢や、そういうことは、きちんと批判されてしかるべきだと思う。
権威と忖度ではなく、知性と信頼によって、公共性はデザインされるべきだ。
僕はそう願う。
■文化を豊かにするために
僕は感染や医学の専門家ではないので、推測の話はしない。でも、ある程度、この先に予測されるシナリオについて考えておこうと思う。
以下の記事で語られていることがとても参考になる。ここから1〜2週間、つまり3月中旬までが、感染がさらに拡大するのか、それとも収束するのかの分かれ目になるという。
本日(2月23日)時点での最良のシナリオは、日本で小さな流行しか起きず、重症者も出ないというものですが、その可能性は小さくなりつつあります。
別のシナリオは、いろいろな場所で、ある一定規模以上の感染拡大が起きて、そのいくつかではかなり厳しい状況になる、ということです。そこでは、医療機関が重症者の集中治療を十分にできないような状況になる可能性があります。
怖いのは、そういう状況が日本全国で相当数起きて、クラスターの連鎖が起こり、拡大を止められなくなることです。そうなると、感染拡大を止めるためには、社会機能を完全に止めるしかなくなります。
さっきは「悲観的にならない」と書いたけれど、それは「悪い可能性を考慮しない」という意味じゃない。それは大本営発表を鵜呑みにするのと変わらない。
最悪のシナリオでは、感染拡大が今後数ヶ月にわたって続く可能性がある。そうなった場合、経済的な打撃はさらに大きなものになるだろう。観光業や、飲食業や、そして音楽やエンターテインメントに携わる人たちの中には、生計が成り立たなくなる人も増えるかもしれない。
それはとてもつらい。
こないだ、知り合いの編集者とご飯を食べてるときに「まあ、自分のミッションの一つは文化を豊かにすることだから」というような言葉が思いがけず自分の口からさらっと出てきて、帰り道にずっとそれを反芻していたことがあった。どんな文脈だったっけな。「○○をすれば儲かる」みたいな話題になったときに「いやあ、でもそれはやりたくないな」と言ったときだったかな。
文化を豊かにする。
とはいっても、それは当然、僕ひとりでどうにかできるような大それたことじゃない。何をすればいいか決まっているようなことでもない。沢山の人たちが、クリエイティブであること。優れた表現が生まれて、その価値がちゃんと届くこと。そして多くの人が、それぞれの生活のなかで、美しいものを堪能したり、笑ったり、泣いたり、思いっきり楽しんだりすること。そういう営みが少しずつ積み重なることで、文化は豊かになっていく。そして、特にポップカルチャーの分野においては産業の構造が文化の多様性を支えているようなところもある。だから、仕事の内容が違っていたり、スタンスが違っていたりしていても、広い意味で「文化を豊かにする」ことに携わっている人は全員が同業者だなあ、と思うようなところもある。
娯楽やエンターテインメントは”不要不急”なものかもしれないけれど、それは、沢山の人の心を支えている。それぞれの人生という物語の糧になっている。少なくとも僕はそう信じてる。
何ができるか。基本的に僕のやる仕事は、音楽にまつわる文章を書いたり、喋ったりすること。たぶん、これからも基本的には変わらずにそれを続けていくと思う。
でも、それは「仕事だから」やってるんじゃなくて、ちゃんと意味と意義を感じてやっているということは、ここに書いておこうと思う。