日々の音色とことば

usual tones and words

意味の欲望

久しぶりに新聞を読んで実感する。

実家ではずっと「朝日」と「日経」の二紙を購読していたので「産経」の右よりなテイストは新鮮だったり、それがちょっと肌に合わなかったりということもあるんだけれど、それは瑣末なこととして置いておいて。

実感するのは、情報にはアディクトが存在する、ということ。情報を求め、その意味を消費する渇望。少なくとも僕にとってはそうだ。3月の引越しを期に僕は新聞をとらなくなったけれど、そのかわりネットのニュースをほぼ毎日チェックするようになった。自分にとってどれだけ有用なのかはわからない。それでもgoogleニュースとはてなブックマークは毎日、下手をしたら一日に何度も見て回ったりする。RSSの巡回リストを更新する。そういう作業が自分にとってどれだけ有用なのかはわからない。たぶん、アディクト=中毒なのだと思う。そして「産経新聞」のインストールされたi Pod Touchが、そのリストに加わった。

情報が無料になったことで、それを求める「欲望」は拡大する。そして希薄化する。

それは怪物のように時間を食い荒らし、身体を肥大化させ、そもそもの目的も失って暴れる。たとえば「痛いニュース」のようなサイトを見ると、情報がシンプルでプレーンな「テクスト」そのものとしてではなく、その「意味」を食い荒らすかのように消費されているのが、よくわかる。ワイドショーのコメンテーターと、2chの無数の匿名の書き込み。顔を見せているかどうかの違いだけで、本質的には同じことだと思う。

どこかで起こった凄惨な殺人事件よりも、交通事故や列車への飛び込みのほうが多数の人々の命を奪っているのに、前者が殊更に騒ぎ立てられるのはそこに消費することのできる「意味」があるからだ。正直な話、麻生総理大臣が漢字を読めたとか読めなかったとか、どうでもいいんだよなあ。

ただし、これは、「コンテンツ」ではなくて「ニュース」の話。コンテンツが無料化する時代の「欲望」については、また日を改めて。